人の瞳
義忠襲撃の前日…。
隆鷗は、何故、戒が生贄台に縛られたのか、秋に助けられた後、何処へ行ったのか?香舎家惨殺は現実に行われたのか、もやもやすることばかりだ…。しかし、寿院は、隆鷗のもやもやをよそに気にする様子もない。そんななか戒は…。
今晩は、蔀戸もしっかり閉ざされ、本堂は薄暗い。ひとつひとつ蝋燭の灯りが消え、残っているのは多めに油を入れている四隅の蝋燭の灯りだけだった。四隅の蝋燭の炎が真っ直ぐ上に伸びて、本堂に仄かな柔らかさと、侘しさを与えていた。
そんな薄暗い本堂の中心に大の字になって熟睡している寿院。
今しがたまで隆鷗と、秋と話していたが、疲労に身を任せてしまい、いつのまにか眠ってしまったのだ。
秋は、そんな寿院に気がついて、夕餉の膳を片付け始めた。それを隆鷗が手伝おうとしたのを秋が阻止した。
「いいから、寿院様に何かかけてやってくれ」と、秋が言った。
寿院を大の字に寝かせたのは隆鷗だった。そして、大部屋から着物を持って来て寿院に掛けると、隆鷗は、庭に出て廊下に座ってぼんやりした。月明かりで随分明るい庭は、本堂にいた時よりも心が幾分か解放された。
隆鷗は、月子のことを考えていた。
秋の話しで都にいた月子の様子が窺えた。
思い通りにならない自分の力を嘆いていた月子だったが、都に行く度に月子の力は上達して、安定するようになっていった。ぽつりぽつりと現れる文字を綴ることができずに、意味のない能力だと言っていたが、文字の方から言葉を綴るようになったと喜んでいた。
そこには寿院の存在が大きく関わっていることが想像できた。
月子は、寿院とともに『呪い屋』の正体を暴いたのだ。そこに至るまで、月子と寿院がともに長い時を過ごしていたと想像できる。月子は興味のある人には積極的に関わろうとするところがある。隆鷗が話すようになったのも、月子から話しかけてきたのがきっかけだった。
月子に罵られ、傷ついて寺を出てきた隆鷗だったが、まだ嫉妬を覚えていることに戸惑った。だが、そんなことより月子が命を狙われていたことを思うと、胸が締め付けられる思いだ。
いったいいつ頃の話しなのだろうか?
どちらにしても、寺に戻っていたから無事であることには違いないのだろうが、もう、二度と赤い衣の少女に命を狙われるような、あんなことはごめんだ。と隆鷗は思う。
しかし…。
狙われていたのは、月子ばかりではない。寿院も狙われていたのだ。なのに寿院にも思い当たることがない。と、言う。
このまま、何もないとは言い切れないかもしれない。
隆鷗は、深いため息をついた。
あれから月子様のことは誰からも何も聞いていない。もしかしたら獅舎様か、紗々さんが知っているかもしれない。瀬羅さんはもう来ないのだろうか?
それにしても、紗々さんは、大丈夫だろうか?疲労困憊でずっと眠っていると、獅舎様から聞いたと寿院が言っていた。
屋敷に戻って来るなり、寿院は真っ先に紗々の様子を見に行ったが、ずぐに獅舎に追い返されて、がっかりしていた。
寿院の足の速さに遅れを取った隆鷗は、獅舎に会うことさえ出来なかった。
そう言えば、『呪い屋』の正体を暴いた時、月子様を助けた女の人が二人いたけど、誰だろう?一人は登葱様かな?登葱様は乳母と言いながら、なんか得体の知れないところがある。もう一人は分からないな。信陵寺では、時々、苞寿様のお弟子さんが戻って来ることがあったが、知らない人ばかりで、結構な人数だった。もしかして、月子様が都にいた間は人知れず苞寿様の弟子が守っていたのかもしれない。
隆鷗は、ぼんやりとそんなことを考えていた。
暫くすると、後片付けを終えた秋が庭にやって来た。
「おぅ、ここにいたのか?早く寝ろよ」と、秋が言う。
「秋君…?君、物乞いの子供と寿院が『呪い屋』とかいう娘の正体を暴いた話しをして、寿院を満足させたけれど、でも肝心なことを話していないよね」と、隆鷗は言った。
「何だよ!いきなり…!寿院様が眠ってしまったから仕方ないだろう!」と、秋が怒鳴った。
「君は、はなっから戒を助けに行くつもりだったのではないのか?春君が文を書いていたけど、その内容は寿院もわたしも分からない。春君から何を聞いたんだ?」と、隆鷗が言った時、秋の背骨のところから目ん玉のお化けが勢い良く出て来た。
隆鷗は、いきなりの登場に思わず仰け反って秋の頭上を仰ぎ見た。
「それだ!」と、突然秋が叫んだ。「あんたはいつもそうだ。僕ではなく、僕の背後の何かを見ている。しかも、すごく嬉しそうにほくそ笑んでいるんだ。僕は、あんたに向けられる笑みに思わずどきどきするんだよ。でもすぐにその笑みが僕に向けられたものではないと分かる…。何なんだよ。舐めているのか?」
「えっ?どきどき…?」
「あっいや、言葉の綾だよ。ばっかじゃない!」
「あっいや…。言葉の綾…だとしても…ちょっと…ねっ」
「ねっ!じゃないよ。間違いだ!おどおどするんだよ!」
「おどおど…?君が?なわけないよねっ」
「だから、ねっ!じゃないよ。慣れないんだよ。こう、ひとから見られるの。照れるんだよ!」
「柄じゃないね」
「だからさ、あんたはいったい何を見ているんだ?何を見て、ほくそ笑むんだ?誰にほくそ笑んでいるんだ?」と、秋が怒鳴る。
隆鷗は、咄嗟に言葉が出なかった。秋と、目ん玉のお化けを交互に見た。
「だから、その目!何を見ている?まさか…屍人を見ているとでも言うのか?」と、秋が言う。
隆鷗は、周囲を見渡し、塀の傍の樹木の根元から一本の落枝を持ってきた。そして、庭に三つの変わった図形のような文字を書いた。
「何だよ、何がしたいんだ?」と、秋が言った。
「異界が開いた時、春君が書いた文字だ。あの時わたしは白蛇に締め付けられていたが、春君が書いたこの文字が頭の中に焼き付いたんだ。いつもいつも私の頭の中に浮かんでくる。こんな文字が『異文の書』に書き写されていたのかい?」と、隆鷗は聞いた。
秋は驚いた表情で、なにも答えることができなかった。
「わたしは考えた。勿論推測だ。最初の一文字は、異界への命令。次の文字は接触、しかし、次はまったくその二文字とは異なる形をしている。もしかして、この文字が蜘蛛を召喚したのではないかと。君の呪符にもこの文字が記されている。分かりにくいかもしれないが、三つの文字が重なっているんだ。もしまだ呪符を持っていれば確かめるといい」と、隆鷗は言った。
「何が言いたいのだ?隆鷗…」と、秋が困惑した顔で隆鷗を見た。
「いや、何が言いたいと言われても、言いたいことは言ったけど…?」と、隆鷗が言った。その時、目ん玉の化け物がぐるぐる回っていた。まるで驚いたように喜んでいる。そんなふうに隆鷗には見えた。
「そうだ、もうひとつ。春君が、君が話してくれた『異文の書』からあの呪符を創ったとしたら、春君もわたしみたいに想像して、想定して、確かめて…そんなことを気が遠くなるまで繰り返したのではないか?そして一文字一文字確認したんだと思うよ。まぁ、そんなこと一人では無理だと思うから、君の父上もやはり同じことをしたのではないかと思うよ」と、隆鷗は言った。
そして、隆鷗は、三文字の図形のような文字を消して、三文字を重ねて書いた。すると、仄かな月明かりの中で一瞬、庭に稲光が走った。そして、ゆっくりと、文字の中から巨大な蜘蛛が出て来た。
「そして春君は、今何が起こっているのか見えたんだ。秋君に見える?」
秋には見えなかった。だが、文字を重ねた瞬間から庭の空気が変わったのを感じた。肌にぴりぴりした痛みすら感じた。
隆鷗は、青斬刀で、半分出ていた蜘蛛を叩いた。蜘蛛はぶるぶると震えて文字の中に消えていった。
「寿院だってそうだ。寿院は、自身の周囲のことだけに集中し、そして更に心を研ぎ冷まして、空気の動きやモノが動くごく小さな音まで全てを感じて想像することで、白蛇を見ることが出来たのだ。そして闘ったんだ。わたしは君も見ることができると思うんだ」と、隆鷗は言った。
「まさか、そんなことが出来るわけないだろう。あんたって何か浮世離れしているところがあるよね」と、秋が苦笑した。
「まぁ、『異文の書』が人質として、手元にないのなら、仕方ないね。何も出来ないな」と、隆鷗は言った。
秋は、廊下に座り込んで頭を抱えた。
「どうすればいいんだよ。白水家の時みたいに悪意を持ってひとを縛るなんて、もう二度とごめんだ。『異文の書』は諦めるしかない!」と、秋は力無く言った。
「えっ?君って馬鹿なの。なんだっけ、悪辣な当主の娘の言うこと聞いて返してもらおうと思っているの?本当馬鹿だ。そんな輩は君が何をしようと返したりしないよ。奪い返そうとは考えないんだ?」と、隆鷗は言った。
「えぇぇぇ?あんたって、本当何も分かっていないよね。僕が当主の娘に逆らえるわけないだろう。僕はそんなに強くないよ」と、肩を窄める秋。
「そんなに抑圧されているんだったら、君は何故、寿院の屋敷にいるのだ?家に縛られている者がここに居られるわけないだろう?なんか君矛盾しているよね」と、隆鷗は言った。
「あんたに言っても分からないよ。どうせあんたは自由なのだろう?」
「うん、自由だ。でもやるべき事がある。それ以外は自由だね」
「うるさいよ!それが何だって言うんだ!?」
秋がそう言うと、目ん玉のお化けは消えてしまった。
「いや、何でもない。でも、奪い返すときは手伝うよ」と、ぽつりと隆鷗は言った。
「そんなこと言うな。黒根一門、意外と大きくて、面倒な怖い家なんだ。今更だけど巻き込みたくない」と、秋が言った。
隆鷗は黙った。
また、巻き込みたくない…か。
隆鷗は、あまり眠れなかった。
大部屋の引戸の隙間から明かりが漏れていた。わずかばかり部屋の中が明るくなった頃に目が覚めた。
随分と身体が痛い。
雑木林の中を随分歩き回ったせいだ。突然、秋がいなくなって、迷いに迷ったあげくに生贄台と大蛇がぐったりしている様子を見て、無茶苦茶に感情が暴れまくったせいでもある。
よく分からないが、感情とは意外と活力や気力を奪い去っていく。
隆鷗は、ひどく重いものを持ち上げるように身体を起こした。
寿院は本堂で寝たから、起きているのか分からない。しかし、隣りで寝ていた秋の綿入りの筵と、身体に掛けていた着物は部屋の隅に片付けられていた。秋はいつも朝起きるのが早い。
しかし、隆鷗はわずかばかりの違和感を覚えた。
今朝は、戒の声が響いていた。すごく弾んだ声だ。まだ早朝だというのに、そんな戒の声は聞いたことがなかった。
やがて、戒が引戸を開けて、大部屋に入って来た。隆鷗が眠そうな顔をしていたのか?戒が思いっきりほっぺたを叩いた。
「痛っ!何するんだよ?」と、隆鷗は思わず叫んだ。
「いつまで寝ているんだ?もう皆、起きているが…」と、戒が言う。
「うるさいよ。戒を助けに雑木林に行ったんだ。迷って迷って、ひどく疲れたんだ。少しはゆっくりさせてくれよ」と、隆鷗は、顔を近づけていた戒を押して身体を遠ざけた。
その時、隆鷗は、びっくりした目で戒を見た。何か…?いつもと違う。
「えっ?」
「うん」と、戒が微笑んでいる。
戒の、まともな顔を見るのは始めてではないか!と、隆鷗が思った時、戒の輝いた瞳を真っ直ぐ見て、思わず美しい輝きだ。と思わずにいられなかった。
「気が付かないの?隆鷗は鈍感だ。寿院はびっくりして、腰を抜かしたぞ。秋は…まぁ、どうでもいい」と、戒が言う。「まだ、気付かないのか?」
「えっ?いや…」隆鷗は、言葉にすることができなかった。
戒の目が真っ黒い穴にしか見えていなかったことを言うわけにはいかなかった。
「ねぇ、私の目を見てる?見てるでしょう?」と、戒が楽しそうに言う。
「うん。見てる…見てるよ」と、隆鷗は何度も頷いた。「うん。人の瞳だ」
「何?何?人の瞳って…?」
「うん、キレイな瞳だ!」
「ばっかじゃない!もう、そんなこと言ったら恥ずかしいじゃない!」と、戒がはしゃぐ。
「ちっとも恥ずかしくないよ。うん。すごくキレイな瞳だよ。だけど、何故…?もしかして、能力を失ってしまったの?」と、隆鷗は、どんな顔をしていいのか分からなくなった。
「ううん。そうじゃないの。多分制御できるようになったんだと思う。力は消えていない。その代わりに、隆鷗にしか話さないけれど…いや、隆鷗にしか分からないと思うんだけど…身体の中に何かいる。私の力を司る何かがいる。だから今までのように無作為に垂れ流されていた、ひとを操っていた何かが…私の意思で動くようになった。ごめん。こんなふうにしか言えない」と、戒は、自分の状況を、言葉を探しながら隆鷗に伝えた。
「うん。分かるよ。すごく分かるよ。君は多分、覚醒したんだよ。その能力を自分のものにできたんだよ。これまでは君の方がその能力に操られていたのかもしれないね」と、隆鷗も何故か一緒に喜んだ。
「自分の能力に操られていた…?操られていた?何故?そんなふうに思うの?」と、首を傾げて戒が言う。
「えっ?だって君、苦しんでいたでしょう?」と、隆鷗は言った。
「私は苦しんでいたの?苦しんでいた?そんなこと分からない」と、戒は更に首を傾げた。
「そうか?わたしの勘違いか?わたしにはそんなふうに見えていたのだけど…」
「分からない…」と、戒は考え込んだ。
「だけど、これからは無闇に人を貶めたり、傷つけたりしなくてもすむんだよね。人には敬意と尊厳が大切なんだ」と、隆鷗は厳しい口調で言う。
「敬意と尊厳…?難しいことを言わないで」と、戒が言う。
「そうか…。難しかったか。そのうち分かるよ」
「そんなことより、紗々のところに行きたい。紗々が心配だ。隆鷗、一緒に行こう。私、あのおじさん怖い…。隆鷗ついて来て」と、戒が言った。
「紗々さん、心配だよね。昨日、雑木林から戻って来て、すぐに寿院が紗々さんに会いに行ったけど、獅舎様に追い返せれていた。今日会えるかな?」と、隆鷗は言った。
「えっ?追い返されるの?嫌だな…」と、戒が言う。
隆鷗は、昨日のことを戒に聞きたかった。何故、生贄台に縛られることになったのか?その後どうしたのか?しかし、戒にそんな残酷なことは聞けなかった。
戒は、隆鷗がぐずぐずしていたので、秋がいる台所へ行ってしまった。
香舎家が惨殺された光景は、本当に現実だったのだろうか?
あれは、戒の視線を通して見えていた光景なのだろうか?
隆鷗は、いささか混乱していた。
しかし、昨日、何かが起こったのだ。
戒が覚醒し、隆鷗は何かと繋がり、香舎家が惨殺された光景を見た後、誰かの声を聞いた。誰かと繋がったのだ。
隆鷗は、すぐに寿院のところに行った。寿院は庭で伸びをしたり左右の足を動かしたりしながら、布なのか皮なのか、よく分からないものを丸めて綱でぐるぐる巻きにして、蹴っ飛ばして遊んでいた。
「わぁー、やっぱり寿院は呑気なのか?馬鹿なの…?本当分からないなぁ」と、隆鷗は呟いた。
「おぅ、隆鷗君もやるか?」と、寿院が言う。
「いやいや、わたしは昨日大概歩いたせいで、足すごく痛いんだけど」と、隆鷗が言うと、寿院は大笑いした。
「隆鷗君はまるで爺さんだな」
「まったく!寿院が昨日眠ったせいで秋君と、戒が生贄台から何処へ行ったのか分からないままじゃないか」と、隆鷗は、布か皮を丸めたものを蹴飛ばした。「それに香舎家のことも分からないままだ」
「えー?なんで聞く必要があるの?戒なんて、今朝はあんなに楽しそうにしてるじゃないか?辛いことなんて早く忘れた方がいいだろう?」と、寿院は左足で布か皮を丸めたものを受け止めると、右足で蹴飛ばした。
「えー?そんな…。寿院心配じゃないの?」と、隆鷗は、そのまま布か皮を丸めたものを蹴飛ばした。
「うーん、そのうち分かるでしょう」と、寿院は、布か皮を丸めたものを空振りして、追いかける。
「もう、本当、なんなんだよ。もしかして、秋と戒が香舎家を襲撃したかもしれないんだよ」
やっと寿院は布か皮を丸めたものに追いついて、蹴飛ばした。
「へぇーそうなのか?それについては我らが動く必要はまったくない。むしろ騒いではダメだな。いずれ誰かが動くだろう。なんならそいつは勝手にやって来る…。かもね」と、寿院が言った。
隆鷗は、寿院のその意図が分からない。布か皮を丸めたものが隆鷗を通り越して、物置小屋まで転がっていった。
だが、寿院がそう考えているのなら、それに従うしかないのだろう。と、隆鷗は思った。ずっと続くもやもやは、隆鷗だけが感じているものなのだ。何かと繋がって見えた光景は、誰でも現実感などない。幻想だと思う方が現実的だ。
戒をおぶって帰って来た秋。あの二人が香舎家を襲撃して、あの人数を惨殺するなど、まず現実的ではない。
だが…。
戒が、あの大蛇を弱らせるほどに能力を高めているのなら、そうとも言えない。
隆鷗は、暫く考えるのをやめた。
寿院の言う通り、騒がず待ってみよう。
朝から蹴鞠をして騒がしい寿院の、あの不気味なまでの余裕が隆鷗の迷いを打ち消していく。
その日は、朝餉を終えた後、寿院と戒はずっと獅舎の屋敷で過ごしていた。
紗々は思った以上に重症で、身体の至るところに深傷があり、まだ横になっていた。だが、寿院と隆鷗の来訪を随分喜んでいた。そして、戒は突然、紗々に抱きつき、治るまで看病する!と、ずっと抱きついたまま離れようとはしなかった。
隆鷗は最初のうちだけ紗々の見舞いに来ていたが、戒が紗々を独占して、あまり話せなかった。手持ち無沙汰のため、隆鷗は、途中で紗々の部屋を出た。
紗々の部屋を出た後、先に出ていた寿院と獅舎が深刻な話しをしていたので、隆鷗は、軽く会釈をして、獅舎の屋敷を出た。
屋敷に戻ると、何故か、秋が庭に面した廊下でぼんやりしているのが見えた。
隆鷗は、軽く目を合わせただけで、特に話しかけようとはしなかった。
だが、珍しく秋が呼び止めた。
「なぁ、あんたさ、本当に手伝ってくれるのか?」と、秋が言う。
「えっ?何…?」
「忘れたのか?昨夜言っただろう。僕は真剣に『異文の書』を取り戻したい。黒司家の恥だ。あんな連中に盗られて脅されたまま、ずっと逃げているみたいになっている。ずっと考えていた。考えるほど悔しくて…本当、悔しくて…。でも、あんたが手伝ってくれたら取り戻せる気がするんだよ」と、秋が悔しそうに言う。
「えっ?なんで取り戻せる気がするんだ?」
「あんたは、なんか春に似ているところがある。昨夜、異文字を分析しているところを見て、そう思った。それに、もしかしたら、白水家の僕の呪符を解いたのは、あんたではないのか?と、なんかそう思えてきたんだよ」
そうか。秋は、寿院とわたしが白水家に行ったことは知らないのか?ちゃんと話していなかったからな。と、隆鷗は思った。
「白水家の当主の縛りを新参者の呪術師が解いたということは、僕の耳にも入って来た。そしたら、ここに陰陽師が来て、その一人が六芲だった。僕は、六芲の顔を見て、見つかる前に裏庭から逃げた。その時は六芲に見つからないことばかり考えていたから、気が付かなかったんだ。だけど、六芲が来たことをもっと疑問に思わなきゃいけなかった。ある時、もしかして、新参者の呪術師って、寿院様じゃないのかと、思うようになった」と、言うと、秋はすごく怖い目で隆鷗を見た。「正確に言うと、あんただ。あんたが白水家の、僕の呪符を解いたんだ。考えたら不思議なことばかりだ。最初に、門に貼っていた呪符はいつのまにか消滅していた。あれは剥がせない。剥がすと、剥がした者は一生縛られることになる。だけど、誰も何ともないし、あれは剥がされたのではない。中のモノが消滅したから呪符も消えた。破片ひとつ残っていなかったから分かった。そして、鶏肋の書に僕は呪符を貼った。呪符を貼った犯人があんただと、寿院様に思わせたかったからだ。だけど、寿院様は全てお見通しだった…」
「えぇぇぇ!!なんでそんなことするの?」と、隆鷗は驚いた。
「決まっている。邪魔だったんだよ。目障りだし。いなくなればいいと思っていた。でも、自分でも稚拙な考えだと思ったよ。あんたを犯人に仕立てたところで、寿院様があんたを追い出したりしないだろうし、そんな単純な結末はあり得ないよな。あんたを尋問して、何も出てこなければそれで終わりだ。まぁ、しないだろうけどね。本当は、寿院様があんたのことを嫌ってくれれば、それで良かった。嫉妬だ。笑ってくれ」と、秋が言った。
「ははは…」隆鷗は、無表情に笑った。
「ちっ!つまんねー。それに、あんた最初から僕を見ているようで見ていなかった。ずっと僕の後ろばかり見ていただろう。春の文を見て、何となく気がついたんだよ。あんたは春を見ていた。まぁ、信じられないけどね。それから…ぷっ…」秋が思い出し笑いをした。「僕、いつも戒と寿院様がふざけ合っていたと思っていたんだよ。戒がひとを操る能力を持っていたことさえ暫く気が付かなかった。寿院様、戒に操られるって分かっていて、いつも戒と目を合わせて操られていたんだよね。僕、てっきりそんな遊びが流行っているんだ。変わった遊びだなってずっと思っていた。操られるって分かっているくせに、寿院様は決して戒の目を避けなかった。すごい人だよね。結局、この家で何も知らなかったのは僕だけだ。なんだかなー。なんか虚しいんだよな…」
寿院は、わたしが戒の能力を解けるから、それに甘えていただけだ!
「いやいやいや、どんどん話しがズレていってる」と、隆鷗は小声で呟いた。
「孤独だなー」と、秋が言う。
「えーと…。作戦でも立てよっか。『異文の書』取り返そう…」と、隆鷗は、面倒臭そうに言った。
「ああ、今から完璧な作戦立てるぞ!そして、明日は下見に行くからな!」
そう言うと、秋は、にこにこして隆鷗に手招きしながら、本堂に入っていった。
いよいよ義忠が襲撃して来る。寿院は、義忠が呟いた謎の言葉をどう紐解くのか?そして、隆鷗と、秋は『異文の書』を取り戻せるのか?
今後をお楽しみに…。




