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師匠と兄弟子

寿院は、子供の頃から師匠の傍で

多くのことを学び、育んできました。

師匠は寿院には父親同然の

今でも大切な存在でした。

そんな大切な過去を隆鷗が運んできた。


寿院が師匠の元に身を寄せたのも、

ちょうど隆鷗と同じくらいの

歳のころでした。


また、兄弟子の信蕉も、寿院には

大切な家族同様の存在でした。

一度切れたように思われた縁が

隆鷗や月子によって繋がっていくのでした。

 「黒司こくししゅう…おーい黒司秋」

 夜が明けて、都がやんわりと朝陽に包まれると、すぐに寿院じゅいんは目が覚める。陽が暮れてとばりが降り暗闇に包まれたら、もう一日が終わってしまうからだ。陽の光は神から与えられる神聖なもの、ひとの活動は陽の光に随分左右された。


 しゅうは台所の土間で窯の火を起こしていた。

 「ここにいたのか?」と、寿院は、渡り廊下から台所に入った。

 「おはようございます」と、秋が言う。「昨日のお詫びに粥を作ろうと思いまして」

 「おぅ、粥か?粥は野菜で味を整えると旨くなるぞ。ところで、もう一人はどうした?」

 「多分、部屋にいなければ、出て行ったと思います。目覚める頃に引戸を開く音がしていましたから」

 「そうか。随分冷たいやつだな。挨拶もなしか?結局、わたしを襲った理由も聞けないままか…」

 「えぇぇ、襲ったんですか?」

 「ああ、いきなり刀で斬りかかってきた。まぁ、へっぽこだったから何ともなかったが…」

 「えっ?そんなやつをよく泊めましたね?」

 「物置小屋に三日も隠れ潜んでいたお前が言うな」

 「まぁ、そうですけど…。でも、おじさんは何と言うか、ひとが良すぎます。あいつ、僕と同じくらいの歳だったかな?昨日、一言も喋りませんでしたよね。あんな誰とも知らないひとを無闇矢鱈と泊めたりしない方がいいですよ」

 「無闇矢鱈と泊めたりはしない。…って言うか、おじさんはよしてくれ。寿院だ。じゅいん」

 「すみません。寿院様ですね」

 「そうだ。粥はたっぷり作っといてくれ。1日に2食では足りないんだよなぁ」

 「あぁ、分かりました」


 そうか…。出て行ったのか。何故、声をかけてくれなかったのだろう。


 昨夜、あの少年とはろくに話しができなかった。何も喋らない少年だったが、目ん玉がキョロキョロ動いて、一見落ち着きのない子供のように見えたが、よくよく注意して見ると、何かを見ているようだった。見えない何かを…。


 あの道順の絵図を見て、目的地に辿り着けるとは思えないが…、何処へ行くつもりなのだろう。


 その頃隆鷗(たかおう)は、寿院じゅいんの予想通り、同じ道を繰り返し繰り返しくるくる廻っていた。

 大通りを真っ直ぐ、左手にずらりと並ぶ長屋、右手に鬱蒼とした木々に囲まれた屋敷があり、その屋敷を過ぎると、祠がある。そこを曲がると、竹林があり、その向かいにある寺だと描いてある。すると、そこには竹林はなく、先程出た寿院の、寺によく似た家がある。また、振り出しに戻り、再び絵図通りに歩くが、やはり寿院の家に辿り着く。これを三度繰り返したが、どうしても寿院の家だ。


 隆鷗は一昨日からろくに寝ないで、ずっと動いていた。昨夜少しばかり寿院の家で眠っただけだった。

 「しかし、なんだってあのおっさんは、黒司秋の部屋で寝ないで、わざわざわたしの部屋で寝たのだろう。おっさんのいびきでろくに眠れなかった」

 だからまだ暗いうちに、寿院の家を出た。


 三度目には、黒司秋が寿院の家の門の前でしゃがみ込んでいた。

 「ない…ないぞ…」と、黒司秋が呟いている。見つかると面倒だけど、もう万策尽きていた。

 「おっ、お前は昨日の…」

 黒司秋に見つかってしまった。

 その時、黒司秋の身体から、もわもわの目ん玉が飛び出してきた。あまりにも急に飛び出したので、隆鷗は驚いた。

 「お前か?呪符が剥がされている。お前知らないか?」

 隆鷗は茫然としていた。もわもわの目ん玉が隆鷗の顔の前でガン見してくるのだが、何故だか隆鷗は、その目にホッとすると、風景が歪みくるくる回り始めた。


 あぁ、もう駄目だ。そう思うと、隆鷗は倒れてしまった。意識を失う、その瞬間に黒司秋の寿院を呼ぶ声が聞こえた。


 「寿院さまぁぁぁぁ、昨日のやつが戻ってきましたぁぁぁぁ」


 「じゅいん…?じゅ…」隆鷗は、完全に気を失った。


 だろうな…。

 寿院は、呪符が剥がされていると騒いでいた秋に手伝わせて、今朝隆鷗が寝ていた寝床まで隆鷗を運んだ。

 あの絵図は、どう考えても、この家を描いていた。向かいの竹林が伐採され空き地になったので、この少年は迷っていたのだろう。

 少年の身体が熱い。冷やさなければ結構まずいかもしれない。

 そして、寿院は、少年の懐から昨日見た絵図と、自分宛のふみを見つけた。

 「あぁ、やっぱりだ。あの絵図を見た時、初めて見た気がしなかった。懐かしい感じさえしたのだが…」と、寿院は独り言を呟いた。

 その時、秋が台所から水と手拭いを持ってきた。

 「あぁ、この子はわたしに任せて、お前は掃除でもしておいてくれ」と、寿院が言う。

 秋が部屋の引戸を閉めると、寿院は丁寧に少年の身体を拭いた。

 なんだろう?すごく傷ついている。傷だらけだ。なんか強いやつと戦った後みたいだ。寿院は一つ一つの傷に薬を塗ると、綿入りの着物を被せた。

 そして、絵図と、ふみを手にした。


 ふみ苞寿ほうじゅ様からだ。寿院の師匠だ。しかし、もう随分昔に破門されていた。破門した弟子に宛てたふみなのか。

 それでも寿院には懐かしくて、涙が出そうになる。破門といっても、寿院にはその理由が思い当たらなかった。最後にこの空き寺を与えられた。暫く寿院は、破門の理由を考えた。もう呼吸すらできなくなりそうなくらい考えたが、やがて考えるのをやめた。もう後戻りするのはやめようと思ったからだ。


 師匠のふみは、悲しいくらい、いや笑ってしまうほど、簡潔だった。

 少年の名は隆鷗たかおう。ちょっと変わった子だ。どんなに変なことを言ったとしても、隆鷗は嘘は吐かない。大切に育ててほしい。と、そう書いてあった。そして、寿院に一言だけ、元気か?と、そう記してあったが、寿院は、たったその一言で涙が溢れた。


 隆鷗たかおうと言うのか。

 確かに少し変わった子供だ。しかし、この子は、子供にしては、いろいろなものを背負っているように見える。


 寿院は、隆鷗の薬を探しに行くために家を出た。入れ替わりに黒司秋が隆鷗の元にやって来た。


 「おいおい、本当にこいつ大丈夫なのか?こんなやつの看病なんかして、あの人って大人のくせにちょっと世間知らずなところがあるな。どう見ても、怪しいだろう。襲われたとか言ってなかったか?」と、秋が呟く。

 秋は、ふと思い出した。

 この少年が寿院に襟首を掴まれて台所の方へ連れて行かれるのを、物置小屋の引戸の隙間から覗き見ていたが、少年はずっと見ていたのだ。確かにこちらを見ていた。しかし、目は合っていなかった。何かをしきりに見ていた、その視線が秋には不気味だったし、不可解だった。

 「こいつ、あの時僕のこと気づいていたのか?あの状態で…?見ていたよな。あんな小さな隙間だったのに…偶然なのだろうか?小屋の中は真っ暗だったはずだ」秋は再び呟いた。


 暫くすると、隆鷗は、かすかに細く目蓋を開けた。まだ秋が傍にいる。

 「何なんだ?」と、小声で隆鷗が呟いた。「なんだお前か?何だよ?心配しているのか?大丈夫だよ。大丈夫…。本当は優しいやつだったんだな…」

 隆鷗は、そう言うと、再び眠った。


 秋が隆鷗の言葉に驚いた。

 何?こいつ何言ってるんだ?僕がこいつの心配するわけないだろう。寝ぼけているのか?気色悪いやつだな。少なくともこいつさえいなければ僕は、おじさんには見つからなかったはずだ。


 秋が、部屋を出ていった。乱暴に引戸を閉めて行ったので、その音で隆鷗は、一瞬目覚めたが、すぐに眠った。

 隆鷗は、秋のことなど見ていなかった。秋の身体から出て来たもわもわが、隆鷗の目の前でせわしなく行ったり来たりしていたので、目が覚めてしまったのだ。

 隆鷗が微かに目を開けると、もわもわの目ん玉が覗き見てきた。目ん玉のくせに何故だかひどく心配しているように隆鷗には見えたのだ。

 そのまま眠ってしまった隆鷗は夢を見た。


 目の前に広がる大勢の骸から抜け出てくる真っ黒い煤。黒い煤は瞬時に人の姿に形を変え、骸の上を彷徨い始める。

 骸の中には父上も兄上もいたはずだ。しかし、視界に映るのは人の形をした黒い煤だけだった。

 隆鷗は愕然とした。

 無数の、人の形をした黒い煤の中から必死に父と兄を探していたのだ。

 何故、この中に父と兄がいると思えたのだろうか?皆、同じにしか見えないこの黒い煤の中に、最愛の者を必死に探している自分に嫌悪感を覚えて、嘔吐した。


 いったい何が起こったのだろう。

 突然、大勢の兵が襲撃してきて、あっという間に父上と兄上と家臣たちを飲み込んでしまった。

 父上の「隆鷗を守れ」という声が聞こえたかと思うと、視界いっぱいに兄上の顔があった。しかし、兄上の顔には表情がなかった。そして、隆鷗は気を失った。意識を取り戻した時には、皆死んでいた。


 骸の上を歩くモノは、死んだモノなのだろか?何故、死んでも尚、歩くのだろうか?突然の死だ。死んだと気づいていないのだろうか?生への渇望なのか?執着なのか?

 やがて、“ひと”と違うモノになってしまったことに気づくモノが現れる。ひどく絶望したかと思うと、ものすごい憤りなのか、消えない憎しみなのか、怒りなのか、また怨みなのか?突然周囲のモノを吸収するかのように飲み込んで巨大に膨れ上がるモノがいる。

 それは、あたり構わず壊してしまう勢いで、周囲のものを吹き飛ばした。


 あれは何だろう?


 ずっと見ている隆鷗にそれが気がついた。それはゆっくりと隆鷗に近づいてくる。やがて勢いを増すと、一直線に隆鷗に向かって来る。隆鷗は恐怖のあまり身体が硬直して動けない。

 何者かの掌が隆鷗の足首を掴む。ガクガク震える隆鷗は、恐る恐る足首を見た。

 父上…?

 虫の息の父が隆鷗を見上げていた。そして、掴んだ足首を離して、指を差した。その方向を見ると、地面に刀が刺さっている。

 兄上の刀だ。父上が授けた刀だ。兄に家族と家臣を託したのだ。

 兄はきっと必死で隆鷗を守ったに違いない。そして、力尽きるまで隆鷗の身体を庇いながら、死んでいった。その顔がずっと隆鷗から離れなかった。隆鷗は、力の限り刀を抜き取った。と、同時に、巨大に膨れ上がった煤のバケモノを斬った。バケモノは真っ二つになって、まるで本物の煤のように消滅した。

 すると、新たな巨大なバケモノが現れた。そして、また…。

 隆鷗は夢中で刀を振り続けた。気がつくと周りには何もいなくなっていた。まるで幻を見ていたみたいだ。虫の息だった父は息絶えていた。

 隆鷗は、ただただ茫然とした。

 家族と家臣を失ったのか…?

 「何ゆえ…?我らが襲撃を受けなければならなかったのか?」隆鷗は、涙を堪えた。泣いてはならない。


 隆鷗がぼんやりしていると、初老の僧侶が歩み寄ってきた。

 「竜鷗りゅうおう様のご子息ですか?」と、僧侶が尋ねる。

 「左様で御座います」と隆鷗は答えた。

 「竜界りゅうかい様ですか?」と、僧侶が問う。

 隆鷗は首を垂れてしまった。「兄上はわたしを守って息絶えてしまいました。わたしが幼かったばかりに…」

 「貴方様は隆鷗様でしたか。竜界様はご立派なお方だ。残念です。わたしが遅れてしまいました。こんな山奥までも追手が来るとは…都で密告があったと聞いて慌てて参じましたが、間に合わなかった。本当に申し訳ありません。いったいいつまでこんなことを続けるつもりなのだ…」と、初老の僧侶は悔しがった。

 そして、ゆっくりと隆鷗を見た。

 「隆鷗様、貴方は今、虚空に刀を振っておられたが、いったい何と戦っておられた」

 「えっ?そなたには見えなかったのか?死んでも尚、生きることに執着するモノが?己の屍の上を歩いていたのだ。しかし、その中に生前からの怒りなのか怨みなのか、突如として変貌した、巨大で凶暴なバケモノみたいなのが出現したのだ。次々と…。わたしは父上が授けた兄上の刀でバケモノを両断したのです」

 「青斬刀しょうざんとうですね。竜鷗様が青い稲妻を斬ったという、魂を斬る刀と言われています。それは貴方に相応しい刀です。これから貴方を守ってくれるでしょう。いつからそうしたモノを見るようになりましたか?」

 「たった今です。あれはわたしにしか見えていないのですか?わたしはどうかしてしまったのでしょうか?」

 「いいえ。それは貴方の力です。これから貴方は戦うのです…」


 いったい誰と戦うと言うのですか…?


 身体中に汗をかきながら隆鷗は、うなされ続けた。


 その頃寿院は、隆鷗の身体の熱を除く漢方を手にして、戻っているところ、家の門の前で呼び止められた。

 振り返ると、かつて兄弟子だった信蕉しんしょうが立っていた。後ろには弟子なのか?男が立っている。


 なんという偶然だろうか?師匠のふみを携えた少年が現れたかと思うと、今度は兄弟子の信蕉しんしょう様だ。

 これは何かの始まりなのか?


 信蕉は、師匠に変わって寿院に破門を伝えた兄弟子だった。破門を伝えた時にあまりにも穏やかで優しかったので、破門の理由が思い当たらず、寿院は苦しんだ。

 今住んでいる空き寺は信蕉が案内してくれて、寺の修繕までやってくれた。破門を伝えられたとしても、いつもの優しい兄弟子だった。

 寿院と一回りも歳上だったので、時には父のような兄として本当に慕っていた。

 だから信蕉の口から破門を伝えられた時は、深く傷ついて、もう二度と師匠と兄弟子には会わないと決めたのだ。


 「信蕉様、これはいったいどうしたことでしょう?10年振りくらいですか?」

 「そんなに経つものか。相変わらずボケーとしているんじゃないのか?」

 「はて、そうでしたか?なに分突然の破門からわたしはひどく苦労しましたから過ぎ去る年月も分からず生きています」

 「何が苦労だ。お前様のことだ。上手く渡り歩いているのだろう」と、信蕉が笑う。

 「とんでも御座いません。ところで今日はどんな御用でお越しですか?破門された弟弟子なんぞにわざわざ会いに来たりしないでしょう?」と、寿院は皮肉を言う。

 「わたしがわざわざ会いに来たのは、大事な子供のためだ。言伝ことづてを伝えに来たのだ」

 「大事な子供?」

 「そうだ。お前様は『わらべ』と呼んでいるそうだな。なんだよわらべって…?あの子は体調を壊して、今知人の薬師くすしのところにいる」

 寿院は、あまりにも突然のことで、わらべが誰を指しているのか、暫く理解できなかった。

 わらべ…わら…?わらべ…?あぁぁぁぁ!

 えぇぇっ?信蕉様の口から何故、わらべと言う名前が出るのだ!


 寿院は、自分自身に暗示をかけるようにようやく落ち着いた。

 「体調を壊した…?それは心配だ。信蕉様が面倒見てたんですか?そうなんですか…。信蕉様駄目ですよ。あいつはまるで女子おなごみたいに色白で細い腕だ。もっと鍛えなくては…だから体調を壊すんですよ。しかし、わらべが信蕉様の養子…?…ですか?」


 「おな…ご…みたい?」信蕉は首を傾げた。

 よもやこいつは月子のことを男だと思っているのではあるまいな?相変わらず馬鹿だなぁ…まぁ、放っておくとしよう。


 「いや、体調を壊したというのはそう言うことではない。今から遡ること1週間くらいだっただろうか、わたしはその日寺を空けていたのだが、突然、悪霊に憑依された娘が寺にやって来たのだ。あの子は戦いには向いていないというのに、寺で預かっている霊力を持った少年と共に戦ったのだよ。その日からあの子は悪霊に取り憑かれてしまったのだと思う。もともと、人様の言霊なのか、魂なのか分からないが、そういった類のモノを見ているのだ。その際に悪いモノを取り込んでしまったのではないかと考えている。わたしは後悔しているのだ」と、信蕉が言った。


 悪霊に憑依された娘?なんだよそれ。寿院は、わらべの姿を思い出していた。寿院から見たら、随分子供だ。あんな子供でも背負っているものの大きさに改めて驚かされた。能力を持って生まれるというのは、そういうことなのだ。


 「おそらくあの子は記憶が混乱している。寺にはあの子の他にも、今言った霊力がある少年と、後三人子供を預かっているのだが、あの子は浮いていて誰とも口を利かない。だが、霊力を持った少年だけは幼い頃から親しくしていた。ところがあの子は少年のことをすっかり忘れてしまったのだ。未だに、まるで元からいなかったように忘れている」

 「すみません。よく分かりませんが…わらべが記憶を失くしているということですか?」

 「全てではないのだ。最近のことだけだと思う。もう都に出るなと言っていたのだが、一昨日も寺を飛び出してしまった。あの子を見つけた時は、何故だか朦朧としていて、知人の薬師くすしのところへ連れて行って、少しは落ち着いたのだが、昨日の夜になって突然目を覚まして、騒ぐんだ。何かをしきりに呟いている。それがお前様に関わることだったのだ」

 「あぁ、それを伝えに来られたのですね。何を騒いでいたのでしょう?」


 信蕉は、ひどく怖い顔をした。

 「お前様はうたという娘を知っているのか?」

 「うた…。知ってますよ。手鞠が殺された事件の重要な証人ですよ」

 「そうか…。あの子は、一昨日(うた)という娘に会ったそうだ。しかし、あの子はそれを綺麗に忘れていて、昨夜、突然思い出したのだよ。しかし、うたに出会った直前のことがすっぽり抜けている。記憶の混乱が起こり、とにかく怯えているのだ。しかし、うたという娘が危ないと、泣き始めて、わたしに助けを求めてきた。今、その娘の傍に危険なモノがいる、と…。寿院というひとを探して…。それを寿院様に伝えてと懇願された。お前は何故、あの子を巻き込んだ。あの子の能力は他のものに干渉しなければ危険でもなかったはずだ。しかし、お前がいろいろなことに巻き込んだから忽ちあの子はおかしくなってしまった」

 

 信蕉が怖い顔をしたのは、寿院が巻き込んだことを怒っているのだ。信蕉にとってわらべは大切な子供に違いない。しかし、そんな大切な子供を何故、あのような格好をさせて、都に放り込んだのだ?

 信蕉を図れない寿院。だが、あの子に出会えたことは幸福だった。

 

 「それは心配だと思います。しかし、何故信蕉様はわらべに物乞いの格好をさせて都に出したのですか?」

 「あゝ浅はかだったと後悔している。あの子は幼い頃から人の心を文字として読んでいた。しかし、文字は言葉を知らなくては組み立てることが出来ない。都で多くの言葉を知ってもらうことが目的だった。だが…。そもそもあの子にそんな能力が必要なのか?と、わたしは自問自答を繰り返した。あの子が幸せならば、特別な能力など必要ないのだ。もうあの子には能力のことは忘れさせようと思っている。だが、まさかあの子がお前様に出会うとは夢夢思わなかったよ…しかし、よくよく考えたら、お前様を一目でも見ようものなら、あの子が興味を持たないはずがなかったのだ。お前様は珍妙だからな」と、信蕉が言う。


 何だ?それはどういう意味だ?


 「わたしも驚きました。わらべの養父が信蕉様だったなんて…よくあんなに頭の良い子に育ったものだ」と、寿院は、最後の方は小声で呟いた。

 「そんな珍妙なお前様のことをあの子はすっかり気に入ってしまった。まったくふざけた話しだ。おそらく、ずっと身体が変だと分かっていたと思う。しかし、それでも寺を出て、都に向かおうとする。親しかった少年に止められ、ひどく憎しみを込めて『お前は誰だ』と、怒鳴り散らし、『じゅいんが待っている。共に手鞠の仇を討つ!』と言って寺を出たそうだ。あの子が寺を出る前に、少年はあの子の頬を殴ってしまった…。随分後悔したのだろう。少年もまた寺を去ってしまった。そんな思いをしてまで、あの子はお前様が大切だったのだよ。しかし、都に着いた時には、そんなことがあったのもおそらく忘れてしまったのだろう。ただただぼんやりして…。だからあの子の最後の願いを必ずやり遂げてくれ」


 「そんなことがあったのですか…?」


 寿院は、わらべの様子に異常がなかったか、考えていた。

 わらべが寿院の家を訪れたのは、手鞠の事件があった二日後だった。おそらく夜一は手鞠のことを知らせるためにわらべを探したのだと思う。夜一とわらべは随分と信頼しあっているように見えた。そういえばわらべと夜一がどういった経緯で知り合いになったのか、よく知らなかった。手鞠はわらべのことを随分詳しく知っていたし、慕っていた。

 手鞠が斬られた後、わらべはひどく憔悴していて、毎日のように寿院の家にやって来たが、日に日に元気になっていったようにも思える。

 悪霊に憑依された娘と戦ったのは、その後だろうか?その後、わらべには会っていなかった。

 わらべには辛く苦しい日々だったのか…?まったく知らなかった。


 そういえば、わらべのこと何も知らないな…。


 「うたという娘は白拍子だそうだ。それを知人から聞いていたそうなのだが、伝え忘れていた。と…、そして、うたには詩束しづかという姉がいるそうだ。これですぐに見つかるだろう。大事な証人であれば早く助けてやれ…」

 「分かりました。必ず助けます。ですからわらべのことを宜しくお願いします」

 「そんなことお前様に言われなくても分かっている」と、信蕉が言う。


 「信蕉様…。ところで師匠は御息災でいらっしゃいますか?」と、寿院は、ずっと会っていない師匠が心配だった。師匠の風の便りも聞かなくなって長い時が過ぎた。そして、突然のふみと、隆鷗という少年。この出会いはひどく重要な気がする。

 「あぁ…。師匠はもう寺にはいないんだ。師匠もすっかり歳を取ってしまわれた。最後にやり残したことがある。と、寺を離れてしまわれた。わたしには分からないのだが、おそらく師匠とともに探したあの子らに関わることではないかと思う。わたしの邪推だ。師匠の思い通りにしていただくためにわたしがあの寺を引き継いだのだ」

 「あの子ら?」

 「寺で預かっている子だよ。暫く師匠とともにわたしも行方知れずになっていたあの子供たちを必死になって探したのだよ。だからあの頃お前様を一人にしてしまった…。でも、このことは勘繰るな。わたしも一切事情は聞いていない。師匠の好きなようにして頂きたいからな」と、信蕉が言う。


 そうだ…。いつか師匠と信蕉様がずっと寺を空けていた時期があった。わたしはそれをいいことに一人都をぶらぶらしていたのだ。そしてわたしは破門になった。しかし破門になったわたしのためにわざわざこの空き寺を与えてくれて、寺の修繕までやってくれた信蕉様は本当に優しかった。何か足りない物はないかとすごい気の使いようだった。わたしの破門は師匠のやり残したことと関係あるのかも知れない。

 そして…、あの少年と。


 信蕉は去っていった。

 何か分からないが、胸がむずむずする。

 何かが近づいてくるような不安を覚えた。何か得体の知れない、真っ黒いモノ…。

 寿院は、何故だかひどく緊張して深い深呼吸をした。

時系列では、月子と譜が出会ったのは、

隆鷗が寿院の元にやって来た前日のことでした。

琵琶法師の夜一から、手鞠が斬られた時の状況を聞いていた月子でしたが、譜と出会った時にはそのことを忘れていました。

信蕉が言っていた悪霊に憑依された娘との戦いと、戒にかけられた呪いのせいでしょうか?


次回、「盗み聞き」

月子との会話で戒の能力を知った譜の話しです。

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