24話 灰色の月
愛知県名古屋市M区、市北東部に位置する区の中央に位置する深緑に満ちた自然あふれていた景観は今や影も形もなくなっていた。
「予想通りだけどよ、なんで急に!!」
「ただの島国のどっからこんなに湧いてくんだ!?」
「思考と推測は俺達の仕事じゃない。文句もだ。口より手を動かせ」
「へいへい。ついでに社長にも良いトコ見せておかねぇとな」
「知らねぇのか?社長、デート中だとさ」
「ハ?マジかよ。仕事サボって羨ましいねぇ」
苛烈な戦闘の合間に、軽妙な軽口が響く。戦場に展開、市街地へと雪崩れ込もうとするヴィルツを抑え込むのはシュヴァルツアイゼンの一団。しかも16日、岐阜に展開していた部隊とは練度も装備も明らかに違う精鋭。軽口を叩きながらも、ただの一匹として市街地への侵入を許さない。
「雑談は感心しないですね。査定に響きますよ?」
「犀の姉さァん。報酬は討伐した分って決まってるでしょ?」
重工との間に交わされた約束を持ち出した傭兵に、『だから尚の事』と重ねた犀は雲一つない夜空を見上げた。
「ま、まさか」
「社長の相手は九頭竜聖ですよ。彼の性格を考えれば、ね?」
「マジかよ!?」
「アレが来るのか?」
この後の展開を仄めかす犀の言葉に、傭兵達の心が一斉に粟立った。10月20日、岐阜県庁に降り立つや僅か二分足らずで国連と日本が用意した鐵、鐵改1,100機全てを撃墜した鮮烈的な光景は、映像越しという形で彼等も目にしていた。その機神が姿を見せる。各々に去来するのは桁違いの力に対する興味と恐怖という相反する感情。自然と、視線が空へと向う。
「ゲ!?」
「本当に来やがった!?」
見た。純黒の夜空を切り裂き、散りばめられた星々よりも鮮烈に美しく輝く白い鳥を傭兵達は見た。
「だから言ったでしょうに。各自、ヴィルツを牽制しつつ九頭竜聖の邪魔にならない位置まで後退」
犀の指示に、いや指示に先んじて全員が後退を始めた。直後、ヴィルツと鐵の間にヴァルナが割り込む。
「手伝います」
戦場に突っ込んで来たヴァルナを操縦する聖の言葉に、暫し誰も反応できなかった。映像に見た悪夢の如き光景、その力を持つ機体が目と鼻の先に立っている。興奮、期待、恐怖、動揺。様々な感情が渦を巻き、各々の心を締め上げる。
「承知しました。我々は邪魔にならない様、牽制しながら後退します。それから、住民は退避完了しています」
「ありがとう」
九頭竜聖の言葉に全員が毒気を抜かれた。あの日に起きた事も、それ以前の出来事も彼等は知っている。市民解放と引き換えに協力する旨を国連側に打診した直後に何者かから撃たれ、瀕死の重傷を負った事も。シュヴァルツアイゼンの別部隊が九頭竜聖の存在を認めながら戦闘を継続した事も。何なら資料経由で、それ以前の苦悩も知っている。
折り重なった過去は、誰かの為に働く意志を奪う土壌を作るには十分。加えて、世界の誰も止められない力を持っている。『もし己が九頭竜聖の立場ならどうするか』と夢想すれば、大半が好き放題に生きるという結論を下すだろう。彼が持つ力は大抵の我儘を押し通せる、世界最強の力。だというのにその力を躊躇なく他者の為に使う。
「行くぞ、コロ」
「はい。砲撃、準備完了」
「ほう、って……まだ出してない武器があるのか!?」
「オイ、上、上!!」
誰かが、夜空に叫ぶ。再び、視線が空へ向かう。見上げた漆黒の空には、星とは明らかに違う何かが浮かんでいた。
「な、何時から!?」
空に浮かぶは無数の銃、大砲、果ては見た事もない形状をした遠距離用の多種多様な武装――が、数えるのも馬鹿らしいほどに展開されていた。全ての銃身は、蠢くヴィルツの群れに向いている。
「バ、あんな数で攻撃したら!?」
「3パーセントで対応します。問題はありません」
ヴァルナから、少女の声がした。狼狽えるシュヴァルツアイゼンを安心させる為だろうが、その台詞に一人を除いた全員が余計に混乱した。
刹那――空から無数の衝撃が折り重なった。形容するならば、何もかもをも抉り、砕く流星の豪雨。周辺に植えられた木々、外灯、道路に建物までのありとあらゆるものが天から降り注ぐ飽和攻撃に飲み込まれ、ヴィルツ諸共に消滅した。
やがて、衝撃が収まれば何もかもが消え去っていた。遠からずそうなっていた光景が、僅か十数秒後に現実となった。目の間に広がる光景に、誰も自身の心情を語る事が出来なかった。
「犀、状況は?」
聞き慣れた声が、傭兵達を現実へと引き戻した。ややあって、空から一機の鐵が降下する。
「社長!?」
「デートは良いんスか?」
「は?誰がデートだゴルァ!!」
戦場に響くエルザの怒号。しかし、誰も何も語らない。どうやら九頭竜聖とデート、というのは隊内共通認識であるようだ。
「オホン。ともかく、被害は?」
「あ、と。出現地点近傍は戦闘による影響が甚大。人的被害は今のところゼロです」
「そう。ところで……終わった、のかしら?」
「みたい、ですね」
エルザの問いに、全員の視線が爆心地へと向かう。濛々と上がる土煙が引いた後には文字通り何も残ってはいなかった。無論、ヴィルツも。
「何だ、アレは」
「何であれ、私達の希望よ」
誰かの動揺する声にエルザが答えた。人類の希望、ヴィルツを排除し世界に平穏を取り戻す希望だと。
「い、いやそうじゃなく。空に、あの……月が、二つ」
「は?」
「何を?」
しかし、動揺する声が続ける。月が二つ、と。全員が困惑と共に三度空を見上げ――
「何、アレ?」
「月と……灰色の、月?」
夜の闇にぽっかりと開いた二つの穴を見た。片方は誰もが見慣れた月。そしてもう一つは、巨大な灰色の月――に見える何か。実際の月とは違い、恐らく上空数千メートル辺りに浮かんでいるようだ。不意に出現した異変。しかし、動揺する間もなく次の異変が起きた。突如、視界が闇に包まれた。
「は?」
「オイ何だコレ!?」
「どうなってるの、犀!!」
「分かりません。恐らく何らかの要因で市内全域の電力供給が不安定になったものと」
「どうなってるんだよ次から次へと!?」
折り重なる異変に勝利ムードは完全に消し飛んだ。まるでヴィルツ消滅を引き金としたように夜空に出現した灰色の月、その月に呼応するように発生した市内全域の停電現象。
「あの月、君の仕業じゃないよね聖クン?」
「違う」
「私達は何もしていません。それより」
「な、何ッ!?」
「ちょっと、どうしたんスか社長?」
「き、機体の制御が……」
「何で、まさかアレが!?」
誰もが見た目から『灰色の月』と呼ぶ何かが更なる異変を生む。戦場の中心に立つヴァルナとエルザが搭乗する鐵が突如として制御不能に陥り、そして――
「な、何処に行くんです!?」
「勝手に動いてるのよ!!」
「いえ、あの月に吸い寄せられているようです」
機体が不自然に浮き上がった。コロの解析によれば、月が二機を吸い寄せているらしい。
「冷静に言っている場合!?」
「コロ、何とかできないのか」
「すみません旦那様。機体が制御を受け付けません」
「何が一体どうなって」
「ちょっと、社長!!」
「私はどうでも良い!!全機、何としても九頭竜聖だけは助けなさい!!」
「いや、駄目です」
「ンもうッ、次は何!?」
「お、俺達の機体もッ」
「何がどうなってッ、クソ!!」
「脱出だッ!!各自、動けるうちに、急げ!!」
「チィ、なんてこった」
夜空に灰色の月が浮かび、ネオンに輝く街が闇に沈む。一面の闇の中、灰色の月はヴァルナとその近くにいたエルザ機を含めた数機の鐵を引き寄せ始めた。無抵抗のまま空を泳ぎ続ける二機。そのすぐ後を操縦者不在となった無人の鐵が続く。地上の部隊はその様子をただ黙って見守るしか出来ず。
「き、消えた」
「これも、ヴィルツの仕業……なのか?」
地上の面々が見つめる中、ヴァルナとエルザが搭乗する鐵は月に吸い込まれ、消失した。同時、闇に沈んだ街に再び文明の灯が灯った。