23話 襲撃
2035年10月22日 夜
愛知県N市内ホテル内レストラン。伽藍洞の店内から外を見れば泡沫の平穏に酔う夜の街。恐らく、現在の日本における最高の贅――
「まぁ退院して直ぐだし……私も薄々選択間違えたかなぁ、とは思うけどサ」
に、少々不満気な顔色を浮かべるエルザ。
「何か文句ありますか?」
「いえ。まぁ、いいわ」
何かを窘めようとするエルザと、ソレを制するコロ。彼女達の視線を追えばやり取りの理由が直ぐに分かる。
「いやぁ、美味しいねぇコレ。市販の硬いパンとは大違いだ。あ、おかわりしてもいいかな?」
「良かぁないわよ。高いだけで余剰が無いのはココだって同じよ。私の分を少しあげるから我慢なさい」
「そっか」
エルザが頭を痛めるのはマナーもへったくれもない九頭竜聖の食べ方。とは言え、思うほどに気に掛ける様子は無い。そもそも彼の出自を知っていればマナーを学ぶ余裕などある訳がないなど分かり切っていた事。だというのに自分の尺度で店を選んでしまったのは己の失態。それに聖の傍をべったりとくっついて離れないコロの前で叱責出来る訳がない。また、仮に何か言われても世界最大の軍需企業、黒鉄重工の頂点ならばその程度はゴリ押し出来る。
様々な状況を考慮した結果、彼女は現状を成すがままに受け入れた。
「食べながらで良いのだけど」
「は、はい」
「今後の話だけど、当面は私が君の補佐をする事になったわ。現実感はまだ無いでしょうけど、一個人が国家レベルを超えた戦闘能力を持つ以上、色々と政治的な場に出なければならなくなるでしょう。だけど君にその手の話は難しそうだし、そもそも日本語以外話せないでしょ?」
「言語なら問題ありません」
日本語以外を理解できない。九頭竜聖という人物に関する情報を子細まで持っているエルザはそう判断したが、コロが即断で否定した。
「え?」
「そうなの?語学の勉強する時間、あったかしら?って、なんで君まで……」
「私の力です」
仲良く驚く聖とエルザ。が、同じ反応を返した聖にエルザは驚いた。反応を見るにどう考えても予想は当たっている筈と訝しむが、コロの一言に一応だが納得した。より正確には『納得する以外の選択肢が無かった』訳だが。
「それよりも、もしかして旦那様を馬鹿にしました?」
「してません。大事なのは理解するけど、何でもかんでも反射的に噛みつくのは止めた方が彼の為よ。問題は時間の方ね。第五次ネスト攻略作戦までの猶予は思うほどに短い。なのに世界最強の戦力に政治の勉強をしろ、だなんて馬鹿馬鹿し過ぎるわ。優先順位を考えれば知っている誰かに任せた方が良いって事よ」
「ありがとうございます。エルザさん、優しかったんですね」
「かった……って、まぁ素直に受け取っておくわ」
食事の手を止め、真っ直ぐに感謝を伝える聖の目を見たエルザは、伏し目がちにその言葉を受け入れた。面と向かって優しいと言われた経験が無かったが為の照れ隠しか、それとも余りにも軽い言動への呆れか。心中は彼女しか分からない。
「後は、食事が終わったらなるべく早く休む事。早朝の第一便で、先ずはオーストラリアに向かいます」
「分かりました」
「寝坊しない様、時間になったら起こしますからね。旦那様」
「コロもありがとう」
「ハァ」
話の終わりをエルザは盛大な溜息で結んだ。呑気な九頭竜聖に彼を最優先に思考するマイペースなコロ。エルザは世界最強のコンビをこれから御さなければならない訳だが、初っ端からこれでは先が思いやられる。そんな嘆きが溜息と共に零れ落ちた。
気が付けば、彼女の料理が冷めていた。それに気付いたスタッフの一人が慌てて駆け寄り――
「エリザベート様」
皿を下げる代わりに耳打ちをした。刹那、彼女の表情が一気に強張る。
「それ、本当?」
「はい。シュヴァルツアイゼンより連絡がありました。間違いありません」
何かを断言したスタッフの言葉に、エルザはチ、と盛大な舌打ちを鳴らした。
「な、何かあったの?」
余りにも急な変化に異変を察した聖が問いかければ、エルザは『ヴィルツ』と、人類の敵の名を吐き捨てた。ソレだけで一人と一機は全てを察した。
「まさか、この場所に!?」
聖の言葉にエルザは何も語らない。しかし、苦悶に満ちた表情は語っているも同然。20日に武儀首相から聞いた『君がいる限り日本にヴィルツの大群が押し寄せる』という言葉が正しかったと、図らずも証明されてしまった。
「行きます」
「待ちなさい。重工側で対応しています!!」
「でも、行かなきゃ。誰かを助ける力があるなら、そうしたいんです。行こう、コロ」
「はい、旦那様!!」
「ちょっと待ちなさい。君は、君の重要性を考えなさい!!優先すべきは、ってもう!!」
九頭竜聖という人物は、そう言えばこんな性格をしていたとエルザは頭を抱えた。同時、僅かに軽蔑した。より大局的に物事を見据えるならば、最優先すべきは彼の心身。第五次ネスト攻略作戦の要なのだから、こんな場所であっても無意味に消耗する必要はない。そもそも、こういった事態を想定してシュヴァルツアイゼンを市内に展開させていたのだ。
だが、彼は躊躇いなく動く。過去に散々利用された過去があるのに、それでも誰かを助ける為に。
「ごめんなさい」
苛立ちを隠せないエルザ。が、聞き慣れない台詞に傍と顔を上げた。彼女の耳を掠めたのはコロの謝罪。
「何が」
「旦那様は、助けるという言葉に呪われているんです」
「呪われ……?」
呪いと、確かにエルザは聞いた。しかし、意味を正しく理解できない。程なく彼女は即座に呪術的な意味であると解釈、呪いなどあり得ない、非科学的だと一蹴した。が、誤りだと直ぐに気付く。そう語ったコロの表情は、今まで見た事が無い程に悲壮感で溢れていた。九頭竜聖を敬愛するコロが断定するのならば、その呪いとは恐らく――
「両親の教育の賜物、か。なるほど、確かに呪いね。本当に、嫌になるわ」
呪いの正体に気付いたエルザは、冷えた料理に視線を落とした。彼女も九頭竜聖同様、何かに縛られている。