28話 裏地球 其の3
あれから幾分か時間が経過し、夜の闇は更に深まった。焚火程度のか細い炎では数メートル先さえ見通せず、また身体も温められず。ならば、とエルザは早々に鐵の中に閉じこもってしまった。一方、聖は黙々と焚火に火をくべる。その度に燃え盛る炎が少し背伸びをし、パチパチと軽快な音を鳴らし、火の傍に串刺しされた魚から良い匂いが立ち昇る。
「焼けたよ」
聖の呼び声に、エルザが暫くぶりに顔を見せた。
「ありがとう、だけど大丈夫よね?」
「さっき一匹食べたけど、特に問題は無かった」
「もう食べたの?」
「毒見の必要があるでしょ?」
「あるでしょ、って君」
聖の前に降りて来たエルザは酷く呆れた。が、顔に出しこそすれ言葉には出さない。彼の心情をエルザは察し、納得させた。これが九頭竜聖という人間なのだ。安心させたかったのだろうが、それ以上に私の身を案じている。しかも心底から。
そんな考えが頭に浮かんだ為か、タイミングよく腹の虫が鳴った。同時にフッ、と身体の力が抜けた。幾分か前に食事を取ったとは言え、想定外に次ぐ想定外に精神も肉体も完全に疲弊している。
エルザは焚火に浮かぶ聖の顔を見た。何処か心配そうに見つめ返す彼と目が合う。どうやら想像以上に疲労が顔に出ているらしい。そう言えば今後を説明しているばかりで碌に食事を取っていなかった、と思い出せば焚火の前に串刺しになっている魚に自然と手が伸びる。
「ありがとう。ところでコロちゃんは?」
「ちゃん、って。あぁと、周囲の警戒ついでに食べられる物を探しに行ってる」
「そう」
その言葉にエルザは酷く落胆した。つい数時間前には『当面は私が君の補佐をする』と息巻いていたが、現実は真逆で献身的な介護をされる側に回っていた。こんな目に合うとは思っても見なかったエルザは自嘲的な笑みを浮かべながら魚を口元に運ぶ。
ガサ――
その手が止まった。不意に、草むらが揺れた。風ではない、何かが近づいてくる音に怯え、固まるエルザ。その前に立ち、盾となる聖。
「何……いや、この感じは!?」
エルザが何かに気付いた。その声に弾かれる様に聖は彼女を抱き抱え、ヴァルナの手に飛び乗った。エルザが感じ取れる気配の正体は一つしかない。何時の間に、と後悔すれどももう遅い。
直後、草むらから何かが姿を見せた。が――
「ち、小っさ!?」
「これも、ヴィルツだよね?」
「私も初めてよ、こんな小さな個体」
二人の前に姿を見せたのは、幼体と思しきヴィルツ。全長約30センチほどと成体と比較すればとても小さいが、それでも人類の敵に変わりはない。が、夜空から見下ろした時と同じく敵意を全く見せない。
「な、何?何?」
「魚、が欲しいのかな?」
それどころか、軟体をくねらせながらジッと一か所を、焚火とその前に刺さった焼き魚を見つめる。生態上、焚火に興味があるとは考え辛い。
「欲しいの?」
気付けば、聖はそんな風に声を掛けている。
「は、早くヴァルナに乗って!!」
対するエルザは遠回しにヴィルツを殺すよう声を荒げた。しかし、聖は動かない。
「ちょっと、聞いてる!?」
思う通りに動かない聖に苛立ちをぶつけるエルザ。
「中に入ってて」
対して、そんな気持ちなど知らぬ聖は抱えていたエルザを下ろすと焚火へと近づき、焼き上がった魚を一匹ヴィルツの前に投げ込んだ。
「ちょっと!?」
「多分だけど、大丈夫だと思う」
「何を根拠に!?」
「殺すならとっくにやってない?」
「それはそうだけど、罠とか考えない訳?」
「多勢に無勢なこの状況で罠って意味あるの?」
「無いかも知れない……けど、敵よ」
「そうかな?」
「そうよ。皆、アイツ等に。仲間も、操縦を教えてくれた師匠も、皆……」
憎悪の一端をエルザが苦悶と共に吐き出した。曖昧に濁しているが、相当な数の死を見て来たのだろう。でなければここまで憎む事などあり得ない。事実、焚火に揺らぐエルザの目は確かな憎悪に揺れていた。
「でも、何かおかしいと思う」
焚火の様に揺れ動くエルザを真っすぐ見据える聖は、視線を幼体ヴィルツに向けた。ソレは、聖が放り投げた魚を嬉しそうに頬張っていた。
「敵じゃないって言いたいの?」
「ここに来た時に見た群れもそうだけど、なんで敵意が無いんだろう?」
何も分からない。どうしてこの星にヴィルツがいるのか、どうして人間に敵意をもっていないのか。人類の敵であるのは間違いなく事実。しかし、目の前に広がる光景もまた事実。矛盾した事実が混乱を生み、エルザを満たしていた憎悪を押し流す。
「やっぱり罠」
その可能性を捨てきれないとエルザが口を開いた。が――
「あ、り、が、と、う?」
かと思えば急に感謝を口にした。
「へ?」
「なんでだろう、言いたい事が分かった」
違和感に聖が問うと、何故か言葉が分かったと半ば放心状態のエルザが語る。何故?どうして?そんな疑問が既に幾つも折り重なり、二人を苦しめる。この時、聖とエルザに一つの考えが生まれた。ヴィルツは人類の敵。だが、それ以外の何も知らないと。
「ともかく、敵じゃないみたいだし」
「信用、できる……わ、け……」
少なくとも敵ではないが、今まで積み重ねた憎悪が受け入れるのを拒む。ヴィルツへの敵意を今更なかった事になど出来る訳がない。しかし、そんな感情を吐き出す前にエルザは崩れ落ちた。聖は慌てて呼吸と脈を計り、生存を確認すると安堵の溜息を零した。恐らく、いや考えるまでもなく精神的な疲労が限界に達した。
ならばと、聖はエルザを肩に抱き、ヴァルナの操縦席に寝かせた。鐵よりも遥かに堅牢で、また操縦席内部の環境も非常に良好。外とは明らかに違う暖かな空気に包まれたエルザは、程なく寝息を立て始めた。聖はそっとハッチを閉じると踵を返し、焚火の傍で横になった。
コロが戻って来るまでの辛抱すれば良い。と、そう考えながら焚火に枯れ木を放り込み続けていたが、やがて疲労が瞼をふさぐ。そんな彼の横に自然と、小さなヴィルツが寄り添っていた。