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隻眼の少年


黒根家の広大な敷地内は、立派な大小の屋敷が立ち並ぶ一方で、何故か、都の貧民街まで模倣されたあばら屋や、掘立て小屋や小汚い長屋が軒を連ねる場所がある。そこに迷い込んだ隆鷗。だが、気がつくと文殿にいた。そこで片眼の少年に出会う…。



 「人…?」少年は小さな声で呟いた。

 少年の片眼に刻まれた傷は、緩やかな楕円のなかに左右対称に小さな正方形が6個、少しずつずれながら綺麗に収まるように並べられ、その上に子供がぐるぐるといたずら書きしたような無作為な線が重ねられていた。

 その左眼の傷から、何か、力が放出しているように見える。隆鷗は、それを光で捉えていた。

 「へぇー君には僕が人に見えないの?」と、少年は言った。

 隆鷗は、少年の左眼から視線を離せなかった。

 「だったら何に見えるの?」と、少年は微笑した。

 「怪物…」

 隆鷗は答えた。

 隆鷗の答えに少年はかすかに驚いた。

 「怪物…?」

 僅かな沈黙…。

 「ふうーん、何の比喩なんだろう…?ねぇ、君誘った…?」

 「誘…?」

 「僕、寝てた。君を招待した覚えないんだけど…?」

 「招待…?」

 「そうだ。招待していない」

 「何、招待って?」

 「たって、君勝手に入って来ただろう」

 「勝手に?いや、入った覚えはないんだけど」

 「でも、ここにいる」


 招待…?

 隆鷗は思い出した。

 いつか瀬羅が言った言葉だ。苞寿庵の周囲には苞寿の頑強な結界が張り巡らされていた。だから決まった人しか苞寿庵に入れなかった。隆鷗は、自分でも気づかずに苞寿の結界を簡単にすり抜けたのだ。その時、瀬羅が言った言葉だ。

 「驚いたな。本当だ。隆鷗様は先生が招待しなくてもひとりでやって来た。これにはどんなからくりがあるのだろう」と、驚いたのだ。

 結界を張っていたということか…?


 「わたしは入った覚えはないのだけど、君が不愉快なら、出て行くよ。うーん?出口は何処?」と、隆鷗は尋ねた。

 「うん?不愉快ではないよ。むしろ愉快だ。それにここには出口なんてないよ。勿論入口も…」と、少年は笑った。

 隆鷗は黙った。そして、やはり片眼に刻まれた傷を見た。

 「僕の顔に何かついているのかな?」と、少年はずっと微笑している。

 「傷…」と、隆鷗は答えた。

 「傷…?ああ、この片眼の傷か。そうだよね。気になるよね。この傷のこと聞きたい?」と、少年は言う。「話し長くなるよ。こっちに来る?君ずっと立ったままだ。奥に寝床がある。畳敷きになっているから、そこでゆっくり座って話そう?」と、言うと、少年は幾つも並んだ書籍棚の間をすり抜けたのか姿を消した。

 隆鷗は、少年が立っていた場所までゆっくりと歩いて、横を向いた。再び少年の姿が視界に入った。

 「こっちだよ」

 少年の跡をついて行くと、書籍棚がない広い場所に出た。真ん中にニ畳の畳敷きがあり、その一畳には、更に畳が積み重なってしとねが敷いてあった。その上に僅かに膨れた綿の入った着物がある。そして、衝立障子を挟んで、もう一つの畳には机が置いてあった。

 隆鷗は、その机に無造作に置かれた冊子を見た。


 えっ?異文の書…?

 隆鷗は、思わずじっと見て、表紙に書かれた文字を何度も読んだ。


 「それ、気になるの?ここの当主の娘が兄上に授けたものなんだ。娘はたいそう得意げな顔で持って来たそうだ。兄上がずっと欲しがっていたからね。だけど、兄上は僕にくれたんだよ。そんなモノちっとも欲しくないのに…。兄上が欲しがったのは、僕が興味あると思っていたからなんだけど…だけど、僕は今更こんなモノ見ないよ」と、少年は畳に座りながら言った。

 「今更…?」と、隆鷗は、驚いた表情を押し殺して呟いた。

 「そうだよ。今更なんだ。僕にはつまらないモノだ。だって、ここにある文字みんな理解しているからね…あれっ?もしかして、これ欲しいの?」と、少年が言う。

 「みんな理解しているって…?」と、隆鷗が声を押し殺して呟いた。

 「欲しいんだったら君にあげるよ。だけど、条件がある」と、少年が言う。

 「条件…?」


 これをみんな理解しているのなら、この書を持って帰って意味があるのか?手遅れではないのか?ただしゅう君を安心させるだけのモノだ。


 「でも、僕は思うよ。君にはこれは無意味なモノだと思う。君もこれを理解したいの?」と、少年が言う。

 「条件って何だ?」と、隆鷗は言った。

 「そんな怖い顔しないでよ。簡単なことだよ。ただ僕の友になって欲しいと思っただけなんだけど…」

 「わたしと友になってどうするんだ?君のその傷…文字だよね。身体に文字を刻んでいったい何を覗き見しているの?」と、隆鷗は咄嗟に言った。隆鷗は、初めて傷を見た時から、不思議と理解した。しかし、少年への言葉は、ある意味単純な象徴的な解釈を言ったにすぎない。人の思考は、そんなに大きく外れることはないだろうと、思ったからだ。だが、傷から放たれる力の度合いは、その単純な解釈を超越していることを理解したのだ。

 「やっぱりね。やっぱり僕と同類なんだ。君、僕のこと怪物だと言ったね。君も怪物なんだよ…」

 「同類…?怪物…?」隆鷗は静かに笑った。「君がその文字を使って覗き見していることは否定しないんだね」と、隆鷗は言った。

 「さあ、どうかな?そんな小さいことを言ったつもりはなかったんだけど…。この片眼の傷の意味なんてそんなものは小さなことなんだよ」と、少年は微笑する。

 「小さなこと…?わたしには、君が、その片眼でいろいろなものを覗き見するのはすごく脅威に思えるけど…?それは小さなことなの?」と、隆鷗は、なんだかひどく焦燥感を覚えた。

 「うーむ…。そうか?君はまだ自分自身のことがよく分かっていないのか…。小さなことって言うのは僕にとってという意味ではないんだよ。君にとって小さなことだと言ったつもりだったのだけど…」と、少年が首を傾げた。

 「わたしにとって小さいなんてあり得ない…」と、隆鷗は言った。

 「僕が友になりたいと思ったくらいなんだよ。本来、僕は友など、そんなくだらないものはいらないと思っていた。みんなつまらないからね。だけど君は楽しいよ。愉快だよ。ずっと一緒にいたいと思う」と、少年は楽しそうに言った。


 隆鷗は、少年の言葉に少し後退った。

 少年の、この屈託の無さに恐怖を覚えた。


 何だ?こいつは何なんだ?ひどく不気味だ。そして、この場所も気持ち悪い。いったいここは何処なのだ?


 「ねぇ、この書、持って帰りなよ。僕はいらないから、もう条件なんてどうでもいいよ。でも時々遊びに来てほしいな」と、少年が言う。

 「そう、だったら遠慮なく持って帰る」と、隆鷗は、『異文の書』を手に取った。「さて、今度こそ、出口が何処にあるのか教えてくれるかな?」

 「本当に出入口はないんだよ。ないものは僕にも教えられないな」

 そんなふざけたことを言うこの少年が、嘘を言っているようには見えない。

 「だったら君はどうやってここに入って来たんだよ?」と、隆鷗は苛立った。

 「君、まだ分からないの?君がどうやってここに入ったのか?君が誘ったんだよ。君がここを呼び寄せたのさ。君自身でここに入ることを選んだんだよ」と、少年が言った。

 隆鷗は、ただ茫然とした。


 今まで、へらへら微笑していた少年が、突然真面目な表情で、隆鷗を睨みつけた。少年の片眼の傷からより強い光が漏れ出てくるのを見た隆鷗は、更に恐怖を覚えた。

 「なんでだ…?なんで君は分からないんだ。もしかして、わざとしているの?僕がここを創るのに、どんなに苦労したか?なのに君は、まるで散歩でも楽しむように、さらっとこの空間に入って来た。ここのことをまったく知らない君がだよ。そんなこと誰が出来ると言うんだよ」と、少年はひどく怒鳴り散らした。

 隆鷗は、びっくりして、思わず腰に差した青斬刀を握り締めた。

 怒鳴り散らした少年はぴたりと黙ると、隆鷗が握り締めた青斬刀をじっと見つめた。

 「それ、危ないな」と、やがてぽつりと独り言のように呟いた。



 一方(しゅう)は、義忠の屋敷を出て、病になったたまの為にわざわざ当主が、この敷地内で静かで落ち着いた場所に造った屋敷に向かっていた。

 隆鷗は、おそらく、隆鷗自身が指差した方向へ向かったに違いない。隆鷗が指差した方向には、都の貧民街を模倣した場所があった。何故そんな場所があるのか、誰もよく分かっていなかった。ただ、ずっと姿を見せない鬼仙きせんが面白がって創ったという単なる噂話は語られていた。ここに住んでいないしゅうにとって、あまり興味のない噂話だ。それにしゅう鬼仙きせんと話したことはなかったし、あまり知らなかった。


 なんだって、また貧民街なんかに行ったんだろう。やっぱりあいつは訳が分かんねえ!くそっ!なんであいつになんか頼んだんだろう?あいつとなんか上手くいくはずなかったんだ!


 しゅうは苛立った。

 これからたまと会わなければならないことと、隆鷗の勝手な行動が重なって心労を覚えずにはいられない。

 秋は、暫く立ち止まって、隆鷗が向かった方向を見た。正門から見ると、まったく隠れて見えない模倣された貧民街。鬼仙きせんは何故あんなものを造ったのだろうか?

 鬼仙きせんは昔、みちの弟子だった。だがしゅうはそのことに触れたくなかった。鬼仙のいい噂をほんの僅かでも聞いたことがなかったからだ。それに見た目も、冷酷そうで名前の通り鬼のような印象しかなかった。関わる必要はない。と、ずっと思っていた。だから隆鷗があの方向を指差した時、思わず怒鳴ってしまった。

 ここに来たことのない隆鷗が、何故、門を通り抜けた途端、あの方向を指差し、向かおうとしたのか、隆鷗の視界には、屋敷の向こう側の模倣された貧民街など見えるはずもなかった。貧民街を指差したのかは分からないが、あの独特の貧民街を思うと、指差した方向自体が不吉だった。

 しゅうは、貧民街に足を踏み入れたことは、ほとんどない。そこにタチの悪い連中がたむろしているのは知っている。鬼仙きせんが連れて来た者たちだ。タチの悪い連中は、決して貧民街から出ることはなかった。外に出る時は独自に作った通路から出ている。その場所は誰も知らない。


 この広大な敷地内には、一門も暮らしているから、様々な人間模様を垣間見ることができた。それぞれが決まった領域で暮らしているので、徒に立ち入ることはできない。

 隆鷗のような余所者がうろうろするのは極めて危険な行為だ。本当はこうして放っておくことなど出来ないのだが、しゅうは諦めて、たまの元へ向かった。

 「隆鷗が勝手な行動をするから悪いんだ!何かあっても僕は知らない…。助けを求めたって、知らないふりをしてやるからな…」と、しゅうは、苛立ちながら、呟いた。



 屋敷を取り囲むように木々が植え込まれている、少し閉鎖的な場所にたまは暮らしていた。暮らしているというより、ずっと寝込んでいた。ここには、たま付の使用人が二人いるだけで、黒根家に栄華をもたらした者の住処すみかとしては、ひどく質素だった。

 ここを義忠が足繁く通っているのをしゅうは知っていた。

 義忠は、力のあるたまをまるで信仰しているように敬っていた。そんな義忠は衰えていくたまをどんな想いで見ているのだろうか?


 屋敷に入ると、しゅうを、古株の初老の使用人が案内した。徒に口を利くことなど出来ない厳格な使用人だ。静かな面持ちでしゅうの足元に注意を払いながら、音も立てずに斜め前を歩いていた。

 案内された部屋に入ると、畳を重ねた上に絹を詰めたしとねに、たまは横たわり、綿を詰めた大きな絹に包まれて、ずっと庭を見ていた。

 秋は庭の反対側のしとねに腰を下ろした。暫く俯いてたまの言葉を待った。静かな時が流れる。あまりにも静かだった。そして一向にたまの声は聞こえてこない。しゅうはちらりとたまを見た。だが、庭を向いているたまの、白くなった長い髪しか見ることができなかった。たまは、まだ庭を見ていたのだ。再びしゅうは俯いた。


 「しゅうか?」と、ぽつりと珠が言った。

 珠の声は、低くて渋い。しゅうは咄嗟に顔を上げた。珠はいつのまにか、庭から天井を見上げていた。

 「た…珠伯母様ご無沙汰しております」と、秋は頭を下げた。

 「そう、畏まるな」と、珠が無表情に言う。「私は起きられぬ。近う寄ってくれぬか」

 しゅうは慌てて膝を擦らせ、珠の寝床の傍に寄った。

 「しゅう久しいな。私になど会いたくなかっただろう?」

 珠の言葉にしゅうは黙った。

 秋は、嘘を言うのが苦手だった。

 「会いたくないのは分かっていたよ。しゅんのことは本当に申し訳なく思っている。言い逃れするつもりはないが、しゅんのことが話題になった時、私は何も言ってやれなかった。掟に縛られた我が黒根家のどうしようもない性だな」と、珠が言う。

 「本当に掟でしょうか?我ら黒司家はすでに黒根家から出ております。掟が我らに関係あるのでしょうか?」と、秋は沈んだ声で言った。

 「だが、お前の父は、私の弟、血の濃い兄弟だ。だから老人どもが勝手に協議して、決めたのだ」と、珠は静かに言った。「私とて、掟などくだらないと思っているさ」

 「くだらない…?しゅんはそんなに仲が良い弟ではなかった…でも、心から仲が悪いわけではない。僕にとってどんなにかけがえのない存在だったか…」と、しゅうは涙を溜めた。「人の命と引き換えの掟って何でしょうか?」

 「昔に、そう決められた。その掟には、深い憎しみが込められているのだ。犠牲となった多くの命の憎しみ…変わらぬ掟が戒めとなっているのだ」と、静かに珠が言う。

 「だけど、しゅんは何の関係もない。何の関係もない無辜の命が奪われることがあっていいわけがない!」と、静かにしゅうは怒鳴った。

 「しかし、犠牲となった多くの命もまた無辜の者たちだ」と、無表情に珠が言う。

 「そんな言葉で納得できるものか!」と、しゅうは、ついに涙を流した。

 「すまない。しゅうよ、すまない。なんぼでも私を責めるがいい。お前の憎しみは全て私が受け止めよう…」と、珠は、少し上体を起こして、秋の頭に手を置いた。

 珠は暫くの間(しゅう)の頭をさすった。そして、しゅうが落ち着いた頃合いで尋ねた。

 「しゅう、暫く黒根家に顔を見せなかったようだが、何をしていたのだ?」

 秋は顔を上げた。穏やかな顔で微笑む珠の顔を見ると、驚く反面、思いのほか心が落ち着いた。

 「報告することでもないのですが、実のところ僕にも自分で何をしているのか、よく分かっておらず、父上に頼まれて、ある物乞いの子供を見張っておりました。だからと言って、どうしたとも言えず、父上にも特に報告してないのです」

 「そうなのか?お前の父は、その報告を求めてこないのかい?」と、珠が言う。

 「はい。まぁ、しかし、父上はお忙しそうでお会いできていないんです」と、しゅうは言った。

 「そうか?それなら騒ぎ立てることでもあるまい。しかし、ずっとお前は家にも帰っていないと聞いたが、どうしているのだ?」と、珠が尋ねる。

 「はい。物乞いの姿を見かけなくなったので、わざわざ家に帰るのも面倒なので知人の家に寝泊まりして、物乞いの子供を探しています」と、しゅうは嘘をついた。

 「そうか?その家は安全なのか?」と、珠が聞く。

 「勿論です。すごく安全です」と、しゅうは答えた。

 「なら、良い。その知人の家には他に誰かいるのか?」

 どうしてそんなことを聞くのだろうと、しゅうは不思議だった。

 「えっ?どうしてですか?」と、思わずしゅうは尋ねた。

 「お前が心配なのだよ。少しの間でもどんな暮らしをしているのか、聞きたかっただけだ」と、珠が微笑む。そんな顔を見てしまうと、答えずにはいられなかった。

 「そこには、すごく優秀でとても強い、僕の心の師匠がいます」と、しゅうは、ほんの僅かに顔を緩めた。

 それを見た珠が微笑した。

 「しゅうは、その者が好きなのだな」

 「はい。僕はすごく尊敬しているのですが、師匠は、僕のことをあまり信じてくれないのです」

 「ほぅ、それでもしゅうは好きなのか?」

 「仕方ないんです。僕が自分の出自を隠してしまったから。初めから正直に話していればよかったのです…」

 「そうか、しゅう…それは仕方ないな。黒根家や黒司家の名は呪術師のなかで知られている。いらぬ詮索をされかねないからね。それでもしゅうをそこまで言わせる男だ。信じてもらえなくても暫く一緒にいなさい。私がお前の父に上手く話しておくよ」

 えっ?どうしてそこまでしてくれるんだ?と、しゅうは不思議に思った。

 「お前が楽しければそれでいい」と、珠はふっと笑った。

 「有難うございます」

 「そこにはお前の師匠しかいないのか?」

 「いいえ、あと、僕と同い年くらいの男の子と女の子がいます。すっかり仲良くなってしまったので、離れ難く遂に居候のようになってしまいました」

 「ほぅ、そうかそれは良かった。その子たちは師匠の何に当たるんだ?親子なのか?」

 「いえ、それは何か事情がありそうで、聞いておりません」

 「事情があるなら聞かない方がいい。そうか女の子がいるのか?もしかして、お前、その子のことが、気になっているから離れ難いのではないか?」と、苦笑を交えて微笑む珠。

 「ええぇぇ、伯母様の言葉とは信じ難い。全然気にならないです。あいつは性格が悪い。本音を言うと、僕は師匠以外どうだっていいです」

 「そう言えばお前は、そうのことも嫌っていたな。まだ、そんなことを考える年ではないのか?」と、珠は笑った。

 「そう様は本家のお嬢様です。気安く話すことなど出来ません」と、秋は言った。

 「おやおや、まだ子供だと言うのに、子供は本家や分家など関係なく遊ぶものだけどね。だが、そうはあの通り、私のことを嫌って、当て擦りのように男のような格好をしている。真っ黒い顔に、埃にまみれたあの姿では誰も女子おなごと思わぬだろうね」と、珠が言った。

 秋は苦笑した。

 「ところで伯母様、お話というのは?」と、秋は隆鷗のことが気になって、早くこの場を離れたかった。

 「おお、私はお前が今どうしているのか心配だっただけだよ。しゅう、約束しておくれ、週に一度は、そんな話しを聞かせておくれ。私はどうもそんなに長くないようだ。また来週来ておくれ。今日はもう帰んなさい」と、珠が言った。

 「伯母様何を言うんですか?まだまだ、元気にしていらっしゃらないと駄目ですよ。黒根家はまだまだ伯母様の力が必要です」と、秋は言った。

 「よいよい、そんな大人のようなことを言わなくても。さぁ、お行き…」

 珠の言葉にしゅうは遠慮なく部屋を出た。


 珠伯母様は、いったい何が言いたかったのだろうか?それにしてもあんな優しい珠伯母様を見たのは初めてだ。思わず寿院様の家のことを言ってしまったけど大丈夫だっただろうか?

 しゅうは、部屋を出て、冷静になると、ひどく不安になった。

 そして、急いで、模倣された貧民街へ向かった。


 珠は、秋が部屋を出ると、初老の使用人に急いで義忠を呼ぶように伝えた。

 暫くすると、急いで来たのか、呼吸を乱して義忠が部屋に入って来た。


 「いかがなさいましたか?何か急ぎの用でもおありですか?」と、息を切らしながら、秋が座っていたしとねに座った。

 「たった今までそこにしゅうが座っていた。お前に頼みがあるのだが、聞いてくれぬか?」と、珠が言った。

 「勿論です。何でしょうか?」と、義忠は息を切らしながら言った。

 部屋に入るなり、いきなり本題に入るとは、余程急いでいるのか、または重要なことなのか?義忠に、胸が躍るほどの興味を抱かせた。


 「しゅうは最近、家にも帰らず、師匠という者の家に居候しているようだが、少し心配でね。お前の腹心の誰かで構わないから、しゅうに従者を充てがってくれないか?」と、突然珠が言う。

 「しゅう様に従者ですか?」と、義忠が聞き返した。

 「そうだ。腹心の誰でもと言ったが、一番信用できる者がいい」と、更に珠が言った。

 「また、突然ですね。何か不都合なことでもありましたか?」と、義忠は更に尋ねた。

 「おや、以前のお前は、私に尋ねることなどなかったのに、最近は、私によく尋ねるな?」と、珠は瞳を閉じた。

 「申し訳ありません。以前は常にお側におりましたゆえ、珠様のお気持ちを察することができました。今は、こうして御当主の側におりますので、僅かでも珠様のお気持ちに沿わぬことでもしでかしたらと思い、つい尋ねてしまいました」と、義忠は、頭を床につけた。

 「そうだな。お前にだけ打ち明けておこう。だが、お前がほんの僅かでも他言しようものなら、黒根家が崩壊するぞ。その覚悟はおありかい?」と、珠が厳しい口調で言った。

 黒根家が崩壊する?義忠はごくりと生唾を飲み込んだ。

 「心して」と、強い口調で義忠は言った。

 「そうか。承知した」と、珠が静かに言った。「実はそうには双子の妹がいた。だが、お前も掟は知っているだろう。私は双子を産んだことさえ知らされずに、双子の一人は何処かへ預けられ、やがて始末された。肥立の悪かった私は暫く床に伏せったままだった。だが、ある日、私はお前にその話しをして、双子の妹のことを調べるように頼んだだろう。お前は矛盾を指摘した。双子の存在すら知らなかったのに、何故、双子がいると思ったのか?と。だからお前は何一つ結果を出せずに、私のもう一人の娘を見つけだすことが出来なかった。私の妄想だと思っていたからだ。私は本当にお前に腹が立った。だが、その時、私はお前に隠していたことがあったのだ。お前は信じぬかもしれないが、私の中には虫がいる。先祖が契約を交わしたうつろの世界に棲息する虫。この世の隙間にある虚ろの世界を誰も見ることはできない。だが、ある特定の者だけは見ることができる。それが我が一族、黒根家の者だ。しかし、全員ではない。虫と繋がった者のみが見えるのだ。それは代々受け継がれている。そうが生まれた時、虫が凄く苦しそうに動いていた。虫のそんな動きを感じたのは初めてだった。でも、私は、虫がそうに受け継ぐ準備をしているのが分かった。しかし、そうには受け継がれなかったのだ。だけど、私は感じた。それは確かに受け継がれたのだ。では、誰に…?その時、私は思った。もしかして赤子はもう一人いたのではないかと。だから私はお前に頼んだのだ…」珠は、そう言うと、暫く黙った。


 その時、あまりにも不思議な話しすぎて、義忠の瞳孔はぼんやりしていた。


黒根家の、広大な屋敷内で一度に様々なことが起こっていた。隆鷗は不気味な文殿から出られるのか?一方、寿院と陸と祭は黒根家へと踏み込んだ…。

次回をお楽しみに


※2026/1/5 一部修正しました。


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