表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/57

異界の虫


ずっと友だと信じていた月子から突然嫌悪感を向けられた隆鷗は、もう、人が信じられない。しかし、はなっから嫌悪感を向けられていたことで、戒とは関わる気もなかったが、戒の弱さや臆病なところを見ていくうちに次第に会話を交わすようになっていく隆鷗。そして、いつのまにか戒を助けたいという気持ちを抱くようになった…。




 大きな樹木の下で紗々(さしゃ)は、ぼんやりと、ただ、空を仰ぎ見て立ち竦んでいた。寿院が傍に寄ったが何も反応しなかった。

 「紗々(さしゃ)さん、遅くなってすまなかった。ボロボロだな。ごめんよ。大丈夫か?怪我はないか」と、寿院は紗々の腕を触ろうとした、その手を紗々が反射的に払った。

 空を仰ぎ見ていた紗々が、まるでひとの動きとは思えないほど、ゆっくりと、寿院を見た。

 「お前は誰だ、名を申せ」と、紗々が言う。それは紗々の声とは思えない低い声だった。

 「紗々さん、どうしたんだ?」と、寿院が言う。

 「名を申せ」紗々は再び繰り返し言った。

 寿院は、身体が硬直してしまったように動けなかった。そして、隆鷗の名を呼んだ。

 「隆鷗…」紗々が反応する。「お前は寿院か?」

 「そうだよ、何を言っているんだ」と、寿院が言うと、途端に紗々は崩れるようにその場に倒れた。


 隆鷗は、寿院に呼ばれると、すぐに紗々に駆け寄った。紗々が崩れるように倒れていく姿を見ながら、紗々の名を叫んだ。

 そして、紗々の身体から戒の細い腕が消えていくのを見ていた。

 「戒…?」隆鷗は呟くと、立ち止まった。

 寿院は、倒れた紗々の上体を抱えて、何度も紗々の名を呼んだ。

 「すまない。ずっと闘っていたんだな。わたしが途中で祠にさえ寄らなければ、もう少し早く来れたのに。わたしは、いつもいつも自分のことばかりだ。だから、ひとの繋がりの外で生きているなどと言われるんだ…」


 隆鷗は、そんな寿院の言葉が聞こえるほど、傍まで近づいていた。

 紗々の身体からすっかり戒の腕が消えて無くなった。そして、注意深く辺りを見ても戒の気配はない。

 戒の視界の中でしかその能力は発揮しないというのに。紗々は少なくとも一刻前まで闘っている。傍にいる蛇は弱っているが、死んではいない。つい今しがたまで闘っていた証拠だ。

 戒の能力が変化した。いや、覚醒か?何が戒を変えたのだろうか?能力さえ変えてしまうほどに。瀬羅が言うように本当に隆鷗と共にいたことで、お互いに影響を及ぼした結果、戒の能力が覚醒したのだろうか?


 随分、短い間で、隆鷗は考え尽くした。

 いつのまにか紗々の傍に寄っていた瀬羅が、寿院の傍で腰を下ろした。

 「ひどい傷だ」と、瀬羅が言った。

 「こんなことなら、もっと早く…」寿院が震えている。

 「いえ、誰も予測できるものではない。自分を責めるな」と、瀬羅が言う。「紗々さんを早く休ませる必要があるな。わたしが紗々さんをおぶって先に獅舎ししゃ様のところへ戻るよ。この先は、わたしがいても役に立ちそうにないからね」

 「お前様、何処かの世話役だろう。いつも一歩引いて、誰かの為に動くのだな」と、寿院が言った。

 「まぁ、そうですね。わたしにも可愛い弟分や妹分がいるからね。でも、一番心配なのが、最近出て行ったばかりだ。まぁ、今は心配してませんが…」と、言うと、瀬羅は紗々を背中に担いだ。「寿院さん、あなたの弟分が凄く悩んだ顔をしていますね。頼みますよ…」

 「えっ?隆鷗君?」寿院は、近くで、ぼんやりしている隆鷗にまったく気づかなかった。「瀬羅さん、後は宜しくお願いします」


 寿院はすぐに隆鷗に歩み寄った。

 「隆鷗君、どうしたんだ?」と、寿院が尋ねた。

 ぼんやりした隆鷗は、寿院の声に我に返った。

 「何を見た?」

 こんな時の隆鷗にはつい、そう尋ねてしまう。

 「寿院…。わたしは、紗々さんは戒と目を合わせてしまったのだと思う。だけど、しのさんや、伊都さん、詩束しづかさんの身体から出ていた細い腕とは違った…」と、隆鷗は言った。

 「ならば、何故、それが戒のものだと思うんだ?」と、寿院は尋ねた。

 「それは客観的には答えられない。ただ似ているとしか言いようがないよ」

 「だけど、君は、疑問も抱かずそれは戒のものだと思っている。それは何かしら君にはそう思えるほどの情報を持っているからだ。そうでなければ、ひとはまず疑問から入るだろう」

 「えっと…。理詰めでわたしを追い詰めなくてもちゃんと話すから、そんなしたり顔するのやめて…似合わないから…」

 「うるさいよ…」

 「しゅうが戒と目が合っても、何ともなかったのは、それは人知れずしゅんが、戒の目から出ていた細い紐と闘っていたというのは寿院も知っていると思う。だけど、しゅんは、戒のことなど何も知らない。だから、戒の眼孔から異界の虫が出ていると思って闘っていたんだ。しゅんの目にはあれは異界の虫だったんだよ。でも、わたしは、それはしゅんが正しいのではと思った。わたしこそ戒のことを何も知らないのだと。あれは、戒の意思ではなく、異界の虫なんだ。そう思ったら、戒の能力に対する解釈が変わってしまうんだ。それに瀬羅さんが、こういったことに詳しいひとから聞いた話しによると、能力者同士共に過ごすと、お互いに影響しあって、覚醒する者がいると。まさに戒のことではないのだろうか、と、そう思うと紗々さんの身体から出ていた形態の違う細い腕も受け入れられないことはないんだ」

 「形態の違う、細い腕…?」と、寿院は鸚鵡返しに呟きながら、こういったことに詳しいひととはいったい誰なのだろうと、考えていた。

 「それに、形態の違う腕は、多分だけど、何かを合図に消えたんだ。戒が自分で細い腕を解除したのだと思う。それに寿院、戒は相手を自分の視界の中に入れて命令しないと能力は発揮されなかった。あの時、寿院が戒の能力にかかった時、伊都さんが戒を目隠ししていたから、寿院に命令できなかったんだよ。紗々さんには、戒が近くで命令していたとは考えにくい。戒は、自分で自分の能力を制御できるようになったんだ。なんで突然、そんなことができるようになったのか分からないけれど…」と、隆鷗は言った。

 「なるほど…。分かった。戒が自分の能力を制御できるようになったのなら、まずは一安心だと思おう。隆鷗、しゅんがいない。その話しは先に進みながら、話すとしよう。わたしはしゅんに出し抜かれたような気がする…」と、寿院が言う。

 「あっ、それ…しゅんではないよ…」と、隆鷗が言うと、寿院が素早く遮った。

 「もうどっちでもいいよ。黒司の若さんだ…」寿院は、もうすでに気づいているような口ぶりだ。「しゅんのふりして、“寿院様”……様はないだろう。あいつはまったくしゅんと名乗って、演じる気がまったくないよな。まぁ、あいつらしいけど…」と、言うと、寿院はどんどん先に進んでいく。

 いったい都の何処にこんな広くて深い雑木林があったのだろう。進めば進むほどにどんどん深くなっていく一方だ。出られる気がしない。

 「駄目だ。すっかり迷ってしまった。途中で黒司の若さんが案内を放棄してしまったら、迷うに決まっている。隆鷗君、大丈夫か?」と、寿院は、はぁはぁ荒い呼吸をしている隆鷗が心配になってくる。

 「大丈夫だ。だけど、こんなところで、香舎六芲かしゃろっかは何をしているんだろう?白蛇御殿の跡地とか言っていたけど、いったいいつの時代のことを言っているのかな?」と、荒い呼吸をしながら、隆鷗は言った。

 「うーむ、そんなものがあったのも怪しいけど…。しかし、『阿戒様』などと崇めているとか言っていたが、結局無理矢理引っ張って、こんな林のなかに引き摺り込むとは…」と、寿院が言うと、隆鷗はきっぱり言った。

 「わたしは必ず戒を助ける…」

 「勿論だ。ついでに香舎家も叩き潰すか?香舎家は戒の重い枷だ。戒が自由になると、どんなになるんだろうな。」と、寿院が言う。

 「きっと普通のだよ。うたさんの家にいた時の戒とは思えないくらい、今は普通のになったと思うんだけど、そんなふうに思うのはわたしだけかな?」と、隆鷗は小声で言った。

 「うん。それは君が普通でないからだ」と、言う寿院は、視界の先に一筋の白い光が差し込む光景を見ていた。

 一筋の光はキラキラ輝き、まるで天から降りて来たように特別な輝きを放っている。何処から漏れた光だろうか?と、寿院は空を仰ぎ見た。空高く伸びた幾本の密集した樹木が空を遮りその隙間から漏れた光だった。

 寿院の視線が、生い茂る木々の隙間から捉えた不思議な光景だった。

 自然と、寿院の足が一筋の光の方へと向かう。隆鷗も何も言わず寿院について行く。

 やがて、生い茂った木々の隙間から見える一筋の光が怪しい不気味な光景を映し出しているのを、寿院と隆鷗は息を呑んで見た。

 光のなかにきらきら輝く大蛇が横たわっていた。大蛇は身動きひとつしない。だが、不意に首を上げようとしたが、すぐにもとに戻り、ぐったりとした。

 寿院と隆鷗は顔を見合わせた。

 大蛇は、すごく大きい。まるでこの雑木林のぬしのような存在だ。だが、明らかに弱っていた。

 いったい何が起こったのだろうか?と、寿院は思った。

 そして、隆鷗はぎゅっと目を凝らし、少しずつ少しずつ前方へと進む。隆鷗は自分が進んでいることに気づいている様子もない。何かを確かめるように視線を近づけ前へ進んでいた。


 隆鷗には大蛇の表面が何故かゆらゆら揺れているように見えていた。大蛇の黒い身体の模様がはっきり見えないのだ。だからどんどん近づいて、何故ゆらゆらしているのか見極めようとした。やがて、その正体が分かった。大蛇の表面に夥しいほどの、触覚が突き出た細い腕がゆらゆら揺れていたのだ。

 隆鷗は息を呑んだ。

 すぐに振り返り寿院に言った。

 「寿院…。蛇の表面に戒の腕が無数にある。しかもひとつひとつの腕から細い紐のような触覚が出てゆらゆら揺れている。腕自体もそれぞれが独自に奇妙な動きをしている。もう、これまで戒の放った細い腕とは全くの別モノだよ。これ本当に戒が放ったモノかな?いったい戒は、どうなってしまったのだろう」と、隆鷗は呆然とした。

 「隆鷗君、大丈夫か?」と、寿院が心配そうに言った。「だから蛇は弱っているのだな。今のうちに戒を探そう」

 二人は、蛇を避けて、周囲を見て回った。しかし、戒の姿は何処にもなかった。それに先に向かったしゅうの姿も見えない。

 ただ、不思議なのは、横たわる大蛇がすっぽり収まるほどの大きな石台があり、そのすぐ傍にぽつりと立った、まるで処刑台のような棒を収めた小さな石台があった。それらは人が造ったものだと解る。処刑台のような棒の下には切られた縄が落ちていた。


 寿院が切られた縄をずっと見ながら考えている。

 「新しい縄だ。ざっくり切られているな。切り口が新しいんだが、まさか…戒が縛られていたわけではないよな?」と、寿院が言う。

 「これなんなの?棒がただ立っているだけではないよね」と、隆鷗は、背筋がぞわっとした。

 寿院は、すぐ目の前に横たわっている大蛇を見た。そしてすぐに切られた縄に視線を移した。

 「ねぇ、これ何なの?」と、怯えたように隆鷗は尋ねた。

 「考えたくないが…、ここは生け贄を捧げるための石台ではないのか?そして、あの大きな石台が神と思しきモノを降ろす場所…?」寿院が言う。

 「えっ?あれが神なの?あれの何処が神なの…?」と、隆鷗は震えながら言う。

 「神と崇めるのならば、それがどんな対象でも神となるだろう。この国では蛇を神とする話しも多く存在する。しかし、蛇を神と崇める者がいるではないか…」と、寿院の顔が歪む。

 「香舎家…」隆鷗も顔を歪める。

 「よほど大蛇が好きなのだな。流彗りゅうけいの先祖の話と、あの大蛇を重ねると、胸糞悪くなるのだが…まさか、本当にこれは生け贄を拘束する為の石台なのか?」

 「寿院、戒が心配だ。でも、きっと戒は、あの蛇を腕で押さえつけたんだ。きっと無事だよね。でも、縄の切り口が新しいのなら、まだ近くにいるんじゃないの?」と、隆鷗は寿院の袖を引っ張った。

 「この縄を切ったのは、もしかして、しゅう…?」と、寿院は、すごく考えている。「もし、しゅうなら、すごい短い時でここに来たことになる。それに迷うことなくまっすぐここに来て戒を助けている。もしかして、事前に情報を掴んでいたのか?祠で寄り道した時、あいつは何故かひどく焦っていたよな…」

 「探してみようよ、寿院」と、隆鷗はいささか焦っている。

 「しかし、あまりにも闇雲だな。もし、ここに戒が縛られていたとしたら、戒は香舎家に命を狙われている可能性がある」

 「何故、戒が命を狙われなければならないんだ?」

 「裏切り者への戒めか?」

 「なんだよ、それ…?さんざん利用しておいて、戒の命を狙うなんて許せないよ」

 「だけど、隆鷗君。この分だと、狙われている戒より、当主と六芲ろっかだけになった香舎家の方が危ないかもしれないよ。戒は大蛇さえ、身動きできなくなるほど抑えつける力があるのだから…でも、わたしは、もし、しゅうが戒を助けたのなら、その理由が分からない。本家と分家、そして本家の家来…一枚岩ではないのたろうな。黒司家と香舎家は表面では一族になるのだろうが、その実、随分仲が悪いのだな。お互いの家同士で蹴落としあっている。しゅうは果たして幼かった頃の怨みだけなのか?」と、寿院が言う。

 隆鷗は、そんなことより戒が心配で気が気ではなかった。


 寿院は、一旦、この場を離れて、獅舎ししゃの屋敷へ向かうことを、隆鷗に提案した。雑木林の広さばかりに囚われた寿院は、闇雲に探すことは無意味だと思うし、傾きかけた陽が沈んでしまうのは意外と早いことを知っていたからだ。しかし、隆鷗は、頑として寿院の提案を受け入れなかった。


 「いやいや隆鷗君、もしかしたら獅舎ししゃ様が香舎家の屋敷の場所を知っているかもしれないから…」と、寿院が言う。

 「駄目だよ。そんな半々の確率で動きたくない。大蛇には戒の細い腕が残っているんだ。わたしは今、戒の痕跡から戒のことを探れないか、ものすごく考えているんだ。だからもう少し待ってよ」

 「ええぇ…隆鷗君…?それこそ無駄なことではないか?そんなことできるのか?…って言うか、隆鷗君、これまでそんなことしたことなかったよね?」

 「もう、黙っててよ…!」

 「えええぇ…。そんな…」

 寿院は黙った。

 結局、長い時をかけて、それが無駄に終わったのなら…?一旦隆鷗の気が済むまでやらせておいて、一刻過ぎたら、隆鷗がなんと言おうと、すぐに獅舎の屋敷へ向かおう。と、寿院は思った。そして、隆鷗が視界に入る範囲で雑木林を歩き周り、東西南北を割り出して、都の位置と、寿院の屋敷の斜向かいにある竹林と照らし合わせて、最短距離で帰る方向を探っていた。


 隆鷗はずっと大蛇の傍から離れない。

 隆鷗は思い出していたのだ。

 信陵寺で、谷虎こくこを操っていた侵入者の背後から出ていた不気味にゆらゆら揺れていた触覚のことを。そして、麓の屋敷の、赤い衣を纏った少女から出ていたうねる闇のような黒い影からも無数に糸のような触覚が出ていた。そして、戒の細い腕から出る触覚。

 隆鷗は何かしらの共通するモノを嗅ぎ分けているのだが、分からない。しかし、確信はないが、何となくそれらは繋がっているのではないかと考えていた。多分、あの異界の中で。

 隆鷗は、ある賭けに出ようかと考えていた。この触覚を通じて何かしらの繋がりを見つけたら戒と繋がれるのではないかというものだった。だが、危険な賭けには違いない。突然、戒に操られるように、戒ではない何かに身体を乗っ取られるかもしれない。それでも確かめないではいられなかった。


 「寿院!」と、遠くで何かをしている寿院を隆鷗は呼んだ。

 「どうした…?」と、寿院は叫んだ。

 「今からこの蛇についた戒の細い腕の触覚と繋がってみる。だから青斬刀を預かってくれ…!わたしに何かあったら青斬刀で殴ってくれ…!」

 「えええぇ…やめてぇ、そんなことやめてぇ…」と、寿院は叫びつつ、隆鷗に駆け寄った。

 だが、青斬刀を投げると、隆鷗は、大蛇の身体から出ている戒の細い腕から更に出ている細い紐のような触覚に触れた。


 「もう…。隆鷗君、やめてぇぇぇ!お願いだから…」と、寿院は思わず立ち止まりしゃがみ込んでしまった。「わたしの言うことなんか、なーんも聞きやしないよ。まったく…やってらんねぇ…」


 触覚を触ると、雷に当たったような衝撃が一瞬の間で隆鷗の身体全身を走り抜けていった。その瞬間、隆鷗には真っ暗な闇しか見えなくなっていた。上下左右の感覚もなく、ただ闇が広がるばかりだ。

 もしかして、異界の中なのかもしれない。本堂で開いた異界の入口から見えた、あの闇の中と重なる。

 隆鷗は、制御できない恐怖や不安を抑え、心を鎮めるよう努力した。暫くすると、闇の中に蠢いているモノが見えた。最初は何も分からなかった。闇の中が無空間だという先入観を棄てることができずに混乱した。だが、確かに蠢いている。なにかがぴくりぴくりと。それをじっと見ているとやがて形がはっきりしてきた。まるで透明の紐のようなものが幾つもぴくりぴくり動いていた。それは、最初に見た戒の眼孔から現れたものとよく似ていた。

 隆鷗は、ゆっくりとゆっくりとそれに触れてみた。すると、突然頭の中に声が響いた。


 「これは、即刻殺せ!でなければ我らは滅ぶ!いいな…」「おおぅ、なんというものを産んでしまったのだ!」「形もなくなるほど、存在を消すのだぞ」「いいな浄西!」「必ずだ」「おおぉ…この子は…鬼の化身か?」「おおぅ、わたしはなんてことをしてしまったんだ…」

 男と女の声が一度に聞こえた。

 隆鷗は、混乱で頭を押さえた。すると、声が消えたかと思うと、山犬の群れが頭の中に浮かぶ。正面には巨大な山犬がいる。巨大な山犬から無数の細い腕が現れた。

 その光景は、紐状のモノが初めて細い腕に変態した虫のようだった。

 それが消えると、次々と見知らぬ男と女が現れては消えていく。その中にはしのや伊都や詩束、長屋の女将もいた。そして、寿院、隆鷗。

 おそらく、戒が傀儡にした者たちだ。

 そして、次に現れたのは、真っ黒い影の塊だった。黒い影の塊は透明な紐状のモノを次々と殴り、跳ね除けた。透明な紐状のモノは震え、黒い影の塊をひどく恐れていた。その時、何故か透明な紐状のモノが隆鷗の傍に集まり、まるで身を寄せているようだった。その中に触覚が生えているものがいた。隆鷗の頭の中に浮かぶものと、隆鷗の身体に身を寄せる透明の紐状のモノがまるで同じところに存在しているみたいだ。隆鷗は、ひどく混乱したが、次に浮かんだのが、紗々だった。

 戒の言葉が聞こえてきた。

 「紗々!死ぬな!紗々を守れ!紗々、自分を守れ。どんなことがあっても死から守れ!絶対だ!私がいなくても紗々は紗々を絶対守れ。死から守れ!…そうだ寿院と隆鷗が助けに来るまで…必ずだ!」

 戒の声は必死だった。本当に紗々が大好きだったのだろう。もしかして、初めて好きという感情を覚えたのかもしれない。

 気がつくと、隆鷗の身体に身を寄せた全ての透明の紐状のモノがいつのまにか無数の触覚が出た虫に変わっていた。

 そして、頭の中に浮かんだ紗々から無数の細い腕が出てきた。細い腕から触覚が出て、まるで周囲を注意深く観察しているように動いていた。


 黒い影の塊は、もわもわの目ん玉のお化け、しゅんか?

 戒の、紐状の虫たちにはおどろおどろしく見えていて、恐ろしいモノだったのか?異界から現れたモノだと思ったのかもしれない。だから突然進化して、触覚が生まれたに違いない。そして、それは紗々を守るために、戒がいなくとも懸命に周囲に気を配り、紗々の命を守ったのだ。


 そして次に大蛇が浮かび上がる。その時には、異界が開き一気に異界の虫たちは大蛇に飛びついて、一瞬にして腕と化し荒々しく攻撃した。触覚を纏った腕は恐ろしい異形のモノとなり、蛇は忽ち弱り果てていった。


 異界の虫たちは、戒が生まれた時から共に生きていたのだろうか?戒と、異界の虫たちが何故繋がりを持ち、長い時を経ても尚、まだ繋がっているのだろうか?そして、これをわたしに見せているのは、この虫たちか…?

 「ねぇ、戒は今、何処にいるの?」と、聞いても答えないだろうと思いつつ、隆鷗は呟いた。


 しかし、隆鷗の頭の中で再び風景が広がる。戒の視界の中に収められた風景だろうか?雑木林を抜けると、突然視界が広がる。何処かで見たような屋敷の裏庭に繋がっていた。辺りは静かだ。屋敷の裏にある離れの平屋の台所。渡り廊下で母屋が繋がっている。だが、何やら様子が違う。渡り廊下から屋敷に入ると、いきなり数名の使用人だろうか、皆白目をひん剥いて息絶えていた。更に廊下を進むと、無残な屍が転がる。広い板張りの部屋に入り、庭に面した廊下に出ると、また屍が見える。廊下から別の板張りの間に入ると、身なりの綺麗な者の屍が見えた。そして、その中に香舎六芲かしゃろっかの姿があった。その傍には初老の屍。それは、もしかして、当主なのか?と、隆鷗は思った。しかし、その光景はすぐに消えた。

 これは戒の視界なのか?

 だとしたら、戒がこの屋敷に入る前に、その惨劇は起こっている。


 隆鷗が考えた瞬間、男とも女ともつかないしゃがれた声が響いた。


 「お前は何者だ…?ここを覗いたのだな?お前、覚えたぞ」


 その瞬間、闇が消えた。

 そして、青斬刀を構えた寿院が、泣きそうな顔をしてそこに立っていた。


香舎家が惨殺された光景を、戒の視線を通じて、目の当たりにした隆鷗。果たして、戒と秋に再び会えるのか…?

次回をお楽しみに…。



※2025/10/06 漢字を修正しました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ