9話 激動
――九頭竜聖はあの日の事を覚えていない。共に意識を手放していたコロも同じく、何が起きたか知らない。現状において彼が事情を聞ける唯一の人物である神戸も口を閉ざし、何も教えてくれない。周囲もあの日以降から妙に余所余所しく、誰もが腫物の様に近づきさえしなくなった。当然、事情を聞ける状態ではない。
このまま悶々と疑問を抱え続けるのか。そんな日々がずっと続くのか。そんな、漠然とした不安に九頭竜聖は陥っていた。
そう考える聖の眼前に真実は容赦なく姿を見せた。無数の報道がある映像を流した。携帯端末のカメラが捉えたのは、混乱するシュヴァルツアイゼンの様子。
動乱する避難施設を映した映像が告げるのはヴィルツと出撃した数十機の黒鉄全機が数秒で戦闘不能となった事実。誰かの言葉が、通信を通し、等しく世界中に響いた。
「男だ、男の傍にいたボロいオートマタが、女の、黒髪の女に姿を変えて、一撃でヴィルツを全滅させた!!」
信じ難い声に最初は誰も信じず、悪戯とさえ思っていた。何せ、白騎士という前例があるのだ。そんな状況で次の戦力が出現する幸運が訪れる訳がないと、そんな風に誰もが高を括った。
程なく、声に合わせ映像が映し出された。傭兵の一人が『撮るな』と声を荒げ、同時に映像が大きく揺らいだ。が、その動きは背後から呼び止めた別の傭兵の動揺に止められた。誰もが、次の映像を唖然と見つめる。
傭兵達が食い入るように見つめる映像に映るのは、美しく長い黒髪をなびかせた美少女。女は一人の男を抱き寄せていた。意識を喪失し、ぐったりとする男を愛おしそうに眺めていた女は、次の瞬間に爆炎の中に消えた。誰もが死を確信した。
人間目掛けた攻撃という人にあるまじき非人道的な選択。瞬く間に上がる非難が世界中の報道を埋め尽くした。が、次の光景に声はあえなく消失する。霧散した爆炎の向こう、焦土と化した市街地に無傷の少女が姿を現した。少女は手を掲げ、映像が乱れた。最後、酷く冷めた女の顔が映像を見下ろし、映像は途切れた。問題はその最後、近づいた少女が抱き寄せる男の顔がほんの僅か、不鮮明に映し出された。
やがて誰もが男を躍起になって探し始めた。「一撃でヴィルツを全滅させた」という一言に、誰もが熱狂した。正に希望、ヴィルツに押され続ける現状を打破し得る、白騎士と双璧を成す希望。誰もが新たな救世主に思いを馳せる。北海道に数度姿を見せた白騎士は未だ正体不明。翻って、少女と男の姿はやや不鮮明ならがも映像にはっきりと姿が残っている点が大きかった。
もしその男と協力を取り付ける事が出来たならば、世界の勢力図は一変する。鐵を製造運用する黒鉄重工も、大量の鐵改を抱える国連や各国の軍隊に援護を求めることなく危険地帯での活動に赴く事が出来る。世界的に不足する鉱物資源やレアメタルの採掘は言うに及ばず、実力次第では世界からヴィルツを一掃出来る可能性さえあり得る。
目下最大の問題は肝心の正体が分からないという点。映像に過った不鮮明な男の顔は、それだけならば個人を特定するには余りにも足りないと一蹴された。
しかし、矢継ぎ早に幾つもの事実が明るみになる。様々な思惑によりその男の情報は遮断された、筈だった。が、人の口に戸は立てられない。程なく、あらゆる媒体で男の噂が流れ始めた。
曰く、誰かがシュヴァルツアイゼンの許可を受けて市街地へと戻った。曰く、男。曰く、その日に会社をクビになった。曰く、誰かを無償で助けるお人よし。一つ一つは些細過ぎて特定には至らない。しかし、積み上がる度に霧に包まれた人物像に光が射し、やがて結実する。集まった幾つもの情報により、やがて男の素性が特定されるに至った。
九頭竜聖。
その名が、激動のうねりと共に世界中へと広がった。