40話 邂逅
「社長からの依頼です」
実は、と前置きした麗華が聖に合流した理由を語った。
「エルザさんが?」
「安全圏を差し引いても日本の治安は誇るべき高さですが、諸外国は違います。日本の常識を持ったまま海外に出ると酷い目を見る訳ですよ。それが例え僅かな時間の休憩と言えど、ね」
「そんなものですか?」
が、肝心の聖にはイマイチ伝わらず。屈託ない返答に麗華は大きなため息を一つ吐き出すと、『例えば』と切り出した。
「あの女がそうです。美人だったでしょう?」
「え?」
「そんな気配、ありませんでしたよ?」
「君がいたからですよ、コロさん。ですが、もし私が来ていなければ」
「殺されていた、とか?」
「なーにを言ってるんですか君は……」
それとなくソフィアの狙いを伝える麗華に意図を察する聖。が、彼の予測は完全に見当違い。指摘され、肩を落とす聖。
「手練手管で関係を持たされたでしょう。もしソフィアが好みでなければ別の女が、という訳です」
「何の関係です?」
屈託ない聖の質問。彼の眼差しは心底から言葉の意味を解していないと訴える。そんな言動に麗華は『聞いてた以上だ』と頭を抱えつつも――
「あー、えーと、その、弱みを握る、みたいな?」
なるべく聖に悟らせぬよう、酷く濁した回答をした。納得させるのは難しい、苦し紛れの一言だったが――
「成程」
しかし思いのほか納得する聖。麗華はそんな彼を見て何故だかホッと胸を撫で下ろした。美人局、ハニートラップ、そんな手段がある事を知ってほしくないのか。あるいは余計な事を教えるなとエルザから釘を刺されていたのか。
「九頭竜聖、君は自分の価値を正しく理解すべきですよ。各国、企業までもが君の力を狙っていて、その為ならば手段など選びません」
為政者にとって、あるいは何れ上に立とうともくろむ野心家にとって九頭竜聖は魅力的なのだ、と麗華は重ねる。その為ならば倫理観や法など問答無用に踏み潰し、手段を度外視するほどだ。
「弱点が無いなら作ればいい、って事ですか?」
「理解して頂けたようで何より」
麗華の言葉に悪意や殺意とは違うドロドロとした欲望を、ソフィア、ひいてはアメリカ軍の思考を理解した聖の口は固く閉ざされた。会話は途絶え、エレベーターが静かに動く音だけが耳を騒がせる。
「で、その為の私です」
「私もいますよ、旦那様」
「ありがとうコロ、麗華さんも」
「どういたしまして。さて、と。灰色の月の一件からずっと休んでいないでしょうし、部屋についたら直ぐに休んでください。その間の手続きや手配一切は私がしておきます」
麗華の申し出に聖は返答代わりとばかりに大きな欠伸をした。彼女の指摘通り、灰色の月に飲み込まれ裏地球へと転移してからずっと気が休まらない状態が続いていた。心身共に限界と認識すれば、途端に瞼が重くなり始める。程なく――
チン
と、目的地に到着した音が鳴った。静かに扉が開き、奥に控えていたホテルスタッフが姿を見せる。
「お待ちしており……え?」
「なッ」
「どうしたんです、旦那様?」
互いの顔を見た反応は様々だった。スタッフと九頭竜聖は酷く動揺し、コロは何がどうしてそんな態度を取るのか疑問に持ち、 麗華は余りの想定外に顔をしかめながら小さく舌打ちした。
「く、九頭竜聖。なんで、ココに」
「アンタ、確か……」
不幸な邂逅。久方ぶりの再会を果たした相手は九頭竜聖と因縁を持つ相手。黒鉄通運という会社に在籍していた当時、九頭竜聖を唆して強引に鋼を操縦させ、必然的に操縦に失敗して大きな損失を被ったと知るや彼に責任を擦りつけた主犯の男だった。
※※※
どうしても二人で話をしたい。聖の申し出を断るなどコロに出来る訳がなく、麗華に至ってはもっと出来ない。ならばせめて人が多い場所で、という提案を理由に一行は再びロビーまで戻って来た。ソフィアは港に戻ったようでその姿は無い。他の客も同じく、危険域の中では比較的安全なアメリカと言えども客足はそれほど多くはない。それ故にホテル側は纏まった金を理由に軍や重工に安価で貸し出している訳だが。
「二人きりで話って、大丈夫でしょうか?」
「罰は与えた。後は彼が納得するかどうかだが」
コロは心配そうに、麗華はやや呆れがちに離れた場所から様子を窺う。視線の先には、中央の机を挟んで座る2人の男。
「あの、なんでココに?」
聖が切り出した。対面の男は暫く無言だったが、やがて――
「親父からの最後の餞別なんだよ、ココは。働き口まで親頼みだって笑うか?」
そう、自嘲気味に問い返した。
「いえ。あの、他の人は?」
「俺はココを紹介して貰えたから一足早く出た。他は、どうだろうな。だが遠からず日本を追われると思う」
力なく吐き出した男の顔は酷くやつれていた。国外退去という形で住み慣れた日本から放り出され、新しい土地でのルールや言語、仕事を覚えねばならない苦労に晒された結果だろう。
「言い訳だと思わないでほしいんだが」
暫しの沈黙を破り、男が再び口を開いた。
「こんな状況になって分かった事がある」
「はい」
「間違ってた。誰かを利用しても、良くない手段で自分をデカく見せても何時かバレる。嘘をつくと、その嘘の為にまた別の嘘を付かなきゃいけなくなる。そうやって、何時の間にか自転車操業みたいになって、引き返せないとこまで嘘を重ねちまった。こんな簡単な事に今の今まで気が付かなかった。多分、他の奴等も……いや、皆同じだ」
皆、と殊更に大きい主語で話を結んだ男は聖をジッと見つめ――
「今更遅いと思うが、利用して済まなかった。許してくれなくていい。もう会う機会は無いだろうし、こんな偶然だって二度も起きない」
そう言いながら下げた頭を上げた男は再び聖に語り始めた。
「だけど、最後だから言っておきたい事があって」
「何を、です?」
「ずっと考えてた事があって。それで、生意気だとか言わないでほしいんだが……」
意を決した顔と共に男が再び口を開いた。直後――
ズゥン
鈍い振動が開きかけた口を閉ざした。地面から突き上げるような衝撃に貫かれ、硬直した聖の身体が地面に叩きつけられた。