支配と選択
寿院と隆鷗が戒を家に連れ帰って、少しばかりの時が経った。しかし、隆鷗は、戒が家にいることに違和感がある。何故、戒は闘った敵の家に居座っているのか?そんな時、壬生と香舎が尋ねて来た…。同時刻に、寿院の家を囲んで、怪しい男たちが潜んでいた…。
「隆鷗君、まだ、寝ているのだろうか?」
壬生がしきりに隆鷗がうたた寝していた部屋の方に視線を向ける。
「相当疲れていたのかもしれないな」と、寿院が言う。
「何か疲れるようなことでもしたのか?」と、香舎が尋ねたが、然程興味なかったのか、すぐに別の話題に移った。「この寺には、寿院殿と隆鷗君、二人で住んでいるのですか?なんか贅沢だな」
「基本二人なのだが、今は訳あってもう一人いるんだが、掘り下げて話すようなことでもない」と、寿院は言った。「ところで、先程言ってた…何でしたっけ、代々続いた由緒ある呪術師の家系の話しなのだが、わたしたちは何かまずいことでもしたんですかね?重要視されているなどと、どう言う意味ですか?」
「それは白水家を調べにやって来た呪術師だ。代々続く由緒ある家系だ。悪霊や物怪などの憑き物を祓うことには評判の家系だった。優雨幻様のあの異様な様を見た呪術師は、タチの悪い悪霊に取り憑かれていると、家系に伝わる陣を描いて、封印の壺を陣の中央に置き何やら呪文を唱え始めた。だが、長い時を経ても何の変化もなく、遂には断念してしまった。最後に壁中に悪霊退散の護符を貼って、去ってしまったそうだ。だから寿院殿と隆鷗君の兄弟が優雨幻様の悪霊を祓ったと言う話はあっという間に呪術師界隈に広まってしまったのだ。しかも、姫様のご遺体が埋められた雑木林まで言い当て、居着いていた祓屋の悪事も暴いたのだから、それは評判になるだろう。寿院殿も呪術師界隈の仲間入りだ。しかし、それはいいことばかりではないのだよ。注目されるというのは、つまり妬まれる。これから色々とお声がかかるかもしれないが、同時に嫌がらせもあるだろう。寿院殿は新参者だからね。これからは気をつけた方がいいと、それを忠告したかったのだ」と、壬生が説明した。
兄弟…?そうだ。忘れていた。隆鷗君を弟だと紹介してしまったのだ。と、寿院は面倒くさいことをしてしまったと後悔した。
「それはわざわざありがとうございます。しかし、お声などひとつもかかっておりませんよ」と、寿院は苦笑した。
「いや、これからだよ」と壬生が言う。
「ところで、他の一人とは誰ですか?」と、突然、香舎が言う。
「えっ?先程も言いましたが、掘り下げて話すことではないですよ」と、寿院は香舎の唐突の問いに少し戸惑った。
「兄弟二人で住んでいて、訳ありということは縁戚ですか?」と、香舎が執拗に尋ねる。
「まぁ、そんなところです。何故、そんなことが気になるんですか?」
「ただの興味ですよ。こんな寺のような奇妙な屋敷だ。誰がどんな風に暮らしているのか?少し気になっただけですよ」と、香舎が笑う。
そこに突然、隆鷗が本堂にやって来た。
「おおぅ、隆鷗君、やっと目を覚ましたか?座って…話そうではないか?」と、壬生がはしゃぐ。
「ああ、すみません」と、隆鷗は、壬生と香舎に謝罪した。「ねぇ寿院、茶を淹れているんだけど、ちょっと分からないので、台所まで来て欲しい」
「えぇ、君が茶を淹れているのか?何だよ突然、珍しいことするなよ。わたしが淹れるよ」と、寿院が苦笑する。
「いいから台所に来て…」と、隆鷗はじれったそうに言う。
「ちょっと失礼します。茶を淹れてまいりますので少し待ってて下さい」と、寿院はそう言うと、隆鷗と台所に向かった。
「寿院、なんかきな臭くなってきた。今しがた紗々さんが来て、この家を中心に怪しい者たちが何人か潜んでいると言うんだ。そして、ぶっ殺してくるって。後は寿院に任せるから伝えといてと言われた」と、隆鷗が焦って話す。「それから戒は庭の物置小屋に隠れている。紗々さんの話しを聞いて、震えているんだよ」
「そんなことが?あの二人の私兵だろうか?だとしたら何がしたいのだ?まさか…?香舎殿の様子が変だったな。わたしと隆鷗君以外に誰が住んでいるのか、執拗に聞いてくる。さっきだって次々と部屋の引戸を開けていた。狙いは戒か?」
「そんなこと分からないけど、ぶっ殺してくるって、あの人大丈夫なの。そっちの方が怖い」
「紗々さんは大丈夫だ。ぶっ殺してくると言ったらぶっ殺してくるけど…後を任されてもなぁ…?あっ、そう言えば黒司秋がいないな。見かけたか?」と、寿院が尋ねる。
「そう言えば見かけてない」と、隆鷗が答える。
「こんな時に何処に行った?私兵のことはすぐには結論出せない。紗々さんが上手くやってくれるかな?」
「えっ、ぶっ殺しに行ったのに、上手くやるってどう言うこと?」と、隆鷗が尋ねる。
「紗々さんはキレ者だ。もしかしたら誰に頼まれたのか聞き出しているかもしれない。とにかく茶を淹れよう…」
「わたしはどうすれば…?秋を探した方がいい?」
「いや、放っとけ。君には言っておくけど、わたしは黒司秋をひとつも信じていない。呪符を貼ったのは黒司秋だと思っている。ここにいるのは何か目的があるのだ」
「えぇぇ、信じていないって、何でここに置いているの?」
「その目的を知るためだ」
「寿院は、私兵を連れているのは、香舎殿か、黒司秋だと考えているの?」
「まぁ…そうだな」
「目的は戒?」
「その可能性が高いかな。隆鷗君は今から、戒を連れて、三軒隣りの紗々さんのところへ行ってくれ。多分…。紗々さんは全員生け捕りにして、尋問していると思う」
「なんで戒を連れて行くの?物置小屋におとなしく隠れていれば安全でしょう」
「ふふふ…私兵はめったに吐かない。そんな時に戒の能力が役立つ」と、寿院がしたたかに笑った。
「えぇぇぇっ、戒の前では優しいおっさんのような顔をしておきながら、戒の能力を利用するの?悪鬼じじぃだ」と、隆鷗が吐き捨てるように言うと、すぐにその場を離れ、物置小屋に向かった。
最初に寿院の屋敷にやって来た時、随分と迷ったことを思い出す。
何度もぐるぐると同じところを回って、いつも目にした藁葺き屋根の屋敷。山の麓から都に来る途中、よく見かける田舎の屋敷のようだ。広い庭には鶏小屋があり、鳴声も聞こえた。そこが紗々の屋敷だった。
「何処に行くの?」と戒が尋ねた。
「あの藁葺き屋根の屋敷」と、隆鷗は答えた。
「誰の家?」
「さっきの女の人」
「何しに行くの?」
「行ってみないと分からないよ…でも…なんで…ついて来たの?」
「えっ?あんたが引っ張って来たんじゃない?」
「違う…なんでわたしたちの家について来たの?寿院は君に選択の余地を与えた。わざわざやられたやつのところに来ることなかったんじゃないの?」
「そんなことどうだっていい!」
「よくない…よくないよ」
「もし、私が、戻ったら、また同じことを繰り返すだけだ。あんたはそうなってもいいと言ってるんだ」
「君は良くないことだと思っているんだね」
「私に善悪などないな」
「命令に従っていただけと言いたいの?」
「命令…?ふふふ命令するのは私だ」
「だけど、君を育てた者は誰も君の目を見なかったと、言ったよね…ずっと自分の顔を見てもらえないって、どんな感じだろうね?なんか孤独だよね」
「黙れ」
「あー、君って何も変わっていないんだよね。そうだよね。人はそんな簡単に変わらないよね…いったい何が目的なの?わたしたちの家まで壊そうとか考えているの?」
「馬鹿なの。こっちの方が壊れそうだ。わざわざ術にかかろうとする寿院。それに目が合っても全然術にかからない、あのやかましい男。私の術を解いてしまうあんた。そんな中で私に何ができるというの!少し、放っておいてよ」
戒がそう言うと、隆鷗は黙った。
これから過ごす日常には、いつも尖った、澱んだ空気がゆっくりと、ゆっくりと充満していくのだ。
「おや?隆鷗君はどうしたのだ」と、お茶を淹れて戻ってきた寿院に壬生が尋ねた。
「隆鷗君は、訳ありのもう一人の姿が見えないから探しに行った。香舎殿がどうやら会いたいみたいだから紹介しようと思いまして…」と、寿院は答えた。
「いや、そんなつもりではなかったのですが…でも、姿が見えないのは、いささか心配ですね。いつもなんですか?」
「それは分からない。その子がここに来たのはほんの最近ですから…」
「そしたら尚更心配だ。どんな御子なのですか?」と、香舎が尋ねる。
「どんな子なのかな?知人に頼まれて預かってまして、少し問題のある子だと聞かされていますが、今のところそんな問題のある子のようには見えないな」寿院は、香舎を探った。
「へー。どんな問題なのですか?」と、香舎は執拗に聞いてくる。
「さぁー?具体的には分かりませんが、その子には気をつけるように言われているかな?」
「どう、気をつけるように言われているのですか?」
「直接目を見ないようにと言われただけです。さて、目を見たらどうなるのかは分かりません。暴れたりするのでしょうかね。まだ目を見ていませんので…」
香舎の表情が変わった。それは寿院にしか分からない微妙な変化だった。
「それは、結構難儀な御子を預かりましたね。寿院殿は正直どう思っていらっしゃるのですか?」
「と、申しますと…」
「もし手に余るようでしたら、我らは寿院殿をお助けできるかもしれません」
香舎が慎重に言った。
「我らとは…?もうひとりは壬生殿のことですか?」と、壬生を見ると、大きく顔を横に振った。
「あっ、いえ、香舎家です。香舎家には御子が出来ずにすごく欲しがっている者がいますので、お役にたてるのではないかと…」
「何を仰るのですか?問題のある子なのですよ?香舎家に迷惑をかけてしまう」
「それは心配ご無用です。一度連れ帰っても構いませんか?その者に会わせてみますので」
「それは…あまりにも唐突ですね。わたしとて、知人に伺う必要がありますし、そんなに焦らずとも」
「これは失礼した。わたしはどうもせっかちなところがありますゆえ、御尤なご意見です。でしたら今日は一目だけでも会って帰ります」
そう言うと、香舎は腕を組んで目を瞑った。御子に会うまでは帰らない。意思表示だ。
「いったい何の話しをなさっている?」と、話に入れない壬生が苛立つ。「いつもだ。香舎殿はいつも場を掻き乱す。我儘すぎるぞ。今日は白水家の御礼と忠告に来ただけだ。それも寿院殿が心配ゆえ、わたしの一存で来たまでだ。本来、香舎殿には関係のない話だった。白水家にだって香舎殿が勝手に付いて来て、勝手に話しを進めていた。そして、まるで自分ひとりで解決したような顔をしていた」
「ほーぅ、白水家…。わたしはあの時、ずっと感じていたのですよ。そうだ。隆鷗君もずっと苛立っていた。話しを長引かせ、本質をどんどん逸らしながら、少しずつけむに巻こうとしているあなたに。だから隆鷗君は途中退席したのです。へぇー本来なら壬生陰陽師の仕事だったわけだ。あなたは白水家に勝手について来て、尤もな言葉を並べて、我らが気づかないように話しを長引かせていた。つまり我らをけむに巻き、掻き乱していた。何ゆえそのようなことをするのです?思うに、白水家の事件が解決してしまうのが好ましくなかったからではありませんか?」
「えっ?寿院殿、突然何を仰るのですか?わたしは忠実に解決にあたっていたではありませんか?話しが長引いたのは、慎重を期す為です。何か誤解している」と、香舎が言った。
本堂に沈黙が流れた。
やがて、門から隆鷗と、戒が入って来た。
「君が自分で選択するのだ」と、小さな声で隆鷗は戒に言った。
「………」
「選ばなくてはいけないんだ」
「寿院殿、あの娘ですか?」と、香舎が立ち上がった。
本堂から庇下の廊下に出た香舎が手を差し伸べた。
「嫌だ。戻らない」と、戒が言う。
「分かった」
隆鷗は、身体で戒を香舎から隠した。
「寿院…香舎殿だ」と、隆鷗は、訴えるように叫ぶ。
「あなただったのか?いったい何がしたいのだ?いや、その前にあなたは何者なのだ?」と、寿院は素早く香舎の前に立ちはだかった。
「寿院殿、どいてくれないか」
「壬生殿。香舎殿は本当に陰陽寮の者なのか?」寿院は、香舎から視線を離さずに壬生に尋ねた。
「寿院殿、いったいどうされた?」と、壬生が言う。
「どけ!」と、香舎が叫ぶ。
寿院が香舎の左の手首を掴んだ。
手首を掴まれただけなのに、香舎は動けなくなった。
「お前は誰だ?」と、鋭い口調で寿院が言った。
「寿院殿、何を言っているのですか?」と、香舎は冷静な口調だが、凄まじい速さで寿院の腹を蹴った。
寿院が一瞬後退ると、香舎は、庇下の廊下から庭へ飛び降りた。
「嫌だ!」と、戒が隆鷗にしがみつく。
人の肉体には何の役にもたたないが、隆鷗は青斬刀を抜いて構えた。刃が青い光を帯びているのを見た香舎が一瞬驚いた。
「あんたは、戒に何をさせている?」と、隆鷗は言った。
「阿戒様…。一緒に戻りましょう」と、香舎がゆっくりと歩み寄る。
「そうやって崇めていながら、利用するのか?」と、隆鷗が言う。
「隆鷗君、そこをどいてくれないか?我らにとって、阿戒様は大切な御子なのだ」
香舎は、すっかり自分を見失っていた。
「さぁ、阿戒様一緒に帰りましょう」
「嫌だ…かえら…ない」戒が呟いた。
香舎がゆっくりと刀を抜いた。そして、隆鷗に刃を向けると、青斬刀を払い除けようとしたが、その瞬間には、寿院が香舎の背中から回り込んで横腹に鋭い蹴りを入れた。
香舎が蹌踉ける。
壬生も庭に降りて、刀を構えた。
「いったい何をするつもりだ」と、壬生が香舎に怒鳴った。「寿院殿、いったいこれはどういうことですか?」
「はて…?そうですね。わたしが想像するに、この者は、都で『呪い屋』のデマを流している者と何か関係があるのではないかと思っているのだが。陰陽寮に間者として潜り込んでいるのではないのですか?壬生殿、どう思う?」
壬生は、突然の展開についていけず黙った。
その時、香舎が突然笛を吹いた。
「合図ですか?残念ですが、ここいら辺に潜んでいた者たちは、なんか怖いお姉さんが皆んなぶっ殺してしまいましたよ。その中の一人が何故だかこの子を見て、阿戒様と叫んだかと思ったら、いろいろ教えてくれましたよ。阿戒様奪還作戦なるものを決行していらっしゃるとか。皆さん香舎様に従っていらっしゃるとか…いろいろと…」と、隆鷗は、ひどく冷静に言った。
香舎は激しく舌打ちをすると、塀を飛び越えて消えてしまった。ついさっき紗々の無駄のない動きで素早く、高く飛び越えた姿を見ていた隆鷗は、香舎の動きはなんか格好悪い。と思った。
ほんの少し前…。
垣根に囲まれた藁葺き屋根の屋敷に近づくと、鶏の匂いが鼻をついた。隆鷗と戒が敷地内に入ると同時に狂ったように鳴き始めた鶏が暴れ、けたたましい音が響く。戒は恐ろしいのか、隆鷗にしがみついた。
「鶏だよ。大丈夫だからくっつかないで」
「分かっている。びっくりしただけだ」
屋敷前の庭には、幾つもの作業台や大きな甕や籠が置いてある。広い庭だ。正面の屋敷まで少し歩いた。玄関は右手の端っこにあり、軒下は開け放されて中には目隠しで衝立が置かれていた。鶏小屋と違い、屋敷の中は静かだった。
「紗々さん」
隆鷗が叫ぶと、屋敷の中から片手に刀を持った男が出て来た。
男は素早く、軒下の廊下まで出てくると、刃を戒の額に突きつけた。
「えぇぇぇーーー」と、隆鷗は驚いて男を見た。もうすぐ初老に手が届きそうなのに、威圧感がある怖そうな男だ。その目には鋭い眼光が宿り、見られただけで震え上がった。
「誰だ。何てモノを連れて来たのだ」と、男が言った。
戒のこと?
戒は震えていた。刀を突きつけられ、それでも目を伏せていた。だが、震えているのは突きつけられた刀のせいだけではなさそうだ。
「今すぐ出て行け。さもなくば斬る」
隆鷗は、身体が硬直していた。何も言い返せない。
「聞こえたか?今すぐ出て行け」
「何故だ」と、震えながら隆鷗は呟いた。「なんでこの娘に刀を突きつけているんですか?」
「なんでだと…気に入らないからだ」
「気に入らないからと刀を突きつけるなんて…」
「貴様は、何故、こんな危ないやつと一緒にいるのだ?仲間か?」
「仲間とかそんなことどうでもいいです。ただいきなり理由も分からず刀を突きつけられたひとを目の前にして、黙っているほど、卑怯者でもありません」と、隆鷗は、戒を退かせ、刀の前に立ちはだかった。
「父上、何をしているのですか?」
庭の何処からか突然、紗々が現れた。
「えっ?何故、隆鷗ちゃんに刀を向けているのですか?」
紗々の言葉で男は刀を収めた。
「隆鷗…?君が…?なら、その娘は?」と、男が呟いた。
「隆鷗ちゃん、ごめんなさい。潜んでいた男たちは七人いたのだけど、全員のびているので、物置に縛っている。尋問しようと思ったけど…のびているので尋問できなかった」
「えぇぇー、半刻もなかったと思うんですけど、紗々さん一人で男七人も運んだんですか?あり得ないです」
「いえいえ、父上に手伝ってもらいましたよ。父上は、私が隆鷗ちゃんに会った時には、ほぼ片付けていました。怪物ですから父上は」と、紗々が笑う。
「えっ?紗々さんに会った時にはすでに片付いていたんですか?」
「ごめんなさい。私が行ったら、すでに父上が片付けていたのです。残念です。私がぶっ殺してやるつもりだったのですけど」
「でも、そうなると、私兵が誰の指示で動いているのか分からないですね。寿院に知らせないといけないんです。寿院は、今話している客人がそうではないかと思っているようです」
「香舎…」と、ぽつりと戒が言った。
「香舎…?」と、隆鷗が振り返って戒を見た。戒はずっと俯いたままだ。誰とも目を合わせないようにしているのだ。
「香舎が私を取り戻しに来た。私がいないと困るの。でも…私は嘘をついた。確かに優しい。空虚な優しさだ。『阿戒様』と崇めている振りをしている。そして、いつも見張っている」と、戒が言った。
「戒、話してくれてありがとう。行こう、寿院のところに」と、隆鷗は、紗々にお礼を言うと、戒を連れて藁葺き屋根の屋敷を後にした。
「紗々、今のが隆鷗様か?何故、あの娘といるのだろう?戒という娘。あの異様な気。危険な娘だ。寿院の家にいるのか?もっと強化体制を取らねばなるまい」
「はい父上。ひとを増やしましょう」
「そして、戒という娘が言っていた香舎。香舎家には恐ろしい男がいる。香舎菊之丞。冷酷無残な剣の達人だ。もし襲ってきたら寿院は勝てるのだろうか?そして、今は姿を潜めているという香舎流彗…得体の知れない男がいる…」
「父上は何でもご存知なんですね?」
「もう都に来て長いからね」
「香舎家のことなんて誰も知らないでしょう?」
「香舎家は、一昔前は呪詛で名を上げた呪術師の家系だ。しかし、力のある者が出ずにずっと落ちぶれていた。ここに来て、力のある者も出て来て息を吹き返してきたのだが、あの娘と関係があるのかもしれないな」
「あの娘は何なのですか?」
「わたしにも分からない。ただちょっと噂を耳にしただけだ。この世には本物の能力を持って生まれた者がいると。しかし、それが香舎家にいたとは?何故、香舎家があの娘を手にしたのだろうか?」
「大伯父様にすぐに報告しましょう」
「なんでまた、寿院は、訳の分からないことをするんだろうな。まったく面倒見切れない」
「えっと、それはいつものことですね」
紗々が呆気なく言った。
寿院は、紗々の父、獅舎に呼び出され、香舎から刺客が来ると聞かされる。獅舎は、訪れる刺客に備えて万全の体制を取っていく。一方寿院は、隆鷗と秋と共に逃げることばかり考えていた…。
次回「冷酷無残な剣士」




