32話 再び昇る月
――地球
「ったく、何なんだよ昨日の今日で!!」
「まぁ、今は金だよ金。はした金でも、相手がアレでもな」
「五次の予行演習がてら、か。全く、重工の連中はどいつもこいつも人を人と思ってないようで」
「頭ン中は金とクソしか詰まってねぇのさ、奴等はな」
号砲に紛れ通信が飛び交う場所は中国は北京。時刻は2035年10月23日、現地時刻の明朝6時。
早朝の戦場は、戦闘中という状況にも関わらず酷く余裕を漂わせていた。しかし、無理もない。対ヴィルツを想定した鐵の射線の先に怨敵はおらず、鐵とよく似た一回り以上小さな機体、鋼と呼ばれる重機が群れを成していた。重機は何れも戦場から回収されなかった、あるいは非合法に製造された武器を使用している。機体サイズや規格を無視した強引な使用、操縦者の共鳴レベルの低さや操縦練度といった要素はあるが相応に驚異となる相手だ。
鐵対鋼。人類同士が争ってよい状況ではないというごく当たり前の思考、置かれた現状を理解出来ない愚かな人類はとうに消え去った――筈だった。ギャング、あるいはマフィアと呼ばれる武装組織が戦う理由は何をしてでも生きる為。しかし、元からそうという訳では無かった。
「連合と重工のクソ共が!!」
「揃いも揃って俺達を見捨てたクセに!!」
噴出する殺意と憎悪に満ちたストレートな言動こそが戦う理由。重工や連合、国から見捨てられた、あるいは援護の薄い地域は自衛しなければ容易く崩壊してしまう。
この地域一帯が見捨てられた理由は代替品への交換が進んだ事によるレアメタル需要低下。最初は仕方がなかったと飲み下したが、一向に変わらぬ現状が生む憎悪は時を経るごとに各組織へと向かい、やがて平然と牙を剥くに至った。正しいか、正しくないかかはもう誰にも分からない。
「チ、どうする?」
「武器だけ狙え、話は聞くな。以上」
「OKアイザック。ところで、もう大丈夫なのか?」
簡素な指示を飛ばすのは連合軍USMFが誇るエース、アイザック。2035年10月20日に圧倒的な力を前に愛機を戦闘不能にされ、精神を粉微塵に砕かれた男は既に立ち直り、戦場を駆け巡っていた。
「問題ねぇよ。それに、元々俺は反対だったんだ。もしあのクソジジイが子供殺すって言いだしたらその前に俺が殺す位で臨んでた。んだけどなァ」
「おい」
「あぁ、ダセェ言い訳だよ」
「違ぇよバカ、上だ上、上!!」
「は?」
誰かが上を見ろと叫んだ。アイザックは軽口を止めると空を見上げる。釣られて、敵も味方も全員が朝霧に包まれる空を見上げ――
「ンだよアレ!?」
「まさか、連合と重工の新兵器か!?」
「そんな訳あるか!!」
「いや、アレは昨日……もしかして報告にあった灰色の月か!?」
朝日の中に全員が目撃したものは、今より数時間前に日本に昇った灰色の月と呼ばれる未知の現象。
「おい、それって……不味いぞッ」
「撤退、撤退だ!!」
「お前等も死にたくなけりゃ離れろ!!」
「な、何が……」
その現象はおおよそという形で連合、ひいては全世界に周知された。人類が初めて遭遇した正体不明の何か。ソレが、まさか数時間後に再び発生するとは誰も想像していなかった。月は周囲にある物体を引き寄せ、何処かに飛ばす。それが世界最強と思われた九頭竜聖とヴァルナでさえ、だ。誰もが恐れるのは無理もない話。
「い、いや。おい、あれ見ろ!!」
「は?何なんだ、一体何がどうなってんだよオイ!?」
誰もが全てを吸い込むと想像し、離れ、警戒しながら全てを記録していた。だがその視界に再び、有り得ない物体が飛び込んで来た。 再び地球に昇った月から二つの物体が吐き出された。灰色の残光を纏いながら姿を見せたのは――
「ヴァ、ヴァルナだと!?」
「続けてもう一機、鐵です。機体識別コード確認……ビンゴだ。昨日消失した一機と合致した!!」
「マジかよ。だけどなんで今頃、しかもこんな場所に?」
敵味方の双方が見上げる上空に浮かぶ月から姿を見せたのはヴァルナと鐵。
「今度は何処よ!?」
「コロ、場所は!!」
「現在……地球です、戻って来たみたいです!!」
「え」
「嘘でしょ。なら何処よ、ココ?」
灰色の月から放り出された二人は何が何だか分からず周囲を見回し、困惑した。濛々と立ち昇る煙、抉れた地面、互いを睨み合う鐵と鋼。
「鐵と、アレは鋼。なら反政府系の組織……?」
「おい、聞こえるか!!九頭竜聖とエリザベートで間違いないか?」
「この声!?じゃあやっぱり地球に戻って来たのね、私達」
「そっか。訳が分からないけど、戻れたんだ」
「は、戻って?お前等、今までどこにいたんだ?」
「えーと、ソレは。あの、ところでこのば」
無事の帰還、今いる場所が地球と分かった。が、喜ぶ暇もなく。
ズゥン――
聖の言葉が不意の振動と衝撃に中断された。しかも一度ではなく、何度も何度も。無数の衝撃に襲われる度、言い出しかけた言葉が腹の奥に沈みゆく。
「な、何?」
「鋼という機体からの攻撃です、旦那様」
「攻撃?いや鋼って」
「はい。人同士で、戦っているようです」
その言葉に言葉を失った聖は操縦席前面を占拠するディスプレイに映る無数の鋼を見つめ、困惑した。しかし、徐々に変わる。苦悶を押しのけ、形容しがたい淀んだ感情が心の内から湧き上がり、心を締め上げる。
エルザとコロは何も語らない。彼女達が揃って気に掛けるのは聖の心情。彼の両親は武装組織が搭乗する鋼に殺されている。戻って来たは良いが、その先でいきなりトラウマを抉るような相手に出会ってしまった。ただでさえ心身が疲弊した状態、果たして冷静でいられるか。
「マズい」
「は、何がだよ?どう考えたって死なねぇだろ」
絞り出すようなエルザの呟きにアイザックが反応した。確かに鋼の攻撃は防壁に阻まれ掠りさえしなかった。が、九頭竜聖について何も知らない彼の指摘は的を外している。
「お前も重工に与するのか!!」
「ならばこ」
「なんで殺したッ!!」
吐き出された感情は、ドス黒い怒りに満ちる。遅かった。エルザの顔が苦悩に歪み、それ以外の全員が一瞬で恐怖に硬直した。