11話 黄昏
平穏はもうない。後部座席に身を隠す聖が車窓の端から覗いた街並みには、疑惑に満ちた周囲の眼差しと見知らぬ顔ぶれに溢れていた。一体何が起きたのか。何故、自分の名が報道に流れたのか。彼の頭には幾つもの疑問が過る。しかし答えなど出る筈がなく。そもそも、彼には知らない事が多い。コロは一体何者なのか、何故ヴィルツと黒鉄重工の特殊部隊を寄せ付けない程に強いのか。だが、何より――
※※※
2035年10月17日 夕刻
「取りあえずココなら安全だと思う」
「何から何まで。神戸さん、ありがとうございます」
廃ホテルの一室に聖とコロ、神戸はやって来た。豪華な部屋だが、しかしところどころにホコリが積もり、部屋も暗い。
「ところで、ここは?」
「あぁ、だいぶ前に経営難からオーナーの退去勧告が重なったせいで廃業しちゃったんだ。で、実はそのオーナーと縁があってね。暫くの間は好きに使って良いよ。君には迷惑をかけたから責任は僕が負うよ」
安全とは言い難いが、人のいないホテルならば隠れるにはうってつけ。特に寒さを凌げるのは大きいが、こうまで条件の良い隠れ場所を直ぐに見つけられた事に疑問を持つのも事実。が、聖の疑問に対する神戸の回答と得意満面の笑みに彼は安堵した。
「でも、どうして旦那様を探してるんでしょうね?」
「え、あぁ……なんで、だろうね?」
明らかに言い淀む聖。
「ハハ、それは」
屈託ないコロの疑問に神戸も酷く言い淀む。暗い影の落ちる聖の心情は計り知れないが、神戸は分かりやすい。彼が知り、聖とコロが知らぬ事実を彼は言い出す事が出来ない。聖の性格を良く知っているからだ。もし彼がコロの力を知れば、誰かを助ける為にその力を躊躇いなく振るう。一見すれば問題はないが、しかし誰もが素直に、誠実に彼を頼る場合に限る。
「ま、まぁ行っちゃ駄目な戦場に足を踏み込んじゃったんだから怒りもするさ」
頭を過る悪い想像に、神戸は慌てて釈明に走った。
「そう、ですかね?」
「そうそう」
分が悪い。とは言え、聖とコロに追及する気配は無い。親身に心配し、隠れる場所を提供してくれた顔なじみの店主への信頼が疑念に勝っているようだ。
「理由はともかく、探しているってのは確かだ。誤解だとは思うよ。思うんだけど、でも勧告が届く日までは大人しくしていた方が良いと思うな。じゃあ、僕は一旦仕事に戻るよ。食事、また夜にでも買って来るから」
やや強引に話を切り上げた神戸は足早に部屋を後にした。昨日の話は、やはり伝えられなかった。神戸は知っている。コロの存在は思う以上に聖の助けとなっている事に。そんな状況で『コロが桁違いの戦闘能力を持っている』事を暴露すれば、両者の関係に溝が生まれるのではないか。部屋を後にする神戸の渋い顔に、彼の苦悩が浮かんでいた。
※※※
更に数時間が経過した。日は何時の間にか落ち、外灯と星明かりが夜を照らし始める頃合い。
和洋折衷の部屋の大きな窓から外を見れば、深緑を縦断する一級河川が見える。風光明媚な景色だが、外をジッと眺め続ける訳にもいかない。かといって時間を潰そうにも既に廃業している。電気を使えば即座にバレてしまう恐れがあるからテレビはあれども無用の長物。携帯も同じく。もし必死で捜索しているなら携帯から居場所など簡単に特定される。
「あぁ、退屈だな」
「はい。何か時間を潰せるものをもってこればよかったですね」
気を利かせる事が出来ず、シュンとするコロ。
「あーと。じゃあちょっと、外に行こうか。もう外も暗いし、少し位なら大丈夫さ」
聖の提案にコロも神戸も何も語らなかった。食事を取ったからか、顔色は幾分かよくなった。とは言えホテルにずっと身を潜めていれば心身が参るのは必定。
神戸は考える。退屈というだけで外に出すのは危険だが、命を狙われている訳ではない。報道陣ならば根掘り葉掘り聞く程度だろう。問題はシュヴァルツアイゼンを雇う黒鉄重工だが、コロに成す術なく敗北した事実から判断すれば強引な手段を取る可能性は低い。二度も敗北したとあれば面子は丸潰れ。その事態を避けるためにも捜索は慎重に行う筈だと彼は思考する。
「あぁ。良いけど、くれぐれも気を付けて」
ややあって、見送った。このホテルは市街地からは外れた場所にある。加えて再開発が頓挫している関係で人通りは更に少ない。ごく僅かな民家にさえ気を付ければ見つかる可能性は低いが、安全圏からの消失により出歩く人間は更に減っている。
そもそも、彼が狙われる理由は彼自身ではない。彼の危機に呼応する形で変異したコロの方。そのコロを狙うのは黒鉄重工だけではない。鐵もヴィルツも寄せ付けない、桁違いの戦闘能力を取り込みたい大企業や国家も狙う筈。ヴィルツを一撃で消滅させた力を持つコロの助力を得たいならば手荒な真似をされる恐れは低いどころか、寧ろ破格の待遇で日本から引き抜くだろう。
本来ならば白騎士が狙いだった。が、ヴィルツの襲撃と共に電光石火で出現し、瞬く間に逃げ去る白騎士の正体は今もって不明。しかも、年初に二度姿を見せて以降、パタリとその姿を消してしまった。そんな現状により、白騎士への関心はごく一部を除き無きに等しい状態になっていた。
残る問題は市民感情だけだが、こちらも問題は無いと神戸は予測する。桁違いの戦闘能力は畏怖の対象となり得るが、コロはヴィルツ討伐後に聖を見捨てたシュヴァルツアイゼンを戦闘不能に追い込んだ。殺してはいないし、重工所属の横暴な傭兵団を直に見た影響もある。味方となるかは不明だが、最悪でも街から出ていけと言われる程度だろう。
「大丈夫だ、きっと。これからも」
都合の良い理由だけで組み上げた歪な理屈に己を納得させた神戸は、まるで言い聞かせるように大丈夫と吐き出した。