36話 天穹城
南緯48度52分5秒 西経123度23分6秒。通称、ポイント・ネモ。周囲を見渡せども何も無い、空も海も青一色に染まる大洋の中心にその船舶はあった。全長9.7キロに及ぶ人類史上最大の構造物、その名を天穹城。
黒鉄重工が製造した超巨大船舶は船としての機能、黒鉄重工本社としての機能は勿論、単独での生態系完結を目的に広大な面積の大半を食糧生産用の施設、あるいは農地が占有している。地球の全陸地を占拠されても生き延びる事を目的とした船舶は海洋に浮かぶ楽園でありながら、同時に人類最後の砦としての役目も担う。
そんな船舶の端に九頭竜聖とコロ、エルザは遂に降り立った。一行を出迎えたのは黒鉄重工の重鎮、第一研の面々。その内の一人、日本人と思しき恰幅の良い老人が代表という形で九頭竜聖と言葉を交わす。何れも普段ならば絶対にこのような場に出てこない上澄み中の上澄みだ。
「ようこそ、九頭竜聖。しかし驚いたよ、まさかこんなにも早いとは」
面々が一様に驚くのも無理はない。一行が天穹城の地を踏んだのは愛知を出発してから僅か2時間後の話。順風満帆でもゆうに10日以上は掛かる長旅を、ちょっと出かけてくる程度の感覚でやって来たのだから。
「いえ。えーと、お招きいただき」
「その点について君が畏まる必要はない。何せ客人なのだからね」
「一先ず、今日はゆっくりすると良いだろう。案内は引き続きエリザベートにさせる。その方が君としても安心できるだろう」
「ありがとうございます」
「それから、その機体だが……」
一堂に会した重工の重鎮の一人が空を見上げた。一面の青の中に、まるで切り取られたかのように浮かぶヴァルナを誰もが羨望の眼差しを向ける。
「技術屋としては非常に興味深い代物ではあるが、君との約束だ。手は出さないと誓おう。ただ、多少触れる程度は許して貰えると助かる。それなりに大きな船とは言え、大陸程ではないのでね。構わないだろうか?」
「はい。大丈夫だよね、コロ?」
「解析しなければ構いません」
その言葉に代表は『そうか』とにこやかな笑みを浮かべた。が、内面は違う。彼等の心情は一つ、九頭竜聖とコロの機嫌を損ねないというそれだけ。現在、黒鉄重工は世界で最も両者と協力を得やすい状況にある。事実、国連が九頭竜聖を撃ち抜いた一件は彼等にとって最大の追い風だった。
第一研の誰もが真意を笑顔の裏にひた隠す。彼等の本懐は第五次ネスト攻略作戦の成功。ソレを成しえた組織が平和となった世界の行く末を決める権利を握る。そして、一番近い位置に自分達がいると考える。また、九頭竜聖の性格が更なる追い風ともなった。エルザからの報告通り特に捻くれたところが無く、人当たりが良い素直な性格は彼等にとって実に好都合。ごく普通に接していれば不機嫌になる事もなければ、無茶な要求を出してくる恐れもない。
「話が早くて助かる。とは言え、正直なところ我々を信じ切れない部分も大いにあるだろう。出来ればゆっくりと、と行きたかったのだがそうもいかなくなってしまった」
「第五次ネスト攻略作戦、ですか?」
「いや、それもあるが」
代表が見せる上辺だけの笑顔が急に曇った。同時に、急に濁した物言いを始めた。
「何とも奇怪な話なのだが、実はヴィルツ共が急激に活発化を始めたようなのだ。その辺りについて武儀君から是非君に、と通信が入っている」
「え?」
「灰色の月に君が消え、再び姿を見せた直後からこの有様だ。今朝方の件も踏まえれば関連性を疑うなという方が難しい。奴等が意志疎通を行う程度の知能があるという話は聞き及んでいると思う」
「はい。あ、もしかして」
「飲み込みが早くて助かる。恐らく、全ヴィルツは本格的に君をターゲットにしたものと考えられる。世界中の主要都市を連鎖的に襲撃し、疲弊させようとしているのではないか、というのが我々の予測だ。無論、強引だと思っているし外れて欲しいと願ってもいるが」
第一研の予測に、聖は何かを考え始めた。地球に戻ってきて、武装組織とあわや戦闘になり掛け、落ち着いたかと思った直後にヴィルツが動き始めた。規格外の共鳴レベルを持つ自分か、それともコロか。いずれにせよ、自分の存在が世界に少なからぬ影響を与え始めていると気付いた彼の表情が自然と固くなる。
「正確な理由は分からないよ。我々とて奴等が何を考えているか殆ど理解できないのだ」
「殆ど?」
言葉の違和感に、コロが食い付いた。彼女は裏地球の個体とエルザが意志疎通を行っているのを知っている。ならば、地球の個体と意志疎通が行える人間が居ても不思議ではないと結論した。
「あぁ。共鳴レベルの高い人間の中に、極めて稀だがヴィルツの思考が何となく読める者が現れるのだよ」
「あ、確かにエルザさんもしてましたね」
「彼女も?そんな話は……まぁ、共鳴という力は未だに良く分かっていない部分がある。特に規格外過ぎる君については、な。話を戻そう。先にも言った通り『何か明確な理由で攻撃してくる』という思考が感覚的に理解できる程度で、後は何も分からない。全員が一様に口を揃えてこう評した。まるで黒い霧に包まれた様だ、と」
「黒い、霧」
「予測で申し訳ないが、その黒い霧の正体がネスト下層にいる親ではないかと我々は考えている。親の強烈な意志が子に伝播し、行動を支配している」
「だから、親を討伐すれば全てが解決すると考えているんですか?」
「そうだ。儚い可能性なのは承知しているが、それに縋るしかないのが現況だ。実は我々も一連の動きについて連合側と調整をしなければならなくなってね。済まないが武儀君への連絡は君の方から取ってもらえるだろうか?それから、君は一時的に重工所属とした。併せて戦闘や検疫など諸々を含めた調整も済ませておいた。以後、ヴィルツに関係する君の行動は全て合法とされる。各国も承諾済みだ」
「ありがとうございます」
「コチラこそ、こんな慌ただしい形での歓迎となって申し訳ない。何かあればエリザベートを経由すれば可能な限り対応させてもらう。それでは、武運を祈る」
忙しない会話は終わった。第一研の面々は聖を一瞥すると各々引き上げていった。広い甲板に残されたのは九頭竜聖とコロ、そして陽光に輝くヴァルナだけとなった。
「旦那様?」
「何か、大変なことになってるようだ」
「はい。あの、私は何があっても、何時でも旦那様の傍にいますからね」
そんな風に、コロは聖を労った。余り疑う事を知らない聖は素直に受け取ったが、コロはそうではない。彼等の言葉は、その全てが『九頭竜聖にネストへと向かわせる』為の言葉だった。感謝も労いも上辺だけ。
私だけだ、とコロが呟いた。九頭竜聖という人間を真に助けられるのは自分だけ。だが半分喜び、半分哀しみに包まれたか細い声は吹き抜ける風の中に消え、聖に届くことはなかった。




