10話 逃走
2035年10月17日 昼
市内にある小さな墓地。その奥まった場所にある一つの墓の前まで来た聖は線香に火をつけた。風に揺られながら天へと上る一筋の煙は、まるで彼の心情を現わしているようだった。
「ゴメン、もう来れないと思う。だから、最後に」
墓前に手を合わせた聖の声は、掠れるように小さい。国外退去となっても旅行という形での再訪は可能。しかし、理由が理由だけに彼の未来は仄暗い。
「お花、出来ればもっと沢山用意したかったんですけど」
隣に立つコロも、[T^T]な表情をモニターに浮かべながら幾つかの花を添えると、見よう見まねで手を合わせた。10月の寒風が、線香の煙が大きく揺れ動いた。
「さ、行こうか」
「はい、あの……旦那様」
「いいよ。もう決まった事だし、仕方ない」
「でも、お花。私が失敗ばかりしなければもっと沢山」
聖の感情が伝播したのか、自らを責め始めるコロ。
「気にしていないよ。元を辿れば俺のせいだ。悪い事だと分かっていて、それでも助けになればって、何時か分かってくれるって。でも間違ってた」
「選別法さえ無ければ」
「ソレは難しいかもね」
気落ちする二人の背後から、男の声が割って入った。一人と一機が振り向けば、顔なじみの店主、神戸が立っていた。
「限られた土地に有能な人間を集めて、ってのが目的だからね。しかも安全圏とくれば誰もが目の色を変える」
合理的で冷酷な理屈だと、続けざまに神戸が吐き捨てた。確かに、とコロも続く。
選別法。安全圏への移住を制限、管理する為に制定された一連の法律。極めて良好な治安を理由に日本への移住希望者は多かった。が、食料自給率向上の為に切り拓かれた山野を含めた土地の大多数を農地に使用しており、人が住める土地は少なかった。そこで考え出されたのが、犯罪者や能力の著しく低い人間を国外退去させて枠を強制的に作る選別法。
日本|(を含めた安全圏国家)は資産と高い能力を有する人材を確保でき、移住者は安全な日本に移住でき、黒鉄重工はより有能な人材を探しやすいという、三方にメリットがあったために国民の反対を無視して可決された、掛け値なしの悪法。当初は反対の声もあった。しかし、全ての責をヴィルツに押し付けた世論誘導の成功により、何時しか誰も何も言わなくなってしまった。
「分かってます」
「ただ、ちょっと強引なんだよね。僕、これでも色々と顔が利いてさ。今、アチコチに掛け合ってる最中だからもう少し待ってよ。もしかしたら誰かの口添えとか、あるいは日本に移住したい誰かが金を積んで空席作らせた、みたいな裏取引って線もあるかもしれない。移住希望者は常に満杯だからね。ちょっと小突けば状況が変わるかも知れないよ」
「日本に居られるんですか?」
神戸の言葉にコロの顔が、パアッっと明るくなる。モニターに映る顔が[,˃ ᵕ ˂,]を表示した。
「あー、まぁなくはない程度、かな。さて、名残惜しいと思うけど移動しようか」
「はい。ところでどこに行くんです?」
「とっておきの場所さ。当面の隠れ場所としては上々だと思うよ」
「ありがとうございます」
「君はお得意さんだし。それに僕を探さなければ命の危険なんて無かった訳だから」
そう語る神戸の顔はどこかバツが悪そうだった。その顔に聖とコロは微笑んだ。特に聖はよく世話になっており、両者の関係は良好だった。他の誰も信用ならなかったが、この人だけは信用していい。
それに、と聖は考えを重ねる。何がどうしてこうなってしまったのかと、彼が思い出すのは今朝方の出来事。
帰宅し、何時の間にか意識を手放した聖が目を覚ましたのは早朝、まだ朝日が昇らぬ午前五時頃。足元で忙しなく動き回るコロの邪魔をしない様にリビングにやって来た彼は何の気なしにテレビをつけ、驚いた。映し出されたニュースは、昨日夕刻、自分が意識を無くしたあの時の出来事を報道していた。それだけならば何も問題は無かったのだが――
「現状、女性側の素性は不明です。しかし幾つもの情報を総合した結果、映像に映る少年の身元が判明したとの事です。名前は、九頭竜聖……」
は、と口から疑問が零れ落ちた。番組ナレーションが読み上げた名前に彼の頭は一気に覚醒した。
「旦那様ー」
覚醒し、混乱する頭に慌てふためくコロの声が掠めた。
「な、何?」
「外に誰かいます」
「え?」
その言葉に聖はカーテンの隙間から息を殺しながら外を覗き見た。あ。と、再び感情が口から零れ落ちた。確かに家の前に誰かがいる。しかも一人や二人ではない。
「裏口から逃げよう」
「は、はい」
予測不能な出来事に、どうしてこうなったのか、何かあったかと記憶を辿る聖。しかし朧げな記憶はヴィルツとシュヴァルツアイゼンの姿を最後に途切れる。もしかしたら、また何かあらぬ罪科を着せられるのか。最悪の可能性が頭を過った聖はコロを引き連れ、逃げるように生家を後にした。しかし、逃げたところで退去は免れない。だから、無理を言って墓を訪れた。
「何時か、戻れるかな」
「きっと大丈夫ですよ。旦那様が一生懸命頑張っている姿を皆さん見ていますから。ですから今日も頑張りましょー」
「うん。そうだね。そうだと、いいかな」
楽観的なコロの慰めに背を押される様に、聖は店主の車の後部座席に身を隠した。