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はじめての友達

譜は、物心ついた時から

ずっと白拍子の世界のことしか知りません。


そんな世界が壊れた。


譜が知っている数少ない信頼できる大人、

鼓笙に救いを求めるために家を出たのはいいが、

すっかり迷ってしまった譜。


一人で出歩く初めての町の風景…


不安に思いながらも、

諦めずに鼓笙の屋敷を探す譜を

はじめての出来事が待っていた。

 春から初夏にかけて、緑葉が鮮やかに浮き立ち、風が人の肌に心地良い感覚を与えては去ってゆく。優しい感情や懐かしさを呼び覚まされる時分だ。


 四季の中で、最も好きな季節が巡ってきたというのに、うたの感覚は、どろどろに濁っていた。


 都では時折起こる強風に砂埃が舞い、いつのまにか、顔中がざらざらして口の中が埃っぽくなる。


 これまでうたはあまり家から出ることがなかったので、町中まちなかをうろうろするのはあまり慣れていなかった。毎日毎日稽古稽古と追われる日々を過ごしていて、こんなふうに町に出たら伊都いとに叱られた。

 譜がこうして町中まちなかをうろうろしているのは、鼓笙こしょうの屋敷を探してたいたからだった。


 詩束しづかかいの首を絞めた日から、何もかもすっかり変わってしまった。


 伊都は、相変わらずかいに舞いを教えている。

 うたの目から見ても、すごく一生懸命で、丁寧だ。詩束や譜を教えていた時のような厳しさがなく、口調も感情的になったり、怒鳴ったりせずにひとつひとつ丁寧だ。

 それを見ていたら、まるで何処かのお姫様にでも教えているような接し方をしている。


 しかし、伊都は、白拍子の稽古において身分で接し方を変えるようなことはしない。そう譜は思っていた。だから母はすごい人なのだ…と。


 詩束といえば、まるで別人のようになってしまった。


 戒の首を絞めてしまった恐ろしい行為の猛省から詩束は変わってしまったのだ。と、譜はそう思っていた。しかし、詩束を見ていたら、どうもそういうことではないような気がした。戒には病的なほど気を遣い。まるで侍女のように従っている。

 殺意を持って首を絞めてしまったことへの悔恨は譜には図れない。だから詩束の心境の変化も今ひとつ理解できない。


 稽古場をかいが占領しても、もう詩束しづかは怒らない。そして、伊都いとを盗られた嫉妬もなくなったのか、穏やかな…?いや、そうではない、感情のない能面のような顔をしている。

 そして、かいの傍らに中越しになって、何と言うか…待機をしている。戒がふらっと姿勢を崩して、横転しそうになれば、直ぐに手を添えて助ける。


 それが殺意を持って戒の首を絞めた猛省の現れなのか?


 譜には理解できない。

 ただ、これまで伊都の変貌とともに、怒り狂っていた詩束の様子をただただ心配していただけの譜だったが、詩束の変貌により、譜は孤独に陥ってしまった。

 家族のなかで独り浮いてしまったのだ。伊都と喋らなくなった。譜から話しかけても、無視される。

 詩束は話してくれるけど、あれはお喋りとは言わない。必要なことの、声の掛け合いだ。


 譜の居場所は神様の祭壇の前の小さな場所だけになってしまった。もう、白拍子を舞うこともなくなった。舞う場所がないのだ。二人の稽古が終わった後、独りで舞うだけ。しかし、そんな舞いは孤独で悲しんでいる譜には続かない。やがて、何も考えず、ぽつりと神様に祈りを捧げることしかできなくなった。しかし、感謝することも、もう無くなった。


 譜には見えていた。

 全て戒を中心に回っている。

 戒がいる限り、それは変わらない。


 藁をも掴みたい心境だった。

 譜は、鼓笙こしょうのことを思い出した。戒のことを調べている。何故、調べているのか?きっと、戒の存在の不気味さに気づいたのではないだろうか?と、一縷いちるの期待を抱いた。

 戒の正体を知りたかった。知ったからといってどうなるわけでもないが。ただ、何かしていないと、おかしくなってしまう。


 伊都が譜を無視した時、稽古場の片隅でぽつりと哀しそうに座っている時、そんな時いつも戒が笑った。蔑むように、憐れむように、そして譜の存在を否定した自信に満ちた笑いを譜に向けた。

 その度に譜は打ちのめされるのだった。


 鼓笙の屋敷は、立派な屋敷が並ぶ大きな通りにあった。よく行っていたので、場所は分かっているつもりだった。しかし、こんなにも迷うなどと思ってもいなかった。

 考えてみたら、鼓笙の屋敷へ向かう時は、いつも駕篭の中、景色など見ずとも着いていたのだ。迷って当たり前だ。

 譜は、自分の考えのなさに呆れた。しかし、あの家に引き返したくはない。駕篭の中での感覚を思い出しながら、右折したり、左折したりしながら、進んだ。


 見たことのない通りを進んでいると、大通りのわりに人通りがない場所に出た。そこも大きな屋敷が並ぶ通りだったが、鼓笙の屋敷がある場所とは違う景色だ。


 そこで譜は、屋敷の塀を背にした琵琶法師に出会でくわした。

 琵琶法師は、ひとりうたを奏でていた。そして、その隣りには、譜と年端も変わらない少女が、琵琶法師の袖を掴んで立っている。

 少女は、譜を見つめると、少し怪訝そうにした。


 「ねぇ、何故ここに来たの?」と、少女が言った。

 譜は辺りを見渡した。誰もいないので、自分に言っているのだろう。と、思った。琵琶法師の視線も譜に向いてる。しかし、相変わらず詩を奏でていた。すると、少女が歩み寄って来た。

 「ここにいない方がいいよ」と、少女が言う。

 「えっ?どうして。私は知り合いのお屋敷を探しているの」

 「誰のお屋敷なの?」と、少女が尋ねた。


 その時だった。譜の心臓がズキンと高鳴った。


 通りの向こうに、真っ赤な衣を纏った娘が歩いているのを見た。人通りのない通りでその娘の出立ちが譜の目を引いた。

 譜の心臓が高鳴ったのは、その娘の顔が戒に見えたからだ。


 譜がその娘に見入っている時、琵琶法師と一緒にいた少女が譜の袖を引っ張って、屋敷の塀の傍へと誘導した。

 「父様、来た」と、少女が言った。

 「えっ?どうしたの」

 少女は、答えなかった。


 赤い衣を纏った娘の後ろには、お付きの者だろうか?娘より年下の男の子がいた。

 娘が、大きな屋敷の門の前で止まると、やがて門が開いた。

 「姫様、お帰りなさいまし」と、侍女のような者が門から出て来ると、娘と、男の子は門の中へ消えていった。


 間違いない。戒だ。でもおかしい。戒は今頃、伊都や詩束、女将の真ん中でみやびやかに舞いの稽古をしているだろう。


 「呪い屋って知っている?」と、突然、少女が聞いた。

 「呪い屋?そんなの知らないわ」と、譜は答えた。

 「今、都で噂になっているのよ。呪いたい者の名を、ある祠に納めると、『呪い屋』が呪い殺してくれると。でも、その祠が何処にあるのか、誰も分からない。でもある時、こんな噂が流れるの。何何家の若様が、何某の名前を書いて祠に納めた。と…。そしたら、その後名前を書かれた者が不審の死を遂げるの」と、少女が詳しく説明してくれた。

 「えっ?そんなの怖いわ」その時ふと譜は、戒の顔を思い出した。

 「しかし、それだけでは終わらないのよ。呪って欲しい人の名前を書いた方も行方不明になったりして、結局不幸になってしまう。一家全員消えたこともあるの…」と、少女が言う。


 譜はふと思う。

 この少女は、何故突然そんな話しを始めたのだろう。


 「今、女の子が入っていった屋敷の人も噂になったの。何何家の何某を呪ったと…。暫くして、何某は不審の死を遂げたんだけど、それからこの屋敷では奇妙なことが起こり始めたの」と、少女は続ける。


 譜は、一刻も早く家に戻って戒がいるか確かめたかったが、思わず少女の話しに耳を傾けてしまう。譜が稽古に夢中になっている間、都ではそんなことが起こっていたのだ。


 「ある人が、『呪い屋』を調べたんだよ。いろいろと辻褄が合わない。噂も真実とはかけ離れていることが分かったんだ。そうした噂が故意に流されているのではないかと思ったんだよ。呪う方も呪われる方も死んだり行方不明になったりしている。何かの目的があって、そんな噂を流しているに違いないんだ。だから、私は、こうして見張っているのだけど、あの屋敷は、確かに奇妙なことが起こっている。今、屋敷に入っていったむすめは、姫様とか言われていたけど、この屋敷のむすめではないんだ。本当のむすめさんは行方不明になっているんだよ。屋敷の人が、あのを本当のむすめのように扱っているのが分からないんだ。それに、今入ったむすめの後ろにいたのは弟なんだ。あの姉弟きょうだいこそ、『呪い屋』の正体なんだ」と、少女が話す。

 「えっ?『呪い屋』?姉弟きょうだい?」と、譜は驚いた顔をする。「どういうことなの?」

 「分からないから、父様と見張っているんだよ」と、少女が言う。


 譜が驚いたのは戒の顔をした者が『呪い屋』と言われていることだった。しかし、この少女に伝わるはずがなかった。


 突然、琵琶法師がうたをやめた。

 「まったく関係のない人に、そんな話しをしてはいけない。巻き込んでしまうことになる」と、琵琶法師が言う。

 「あっ、そうだね。つい話してしまったよ」と、少女が笑った。

 「むすめさん、すまないね。用事があったんだろう。このは、友達がいないから、歳も同じくらいのあなたに会ったことが嬉しかったのでしょう。今の話しは忘れた方がいい」と、琵琶法師が言った。

 「友達ならいるよ。友達が『呪い屋』のことを調べたんだよ」と、少女が言うと、琵琶法師は、そうだねと、優しく微笑した。


 「ねぇ、お友達にならない。私、手鞠って言うんだ。なんて言うの?」

 「譜…と言います。いつもここにいるの?」と、譜は尋ねた。

 「ここ最近は、あの屋敷を見張っているけど、毎日だったら不審に思われるから、ぶらぶらいろんなところにいる」と、手鞠が答えた。

 「私は、白拍子をやっているの。いつもいつも稽古ばかりだから都のことには疎いの」と、譜は言った。

 「へぇ、白拍子なの。素敵だね」

 「ありがとう。でも…」


 「譜殿かな?ここから去った方がいい」と、突然琵琶法師が言う。


 辺りの様子が、俄かに変わった。

 幾人かの物騒な出立ちをした者たちが、屋敷を囲み始めた。


 「えっ?」

 譜でも、その光景は異様に見えた。

 「ああ、でも、もう遅いだろうか?」と、琵琶法師が言う。

 「うん。次々と人が来るよ」と、手鞠も驚いている。


 「誰かが知らせたのだろうか?しかし、いったい誰が?手鞠、お前は心当たりがあるか?」と、琵琶法師が言う。

 「ああ、そうだね。いつか、呪いの祠のことを聞かれたことがあった。君は何処にあるのか知っている?琵琶法師と都をぶらぶらしているから、知っているだろう…って。子供だったよ。すごく深刻そうだったから、でも…、本当にまだ子供で…、呪いの祠に、母様を苛める役人の名前を書いたから納めたいって言うから…つい、そんなものはないと。寿院じゅいんが調べた『呪い屋』のことを話してしまった」と、恐る恐る手鞠が言う。

 「ああ、平家は子供の密偵を使っていると聞いたことがある。それで、この屋敷のことは?」と、琵琶法師が尋ねた。

 「うーん…言ってないよ。あっ、でも、寿院が調べたこと話しちゃったから?必死だったんだよ、その子供。だから…ごめん…なさい。浅はかだった」と、手鞠はひどくしょんぼりした。

 「そうか…。跡をつけられたか?この物騒な者達は平家の家臣かな?だったらこれからひと騒動あるかもしれない。巻き込まれないようにしなさい。絶対、ここを動いたらいけないよ」と、琵琶法師が言う。

 「でも、『呪い屋』って、いったい何がしたいの。『呪い屋』の噂を流して、人を殺して…怖いわ」と、譜が尋ねた。

 「そうなんだ。その目的が分からないから、今手鞠の友達が調べているところだったんだ。手鞠、邪魔しちゃっよね」と、まだ手鞠はしょんぼりしている。

 「それは仕方ないことだ。だから絶対巻き込まれてはいけない。あなたもです。でも…あなたは白い、すごく徳のある方に守られているようですね」と、琵琶法師が言う。

 「えっ?それはどう言う意味…」


 譜がそう言っているうちに、屋敷の門から下男と思われる男が出てくると、通りに集まった物騒な男達を招き入れた。

 また、辺りが静かになった。


 しかし、その静けさも僅かな間だった。


 突然、門から人が飛び出してきたかと思うまもなく、大勢の人が雪崩れ込んできた。

 その中に先程の赤い衣を纏った娘もいた。

 幾人かの人が平家の者から斬られている。おそらく『呪い屋』だろう。

 赤い衣の娘も何度も斬られそうになっていたが、他の者たちより動きが速いので、上手く交わしていた。その近くで弟も応戦している。動きに無駄がない。修行を積んできた者の動きだった。しかし、平家の勢いは止まらない。やがて動きの速い娘の勢いも削がれいくと、ひとりの大男に斬られそうになった。

 しかし、娘は、近くで応戦していた弟の襟首を掴み、大男の前に差し出し盾としたのだ。


 「姉上、何をなさるのです!」

 弟の叫び声が聞こえる。

 「黙れ、鬱陶しい。お前が私の盾になるのは当然のことだ」と、娘が叫ぶ。

 「な、何だと?本当に人手無しだ」と、大男も叫ぶが、振り上げた刀の勢いは止まらない。


 弟が大男の前に差し出された瞬間に、何を思ったのか、手鞠が飛び出していた。


 「何処へ行くの?」と、譜が叫ぶ。

 「えっ?何があったのです」と、琵琶法師が言う。

 「何を言っているんですか?手鞠ちゃんが…」と、譜。

 「私は目が見えないのです」と、琵琶法師が言う。


 その時には、弟は大男に斬られていた。


 「手鞠!手鞠!」と、琵琶法師が叫ぶ。


 「弟を殺した…お前が殺した…お前みたいな人手無しは寿院が追い詰める!きっと追い詰める」と、手鞠が叫んでいた。

 手鞠は、咄嗟に娘の悪鬼のような行為を止めようとした。手鞠に備わった純粋な正義が為せる行動だった。


 そして、手鞠は、娘に斬られた。


 「手鞠!手鞠!」琵琶法師が飛び出そうとしたが、必死に譜は止めた。

 恐ろしく無表情にしている娘が、琵琶法師に向けて、刀を構えて待っていたからだ。


 しかし、それも一瞬だった。譜には恐ろしく長い瞬間に思えた。無表情の娘から溢れる殺意が譜に纏わり付いた。


 娘はすぐに大男に斬られそうになるのを掻い潜り、大男を一蹴して、素早く逃げて行った。


 譜は、琵琶法師の腕にしがみついて「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい…」と、ずっと呟いていた。

 「譜殿、もう大丈夫です。もう、皆いなくなりました」と、琵琶法師が囁く。

 「手鞠ちゃんは、手鞠ちゃんは…」と、譜が叫ぶ。

 「もう、亡くなりました」と、琵琶法師が言う。

 「何を言っているんですか?今すぐ薬師に診てもらいましょう。私、腕の良い薬師を知っています」と、譜は興奮して、身体がぶるぶる震えていた。

 「いえ、もう手遅れです」と、琵琶法師は言う。

 「そんなの分からないでしょう!」と、譜は琵琶法師の腕を引っ張った。

 「分かるのです。見えるのですよ。私には死に行く者が黒く濃い煙となって天に召されて行くのが」と、琵琶法師が言う。「私は目が見えません。見えないと言うか、ぼやけてしか見えないのです。しかし、ここは一面黒い靄が立ち込めている。幾人かの人が天に召されたからですね。そして、多分、あそこに手鞠がいるのでしょう。あそこには、真っ黒い濃い煙の塊がゆっくりとゆっくりと薄くなっていってる。亡くなったのです」と、琵琶法師が続けた。

 「そんな馬鹿な話しないわ。そんなの分かる訳がない!いったい何を言っているの?諦めるんですか。友達なんです。私のたった一人の友達なのよ」と、譜は声を出して泣いた。


 その後のことを譜はぼんやりとしか覚えていない。琵琶法師が手鞠を抱き抱えて、声を殺してひどく泣いているのをぼんやり見ていた。暫く一歩も動けず、ただ泣いている琵琶法師の姿が焼き付いた。その姿だけは一生残るだろう。


 …戒なのか?戒なのか?許さない。絶対許さない…!


 短い間だったけれど、譜の心の中ではたったひとりの友達だった。手鞠の声が心の中で囁いていた。


 「ねぇ、お友達にならない。私、手鞠って言うんだ。なんて言うの?」


手鞠が斬られて、亡くなったことで

大きな波紋が起こります。

波紋は、やがてまだ出会っていない、

隆鷗、寿院、譜を結び

三人の人生を

激しく変えていきます。


次回「都の流言」

舞台が変わります。

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