プロローグ ~ 初陣 其の1
2035年1月
「……済まないね」
ハンドルを握る男の低い声が、車内を満たすエンジン音に溶けて響いた。その横顔は雪明かりに照らされ、額にうっすらと皺が刻まれている。
「いえ。お金、必要なので……むしろ助かりましたよ」
助手席の少年が、少しだけ肩をすくめながら答えた。
「ですよね、旦那様」
後部座席から無機質で無邪気な少女の声が重なった。二人の声の温度差に、車内の空気がわずかに和らぐ。窓の外は一面の雪景色――銀色の世界が流れていく。車のタイヤは硬い雪を踏みしめ、その下から低く軋むような音を立てていた。ここは北海道。稚内市へと続く一本道。
「いやぁ、僕のほうこそ助かったよ。顔なじみからどうしてもって仕事が入ってさ。だけど、こんな時に限って人手がなくて……」
男は唇の端をわずかに上げたが、その笑みはすぐに消えた。口元に暗い影が落ちる。
「この先に前線基地があるんでしたっけ?」
少年の問いに、男は小さく頷いた。
「そうそう。奴らは冬になると活動が活発になる。それに……」
「流氷に乗って渡って来るんですよね?」
少女の声が会話を引き継ぐと男は目を細め、フロントガラスの奥を見つめた。
「あぁ。普段は海に隔てられてるけど、冬場になると流氷って足場で繋がっちゃうんだよね、これが。だから稚内と……あとは羅臼と根室にも前線基地が置かれるわけで……おっと、どうやら着いたみたいだ」
声の最後に、短い吐息が混じった。吹雪の向こうに、黒い影がゆっくりと姿を現す。雪に覆われた巨体を目にした瞬間、少年の瞳がわずかに光を帯びた。
※※※
稚内市自衛隊駐屯地――
「助かった。急な襲撃で食糧庫がやられてな」
ロビーで出迎えた自衛隊員の頬は赤く、吐く息は白く濃い。手袋越しにサインした隊員が背後に山積みとなった荷に目を配る。僅かに安堵の色を浮かんだ。
「大変ですね。一先ず、数日分の食糧をかき集めてきました」
重機から荷を下ろした少年は積荷に付着した雪を払った。が、払えども直ぐに白く染まってしまう。まるで人類の現状のようだと、自衛隊員が白い吐息を吐き出した。
「感謝する。全く、年中常夏なら助かるんだがなぁ」
また別の自衛隊員が自嘲気味に肩をすくめた。
「ハハ、まぁ無理でしょう」
軽く笑い合う二人。だが笑みの裏には、緊張と疲労が色濃く漂っていた。
「だな。ともかく、助かった。上は黒鉄重工との約束が大事らしくてな。ここ最近は俺達なんかよりも奴等とべったりだ。で、そんなこんなで動きが鈍い。迷惑をかける」
「いえ。あなた達がいるから、本州の僕たちが枕を高くして眠れるわけですから」
「……そう言ってもらえると助かる」
少年の本心に自衛隊員は軽く敬礼をした。やり取りの間にも吹雪は窓を叩き、視界を白く塗りつぶしていた。
「それじゃあ、僕らはこのまま道路整備に入って……え?」
会話は途切れた。遮るはけたたましい警報。唐突な出来事に少年が首を傾げる。次の瞬間――
ドン
床下から突き上げるような衝撃が、全員の足元をすくった。ロビーのガラスが微かに震え、外から轟音が続く。
「まさか……」
「敵襲だ!!」
自衛隊員の顔から一瞬で笑みが消え、鋭い眼光が周囲を走る。声は緊迫し、空気が張り詰める。
再び響く衝撃音。外に出れば、雪原の向こうに黒い巨影が立っていた。人型機動兵器鐵、その量産機鐵改が肩の砲門を回し、白い幕のような吹雪の彼方へ砲撃を放つ。炸裂音が空を裂き、だが――その効果は見えない。
「……チ、奴等ッ」
短く吐き捨てられる舌打ち。通信には断続的な悲鳴が混じり、戦況の悪化を告げる。
「お前達は民間人だ。早く逃げろ!」
自衛隊員が叫ぶ。だが運搬車両は横倒しになり、雪を巻き上げて動かない。鐵が近づき、巨大な手を伸ばした。その瞬間――轟音。
金属の軋む嫌な音と共に、鐵が不自然にひしゃげ、爆発炎上した。爆風が雪煙を巻き上げ、少年たちは無力に宙を舞う。雪が衝撃を吸収し、致命傷は免れた。だが、立ち上がった少年が見たのは――吹雪の帳を押し分け、ゆっくりと迫る影の群れ。無数の異形が蠢くその様は、息を呑むほどおぞましい。
「なんでこんな数が!?」
「救援を、救援を要請しろ!!」
雪上に響く叫び。吹雪の切れ間に、敵の姿が明瞭になる――ウミウシを思わせる肉塊の群れ。ヴィルツ。人類の天敵。
「は、早く逃げないと!!神戸さん、コロッ!!」
少年の声は吹雪に呑まれ、届かない。絶望が胸を締めつける。
「こんな……こんなところで……」
視界の端が暗く沈む、その瞬間――空を裂く音と共に、何かが降下してきた。白い機影。人型の兵器。見たこともないその姿に、少年は言葉を失う。
「は……?」
傍と気付いた少年の視界から銀世界が消えた。肌を突き刺し、身体を芯から震わせる寒さも同じく。代わりに暖かな空気に包まれ、見知らぬ操縦席が目の前に広がっていた。握り心地まで学校で習得必須となる重機、鋼と同じ操縦桿。
だが――なぜ?と、疑問を挟む間もなく機体が揺れた。攻撃が直撃した――にもかかわらず操縦席は無音。何らの異変も告げない。少年は操縦席全面に広がる惨状に目を向けた。尚も攻撃は続き、自衛隊の駆る機体は撃墜され続けている。だというのに、この機体だけが無傷のまま。
「損傷……なし?」
驚く少年。が、その驚きも長く続かない。通信が飛び込む。
「救援、救援求む!!奴等……だが、それ以外にも……何だアレは!?」
「正体不明の機影が一?何なんだ、一体!?」
「救援……いや早すぎる、所属は?誰だお前は!?」
通信から問う声。が、答えようにも少年でさえ分からない。再び衝撃。考える暇もなく、少年は操縦桿を握り込んだ。
「……頼む」
※※※
その後の光景を見た者は、ほとんどいない。吹雪と銀世界にかき消される中、正体不明の白い機体はヴィルツの群れを瞬く間に消し去った。僅かな目撃者は口を揃えてこう語った。
――白い騎士が現れ、ヴィルツを瞬く間に全滅させた。
その報せは、すぐに世界中を駆け巡ることとなった。