目ん玉のバケモノ
どんなひとにも運命的な出会いが
あります。
出会った時には分からないものですが、
人生を振り返ると、
その大切さが分かります。
寿院が出会った二人の少年が
これからの寿院の運命をどんなふうに
変えていくのか?
寿院と隆鷗の出会い。そしてそこに割って入る
もうひとりの少年と、もわもわの目ん玉。
三人の運命が動き始める。
もわもわと浮かんだ黒い影の中に現れたふたつの目は、キョロキョロと、目ん玉を動かし、まるで辺りの様子を窺っているようだった。
隆鷗は、なるべく視線を動かさずに、感覚的に目ん玉を見ていた。
これまで見たどの死霊とも違う。まして悪霊のような怨念も感じない。
いったいあれは何なのだろうか?
見たい…。見たい…。ガン見したい。と、隆鷗はもやもやしていた。
「わたしが居眠りをしていた時、お前はわたしに何か言ったか?」と、唐突に寿院が少年に尋ねた。
おやっ?
先に粥を盗み食いしたことや、畳などを盗んだことを、まず責めると思っていたが、この質問の意図は何だろう?
隆鷗は、不思議に思った。
「いえ、何も言ってないと思いますよ。何分、三日間飲まず食わずで僕はもう限界だったんです。もう意識も朦朧としていました」と、少年が言った。「何故ですか?」
「いや…別に何でもない。お前、三日間飲まず食わずと言ったな?まさか…ずっと、うちの物置小屋に潜んでいたのではあるまいな」と、寿院が言った。
「申し訳ありません。じつはその通りでございます」と、少年が申し訳なさそうに言う。
「なんだと…!何ゆえそんなことをしたのだ。よもや粥だけでは飽き足らず、何か物色していたのか?」
このおっさん、やっぱり何が何でも粥が大事なのだな。と、隆鷗は呆れる。物置小屋に隠し持った畳とか小机とか…もう念頭にないのか?
「すみません。粥を盗み食いした時は、もう飢餓のせいで判断能力がありませんでした」と、少年が言う。
「だから何ゆえ、わたしの物置小屋に潜伏していたのだと、聞いているのだ?」と、寿院が苛立つ。
少年の身体から出たもわもわした目ん玉は、相変わらず辺りを見回している。苛立つおっさんが喋っている時には、おっさんの顔に近付いて見ているが、おっさんが怒鳴ると、もわもわの目ん玉も驚いたように遠去かる。
何だろう?何か憎めない。と、隆鷗は次第にもわもわの目ん玉の動向を監視するのが面白くなっていく。だが、目が合ったりするのは、いささか面倒だ。
「本当にすみません…」と、少年が言う。「おじさんや、おじさんの家が目的ではなかったのです。偶然見つけたのです。本当に偶然に…」
「ん?なにを…?」と、寿院が尋ねる。
「えーとですね。何と言ったらいいのか…」と、少年が言う。
その間、もわもわ目ん玉が上に伸びたり、下に縮んだりしている。少年の心を現しているのだろうか?と、どんどんもわもわ目ん玉にのめり込んでいく自分を抑えられなくなっていくが、はっとして慌てて目を逸らす隆鷗だった。
「なんだ⁉︎はっきりしないやつだな」と、寿院が呆れたように言った。
「すみません。じつは呪符がですね。表の門に貼ってあるのを見つけたのです」と、少年が言う。
「呪符?お前に関係があるのか?」と、寿院が身を乗り出す。
隆鷗も呪符の話しは興味がある。もわもわ目ん玉に気を取られていたが、すぐに切り替えた。
「はい。僕はあれを貼ったやつを突き止めたくて、物置小屋を拝借しておりました」と、少年が言う。
「…って言うことは、三日間、ずっと物置小屋で張り込んでいたのか?で、畳だの小机だの枕だの綿入れの着物…、次々と物置小屋に勝手に運んだのか?」と、寿院が苛立つ。
今度はそっちかぁ?なんで呪符の話しにならないのかなぁ…?
なんか変なおっさんだな。すごく回りくどい。
隆鷗は深い溜息をついた。
もわもわ目ん玉は寿院の顔の前まで伸びてキョロキョロしている。
「本当にすみません。おじさん、ずっと家にいないし、入口も勝手口も自由に出入りできたものですから…。でも誓って物置小屋に移動しただけで、何も盗んでいませんので、全部元に戻します」と、少年はすまなさそうに言う。
「当たり前だ。しかし、何も盗んでいないとか、よく言うな。わたしの粥を盗んでおきながら…」
また粥かよぉ…?そんなに大事かよぉ?よもや呪符のことを忘れていないだろうなぁ。呪符の蛇のような呪いを退治したわたしの苦労など知らないからなぁ。
隆鷗が恨めしそうに寿院を見た時、目の前にもわもわの目ん玉がいきなり現れて、咄嗟に身を引いてしまった。
わっ、油断した。目ん玉にわたしが見えていることがばれたら厄介だ。
もわもわの目ん玉は、暫く隆鷗を見つめている。
隆鷗は目の置き場に困った。ここまで近くにいたら、知らん顔するのが難しい。
あっちに行け!あっちに行け!と、隆鷗は念じた。しかし、もわもわの目ん玉は更に隆鷗の顔を覗き込む。
「わっ!」隆鷗は思わず叫んだ。そして、誤魔化すために空咳をする。
「大丈夫か?」と、寿院が尋ねるが、すぐに少年の話しの続きが始まる。「それで、あの呪符は三日前から貼ってあったのか?」
やっと呪符の話しだ。
隆鷗は、叫び声に怯んだもわもわの目ん玉が、今度は寿院に近付いていくのを確認した。
すごいなぁ、あんなに接近されても、普通にしていられるなんて…当たり前かぁ。
「僕が見かけたのが三日前というだけですから、もっと以前に貼られていたのかもしれません」と、少年が言う。
「あの呪符にはどんな意味があるのだろうか?」と、寿院が尋ねる
「確かなことは分かりませんが、僕の知っている限り、あの呪符は相当強い呪いです。逆におじさんが気づかなくて良かったと思います。あれを剥がそうとしようものなら…」と、少年は躊躇した。
「ん?なんだ…?剥がそうとしようものなら…なんだと言うんだ?」と、寿院が焦って言う。
少年が言っていいものか迷った表情をするが、すかさず寿院は、それを見抜いて催促する。
「そこまで言って、何を迷う。黙られた方が怖いわぁ」
怖い…?ぷっと、隆鷗は小さく吹き出した。
「あの図形は、“縛り”の呪いです。剥がそうというか、あれを見たものを縛りつけるのです。人によって、呪いの効果が現れる形が違いますので、縛られた後、どうなるのかは分かりません。ある者は身体中が痛くなり硬直したり、またある者は自由に動けなくなったり…と、様々です」
「えぇぇーっ…しかし…いや…確かに…わたしは見てしまったぞ」
寿院の顔が蒼白になっていく。
「その、呪いとやらはいつから現れるのだ」
寿院が蒼白になると…、
もわもわの目ん玉がニョキニョキ伸びて、寿院の周辺をゆっくりとぐるりと一周した。
まるで何かを探しているような?確認しているような?
いったい何をしているのだろうか?
その時少年は目を瞑っていた。
暫くして少年は目蓋を開けた。
「おじさんは大丈夫そうです。呪われていませんよ。でも…、本当に剥がそうとなさったのですか?だとしたらおじさんは本当に運がいい。というか強運の持ち主としか言いようがありません」
寿院は、一瞬隆鷗を見た。あの時のことを思い出していたのだろうか?
隆鷗は、寿院の目線には気づかないふりをした。そして、もわもわの目ん玉の行動がどうも、この少年と連動しているのではないかと、考えていた。
少年を守っている霊なのか?…って言うか、少年はこのもわもわの目ん玉の存在を知っているのだろうか?気になる…!
本当にホッとしたように寿院が、深い溜息をついた。
「まぁ、ひとまず安心だ。何故、お前はそんなに呪符に詳しいのだ。人の物置小屋を好き勝手にしていたのだ、わたしには聞く権利があるよな」
「そうですね…」と、少年が深く息を吸い込んだ。「僕は黒司秋といいます。呪術師の家系に生まれました。しかし、僕には何の力もありません。家族は父と僕だけです。なので、呪術師は父の代で終わってしまうでしょう。父は呪術師といっても呪符づくりを得意としたしがない術師です。何処にも属していない術師なので、名も知られていませんし、表立って生業にしているということもないのですが、しかしながら、父の呪符は闇取引のなかでは少しは名が通っております。父が詳しく教えてくれないので、僕にはあまり分からないのですが、力のある呪符と言われています。なので、寺院とか神社とか、そして陰陽師とか、他の由緒ある呪術師のなかではいささか煙たがられています。しかし、そんな人たちが意外と必死に欲しがってきます。なんとも矛盾した話しです…」
「力のある呪符かぁ。聞いただけでもなんか怖しい響きだな。しかし、呪符などもともと我ら普通の人間にはどれも闇の中のモノ。なのに闇取引とは…なんと奇妙な感じだ。しかし、正直言って呪符などまったく信じていないものにとっては紙切れ同様だ。わたしも信じていない方なので、案外紙切れみたいな感じなのだが、でも、今考えてみたら、あの呪符には畏怖があった。あんなモノ、わたしだったら迷いもせず剥がしてしまうのだが、躊躇した。畏れを抱いたなぁ、それにお前に聞いたからかもしれないが、あの時、動けなくなったような気がする…」
寿院は、呪符を目にした時のことを思い出した。確かに背筋がぞくっとした。それにあの何とも言えない現実感のある死神の夢。
この世には侮れないモノが確かにある。
あの物乞いを装った童、あれもおそらく本物だ。
それに、目の見えない琵琶法師が見る不思議な世界。
物乞いの童の不思議な能力は、琵琶法師が見える不思議な世界の中にも現れるようだ。そのことを寿院は、手鞠から聞いていた。
琵琶法師の目には黒い影と、白いふわっとしたものが見えるらしく、黒い影は死を司どる闇の象徴だと言う。しかし、白いふわっとするモノは未だに謎だそうだが、しかし、童には白く光る丸い玉が町中のあらゆるところから集まってきて、童の中に吸い込まれるように消えていくと、手鞠が言う。白く光る玉は、これまで一度も見たことがないらしく、琵琶法師自身もその意味が未だに分からないそうだ。
ただ、童は、「虚空に無数の文字が浮かんでは消えていく」そう手鞠に言ってたそうだ。
寿院には、その意味を理解することは出来なかった。文字がふわふわしている変な絵図を想像するしかできない。次元が違いすぎた。
「黒司秋。ここからが重要なことだ。お前は何故、呪符を見つけたからといって、それを貼ったものの正体を探ろうとしたのかな?見知らぬ他人の家に忍び込んでまでも突き止めようとしたのだ。事情があるのだろう?それを話さないと、お前を帰せないな」と、寿院が言った。
「しかし、我が家の事情。おじさんを巻き込んでしまうことになるかも知れないので、知らない方がいいと思います」と、少年が言う。
あれっ?
この人、鼻っから物置小屋に運んだ畳のことや粥のことなど、どうでも良かったのかな?始めから事情を聴くのが目的だったのか?
隆鷗は、黙って二人を交互に見た。その間をもわもわの目ん玉が行ったり来たりしている。
緊張した空気が流れると、もわもわの目ん玉がぴたりと黒司秋に寄り添うようにくっついた。その姿を見ていると、もわもわは親族かもしれない。と、ふと思った。黒司秋の家族は父だけだと言っていたが…?母…?いや、母という感じではない。
駄目だ…。
わたしには関係ないことだ。
「巻き込まれる?わたしは、ある者から呪術師を騙っているなどと、馬鹿にされたのだが…。こう見えても、結構いろんな厄介ごとを解決しているんだぜ。物怪がらみのやつを。能力などいらん。大抵のことは解決する」と、寿院が言う。
「あっいえ、それはおじさんの仕事なのでしょう?僕は家無しなのですよ。僕に構っても何の得もないですよ」
「得があるとかないとか、それはわたしが決めることだ。とにかく話せ。さっきも言っただろう。わたしには聞く権利があると…ね」
「しかし…」
「お前、さっき家無しと言ったな。更にその前に家族は父親だけだと。それに父親の呪符をいろいろな者たちが欲しがっている…そして、門に貼られた呪符を貼ったやつを突き止める…と。お前の父親どうかしたか?そして家無し…。誰かが父親拉致して、家燃やしたか?」
黒司秋が黙った。驚いた表情を浮かべ、唇をガクガク震わせた。
当たったのか?
もわもわの目ん玉もふわっと寿院の顔の前まで伸びてまじまじと見つめた。
隆鷗は固唾を飲んだ。
「図星か?」と、寿院が尋ねた。
「えっ?いえ、まったく…」と、秋が答えた。
??????いやいやいや、その流れだと普通図星でしょう?
隆鷗は、寿院を見た。
いやいや、ここ突っ込むところでしょう…??
あぁ、黒司秋が話すのを待っているのか?
誘ったのか?
「父は拉致されるような、そんな弱い人ではありません。家も燃やされていません」と、秋はゆっくり話し始めた。
「おーぅ、外れたか…」寿院が力無く笑う。
「すみません。外れても仕方ありません。ひとつ嘘をついていました。家族は父だけというのは嘘です。じつは僕には弟がいました。双子の弟です」
「嘘をつかれたんじゃ、そりゃ外れるな」と、寿院が言う。
「家が代々続く呪術師でいられたのは代々能力者が生まれたからです。しかし、双子だと、能力が分割されて薄れてしまうということで忌み嫌われていたのです。確かに父は能力者でした。それは特別だからです。能力者なんてずっと生まれていませんでした。それを認めようともせずに代々続く掟ばかりを重視して、一族は弟か僕のどちらかを殺めようとしました」
「いやいや、生まれた後に殺めたところで分割された能力は分割されたままだろうに…風習というのは本当に怖しいな。人を思考停止にしてしまう」と、寿院が口を挟む。
「だから父は、一族から逃げたのです。逃げたとしても、そうした一族の掟からは逃げられなかった。母が僕らを守って、殺されました。それでも父は諦めずに僕らを守るために更に逃げたのです。そして、つい最近まで、我ら三人は無事に…それでも幸せに暮らしていました。しかし、父が生活のために作った呪符が目をつけられ、弟を人質にされてしまった」
「えぇぇ…掟とは関係なくか?気の毒な弟だな」と、話しに聞き入っている寿院が言う。
「父は仕方なく沢山の呪符を作りました。父の作る呪符は、力があります。いくら弟が人質にされたとしても、父は作りたくなかったのです。おそらく父は覚悟したのだと思います。文を置いて失踪してしまった。文には、“春を必ず助け出す。秋は逃げろ。この家には戻るな。叔父さんの家に匿ってもらいなさい”と書いてありました。叔父さんとは、母様の弟です。しかし、僕は、母様の弟なんて一度しか会ったことないんです。もう、どうしていいか分からずに、こうして父を探しているのです」
双子の弟?
隆鷗がもわもわの目ん玉を見ると、目が合った。2、3回瞬きをしたもわもわの目ん玉がゆっくりと向き直って、再び秋に寄り添った。
あぁ、このもわもわの目ん玉は弟なのか?だとしたら…、もう亡くなっているということか…。あまりにも気の毒すぎる。
「あの門に貼られた呪符は、お前の父が作ったものなのか?」と、寿院が尋ねた。
「おそらく…」
「何故、お前の父親が作ったものだと、思ったのだ?お前の話しだと、父親は覚悟を決めたのだろう。今頃お前の弟を助けて、もしかして家に戻っているかもしれないだろう?」
「父の呪符はとても独特です。一目で分かります。だけど…あの一族から弟を助けるなんて…」
「そうか?最悪の事態を想像しているのか?」と、寿院が言う。「話しは分かった。お前、好きなだけここにいるといい。家には帰れないのだろう。多分、呪符はお前の父親が作ったかもしれないが、あれを貼ったのは、わたしが今関わっているやつだ。わたしに踏み込んで欲しくないから阻止したいのだろう。わたしの命を狙っている」
「えっ?そうなのですか?」と、秋が言う。
「そうだ。お前とわたしは因縁で繋がっているのかもな。お前がここに来たのは必然だった。ということだ」
「必然ですか?もしかしたら、父はおじさんの命を狙う呪符を作っているのかもしれない…、そういうことですよね?だとしたら僕がここにいるのは、ちょっと…違う…いや、僕はここにいてはいけない…」
「そうか?わたしはやつらをぶっ壊すつもりだ。お前は父親を助ける。同じ方向見てないか?」
黒司秋の表情が明るくなった。
「いいのですか?でしたら僕は、おじさんの仕事の助手をやらせて下さい」
「あぁ、わたしはそういうの苦手かも…。そういうのは、勝手にやってくれ……。そう言えば、腹減ったな。メシでも作るかぁ」と、寿院は、隆鷗を見た。
まったく…。この少年はものを言わない子供だなぁ…。何を考えているのか、さっぱり分からない。面倒くさそうな子供だ。
今度はこの少年の話しを聞きたいが、何も喋らなそうだな。それに、何を見ているのか、さっきから目ん玉をキョロキョロと動かしながら、多分誰も分からないだろうが、表情がころころた変わっている。
いったいこの少年には何が見えてるいるのか?それともただ落ち着きのない子供なのか?寿院には隆鷗が不思議なモノに映る。
そして、道順を示したあの絵図を見た時、寿院は不思議な感覚を覚えた。俄に胸がざわざわと騒ぎ出していた。
本当に…、今日という日は、なんだか奇妙な日だ。
寿院の元に、かつて家族のように慕っていた
兄弟子が突然、訪ねてきた。
兄弟子の言葉は、今の寿院にはとても重要なことだった。
次回「師匠と兄弟子」