表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
56/57

囲碁勝負


今回は、隆鷗がまだ信陵寺で暮らしていた時まで遡った、苞寿に起こった話し…。その頃月子は都で物乞いの格好をして修行をしていた。琵琶法師と出会ったばかりだった。月子が怪しい男に見張られていることに苞寿は気がついた…。




 ひとの往来が多い大通りの屋敷の塀を背にして筵に座っている月子を、苞寿ほうじゅは遠目で眺めていた。

 月子は、ぼんやりと虚空を見つめ時折(くう)に人差し指で、まるで数を数えるような仕草をする。

 苞寿には月子が何をしているのかおおよその予想はついたが、他者が見ると飢えて気が触れてしまったのだろうと思われるような姿だ。

 苞寿は、しばらく月子を見ていた。だが、今日は月子の様子を見にきたわけではなかった。

 月子が座っている斜向かいの、野菜を売っている男に用があった。


 初めて男を見かけたのは暫く前のことだった。


 苞寿は、都に末寺まつでらを置き定期的に二、三日ほど滞在していた。

 その日は都に着くと、ひと休憩した後、弟子と共に月子の様子を見に行った。


 男は、絹の深緑の衣を身につけた、庶民とは言い難い格好をしていた。だが、貴族とも何処か違う。普通のひととは違う独特な雰囲気を醸し出して、民家の軒下に佇んでいた。その先の向かい側には、屋敷の塀を背にした月子が座っていた。

 苞寿は、弟子と立ち話をしている演技をして、暫く男の様子を窺った。

 男は、明らかに月子を見ている。あまりにも長く見ているので、時を稼ぐのに限界を感じた苞寿は、仕方なく弟子に監視するように申し付けて、その場を去った。


 「こんにちは。野菜の種類多いですね。ご自身で作っていらっしゃるんですか?」と、苞寿は声をかけた。

 「えっ?いや…これは皆で作った野菜をわたしがここで売っています」と、男は苞寿の顔を見ずに答えた。

 「へぇ、それは合理的ですね。他にもあなたのように皆で作っている野菜を別の場所で売っていたりするんですかね?そして分け合うんですか?」と、苞寿が尋ねた。

 「いいえ…そんな大事おおごとなことではないですよ。知り合いに野菜を作っている者が多いというだけです。それを分けてもらって売っているだけです」と、男が答える。やはり苞寿の顔は見ない。

 「そうですか?あなたひとりで…」

 「まぁ、わたし一人ですね」

 「いつもここで…?」

 「まぁ…」

 「毎日ですか…?」

 「いや、毎日ではないです」

 「わたしも隣りで托鉢させていただいていいですか?」

 その言葉で初めて男は苞寿を見た。

 「坊さんか?」

 「坊さんですね」

 「駄目だな。別なところでやってくれ!ここはずっとわたしの場所だ」

 「いや、あなたがここで商売を始める前はわたしの場所だった」

 「坊さんがそんなことを言うんですか?」

 「いえ、わたし、ここ好きなんですよ」

 「わたしもここ好きだな。うるさいやつは来ないし…」

 「じゃあ、ここで托鉢させていただきます」

 「いや、だから別なところでしろよ。誰も近寄らなくなるだろう?」

 「ああ、なるほど…。しかし、ここでないと見えないんです」

 「見えない?何が…」

 「あの物乞いの奇妙な力が…」

 「奇妙な力?」

 「ええ、奇妙な力です」

 「何を言っているんですか?」

 「ええ、信じていただけないかもしれないが、あの子の隣りで托鉢をしていた時のことです。あの子が、同い年の子供と話しているのが聞こえてきた。最初は子供がただ揶揄からかっていただけだった。あの子はじっと黙っていた。しかし、突然喋り出した。なんと、大火で奥方と娘を亡くした男に拾われて育てられた子供の境遇を言い当てた。子供は驚き怯えて去っていった。それからわたしはあの子に興味が湧き、こうしてずっと追いかけているのです」と、苞寿が言った。

 「なんですか?それは、千里眼というものですか?」と、男が言った。

 「さぁ、しがない山寺の坊主のわたしにはさっぱり分かりません。しかし翌日、子供の養父がやって来た。子供に聞いたのでしょう。物乞いに父の身の上を当てられたと。養父はかつては位の高い貴族だった。何をしたか分からぬが、命を狙われていたようだ。大火は、密偵によるつけ火だと思っていた。だから養父は、物乞いが密偵か何かと思って隠れて様子を見ていた。ここからが面白い。養父は、燃え盛る屋敷の中で臨終を体験した。なんと閻魔大王からわたしの目となれ、と告げられ命を助けられたそうだ」

 「なんですか?その話しは…。夢か何かの話しですか?」

 「そうですね。夢か何かの話しでしょう。養父は臨終から戻ってきたら不思議なモノを見るようになった。死を司る黒いモノと、未だ分からない白いモノ。そして物乞いの子供に言った。あなたには不思議な力がありますね。町中から白い玉があなたに集まってくる。それが何か分からないが、あなたはわたしの身の上のことを娘に言った。全て間違っていなかった。会ったこともないのに…。あなたには不思議な力がある。白い玉から何かを読み取ったのでは…?と、養父が言った。するとあの物乞いの子はなんと言ったと思います?」

 「何と言ったのですか?」と、男が尋ねた。

 苞寿はふっと笑った。

 「もしかして、こんな話し好きなんですか?」

 「えっ?いえ、夢なんでしょう?興味ありませんよ…しかし、あなたがあの物乞いの隣りでじーっと聞き耳たてていることの方が怖いな。いい歳して、ちょっと恥ずかしいな…」と、男はぷっと笑った。

 「へぇー興味ありませんか?実は、あなたが何日もあの物乞いを見張っていたことを知っているんでね。わたしもあの子には興味あるから、あなたもきっとあの子の不思議な力に興味あると思って教えたのですが、わたしの早とちりでしたか?」と、苞寿は意外そう言った。

 「まさか…。そんなのだいたい騙りだ。いやほとんどがそうだ。あの子はちょっと頭がおかしい。時々変なことをする。くうを見つめ、何かを追いかけたり、喋ったり…あんまり関わりたくないと思うよ」と、男が言った。

 「だったら何故、見張っていたのですか?」と、苞寿は言った。

 「なんかあんた気持ち悪いな?関係ないだろう?」と、男が呆れたように言った。

 「き…気持ち悪い⁉︎なんだ気持ち悪いとは!だったらあなたも気持ち悪いだろう。いつもいつも女の子を見張って!なんか企んでいるのだろう⁉︎」

 「あれが女の子か?埃にまみれて髪もぼさぼさ。ただの物乞いだ」と、男が怒鳴った。

 「じゃあ、何故見張っていた?あんた呪術師だろう。寺の住職だからね。その筋のことは少し分かっているんだが…あなた有名だ。そんな人が物乞いの子供を見張っているんだ。当然、能力に魅入っているのだろうと思うでしょう。あの子の力は本物だからね」

 「そんなことわたしは知らなかった。って言うか。わたしをたばかったな。初めからわたしを呪術師と知ってて声ををかけたのだな!?不思議な力…?ふん、あなたは本物の力を見たことがあるのかね?」

 「ええ、知ってて声をかけました。あの子が呪術師に連れていかれると思いましてね。誤解していたのなら本当に申し訳ない。まぁ、本物と言われると…あの子以外は、見ていないね。だいたいあなたが言うようにタチの悪い騙りだ。あなたは見たんですか?まぁ、有名な呪術師だからね。見ることもあるんだろうね」と、苞寿は言った。

 「恐怖だよ…。ただ恐怖だけだ。神より与えられた、人が持ち得ない強大な力を、人に向けるのだ。我々はなす術もない」と、男は言った。

 「あなたはそんな恐怖を見てきたのか?」と、苞寿は尋ねた。

 「ふん、そんなことはどうでもいいだろう。だが、力を持つ者も苦しんでいる。人を超えた力など、誰も持つべきではない。もしも、あの子にそんな力が本当にあるのなら、使うべきではない。もしあの子と話す機会があるのなら、そう忠告するべきだ」と、男が言った。

 「なんと…意外なことを仰る。そうですね。あの子に忠告するとしよう。まぁ、あの子にそんな強大な力があるようには思えませんが、だが、あの子には文字が見える…らしい。対象の人から文字が放出するらしい。その人に関わるあらゆる文字が湧き出ると言っていた。確かにそれを知られると、よこしまな者から利用されるかもしれないな。忠告しておきましょう…」と、苞寿は言った。

 「今、何と…?」と、男が驚いて、苞寿を見た。

 「えっ?何と?」と、鸚鵡返しをする苞寿。

 「文字が見えると…仰った…か?」と、男が言った。

 「はい。その通りでございますが、そんなに驚くほどの能力なのですか?」と、苞寿が言う。

 「いえ、ねぇ。文字が見えるなど、そんな荒唐無稽な能力など存在するのか?と、思いまして…」と、男が言った。


 僅かだが、男が心を開いた瞬間を苞寿は、見逃さなかった。

 月子に関するこれまでの情報は全て月子を見守っていた弟子から聞いたことだった。男が黒根家一門のなかの黒司家当主だというのは、弟子の調べで分かっていた。

 ならば、月子を見張っている理由は、能力を欲しがっているからだろう。と、苞寿はそう思った。だが、月子が不思議な力を持っていることを知らないと言う。それが苞寿には嘘だと思えなかった。ならば、何の為に見張っているのか?もう少し探る必要があると思った。何故だか苞寿は、この男に興味を持った。


 「ええ、わたしがこれまで見た限り、到底嘘をついているようには思えないですね」と、苞寿は言った。「わたしは何度もあの子の傍で托鉢をしていましたゆえいささか喋る機会もありました。あの子にもっと詳しく聞いてみましょうか?」

 「えっ?あっ、そうですね…。しかし、今日でない日にして下さい。あの子が何度もこちらを見ている。あの子にわたしの存在を知られたくないのです。別の日に伺いますので、聞いてて頂けると助かります」と、男が言った。


 あの子に存在を知られたくない…?

 男は少しずつ心を開いていく。苞寿も少しずつ少しずつ踏み込んでいった。


 「でしたら、次にお会いする時には必ずお伝えしましょう。次はいつ会えるのでしょうか?」と、苞寿は尋ねた。

 「わたしは今暫くここで野菜を売ってますよ」と、男が言う。

 「分かりました。しかし、わたしは山寺におりますゆえ、今日明日とはいきませんが、よろしいですか?何分なにぶん三刻以上はかかりますゆえ往復するのは結構難儀でして…。とりあえず今日あなたがここを引き上げた後、あの子に聞いてみるとしよう。次にここに来るのは三日以上先になると思いますが…」と、苞寿は言った。

 「そうですか。でしたら様子を見て、引き上げますよ」と、男が言う。人の良さそうな表情をしている。「特に急いでおりませんので、慌てることはないですよ」

 「まぁ、そうですよね。文字が見えるなど、言われてみると、変わった能力だ。わたしも俄然聞いてみたくなりましたよ」と、苞寿は微笑んだ。


 やがて男は、引き上げる準備をした。

 「今日は引きが悪いゆえもう帰るとしましょう。やはりあなたが隣りで托鉢をされていらっしゃるので誰も近寄らなくなりましたね」と、男は笑った。


 男が去った後、苞寿は月子の元に向かった。


 「苞寿様…?」

 月子が首を傾げていた。

 「わたしに気がついていたのに、よく声をかけないでいてくれましたね。助かりました。距離がありましたが、あの野菜売りから何か見えましたか?」と、苞寿が尋ねた。

 「あの人は、随分前から我を見張っておりました。その折、いくつか見ました」と、月子が答えた。

 「気がついていましたか?どうも呪術師らしく、わたしは月子様が攫われるのではないかと気が気ではありませんでしたよ」と、苞寿が微かに笑った。

 「心配して下さったんですね」と、月子も笑った。「あの人はそんなに悪い人ではないと思います。だから見張られていると分かっていたんですが、放っておきました」

 「悪い人ではない?」と、苞寿は意外そうな顔をした。

 「ただあの人を取り巻く環境は決していいとは言えません。偉そうに命令してくる者、言い掛かりをつけてくる者、そのような言葉をたくさん目にしました。だけど、あの人は愚痴もこぼさずいつもじっと耐えている。しかし、いつ頃なのでしょうか?おそらくあの人の子供が掟により処刑されています。そんな言葉を目にした時、なんだか呪いのような文字を目にしました。処刑されている、あの人の子供のことが文字になった時です。不気味な文字が次々と溢れるんです。あまりにもすぐに消えてしまったので、その文字を確認することができなかった。不思議な感覚に陥りました。何と言うか…まるで…殺された子供を、その文字が隠しているような…何か言葉にできない…絵のような不思議なものが文字によって著されたような気がして…。我がもっともっと読み解けたら、きっと理解できたのだと思うと、すごく残念な気持ちになりました」と、月子が言った。

 「弟子に調べてもらったのだが、あの者は呪符を専門に作る謂わば符呪師だな。決して表には出ないが、その呪符は、呪術師や寺院の中でも随分と知れ渡っているそうだ。あの者の呪符を求める者は多いのだが、今では手に入らないと言う。どうやら頑として、本人が引き受けないとのことだ。月子様が見た文字はその呪符に関係しているのではないだろうか?随分興味深いですね…。それにしても掟で子供が処刑されたとは…怒りを覚えますね」と、苞寿の顔が険しくなった。「黒根家一門か…」その後、ぽつりと呟いた。

 「あの人の過去はあまり良くないような気がします。随分過去を責められる言葉も目にしました。でも、今のあの人は…ひどく悲しい人のようです。我がまだ未熟なゆえ読み解くことはできないのですが…子供が処刑されてから、すごく変わられたのではないかと、勝手に想像してしまいます。もうひとりいる子供とも随分すれ違っていて、仲も悪いようです。だけど、心の何処かで助け合っているのではないかと思います。本人たちは気づいていないようですが…」

 「月子様は随分成長された。謙遜されているが、よくそこまで読めるようになったと思いますよ。修行とはいえ、ひとりで都に出て、このような格好をさせて、わたしも心配しておりましたが…」と、苞寿は俯いて言った。


 苞寿は、男の目的が分からないままだった。目的がまったく分からないことには鎌もかけられないし、あけすけに尋ねたら警戒されるか、下手したら命を狙われる可能性もある。すんなり事が進んだのは幸運だったのかもしれない。


 そこから苞寿は、黒根家一門について弟子に詳しく調べさせた。そして、黒司家当主を別の弟子に監視させた。


 苞寿は、一旦信陵寺に戻り、苞寿庵に籠った。そして、御霊様誐勢竜古(かぜりゅうこ)から記録された『守人草子まもりびとそうし』を久しぶりに紐解いた。理由があったわけではなかった。掟という言葉に内包された因子が何処かに隠れているのではないかと、ふと思ったからだった。子供の処刑に関連づけたわけではなかったが、そんな忌々しい要因が誐勢家にも隠れているのではないかと単純に思っただけだった。掟という縁に触れて苞寿の心の何処かに留まった陰鬱な何かが因子となってこの行動を起こしたのだ。それは、同時にずっと眠ったままの矩子のことを強烈に思い出させた。

 全ての陰鬱な因子が数珠繋ぎとなって、苞寿は不安を抑えきれなくなっていった。


 何か見落としていないだろうか?

 そんな時だった。苞寿が初めて双胎の祖霊様が存在していたのを知ったのは。

 八十年から百年前にかけて、双胎の祖霊様がいたことが記されていた。双胎共に力を持ち、一人は竜古様と同様の力。だがもう一人は異質な力。人を傀儡同様に扱う忌みなる力。故に是を抹消。それだけの記録だった。

 しかし、その記録に苞寿は何か理由のない違和感を覚えた。

 苞寿は、そこに和紙を挟めて、『守人草子』を閉じた。


 違和感…?

 何か見落としていやしないか?

 すごく重要な何かを?

 何か…?

 わたしはしくじってはいないだろうか?


 わたしの代で誐勢かぜ家が崩壊してしまった。わたしの代で…。食い止めることもできずに祖霊様となる矩子のりこ様を生きた死人しびとにしてしまった。これまでにそんなまもびとがいただろうか?わたしは歴代最悪のまもびととなってしまった。こんなつまらない者が墓守の重責を担うなど、あってはならないことだ。


 わたしは何かを見落としている…?重要な何かを。

 男が月子様を見張っているのならば、月子様との縁がすでに繋がっている者。因縁は必ず過去にある。必ず…。


 三日後、約束通り苞寿は、男に会った。

 その日は月子の姿が見えなかった。それでも男は同じ場所で野菜を売っていた。

 苞寿は、男の前に立ちはだかった。


 男は、真っ直ぐ苞寿を見た。

 暫く睨み合いが続く。

 沈黙を破ったのは男だった。

 「お待ちしておりました」と、男が言った。

 「わざわざわたしを待っていてくれたのですね。わたしはてっきりあの子を見張るついでに待っているとばかり思っておりましたが、今日はあの子の姿は見かけませんね」と、苞寿は言った。

 「ええ、勿論です。あなたを待っていました」

 「あなたがここを引き上げた日にあの子から、不思議な力のことを聞きましたよ。だが、あなたはあの子が能力者と知らずに見張っていた。何故なのでしょう?」苞寿は尋ねた。「あの子は、不思議な能力のことがなければ、本当にぼろぼろの、何処にでもいる物乞いの子供だ。そんな子を何故見張っていたのですか?事と次第によってはあなたを殺します…」


 男が笑った。

 「そう出ましたか…。もう芝居をするのはおやめになったのですね」と、男が覚悟を決めた顔をした。

 苞寿も笑った。

 「芝居ですか…?」

 「ええ…。わたしにもあなたのように影で動いてくれる者たちがいます。あの子のことはとっくに調べておりました。御立派な本堂と、大きな僧坊を構えた信陵寺。山寺などと謙遜されていたが、とんでもない。僧坊にあの子は住んでいた。そして、御住職があなただ。山道は、何百年も脈々と続く、恐ろしく立派な石階せっかい。そして、その石階せっかいを離れ、山に入ると何層にも張り巡らされた結界。それを聞いた時、わたしは鳥肌が立ちました。そして、更に都には数を把握できない末寺があり、そこには優秀なあなたの弟子が控えている。敵に回したくない、食えない方だ」と、男が言った。

 「昨日、ようやく気がつきましたよ。あなたの目的がわたしだということに…」と、苞寿は微笑んだ。

 「わたしのことも、もうお調べになっているのでしょう?」と、男が言った。

 「しかし、最後まで分からなかった。あなたが何故、あの子を見張っているのか、その理由が…」と、苞寿は言った。

 「あなたがわたしの敵になるのか、それはどうもわたしの手腕にかかっているようだ。あなたを敵に回したくないのは本音です。ならば、わたしがあの子の、文字が浮かぶ能力に興味を示した理由をお話しいたしましょう」と、男が言った。「長い話しになります。どうですか?わたしの屋敷に来ませんか?屋敷の庭で話しましょう。碁でも打ちながら…」


 男の屋敷には、植物に囲まれた広い庭園があった。長い軒下の廊下に腰を下ろして、そんな庭を眺めながら碁を打つのは、贅沢な時だった。そうした時を与えたこの男の名は、黒司路こくしみちという。自ら名を明かした男には敵意などなかった。

 男は、碁石の準備をしながら、話し始めた。

 「わたしは祖父と会ったことがありません。祖父が偉大なひとだと言うことを父上の口伝で知っていました。しかし、父上の口伝は物語のようで、何処か現実離れをしていましたので、実際の祖父を想像することはできませんでした。しかし、祖父が残した書があります。その書にはおおよそ文字とは言えない、くねくねした気持ち悪い、まるで呪いのような文字が書かれていました」と、黒司が言った。

 そんな話しをしながら、黒司は苞寿に黒石を渡した。しかし、苞寿は自ら白石を取り、黒司に黒石を譲った。話しを続ける黒司は素直に従った。

 そして、盤上に黒石を置いた。その後すぐに苞寿が白石を置いた。

 「実際、それは文字でした。しかし、この世の文字ではないのです」と、黒石を置く。

 「この世の文字ではない文字…?」白石を置く。

 「ええ、この世の文字ではない。祖父は、この世の文字ではない文字を三日三晩書き続けたと言うのです」と、黒石を持って、黒司は少し動きを止めた。「わたしは、とても現実の話しをしているとは思えませんでした」

 そして黒石を置いた。

 「祖父は降霊術をやっていたと言う。その時、突然空間に穴が空いた。穴の中は真っ黒い闇が見えた。そして、そこからふわりふわりと、文字が出てきた。文字は虚空にとどまり消えていった。祖父は、その場にあった和紙にその文字を写した。もう集中して、夢中になって一心不乱に…。三日三晩、時を忘れて。穴が消えた時、同時に文字も消えた。そして祖父の命も事切れていた。それが父上の口伝です」

 盤上には幾つもの黒石と白石が並べられていた。


 「それは、あの子の能力と同じだ…。あの子には虚空に浮かぶ文字が見えている。残念ながらこの世の文字だが。しかし、文字という定義内だ」と、苞寿は呟いた。

 「ええ、父上は、わたしが幼い頃に亡くなりました。だからわたしは父上を愚かな嘘つきだとずっと思っていました。だが、祖父の書いた、この世ならざる文字は本物なのです。わたしはこれで父上を信じることができる…」


 黒司路は、ほっとした顔をしていた。

 「こんな馬鹿馬鹿しい話しをしても、あなたなら、きっと真剣に聞いてくれると思っていましたよ」と、路は笑った。


 だが、碁は負けた…。



苞寿と路は、その後も何かと会うようになった。寿院や隆鷗がそのことを知るのは、本殿の話し合いのなかだった。そこに秋や鬼仙が絡んでくるから話し合いは意外な方向へと進んでいく…。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ