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壊れていく家 其の一

不思議な少女、月子の出会いから

時間が遡ります。


舞台は、白拍子を生業とした譜の家。

母は、その昔、神を降ろす美しく、雅やかな白拍子と都で評判だった。姉の詩束も厳しい稽古を経て、母の称号、神を降ろす白拍子と評判になっていた。


厳しい稽古に明け暮れる、そんな日々を過ごしていました。

 一日中、人の往来が激しくて騒がしい、一本の大きな道から小さな脇道に入ると、三軒繋がった長屋がある。そこがうたの家だ。

 一番奥の長屋が住居、その隣りは詩束しづかと譜の舞の稽古場として使っていた。三軒目には長屋の屋主が住んでいる。


 譜の家族は、食材と衣の調達、詩束と譜の舞の稽古で大方の1日が終わる。


 詩束と譜の踊りの師匠は母だった。それはそれは大層厳しい稽古だ。1日の大半を稽古に費やした。

 母は、まだ暗いうちに寝床を出て、長屋の裏に屋主から場所を借りて耕した畑からかぶやごぼうを採って朝餉の準備をした。かぶやごぼうの漬物を屋主に持って行くと、それと引き換えに白い米をくれる。それを粥にして、漬物と汁物を作って朝餉にする。


 朝餉は、家族三人で楽しく食べる。稽古の時以外の母は面白くて優しい。朝餉が終わると、詩束が膳と食器を片付けて、母は部屋の掃除をした。 

 譜は、詩束のかたわらで台所になっている土間の掃除をした。その時二人は何某なにがしら大声でお喋りしたり、詩を歌ったりした。それが終わると、すぐに稽古が始まる。


 稽古が終わると、母は、手巾や衣を縫ったり、刺繍を刺したりした。陽が傾く頃に縫い終えた手巾を手にして通りに出た。魚や貝などの行商人を探して、手巾と交換した。なにぶん育ち盛りの娘二人、粥と漬物だけでは足りなかった。そして、母は、夕餉の準備をする。それまで詩束と譜はまだ稽古をしているのだが、途中、詩束は母の手伝いに台所に戻ってきた。

 夕餉の支度が出来るまで、譜は一人になる。母の忙しさは理解しているつもりだが、十分に実感していなかった。自ら手伝おうとはしない。どうしても詩束には見劣りしてしまう舞が気になって、稽古をやめられなかったのだ。そして、舞が上手くなりますようにと、お稽古ができた感謝の気持ちを稽古場に祀られた神様に、真剣に祈った。

 そして、夕餉が終わると、寝る時刻まで、再び稽古だ。


 1ヶ月に6、7回くらい、貴族に呼ばれて、白拍子の舞を披露することがあった。

 その日は、朝餉を早々に終わらせて、すぐに軽く稽古をした。陽が傾きかけたくらいの時刻には、詩束と譜は子供なのに慣れた手つきで化粧をして、巫女の装束を身に纏い、高々とした烏帽子えぼしを被って支度を整えた。出かける前に、稽古場に祀られた神様に、いつも通りの手順で丁寧に祈りを捧げる。そののちに母に連れられて貴族の屋敷に向かった。屋敷に向かう時は、特別に駕篭が迎えに来てくれる。詩束と譜が緊張する瞬間だった。


 譜は、そんな日々を過ごしていた。


 そんなある日、朝餉が終わり、片付けをしていた時に、屋主の女将さんが、鼓笙こしょう様がお呼びだからすぐに屋敷に向かうようにと知らせに来た。

 「大層急いでおいでのようだよ。駕篭が通りで待っている」と、女将が言う。

 「まぁ、いったいどうしたのでしょう?こんな時刻に屋敷にお呼びになるなんて、よほどのことなのでしょうか?それにしても急いで支度をしなくては…」と、母は、慌てて稽古場に入っていった。

 詩束と、譜は、母に呼ばれて支度の手伝いをした。

 「鼓笙おじ様がこんな朝早くお呼びになるなんて、珍しいわね」と、支度を手伝いながら詩束が言った。

 「鼓笙おじ様…珍しいわね」と、譜が答える。

 「いいから手を動かして頂戴」と、母はテキパキと支度を整えた。「あなたたち稽古を休んでは駄目よ」

 「休まないわよ」と、詩束が言った。

 譜もすかさず言った。「お姉ちゃんよりうんと稽古する」

 「あんたなんかうんと稽古しても私より上手くならないわよ」と、詩束が笑った。

 「上手くなるわよ」と、譜は悔しそうに言い返した。


 母の名は伊都いと。鼓笙様とは、藤原鼓笙。官職なのだが、役職も位も謎だった。

 ただ部類の詩好きで、それが高じて詩会や宴会を取り仕切ることが多い。そこに白拍子を提案してくれるから、伊都たちが呼ばれることも多くなる。だからこうして呼び出されると、何を置いてもすぐに馳せ参じることが鼓笙への恩義だと伊都は思っていた。


 だが、鼓笙は決して横柄な貴族ではない。これまで一度たりと伊都を呼びつけることなどなかった。

 だからこそ、伊都は不安だった。


 床に座った鼓笙は、いつもより厳格な表情をしていた。

 おそらく今しがたまで鼓笙より位の高い官職が訪れていたのだろう。いつも鼓笙が座る畳の座が空いていた。

 しかし、鼓笙は上座の畳には移動しようとはしない。畳の横にはぽつりと少女が座っていた。なんだか、不思議な光景だった。

 鼓笙は、侍女に座布団を持って来させて伊都が落ち着く場所を整え、座るように促した。

 伊都の不安は消えない。ご機嫌伺いを済ますと、鼓笙が話し始めるまで辛抱強く待った。

 「すまないね。呼びつけたりして」と、言うと、鼓笙は暫く黙り込んでしまった。


 沈黙の間、伊都から話したりはしなかった。俯いていたが、鼓笙の様子が何となく伝わってきた。恐らく鼓笙は、言葉を探している。畳の傍に座っている少女が関係しているのだろう。鼓笙からかすかなため息が聞こえてくる。

 「伊都さん、ここに座っている御子のことなのだが…」

 鼓笙の言葉で伊都はようやく面を上げた。

 「この御子を預かって欲しいのです」鼓笙は、伊都を見ていた。

 

 伊都はほんのわずかに少女を見た。

 少女は目を伏せてじっとしていた。

 

 なんと色白だろうか。まるでかすかに光っているようだ。行儀良く背筋を伸ばした姿が美しいと、伊都は思った。


 鼓笙は、再び侍女を呼び、少女を連れ出すように命じた。

 「景色の良い庭でも案内しておくれ」


 少女がいなくなると、鼓笙は座り直して楽な姿勢を取った。そして、伊都にも楽にするように勧めた。

 「伊都さん、どう思う?」

 「どうと申されても…」

 「突然、見ず知らずの御子を預かって欲しいなどと、わたしはすごく無茶なことを言っているでしょう?」

 「そうですね」と、伊都は答えた。

 「わたしもいささか困っておりまして、どうしたものか?」

 「預かるだけなのでしょう?」

 「そうとも言えないのだよ。断れない相手だし…」

 「はて?そうとも言えない?」

 「はい。そうとも言えないのです」

 「と、言うと…?」

 「はい。本当に困った」

 「はて…?」

 「つ…つまり。詩束くんの妹にですね。あっ、いくつか知らんけど。やっぱりですね。詩束くんの方がどう見ても年上だから…妹にしてやって欲しいのです!」

 「い、妹…?えっ?」

 「ですよね。譜よりは年が上みたいだから…譜の姉ですよね」

 「いえ…そう言うことではないです」

 「そうですよね。そう言うことではないですよね。でも、断れないし…。こう、強くですね…言えればいいんですけど…言えないんです。わたし…」

 「えっ?何を仰っているのでしょう?」

 「そうですよね。何を言ってるか分からないですよね…」

 「つまり…あの御子を…養女に…?」

 「そうなのですよ。わたしはですね…、詩束くんの舞を見て、本当に魅了されてしまって…それはそれは本当に神が降りてきたのではないかと思うくらいでした」

 「はぁ、それは有難う存じます…。しかし…養女と言うのは…ちょっと…」

 「分かります。しかし、あの詩束くんの妹に相応しいと、思うのですよ。あの御子は…」

 「いえ、そう言うことではありません。詩束の妹は譜です。相応しいとはどう言う意味でしょうか?」

 「そうですよね。無理がありますよね。分かっているんですよ。あなたにとんでもないことを言っていると。でも…立場の弱いわたしが目をつけられてしまった。わたしにとっても青天の霹靂なんですよ」

 鼓笙の表情は変わらないが、そこに怒りを隠していることが分かる。瞳から、隠した怒りが僅かに漏れている。

 「つくづくこの世とは、力ある者の前では何も出来ない崩せない仕組みがあるんですね。一見自由に生きているように見えるわたしでも…いや、そんなわたしだからこそ、仕組みのなかに強引に組み込もうとしてくる。いや、違うか…すでに組み込まれているのに気づかない振りをしてきたわたしへの戒めなんですかね」


 伊都は、空いたままの上座の畳を見つめた。そこにいったいどんな位の高い者が座っていたのだろうか?いつも明るく戯けることの多い、親切な鼓笙の口からそんな言葉を言わせてしまうほどの者。それはどう考えても邪な者に違いない。


 「鼓笙様、分かりました。しかし、私はあの御子の母親にはなれない。我ら家族は強い絆で結ばれています。子供には罪がないと分かっておりますが、私はきっと娘と分け隔ててしまうでしょう」伊都は、きっぱりと言った。そうは言っても、やはり子供に罪はない。

 「ああ、伊都さん、わたしは情け無い。やっぱり情け無いと思ってしまうよ。でも伊都さんには、そんな仕組みなどどこ吹く風のわたしでありたい。だから暫くの間御子を預かって下さい。伊都さんはやっぱり、神を降ろす詩束くんと、あの可愛らしい譜の母親です」

 「あゝ、鼓笙様、そんなに苦しまないで下さい。言い過ぎました。養女は難しいですが、私の弟子として、独り立ちできるまで面倒見ますので」


 わたしは鼓笙様が優しいので、いつもいつも甘えてしまう。もしかしたら、鼓笙様が目を付けられたのではなく、神を降ろす舞を舞う詩束が目を付けらたのかもしれない。

 それはあまりにも傲慢な考えだろうか?


 「いえ、伊都さん。やっぱり養女ではなく預かって下さい」と、鼓笙が言う。「いきなりやって来て、この御子を、神を降ろすと評判の白拍子の養女にせよ…と、言われ…いやわたしにとっては命じられるも同じ…わたしは情けなくも床に平伏し、承知いたしました!と、いつもより声を張り上げて応じてしまった。何一つ訳も聞けず」

 「鼓笙様、どなたから言われたか分かりませんが、それが鼓笙様の上司なのでしたら、鼓笙様のしたことは間違いではありません。わたくしが我儘を申しました。弟子として、立派に、大切に育てます。もし、それで差し障りがあれば表向きは養女でも如何様にでもいたします」

 「伊都さん、有難う。でも、わたしはやはり納得できないのです。上司ではないのですが、確かに中務省の四等官のひとりで普通なら話すこともできない方から言われました。しかし、だから何だと言う話しですよね。何となくなのですが、何かこれには裏があるような気がするんですよ。陰陽寮とか…」

 「ご心配なさらずに…。無理しないで下さい。わたしはただでさえ鼓笙様に恩義があるのですから…さて、今日からあの御子を連れて帰ればよろしいですか?」


 鼓笙は、もう、何も言わなかった。ただ、御子を連れて来たのが陰陽頭おんみょうのかみでなければ、こんなにも心配はしなかった。

 陰陽頭おんみょうのかみと、鼓笙はそんなに深い知り合いではなかった。鼓笙の父と陰陽頭おんみょうのかみが古くからの知り合いで、昔、子供の頃はよく会っていた記憶はあるが、突然、御子を連れて来て、白拍子の養女にするように上から言われる筋合いはなかった。

 しかし、それが必死の形相だったことがすごく気になった。


 「伊都さんが何と言おうとわたしはしっかり調べますよ。正直、わたしではなく伊都さんかもしれないと少し不安なんですよ。何故、あの御子を養女にするのが伊都さんなのか?」

 「えっ?それはどう言う意味ですか?」

 「御子を連れてきた者がわたしのところに来た理由がどうしても分からない…子供の頃には面識があったかもしれない…だが、どう考えてもおかしいのです」


 そう言えば、鼓笙様は、一見何も考えていない顔をしていて、簡単に人に利用されるような人ではなかった。改めて伊都は思った。そんな人でなければ長い間、心を許して、神様の舞を預けたりはしない。伊都ひとりでも白拍子を生業として娘ふたりくらいは育てることができたのだから。


 「だから、しばらく御子を預かってくれないか。時がくれば、御子は然るべき所へお返しいたします」と、言うと、鼓笙は、御子を連れ出した“しの”と言う侍女を呼んだ。何度か“しの”を呼んだが、いっこうに返事が返ってこない。痺れを切らした鼓笙が廊下に出ると、「うわぁっ!」と、唐突に叫んだ。


 衝立の後ろに御子がじっと座っていた。

 

 「なんだお前、いつからそこにいた。しのは、しのは何処だ」

 鼓笙がわなわな震えて驚きながら言った。そして、何故か尻餅をついてしまった。


 衝立の影から、ゆっくりと御子が出て来た。尻餅をついた鼓笙を、まるで蔑んでいるかのように睨みつけた。その時、鼓笙は空を仰ぎ見ていた。体制をすぐに戻せなかったからだ。


 御子が呆れた顔をして、今度は伊都を睨んだ。

 「お前が私の母になるのか?母と呼んでいいのだろう」と、御子が言う。

 伊都は、尻餅をついた鼓笙を心配して見ていた。しかし、御子が睨んだ瞬間、異様な圧を感じたような気がした。不快な圧だ。そのせいか伊都は、御子を見ないまま、答えた。

 「お好きに呼んで下さい。でも、あなたには本当の母がいるのでしょう。だから私は母ではないですね」

 御子は、伊都の言葉に何故か意外な反応をした。

 「私には母はいない。お前が私の母だ。私を追い出す算段をしていたが、無駄だ」


 不快だ。やはりこの御子は不快だ。


 伊都は、拒絶したくなるような何かを強く感じた。この御子の蔑んだような物言いか?いや、違う。そんなことではない。

 もっと…?邪な、悪意を感じる…何か。言葉では表現できない。


 「そんなことはしませんよ。母と呼んで頂いて大丈夫ですから」と、伊都は、作り笑いを浮かべた。しかし、目を見て話すことができない。何故不快なのか明確な理由も分からないままだった。


 しのが庭の横石で、深い眠りについていたと、屋敷を出る時、鼓笙が言った。

 何故、眠ったのか?御子に聞いたが、ただ首を傾げていただけだった。

 

 しのさんが横石の上で眠っていて、そして御子は衝立に隠れて、盗み聞きをしていた…と言うのか?

 おそらく自分の話しをするに違いないと、そう思ったのか?

 盗み聞きなど、子供のすることではない。と、伊都はひどく不安を覚えた。

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