日常の歪み
戒を屋敷に連れ帰ると言う寿院。隆鷗は寿院の訳の分からない行動に不安を通り越して呆れ果てる。
寿院は戒をどうしたいのか…?
涼しい風がそよそよと、細い道から長屋の広い敷地へと入ってきた。柔らかな風は、長屋の日常の営みにやんわりとした豊かさを与えていた。しかし、四季の何気ない情緒は時代の風土により変わってしまう。
戒は、何をしても、この訳の分からない二人の男には敵わないと思ったのか、全てを諦めた。最後に長屋の女将も傀儡だと白状して、隆鷗に術を解いてくれるよう自ら頼んだ。
「寿院、ねぇ、戒を連れ帰ってどうするの?本当にこれまでに掛けたひとの術を解くつもりなの?」と、隆鷗は不安気に尋ねた。
「さぁ、どうだろう?正直に話すだろうか?わたしとて、まさか付いてくるとは思っていなかったよ」と、寿院が苦笑する。
「えぇぇ、じゃあ、どうするつもりだったの?」と、隆鷗は驚いた。
「うぅぅん、拒否されると思った。帰る場所は自分で選択すると思った。わたしは強制するつもりはないからね」寿院が首を傾げる。「もしかして、何処かで逃げるつもりかもしれない」
「逃げてくれるかな?」と、隆鷗は言った。
「ううーん。実はわたしも、心の何処かで逃げてくれたらいいなとか思ったりもしている」と、寿院が力無く笑う。
「だったらなんで家に来いなどと言ったの?寿院の行動はなんかよく分からない」隆鷗は呆れる。
「あははは、わたしもよく分からない」
戒は、ぼんやりとした表情で二人の跡をついてくる。
振り返って戒を見ると、隆鷗はその表情をすごく幼く感じた。だけど、ひとを操る戒は、ひどく毒付いて腹黒い。同じひとには見えない。この違和感が余計に不気味だ。
戒は、長い道のりを何一つ愚痴もこぼさず寿院の屋敷の付近まで歩き通した。
「帰ったら、すぐに夕餉にするか?それとも少し休むか?」と、寿院が振り返って戒に尋ねた。
「少し休む…」と、戒が答えた。
「大人でも、遠い道のりだ。よく黙ってついて来たね」と、寿院が誉めると、戒は素直に喜んだ。
その様子にいささか驚いた寿院が何故か手を差し伸べた。
戒は、素直に寿院の手を繋いだ。
これが、呪術を使い、自分の意のままに他者を操っていた、化け物なのか?
隆鷗は、釈然としない思いで戒を見た。
「なんだなんだこの女子は?生意気そうだな…」
寿院は、戒の寝床を何処にするか、ぼんやりとした顔をしながら、長い時をかけて考えていた。あまり真剣に考えているふうではなく、本堂で横になって途中眠りほうけていた。
秋は、そんな寿院に白湯を持って来て、寿院の隣りに大人しく座っている戒を見て文句を言った。
「お前は誰だ?何の用でここに来たのだ。ここはお前が来る所ではない」と、秋がきつい口調で言う。
「お前こそ誰だ?あっちに行け!」と、戒が冷静に答える。
隆鷗は、本堂の庇下の廊下に座ってその光景を見ていた。
秋が戒の傍に寄ると、突然、秋の身体から、もわまわの目ん玉のお化けが出て来た。
隆鷗は、なんだかもわもわの目ん玉のお化けを見るのは久しぶりのような気がした。
秋は、文句を言うたびに戒を睨みつけていた。そして、戒もまた秋を睨みつける。何度も目が合っている。だが、戒の術は一向に秋には届かない。
隆鷗は、わずかに唇を開けて、微笑した。
戒の眼孔から細い腕の元となる紐が飛び出ると、もわもわの目ん玉のお化けがすごい速さでそれを払いのけている。それからずっと、秋の背後から身体を伸ばして、自由自在に、鮮やかに、戒の傀儡の術を両掌で跳ね返していた。そんな死闘が繰り広げられていたのだ。
寿院は、寝っ転がって、隆鷗を見ていた。
なんだか楽しそうに、戒に文句を言っている秋を見ている。視線が慌ただしく動いているが、秋と戒を見ても、慌ただしく動くものなどひとつもない。ただひとつ、秋が一向に戒の術にかからないのが不思議だった。隆鷗に何が見えているのか聞いてみたいが、話してくれるだろうか?
「戒には、やっぱり秋が寝ている部屋を与えて、隆鷗と秋があの大部屋で寝ろ。わたしはここで大の字で寝る」と、寿院が長く考えたわりにはすごく当たり前のことを言った。
「いやだ。僕は隆鷗と一緒の部屋は嫌だ。だったら僕も寿院様と本堂に寝る!」と、秋が言う。
「お前様が隆鷗君を嫌う理由が分からないんだが。隆鷗君がお前様に何かしたのか?」と、寿院が首を傾げる。
「隆鷗は何もしていないけど、でも、僕には何もかもが理不尽だ。だってですよ。あの日、隆鷗は寿院様を襲っている。なのに、寿院様は隆鷗を連れて白水家に出かけ、それから二日も帰って来なかった。普通、お供するのは僕でしょう」
「何を言っているのだ?お前様は自分の目的を忘れているのか?呪符を貼った者を突き止めるためにここにいるのだろう。なのに何故、ここを離れられると思ったのだ。本当にお前様は呪符を貼った犯人を見つけるのが目的なのか?」
「そうだけど…でも、僕がお供をしたかった。ある意味、僕は寿院様を守っている。だって呪符を貼ったやつは寿院様を狙っているんですよ。隆鷗に何ができると言うんだ」
「訳の分からない理屈だが、お前様が本堂に寝るのなら、わたしが隆鷗君と大部屋に寝るよ。決まりだ。もう文句は言うな」
「嫌だ!だったら僕も大部屋に寝る!」
「それでいい。大部屋は広いから充分三人寝れる。もう何も聞き入れないぞ」と、寿院が怒鳴る。
戒は、恐れをなしていた。
術を掛けてもそれを解く隆鷗。術が及ばない秋。そして、何よりも怖いのは好き好んで自ら術にかかる寿院だ。
寿院には何の恐れもないのか?話しかけるたびに戒の目を真っ直ぐ見てくる。術にかかると分かっている筈だ。
なのに、真っ直ぐに目を見る。その度に寿院は戒の術にかかり、ほうけた顔をして命じるのをただ待っている。
この、寺のような屋敷に来て以来、いったい何度術にかかっただろうか?
最初は、美味しいものを作れとか、散歩に連れて行けなどと命じていたが、それは術をかけなくても、すぐに叶えてくれる。
「もう、お前に命じることなどないよ。なんでいちいち術にかかるのだ。お前は馬鹿なのか?」と、怒鳴ったのを最後に、戒は、自ら寿院の目を避けるようになった。
戒は、寿院が与えた小部屋で何日も過ごしていた。朝餉と、夕餉の時は恐る恐る台所に来て、何処に座っていいのか分からずにぼうっと立っている。寿院が戒の膳を教えると、ちょこんと座る。食べ終わったら、すぐに小部屋に戻った。たまに秋が後片付けをするようにと怒鳴ると、それに従って後片付けをした。
もう生意気なことを言わなくなった。それどころか口を開かなくなった。
ある日、朝餉の時、寿院は、いつまでも慣れない戒に言った。
「お前はまだなんか堅苦しいな。もう何も考えなくていいんだ。普通の娘のようにしていればいいんだよ」
寿院の言葉を戒は、ただ黙って聞いていた。
「お前はすっかり変わってしまったな。随分生意気な子と思っていたが、ひとを操るのがつまらなくなったのか?」
「分からない。物心ついた頃から私にはこの能力があることは分かっていた。いや、聞かされていた。ひとの目を見ると、全ての者が私に従う。だから私を育てた者は決して私を見ることはなかった」
「育てた者?それは養父や養母ではないのか?」
「養母…それは伊都さんのようなものなのか?」
「お前は操っていたが、伊都さんが好きだったのか?」
「伊都さんはただの傀儡だ。でも、いつも傀儡の中から見ていたから、私は叱られた。これまでにそんなひとはいなかった」
「お前はどんなひとに育てられたのだ?」
「私を阿戒様と崇めていた。そして…」それから戒は黙ってしまった。
寿院は無理して聞き出さなかった。
朝餉を終えた秋が、そんな二人の会話を聞くでもなく、勝手口から外に出て行った。
隆鷗は、寿院の隣りで話に入らず、ただ黙って聞いていた。
「寿院は本当に馬鹿だ。何度術にかかったら気が済む。私は、寿院を従わせたいと思わないから。お陰でもう二度と寿院のことを見れなくなった」と、戒が小さな声で言った。
「それはね。隆鷗君がいるから、わたしは安心して君に向き合えるんだよ。でも、今はお前の方が気を遣ってわたしを見なくなったんだな。別にそんな気を遣わなくもいいのに…」
「ねぇ、あんたも物心ついた時から…何の能力か分からないけど、その能力はあったの?」と、突然、戒が隆鷗に聞いた。
「えっ、わたし?いや、その…。違う…」隆鷗は、その話には触れてほしくなさそうだった。
「ふうーん…」と、戒はのんびりと朝餉を取った。
「君は、あの時とまったく違うね。もしかして、わたしたちに囚われていると思っているの?」と、隆鷗が尋ねた。
「そういうことでしょう?私は、あんたに力を抑えられた。もう従うしかないじゃない」と、戒が言う。
「囚われていないよ。君が譜さんや鼓笙様に迷惑かけなければわたしたちは何もしない。出て行けばいいよ」と、隆鷗が言う。
「でも、この人がこれまで術をかけたひとの術を解くと言った…」と、戒が言う。
「ええっ?君、その気があるの?これまで君は、それについて何も話そうとしなかったよね。わたしたちは無理に聞いたりしない。君にその気がないのなら、無理してここにいる必要ないよ。君はもしかして、君を崇めた者たちが迎えに来ると、そう思っているのか?」と、隆鷗は言った。
戒が黙る。
「そうか待っているのだな…」と、隆鷗は呟いた。
「伊都さんのところで最後に術を解いた長屋の女将さんのことをお前は忘れていただろう。女将さんは、お前の術で何もできずにただ虚空を見ていただけだった。わたしはその姿に地獄を感じた。そんなひとを放っておけるのか?まぁ、でもお前、なんかひとの苦悩とか苦痛とか分からなそうだな」
寿院がそう言っても、戒は何も言えずただ黙っていた。
その時、秋が戻って来た。
「寿院様、誰か来るよ。ねぇ、その娘部屋にいてもらった方がいいんじゃない?」と、突然、秋が言った。
「誰だろう?何故、秋はそう思うんだ?」と、寿院が尋ねる。
「えぇ、僕は何も事情を知らないから、分からないけど、こいつどう見たって我らの敵でしょう。見ていれば分かるよ。悪鬼が滲み出ている」と、秋が言う。
「そんなこと言うな」と、寿院が言う。しかし、戒の術のことを考えたら部屋にいた方がいい。と、そう思っていると、突然、戒が立ち上がった。
「私は、本意なくとも目が合えば他者を縛り操ってしまうから、部屋に戻ってる」
「君を連れ戻しに来た『阿戒様』と崇める者かもしれないよ」と、隆鷗が言った。
「そうだとしても部屋に戻ってる」と、戒は囁くように言った。
「会いたくないの?」と、隆鷗が尋ねた。しかし、戒は黙っていた。
「寿院殿はいるか?壬生だ。誰かいるか」
庭で叫び声が響いた。
「おぅ、壬生陰陽師だ。どうやら戒とは関係ないようだが、どうする?」と、寿院は戒に尋ねた。
「陰陽師…?関係ないとは言えない。部屋に戻る」と、戒は、素早く立ち上がり、部屋に戻った。
「関係ないとは言えない…?」
寿院は思い出した。
鼓笙の屋敷に戒を連れて来たのは、賀茂陰陽頭の名代を名乗る、頭巾で顔を隠した男。自分の名前は名乗ることもなく、意図して正体を隠していた。男は、都で評判の『神を降ろして白拍子を舞う』と言われた詩束の名を出して、養女にと願い出た。鼓笙がこれを断れないのは分かっていたのだ。
寿院は、離れの台所の勝手口から庭に出た。
「えぇぇぇっ、何で壬生陰陽師さまがわざわざ、なんちゃって呪術師の家なんて訪ねて来るんですかねーっ」と、叫びながら、壬生に歩み寄る。
「おぅおぅおぅ、今まさに、時の呪術師さまー。誰がなんちゃって呪術師なんて言ってるんだ?」と、壬生が言う。
「おやおや、わたしは壬生陰陽師さまに一度たりと、家を明かしたことはないぞ。わざわざ調べて来たのかい?わたしが適当に陰陽師を名乗っていた頃のように再びわたしから呪術師の仕事を奪うつもりなのか?」と、寿院が鬱陶しそうに言う。
「あーあ、まだ、寿院殿は誤解している。あの頃、寿院殿は陰陽寮から目をつけられていたんだよ。何度、心配だから仕方なかったと言っているのに…いつになったら分かってくれるんだ」と、壬生は大袈裟に言う。
寿院は分かっていた。だがその馴れ馴れしく、土足で踏み込みかねない崩壊した距離感が、絶望的に嫌悪を催してしまうのだが、それは口が裂けても言えない。
「ところで今日は何の御用がおありですか?」と、寿院は壬生の後ろにいる香舎に視線をやり、尋ねた。
「寿院殿、白水家以来ですね。今日は、おチビちゃんはいないのですか?」と、香舎が言った。
「そうだそうだ、あの御子は何処にいるのだ?」と、壬生が被せて言う。
「おチビちゃん…?あの御子…?誰だ?」寿院がとぼける。
「あぁ、申し訳ない。隆鷗君だったか…?今日は、改めて白水家の事案を解決に導いて頂いたお二人にお礼を申し上げに伺った」と、香舎が言った。
「ええっ?わざわざ陰陽寮からおでましなんですか?陰陽寮がなんちゃって呪術師なんかに御礼をしちゃあ、誉高き陰陽寮の名がすたるってもんじゃないんですか?選ばれし者が集う天下の陰陽寮様だぁ、それはいけませんね…」と、寿院は唾を吐きながら、身振り手振り大袈裟に声を張り上げて言った。
「いえいえ、寿院殿、いえ寿院様、それが今や呪術師界隈であなたの名を知らぬ者はいないのではないかと言うほどに、すっかり有名になられたのですよ。何代も続く由緒正しい呪術師の家系があなたを重要視するようになったとか…」と、これまた身振り手振り大袈裟に言う壬生。
「また壬生殿は芝居がかったことを言う。寿院殿、少し話しがしたいのだが、立ち話もなんだ、屋敷に入れてくれないだろうか?…これはまた屋敷と言うか、お寺なのか?」と、香舎が言った。
「ああ、ここは以前お世話になった師匠から、破門と引き換えに与えられた廃寺です。それを少しばかり改築して住んでおります。そんなところでよろしければ、どうぞ正面の玄関からお入り下さい」
「ほぅ。破門と引き換え…?これは楽しそうだ。ついでに少し見学させて頂いてもいいですか?」と、言いながら、香舎はそそくさと中に入っていった。
「本当はわたしひとりで伺うつもりだったんだよ。なのに香舎殿までしゃしゃり出て来て…。香舎殿は気まぐれだ。白水家の時もそうだった。あいつには強い後ろ盾があるから誰も逆らえない」と、小声で壬生が言う。
「強い後ろ盾…?それは加茂陰陽頭か?」と寿院が尋ねた。
「そうではないな。陰陽寮の者ではない。推測だけど、先程言った代々続いた由緒ある力のある呪術師の家系の者ではないかと思う。呪術師界隈は複雑だ。その世界に精通している者でないと簡単には手を出せない。あっ、でもなんちゃって呪術師とか謀をする偽物はその界隈には入れてもらえないから、悪しからず。陰陽寮は密かに呪術師とは協力関係にあるが、それは公然ではない。そこらへんが複雑なのだ」
寿院は、壬生の話しに聞き入ってしまったが、先に入った香舎が静かにしていることが気になった。まだ壬生の話しを聞きたかったが、すぐに本堂に入った。
香舎の姿が見えない。
まさか…?
寿院は慌てて、本堂から延びている廊下に入った。
すると、香舎が小部屋の引戸に手をかけていた。
「香舎殿、そこは開けないで頂けますか」と、慌てて寿院は言った。
しかし、香舎は寿院の言葉を無視して、引戸を開けてしまった。
「戒…。くそっ」
「ほぅ、これは茶の湯でも楽しむ部屋か何かかな?僧侶は茶を楽しむと聞いたことがある。あれっ、開閉できる蔀戸が開いているね…」と、香舎が言った。それが寿院には意味深に聞こえた。「ここは寿院殿の部屋なのか?」
「あっ、いえ…香舎殿が言うように茶の湯を楽しむ部屋です」と、寿院が繕う。
戒がいない。開けっぱなしの蔀戸から逃げたのか?どういうことだ。
「これは風情があるな。大陸から伝来した茶の湯か?だがそれらしい器や道具がないな。まぁ、そこまで凝っているひとは少ないよな」と、言うと香舎はぐるりと踵を返して大部屋の引戸を開けた。
大部屋には隆鷗がごろりと横になってうたた寝をしていた。
「おいおい隆鷗君、お客様だよ」と、寿院が言った。芝居か?
しかし、隆鷗は寝ぼけた顔をして、寿院を見てぼんやりした。
本気で寝てたんかい?壬生陰陽師が来たことは知ってたよね。会う気はなかったんだ。と、寿院は思った。隆鷗君らしい。
そこに駆け寄ってくる壬生。
「おーおー隆鷗君。わたしだ覚えているよね」と、はしゃぎながら壬生は部屋に入っていった。「寝てたのか?ごめんよ起こしてしまった。だけどせっかくだから起きてよ」
「あっ、はい」と、隆鷗は、目を擦りながら、かったるそうに起き上がった。と、思ったら再び倒れ込むように横になった。
「疲れているんだね」と壬生が気を使う。
「じゃあ隆鷗君、我々は本堂にいるから目が覚めたら来るんだよ。せっかく壬生殿と香舎殿が来たから」と、寿院が言うと、三人は本堂へと行った。
三人の姿が見えなくなると、隆鷗はすぐに起き上がり、台所に繋がる廊下から外に出た。そして、庭の隅の物置小屋の引戸を開けた。
「なんで逃げたの?」と、隆鷗は言った。
そこに戒が隠れていた。
「私の部屋に入ってきそうだったから」
「知っているひと?」
「顔は見ていないから分からない」
「逃げなくてもよかったんじゃない」
「だって面倒だから」
戒は、膝を抱えて縮こまっていた。震えているようにも見えた。そして、目を合わさないように少し俯いている。気を遣っているのだろうか?
「帰るまで、そこにいるの?」
「うん、帰るまでいる」と、戒が答える。
「分かったよ。なるべく早く帰ってもらうよ」
「うん」と、戒は頷いた。
隆鷗が踵を返すと、いつのまにそこにいたのか、女のひとが立っていた。隆鷗は顔がひん曲がるほど驚いた。しかし、声は出せない。
「もしかして、隆鷗ちゃん。私は隣りの隣りの隣りの紗々」
女は、寿院と同じくらいの歳だろうか?苔色の衣を身につけていたが、革の帯が何か特殊な個性を生み出していた。
「えっ?何処から来たの?何の気配もなかった。本当、びっくりした」
「裏庭から来た。隆鷗ちゃん、ゆっくり話したいけれど、今は、なんとなくそういう場合じゃないのだけれど…ああ、でもちょっと話したいけれど…でもそう言うわけにはいかないかな」と、呑気な口調ではあるが、慌てている感じもする絶妙に分からない喋り方をした。
その時、戒が物置小屋から顔を出した。
「誰…?」
「あぁ、あの娘と目を合わせないで下さい」と、慌てて隆鷗が言った。
「えっ、目を合わせると石になるとか…?」
「惜しいです。縛られて操られます」
「へえー」と、言うと、紗々はゆっくりと戒と目を合わせようとした。
「たから操られますって」
「おっと…」
何だか寿院みたいだ。と、隆鷗は思った。
「それよりなんか話したいことがあるのではないですか?」と、隆鷗は尋ねた。
「そうなのだけど、あの娘にも興味あるな」
「だから何なのですか?」
「あっ、すみません。今、寿院にお客様が来てるのかしら?」
「はい、来ています」
「この通りは人通りが少ないの…」
「はい。少ないと思います」
「ところが、この家を中心に怪しいやつがわんさか潜んでいる。明らかにこの家に視線を向けて、何か探っているようだ。あっ。わんさかはちょっと盛ったかな。それなりに…確認しただけでも5、6人。どう見ても怪しいから、今からぶっ殺しに行こうかなと思っているのだけど、それはやめた方がいいと思う?」
「隆鷗…」と、戒がすごく小さな声で呼んだ。振り返ると、戒がすごく震えていた。
「おおぅ、震えているね。分かった。あの娘の為にぶっ殺してくる。後のことは寿院に任せるから伝えておいてね」と、言うと、紗々は、軽々と塀を飛び越えて、あっという間に消えた。
えーと…。怪しいやつ…ぶっ殺してくるって…?えーと…。わたしは…知らない…っと。
隆鷗は途方に暮れた。
隆鷗は、連れ帰った戒に選択を促す。戒は、これからどうするのか…。
次回「支配と選択」




