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罰を与えた

戒は、白拍子の場を与えない鼓笙に腹を立て、位の高い者の宴を用意するように、詩束を人質にして譜を脅した。

譜の話しを聞いた鼓笙は、現在催されていた平家の宴を戒に当てがった。

しかし、平家は戒の舞を誰も見ようとはしなかった。

腹を立てた戒はその怒りを、残酷な方法で譜と鼓笙にぶつけた。


その翌日、寿院と、隆鷗が鼓笙の屋敷へやって来る…。

そこには行商人の唐菓子売りが寿院を待っていた。寿院に鼓笙の情報を教えたのは唐菓子売りだった。

しかし、ごたごたの真っ只中の鼓笙になかなか会えない寿院…。

 鼓笙こしょうは、平教盛たいらののりもりの宴の場をかいに与えた。

 それにより鼓笙は窮地に立たされることになった。


 戒は詩束しづかの人気を自分のものにする為に名前を横取りして、詩束を付き人にしていた。

 しかし、どんなに詩束の形を真似たところで身体の内側から湧き立つ輝きを放つことなどできない。それだけではなくひとの心の表裏の機微が理解できずにその表現方法を誤っていたし、四肢のの取り方の僅かなズレが見るひとに、訳の分からない不快感を与えた。


 平教盛は、途中で大きなあくびをすると、もう視線は別なところへ泳いでしまい、もう二度と戒を見ることはなかった。その隣では教盛の妻がずっと不機嫌そうに俯いている。


 しかし、戒は、周りの冷たい視線など興味がない。ただ、教盛の視線が一向に自分に向かないことに苛立っていた。遂には、扇を投げ捨て、立ち竦んだ。


 「つまらぬ」

 そして、誰も舞を見ていない周囲を見回し、ゆっくりと、獲物となる者を物色した。


 皆が皆、退屈しているわけでもないだろう。


 しかし、その意に反して誰も戒を見る者はいない。戒の舞に退屈しているばかりではなく、平家は武士なのだから、そもそも舞に興味がないのだ。

 そんな宴と知ってて鼓笙はその場を与えた。


 しかし、楽器の音は響いているが、動きが止まっていることを不思議に感じた男がひとり、戒を見た。すると、突然、戒の眼孔から飛び出してきた無数の細い腕に捕らえられた。たちまち男は、自身の身体の内側へと押し込まれてしまった。

 戒は、男に命じた。


 「さて、こんなつまらぬ場を用意した譜に罰を与えてやろうと思う。ふふふ…。まず、お前、その場でひとしきり暴れたら、お前の刀で、あの女子おなごの腕を斬ってしまえ、だが命を取っては駄目だ。それが終わったら、お前の主を斬れ。失敗したら自害しろ」と、寝殿の隅に控えている詩束を指差した。


 突然、叫び声が響くと、男は床に置いた脇差を周囲の人々に振り翳しながら、詩束へと歩み寄って行く。


 その間、戒は、もう一人男を捕まえた。

 「さて、お前は、女子おなごが斬られたら、藤原鼓笙の屋敷へと向かえ。そしてこう言え。譜に罰を与えてやった。ふふふ…。今日は詩束の腕を斬った…と。ふふふ…。そしてその後自害しろ」


 宴は、たったひとりの奇妙な行動によって、周囲の人々に規則性のない変な動きを誘い、大騒ぎになった。

 そして、騒ぎに乗じて、戒と伊都と、そして腕を押さえているが、痛そうな顔ひとつしていない無表情の詩束は、教盛の屋敷を出て行った。三人が歩いた跡には血痕が一筋の線を描いていた。


 その夜、鼓笙の屋敷に、突然不気味な男が訪れた。

 取り継いだ侍女が身体をぶるぶる震わせながら、救いを求めるような視線を向け、鼓笙に言う。

 「若様、表に奇妙な男が来ています。鼓笙を呼べと、言ってますが…、まるでもののけのようで、若様如何いたしましょうか?」

 「えっ?もののけだと?何だいったい。それは恐ろしかっただろう。わたしが直接出るよ」と、鼓笙は不安気に言う。

 「いえ、若様。若い衆に追い返してもらった方がいいのではないかと…」

 「いや、それでは駄目な気がする。今夜は譜ちゃんもいる。問題事は起こせない。ただ、若い衆には言っておいてくれ。わたしに何かあったら加勢してくれるように…」

 そう言うと、恐る恐る鼓笙は表に向かった。


 そこにいたのは、武士の風貌をした恰幅のいい男だった。どうやら平家の家臣のようだ。鼓笙は、宴の席で何か問題でも起こったのだろうかと、ひどい胸騒ぎを覚えた。いや、恐怖だ。

 平家の家臣は恐ろしく表情のない顔で言った。


 「うたに罰を与えてやった。ふふふ…。今日は詩束の腕を斬った…。ふふふ」


 そう言うと、家臣は脇差を抜き、ほんの一瞬で首筋をスゥッと斬った。パカっと開いた皮膚から一気に大量の血が吹き出た。

 それを見た鼓笙は、ただただ恐ろしくて腰を抜かしたまま動くことができなかった。


 「うたちゃんの唯ならぬ様子で慌てて、あの子供に宴の場を与えたが…あの子供はとんだ化け物だ。信じられぬ。こんなことが本当にあるなんて…」と、鼓笙が体調の優れない譜に言った。

 譜は、戒から人質にされてしまった詩束の身を案じるあまり、音を発し肩と胸が波打つほどの荒々しい呼吸を繰り返していた。その為に身体全身に痺れが走り、力が入らなくて、鼓笙の屋敷でずっと横になっていた。

 つくづく弱虫だなと詩は自分を責めてばかりだったが、鼓笙の話しを聞いて、今度は嘔吐してしまった。


 「こんな時期に常に宴を催しているといったら、平教盛様くらいしかいなかった。平時忠様と憲仁親王の皇太子擁立を企てた罪で解官されるも復帰が叶い、やっと正三位に出世できたからね。あの方はいつだって宴会気分でおられる。まぁ、あの子供にしてみたら位の高い方だったら誰でもいいのでしょうから…。しかし、わたしは考えが甘かった。あの子供は化け物なのだ。化け物のような人ではなく、本物だった。伊都さんと詩束君は放っておけない。あの子供が詩束君の名を騙っているから、評判のことばかり気にしていたが、もう、そんな問題ではないのだな。あの子供から伊都さんと詩束君を救い出さなければ…」


 鼓笙は譜の寝床の傍でぶつぶつ呟いた。

 譜は心配そうに鼓笙を見ていた。


 「しかし、不思議なこともあるものだな。目を合わせただけで、皆、あの子供の言いなりになってしまうとは…?どんな化け物なのだ。今度、思い切って水上みなかみ様のところに話しを伺いに行ってみるよ。取り次いでくれるか分からないが、これは放っておくことも出来ないからね」

 鼓笙には、全てが信じ難いことばかりだが、あの子供が屋敷に来てからというもの、侍女の“しの”が目を閉ざしたまま、眠っている訳でもなく、ただ座ってじっとしているのが気がかりだった。

 あの時、“しの”がにこにこしながらあの子供を庭に連れて行った時のことが思い出される。あれから随分時が経ってしまった。何もしてやれない悔恨ばかりが募っていった。


 しかし、血相を変えて、鼓笙の屋敷に訪れた譜の信じられない話しを聞いて、一番最初に浮かんだのは“しの”のことだった。“しの”のことがなければおそらく鼓笙は、譜の話しは信じなかっただろう。“しの”は気の良い侍女だった。何の疑いもせずに表情のない子供の目を心配気に覗き見た光景が想像できた。


 「鼓笙おじ様、ごめんなさい。こんな厄介事を持ってきて…」と、弱々しく譜が言った。

 「譜ちゃん、それは違うよ。わたしが君たちの家に厄介なものを押し付けたのだよ。何もかもわたしが悪いのだ。わたしが何とかしなくては…」


 事の始まりは、賀茂陰陽頭(おんみょうのかみ)名代みょうだいと名乗る名前さえ知らない男から始まった。

 更に言えば、賀茂様の名を聞いただけで床に平伏した自分の節操のなさから始まっている。

 だが、自分に言い訳するわけではないが、あの子供がこれ程危険なモノだと、あの時気付く術もなかった。

 …だが、突然、やって来た陰陽頭の名代の訪問への懐疑心に蓋を閉めた自分の危機管理能力のなさに失望した。


 「わたしが、戒のあの変な能力を知ったのは、月子ちゃんと言う不思議な女の子に出会ったからなの。月子ちゃんが戒の能力を教えてくれた。月子ちゃんが言ってたわ。じゅいんという呪術師が力になってくれると。ひとに聞いたりして探したけど、見つからなくて。月子ちゃんも不思議な力を持っていたの。だからきっとじゅいんというひとが助けてくれる…」と、譜はすーすー呼吸を漏らしながら、言った。

 「分かったよ、譜ちゃん。わたしが探してみるよ。だから暫く何も考えずに眠りなさい」

 そう言うと、鼓笙は部屋を出た。


 次の日には鼓笙は教盛の屋敷に出向いた。昨夜の事件の事情を説明して、謝罪をするつもりだったが、教盛には会えなかったので、代わりに歌好きで兼ねてから交流がある平経盛たいらのつねもりの屋敷に出向いた。その時、経盛から宴の様子を聞いた。家臣の一人が乱心して突然、暴れ出し、詩束の腕を斬った後、教盛を襲ったが、取り押さえられ、その場で自害したということだった。

 鼓笙の屋敷で自害した家臣のことは謎のままだったが、詩束が斬られたことにより、鼓笙に罪が向くことはないだろう。と経盛が教盛にとりなしてくれる約束をしてくれた。そして、鼓笙の屋敷に丁重に安置したご遺体も引き取ってくれると、すぐに動いてくれた。

 しかし、鼓笙には分かっていた。全てが戒の仕業だ。戒がわたしと譜に罰を与えたのだ。


 本当に恐ろしい化け物だ。


 「じゅいん?呪術師か…」

 よもや自分が、物怪や妖怪などと、そんな奇天烈な世界に足を踏み入れることになるとは夢夢思わなかった。

 ゆっくりと、ゆっくりと夜の帳が降りようとしている逢魔が時だ。


 何やら伊都さんの様子がおかしいのは薄々感じていた。突然あの子供が舞い始め、詩束君が影に隠れるようになった。あの厳しい伊都さんが昨日今日白拍子を始めたばかりのあの子供に舞の場を与える筈がなかった。なのにわたしはそれにも蓋を閉めてしまった。次の宴も、また次も…。しかもあの子供は詩束を名乗っていた。少しずつ少しずつ詩束君の評判が落ちていく。わたしは、伊都さんに何一つ確認せずに、次第に宴の席に呼ばなくなっていった。ひどく罪悪感を覚えながら、伊都さんを避けていたのだ。

 この逢魔が時のように、何か恐ろしモノが潜んでいるような感覚に目を背けていた。そして、その恐ろしモノが突然姿を現してしまった。そうだ…。もう逃げてはいけない。


 鼓笙は、部屋の中で行ったり来たり、落ち着かない様子で歩き回っていた。



 一方、寿院と、隆鷗は、薄暗くなっていく辺りを見ながら、訪問した事のない貴族の屋敷の門を叩くのを躊躇していた。

 何と説明しようか?藤原鼓笙という貴族は物分かりがいいだろうか?こんな話しを信じてくれるだろうか?あれこれと寿院は考えていた。隆鷗を見たら、少し疲れた顔をして、ずっと黙り込んでいる。

 白水家は、屋敷の様子を見るだけのつもりだったが、壬生陰陽師に会い、結局事件に巻き込まれてしまった。それはそれで、寿院の胸の支えが取れて、結果的には良かった。しかし、思いの外ここに来るのが遅くなった。

 だが、藤原鼓笙に会うのが本来の目的だ。このまま門の前で迷っているわけにもいかない。


 そこに突然、唐菓子からかしの行商人が現れた。

 「寿院の旦那…」

 「えっ?なんで来たのだ?」と、寿院が尋ねる。

 「すみません。寿院さんを待ってました。随分遅かったですよね。今日はもう来ないのかと心配していました」

 「えっ…。なんでだ」

 藤原鼓笙の情報は、この唐菓子からかし売りから聞いた。

 探しに探して、唐菓子売りに辿り着いた時、寿院はうっかりしていた。と、深い溜息をついてしまったほど、唐菓子売りは身近な行商人だったのだ。唐菓子売りほど貴族のお得意様を抱えている者はいない。あまりにも親しかったからこそ、思い付かなかったのだ。

 唐菓子売りはすぐに、普通に、当たり前のようにさらっとこう言った。

 「詩束様なら、鼓笙様が歌会や宴にお呼びになられてますよ」


 寿院は、価値のある情報には必ずそれに見合う米や酒等の報酬を与えていた。しかし、唐菓子売りは変わった報酬を要求してきた。

 奇病に関しての知識だ。そして、それを治せる薬師くすしか陰陽師、呪術師、誰でもいいから一緒に探して欲しい。と、そう言う。

 寿院には結構難しい報酬だった。どうしたものかと考えながら、取り敢えず後払いにして、後で考えることにしようと、殆ど投げ出していた。


 「実は、奇病を患っている方はこの屋敷におられるのです」と、唐菓子売りが言う。

 「えっ?それはまた。どういうことなんだ」と、寿院が尋ねる。

 「もう、かれこれ…一年くらい…いや、随分と時が過ぎたように感じます。ここの使用人の婆様が眠り病みたいな奇病を患ってしまったのです。婆様を母親みたいに思っている奉公人の娘がもう毎日泣いていて、見ていられなくて…。それに婆様はこんな手前にもすごく親切で、おこがましいことでございますが、手前も母親みたいに思っていたのです。眠り病と申しましたが、実際ずっと眠っている訳ではなく、奉公人の手によって飯は食うんです」と、唐菓子売りは答えた。

 寿院は、隆鷗を見た。隆鷗も話を真剣に聞いている。

 「寿院の旦那は鼓笙様に大事な御用がおありなんですよね。それが終わった後、婆様を診てもらえないですか?」と、唐菓子売りが真剣に訴えた。

 「いやいや、わたしは、そう言うことには疎い。もしかして、わたしが病を診れると勘違いしているのか?」と、寿院は困った。

 「いえいえ、まさか。手前は寿院の旦那がなんちゃって呪術師だと知ってますからね。でも、寿院さんは意外性のある方をよく存じてらっしゃいます。獅舎ししゃ様や虚言きょげん様とか…」

 「確かに意外性あるが、獅舎ししゃ様や虚言きょげん様もそんな奇病分からないと思うぞ。でさ、なんちゃって呪術師ってなんだよ」

 「それは承知しています。とにかくその目で一度見て下さい。鼓笙様はわりと親しくしていますので、手前が間に入ります。ここでぐだぐだしているってことは、入りにくいからでしょう」

 「そういうわけでもないが…。初めて会う方だから、理路整然と話す必要があるだろう。だから頭のなかで話すことをまとめていたんだよ。でさ、なんちゃって呪術師の方は無視なのか?」と、寿院が言う。

 「またまた、詩束様に御用がおありなんでしょう。そんなもの会わせてほしいと、素直に話せばいい事でしょう」

 「素直って何だよ?で、なんちゃって…まぁいいか」

 そこに突然隆鷗が話に入ってきた。

 「それ、わたしが見てもいいですか?」

 唐菓子売りが隆鷗の突然の申し出に驚いて、寿院を見た。

 「おぅ、隆鷗君いいのか?疲れていないか?」と、寿院も少しばかり驚いた。

 「大丈夫…」

 「そうか。もしかしたら、わたしより隆鷗君の方が適任の可能性もあるということか?」

 「少し気になる。病気ではないかもしれない」

 「白水家みたいに何か感じるのか?」

 「そういうことでもないんだけど、いずれにしても、見ればいいんだよね?」

 「そうだな」

 唐菓子売りが寿院と、隆鷗を交互に見ていたが、堪りかねたように割って入る。

 「いやいや寿院の旦那…。いくらなんでも子供ではありませんか?」

 その時、寿院は思いの外、感情を露わにした。

 「もう一度言ってみよ。子供が何だ?隆鷗は誰よりも優秀な子だ。お前につべこべ言われる筋合いではない。それにわたしはなんちゃって呪術師ではないぞ」

 「寿院の旦那…。申し訳ない。分かりました。その子供に見て貰います」

 「子供ではない。隆鷗…君だ」

 「くんはいいよ。だったら、おっさんがここの屋敷の人に会っている時にその婆様を見てみるよ」

 「えっ、何でだ…?」

 「わたしは、おっさんから何も詳しく聞いていないから、その場にいる意味がないでしょう」


 ええっ…?隆鷗君、それはどう言う意味だ?おっさんって…?怒っているのか?そう言えば白水家の時も、更に言えばいきなり『呪い屋』と間違えた時も、何も隆鷗君に話していなかった。隆鷗君は何も知らないまま、黙ってわたしについて来てくれたのだよな…だからっておっさんはやめて!


 その時には唐菓子売りは門を叩いていた。


 寿院たちは取り敢えず門の内側には入れてもらったが、屋敷内にはまだ足を踏みいることはできなかった。

 唐菓子売りが少し離れた場所で使用人の、高齢の婦人と長々と話していたが、やがて寿院の元に戻って来た。

 「まず、先に奉公人のみよちゃんを呼んでもらった。みやちゃんが婆様のところへ案内してくれるだろう。その後に若様を呼んでくれるそうだ。ただ…」と、唐菓子売りが言う。

 「どうした?」と、寿院が尋ねる。

 「今日は、なんか…間が悪いと…」

 「間が悪い?どうしたんだ。長々と話していたよな。何か聞いたのだろう?」

 「はぁ、実は昨夜、平家の家臣がこの場所で自害したそうだ。そんなことがあったから、若様は会ってくれるかどうか分からないと言うんだ」

 「何だって?平家がわざわざここに来て自害したと?何かありそうだな」と、寿院は隆鷗を見た。しかし、隆鷗は何も感じないのか、屋敷の庭の方をぼーぅっと見ていた。


 いつのまにか隆鷗が見えない何かを見ることを期待している。

 寿院は、すぐに隆鷗から視線を逸らした。


 「なんで、わざわざここに来て自害したのだろうか?それは何も聞かなかったの?」

 「それはあの使用人も知らないみたいだった」

 「何か脅されたのかな…?平家の家臣…?自害か。これは断られても必ず会った方が良さそうだな。頼むよ唐菓子売り」

 「えっ?寿院の旦那はただ詩束様にお会いしたいだけではないのか?よっぽど好きなのかなぁって思ってたんだけど…」

 「バカなの?」

 「えええー?」


 やがて、屋敷からみよが現れると、恐る恐る三人に近づいて来た。

 「しの婆様のところに案内するように言われました」と、みよは俯いたまま言った。

 「忙しいのにすまないね。この子を連れて行ってくれ」と、寿院が隆鷗の背をゆっくり押した。

 みよは、まっすぐ隆鷗を見た。

 「どうして?」と、みよが不思議そうに言う。

 隆鷗は黙ったままみよを見た。

 「しのさんを助けてくれるの?」と、みよが尋ねる。

 「分からない」と、隆鷗は答えた。

 みよが悲しそうな顔をした。

 「このままだと、どんどん弱ってしのさん死んでしまうわ。もう助けてあげられないのかしら」

 みよの言葉に隆鷗は何も言い返せない。

 「付いて来て」

 みよが踵を返して、屋敷をぐるりと回って中庭へと向かう。隆鷗はみよの背中を見ながら付いて行った。

 「若様もずっと悲しんでいるの。若様が生まれた時からしのさんはこの屋敷にいたから、なんでも話していたわ。今は毎日毎日しのさんに話しかけているの。でもしのさんは何も答えない。ずっと座ったまま、目を瞑っていて何も喋らないの。もう何も感じていないのではないかと思うくらい、じっとしたまま動かないの。最近は食事も取らなくなってしまったのよ。すごく心配だわ」

 みよは、隆鷗に話しかけているというより、これまでの苦悩を吐き出しているように喋った。


 美しい庭だ。そんな庭を見ていると、不幸が隠れ潜んだ屋敷には見えない。これまで不幸から守られた屋敷だったのかもしれない。それがいつのまにか忍び込んできた悪魔のような、尖った暗闇に包まれ始めているのか、門の中に入った瞬間から、息苦しさを感じていた。何かに押さえつけられているような息苦しさだ。

 唐菓子売りが言っていた、平家の家臣の自害は、この息苦しさに関係しているのだと、隆鷗は思った。だから、奇病を患った婆様を見ることは自分の役目だと思ったのだ。


 途中、立石や横石が見事に飾られた場所でみよが立ち止まった。そして、隆鷗を振り返った。

 「最初はここだったの」と、みよが言う。

 隆鷗は聞き返した。

 「えっ、何と言った?」

 「この横石に横になって眠っていたの。いつも一生懸命お仕事をなさっていたしのさんが、こんなところで居眠りするはずがないのよ。まるで気絶しているみたいだった」

 隆鷗は、風情のある石を見た。幾つもの石が規則性もなく並べられているが全体を見たら、何故か整っているように見えた。みよは、一番手前の大きな石を指差していた。

 「いや、誰も居眠りだなんて思わないよ。もうそれだけで異常だ」と、隆鷗は呟いた。「その時、何か変わったことはなかったの?」

 隆鷗の問いにみよは突然、怒ったように言った。

 「あの時、あの、顔半分隠れた頭巾をした変な男のひとが連れて来たあの子が傍でぼうっと立っていた。気味が悪い子だった。目がぎらぎらして…。しのさんが横石で眠っているのに、ぎらぎらした目で、微かに笑っているように見えたわ」

 「君が見ていることを、その子は知っていたの?」と、隆鷗は尋ねた。

 「ううん、私は隠れて見ていたの。何だか分からないけど、あの子に見つかっちゃいけないと思ったのよ」と、みよの顔が歪んだ。

 「あの子って…?いったい誰なんだ」

 「女の子。とても気味が悪い子だったわ」と、みよが言う。

 「頭巾を被った変な男って、どんなひとだったの?」

 「私は直接見ていないの。でも皆んながいろいろなことを言ってたわ。若様と話している時もずっと顔半分隠した頭巾を取らなかったって。若い男だと言うひともいた。でも…陰陽頭おんみょうのかみ名代みょうだいだとか言って…、すごく威張っていたらしく、若様を脅していたと言うひともいた。若様は可哀想にずっと床に伏していたのよ。だからあの子もすごく威張っていた。しのに命令してたって…」そう言いながら、みよが悔しそうに俯いた。

 「分かったよ」と、言うと、隆鷗は、その場を離れて、屋敷の隅へと真っ直ぐ向かった。突き出た庇の下の障子から感じる、空気を切り裂く、強く不快な気が漂ったところが隆鷗には、はっきりと見えていた。その場所へ迷うことなく真っ直ぐ突き進んだ。


 隆鷗が向かうその場所には、しのがいた。


 何一つ教えていなかったのに、しのの場所に迷わず突き進んでいく隆鷗を見て、みよは開いた口を閉ざすこともできずにただ、呆然と見つめていた。

白水家の事件を解決に導いた寿院と隆鷗は、その足で鼓笙の屋敷にやって来たがなかなか鼓笙に会えない。

鼓笙を待つ間、隆鷗は奇病を患った婆様に会いに行った。

婆様の奇病とは…。

次回「細い腕」

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