【ep.6】 境界:後編 (作戦決行38日前)
シオンの誘導で研究室を出ると、視界が急に開けた。
通路の片面すべてが緩やかに弧を描く窓になっており、外を大量の水が落下している。
「滝……?」
「ダムよ。この研究所は、奥多摩のダム湖の中にあるの」
「なんでそんな不便なところに……」
「水力発電の施設が使えるし、水中では、ハプスの力が比較的弱まるから」
「……なるほど」
コツコツとシオンの足音が小気味良く響く。
「鳴子先生は、植物生態学者、植物生理学者、医師、地質学者、それに加えてロボット工学の博士でもある。古い地層から『花粉』の化石を見つけ、一定の周期で地球に飛来していることを突き止めた」
「え――草獣って、前にも地球に来ていたのか……?」
「ええ、太古の昔……人間が繁栄を極めるずっと前に。環境の変化で絶滅したようね」
天於が首をひねる。
「だったら、化石が見つかるはずだろ? 恐竜みたいにさ」
「彼らの遺体は、化石になると普通の植物と見分けがつかないそうよ」
「……なるほどなァ」
「鳴子先生がハプスの花粉を発掘したのは、ほとんど偶然だった。そこからハプスのDNAを抽出、コピーと培養をして、脅威に備えたのよ。並行して抗体の開発を行いながらね」
天於の記憶の中にいる、いつも髪がボサボサの母親とはまるでイメージが合致しない。
「……なんか凄いな。それ、本当に母さんの話?」
「ええ。まあ、世の中には出ていない情報だから」
シオンが通路の突き当りにある大きな扉の前で立ち止まった。
扉に大きくNEMOと書かれている。
「これが研究所の名前。Nature Energy and Machine Organizationの頭字語で、ネモと読むの。和訳すると、『自然エネルギーおよび関連機械装置の研究機関』」
「……そのまんま、というか。なんだか政府機関の名称みたいだな」
「ええ。でも本来は、違う意味があるらしいわ。ラテン語の警句のもじりで、nemus est magister optimus.こちらは、『森は最良の教師』とでもなるかしらね」
森はいま、いわば人類の敵だ。そこから学ぼうというのだから、皮肉が効いている。
天於は短く嘆息した。
「やっぱり、どっか拗らせている人なんだな……」
シオンが微苦笑を浮かべた。
「少なくとも、研究者としては超一流よ。太陽光を効率よくエネルギー変換する光触媒の特許を取って、その実用化が一連の研究に繋がった。関連企業が販売する太陽光パネルのシェアは、全世界で48パーセント。年間売上は500億ドルを超えるわ。それが、研究所を作って維持する活動の資金源になったのよ」
太陽光をエネルギーに変換――まるで植物ではないか。
植物学と工学のハイブリッド。
無秩序に思えた研究にようやく関連性が見えて、天於は少し嬉しくなった。
「ようやく、繋がりが見えてきた……」
「その結晶が、駆体と呼ばれる人型兵器よ」
扉の先に格納庫があった。
足を踏み入れてすぐ、天於の鼻が刺激物の臭いを嗅ぎ取った。
油、火薬、薬剤――それに混じってまったく違う匂いがする。
細菌が耕した土、無秩序に群れる草木、瑞々しい生命の気配。
森の匂いだ。
何層もぶち抜いた吹き抜けの空間に、3機の駆体が壁に背をつけて並んでいる。
武器や盾も大きく、とりついて作業している整備士たちが小人に見えた。
駆体は、機械のようでもあり、植物のようでもある。
草獣を倒すために造り出された、人型兵器。
洗練と野暮ったさが同居したデザインに、天於は少年心を刺激された。
「かっけえ……」
母さんはこれで世界を救おうとしていたのか――
そう思うと、天於の胸の奥が熱くなった。
いまになって、惑星受粉の日にシオンが言った意味が分かる。
これから始まるの。
母が生きていてもいなくても、生み出したものは引き継がれ、動き続けている。
諸君、抵抗せよ――
まさに最後の指示通りに。
「ちょうど、偵察任務から帰還した駆体があるわ」
シオンが格納庫の奥を指した。
床に微震が走り、奥の昇降機から2機の駆体が歩いてくる。
肉眼で見ていても、10メートルを超す巨体が滑らかに動くのが信じられなかった。新宿でシオンの駆体を初めて見たときにも感じたが、ロボットというより生物に近い印象がある。
先頭を歩く駆体には片腕がない。葉の形をした大きなショルダープレートは肉厚でやや反り返っており、あちこちに大きな水滴――というより水の塊が浮いていた。
灰色の装甲の数カ所が白く塗り分けられ、肩口には大きく『ICE』と書かれている。
「アイス……?」
天於は見た通りに読み上げた。
「ええ、駆体のコードネームよ。アイス・プラント、通称『アイス』。プレートの形状を見れば一目で識別できるわ。もう1体、一緒に行動していたはずだけど――」
シオンが天於に手振りで壁際に下がるように伝えた。
少女の甘ったるい声があたりに響き渡る。
『シオンちゃーん、たっだいま! 約束のブツだよーん』
隻腕の駆体の背後から別の機体がサッと飛び出てきて、手にしていたものを落とした。
天於とシオンの前に、ワゴン車ほどの大きさがある白い塊がドサッと落下する。
「きゃっ!」
不意を突かれたシオンが、かわいらしい叫び声を上げた。
「――シオン!」
天於はとっさにシオンを抱き寄せて盾になった。
目の前に落ちてきたのは、巨大な筒状の花びらが変形したものだった。
取っ手のついた壺か、ソケットが付いた電球のような形状で、虫の触覚を連想させる突起が上部から 四本突き出している。白く濁った表面はしっとり湿って、艶やかな光沢があった。
『へっへー、シオンちゃんの驚き顔ゲットん~。でもいまのカレ、超反応だったね! シオンちゃん、王子様に守られるお姫様プレイだ! ズルい~私も守られてぇ~』
この駆体のショルダープレートは、チョコレート色を帯び、しんなりと柔らかく垂れている。
装甲のアクセントカラーは、プレートに合わせたらしく、茶色だ。
シオンは顔を真っ赤にしつつ、天於の肩を押して身を離した。
「――大丈夫。この駆体は、コルディリネ・チョコレートクイーン、通称『CQ』。パイロットにちょっとした……どころじゃないわね、かなり問題があって……」
『ほめてほめて! 持ってくるのけっこう大変だったんだよぉ~、ネギは手伝わないし!』
駆体が、腰に手を当てて胸を張る。
天於は、そのハイトーンの声に聞き覚えがあった。
病室でシオンが通話していた相手ではないか。
シオンが、キッと鋭い視線をCQに投げかける。
「くだらない。貴重なサンプルを雑に扱わないでください! あなたは本当に……」
シオンの目は、奇妙な形状のサンプルに釘付けになっている。それに気を取られて、怒りが途中で霧散したようだ。口の端が、ひくひく痙攣するように動いている。
天於は、意図せず盗み見たシオンの狂態を思い出した。
あれは、他者と接しているときの冷静沈着な姿からは、ずいぶんかけはなれた姿だった。
駆体のコクピットハッチが手前に倒れて開き、声の主が顔を見せる。
「よっすー」
栗色の髪をツインテールにした少女が、シートから身を乗り出して挨拶する。
ツインテールの束に色とりどりの草花が織り込まれて、とても華やかだ。
「また子ども……?」
天於は思わずつぶやいた。シオンも萌も成人しているようには見えない。
そんな二人が、巨大な人型兵器を操縦していることに純粋に驚いたのだった。
「童顔なので誤認するのも無理はないけれど、彼女は同い年よ」
端末を出してサンプルの写真を撮りながら、シオンが補足する。
「てことは、17歳か? 見えないなー……」
「よっ……と!」
少女は身を屈めてコクピットから出てくると、ハッチの上に立った。
上気して赤くなった顔を、ひらひらと掌で扇ぐ。
「あっちーんだよね、この服……!」
身をよじるように上半身だけパイロットスーツを脱ぎ、腰から垂らす。
アンダーウェアが体に密着する素材で、小柄なのにメリハリがある体の線が露わになった。透き通るような白い肌に、汗がいくつも筋を作って流れている。
少し眠そうな、とろりとした目で天於を見た。
「ごっめんねー、こんなカッコで。目が覚めたんだね、眠り王子の柴沢天於くん! あたしは露草萌、よろしくっ!」
どうやらここでは、自分はちょっとした有名人らしい。
天於は居心地の悪さを感じつつ、半裸姿の萌から目を逸らした。
「よろしく。それより、早く何か着た方がいい。汗が引いたら風邪ひくぞ」
「お兄ちゃんかよ!」
萌が笑いながら手を構えると、手品のようにチョコバーが扇状に広がった。
「チョコは好き?」
「え……? 普通」
「君ね~、人は世界に愛されてるから存在してるの。毎日、世界に告白されているようなもんなんだよ? チョコの好き嫌いくらいハッキリ言えないやつは、愛されないかんね?」
「……ごめん何の話?」
「聞き流して、全部。深い意味はないから」
シオンの口調からすると、これが彼女の平常運転らしい。
萌の手が翻り、チョコバーが一本、天於に向けてシャッと飛んできた。
やや悪送球になったが、天於はジャンプしてそれをキャッチした。
「いい反射神経してんじゃん~、それは出会った記念にあげる!」
「……ありがとう、露草さん」
「萌でいーよ、萌で。君は、ン~、テオテオかな? パンダの名前みたいで、かわいーね!」
即興で雑なあだ名をつけ、ひとりで盛り上がっている。
もう1体、隻腕の駆体のコクピットハッチが開き、不愛想な顔の少年がのっそりと出てきた。
細面の中に切れ長の瞳と形のいい鼻梁が納まり、長い前髪が縁のない眼鏡のレンズにかかっている。シオンの話から察するに、萌と一緒に行動していたらしいが、彼の方はまったく汗をかいていない。顔から一切の感情が欠落しており、独特の雰囲気を持つ少年だった。
醒めた目で天於に一瞥をくれた後、独り言のように言う。
「ずいぶん聡明そうなやつがきたな」
言葉の意味に反して、声にまったく熱が感じられない。
「ありがとな。そんなこと初めて言われたよ」
謙遜する天於だったが、褒められて悪い気分はしなかった。
「浅葱啓馬だ。長い付き合いになりそうだな」
「ごっめんねー、テオテオ。ウチのネギは、口が悪いけど性格も悪いんだぜっ!」
萌が口に手を当てて、肩を震わせている。必死に笑いをこらえているようだ。
「え、ネギって、彼のことか?」
「いまのを翻訳すると、『頭が悪そうなやつがきたな。さっさと帰れ』になるんだよネ」
「……?」
天於は浅葱を見たが、萌の言ったことを否定せず、涼しげな笑みを浮かべている。
浅葱は先ほどからサンプルの周りをぐるぐる回って撮影しているシオンに声をかけた。
「副隊長、サンプルはどうします」
シオンがハッと我に返り、浅葱に答えた。
「切断して標本室に運ぶので、私の『リリィ』の前にお願いします」
了解、と短く答えて浅葱がコクピットに潜り込んだ。
駆体の残っている右腕が動き、白い塊を軽々と持ち上げる。
「変なやつ!」
天於が去っていく隻腕の駆体に向かって、大声で言った。
ハッチの縁に座って足をブラブラさせている萌が、うんうんとうなずいて同意する。
「確かにね~。でもパイロットとしての腕はイイんだよ。まだここに入って2か月なのに、すっごい戦果をあげててさ~」
「へえ、2か月で……?」
そもそも、その短い期間であのロボットを動かせることが驚きだった。
「CQ、帰投後の機体確認お願いします!」
整備士に呼びかけられた萌が、はーいと愛想良く手を振って応える。
「ほんじゃまたね。テオテオもここに入るんデショ? 一緒に東京を救おうぜっ!」
萌はウィンクをすると身軽にコクピットの中に潜り込み、ハッチを開けたまま駆体を動かして、空いている作業スペースへと移動していった。
天於は、運ばれていくサンプルを未練がましく見ているシオンに尋ねた。
「さっきシオンが言った『方法』って……」
シオンが雑念を振り払うように小さく頭を振って、天於と向き直った。
「この駆体で『根幹樹』の心臓を破壊して、東京を樹海から解放する。それが、取り残された全被災者を救う唯一の方法よ」
「待った。根幹樹ってなんだ?」
シオンが端末を操作し、樹海の全景を収めた画像を天於に見せた。
「これが、いまの東京。根幹樹が何か、一目瞭然でしょう?」
「……!」
道路や高層ビルが緑に覆われ、巨大な森の輪郭を作っている。
天於が駆け回っていた新宿も緑の海に沈み、まったく判別できない。
ただひとつ、樹海から屹立する塔がある。
東京のシンボル、スカイツリー。
壁を用いず、鉄骨を三角形に組み合わせるトラス構造で設計された外周部は、いまやガーデニングにおける支柱に似た役割を果たしていた。太い幹や枝葉が何重何層にも絡みついて膨れ上がったシルエットは、天を衝く螺旋の塔を思わせる。
そして地上450メートル、展望回廊に咲いた巨大な虹色の花――
天於は端末に顔を近づけて怒鳴った。
「この花……ッ!」
樹海を放浪中、木々の屋根の隙間から、その禍々しい姿を何度か見上げた。
「東京に落下した星間散布体、休むことなく都下広域に花粉を撒き散らしているハプスの命の根源。根幹樹の心臓といってもいいわ」
天於は近くにそびえたつ駆体を見上げた。
「要は、駆体でこの花をブッ壊せばいいんだな……!」
「ええ――あなたが望めば、駆体のパイロット候補生として受け入れます。適正を見つつ訓練をして、才能と努力次第では、最短三か月ほどで樹海に行くチャンスが訪れるでしょう。ただ、お勧めはしないわ。高確率で死ぬから。凶悪なハプスを相手にしなくてはならないし、戦場は樹海よ。高濃度の花粉を吸い込み続ければ、抗体も無力。あと、入りたては給料も安いわ。休みはほぼなし。もちろん軍隊ではないけれど、上下関係は厳しいわよ」
シオンが、デメリットをこれでもかと山盛りに並べ立てる。
お勧めしないというのは本音のようだ。
「もしくは……、NEMOは暫定政府のある鎌倉に定期便を出しているから、避難民としてそちらに送るわ。あなたには選択ができる」
「選択――」
天於がおうむ返しにつぶやき、その意味を噛み締める。
「人生を左右することだから、一晩、よく考えなさい」
シオンが慎重な口ぶりで塾考を促した。
「……分かった」
天於は自分の右手を見下ろし、ゆっくりと、確かめるように手を握った。
母の開発したロボットに乗り、東京を樹海から解放する。そして、春人を救う。
迷うことは何もない。
「決めた。おれ、やるよ」
シオンは溜息をつき、思わずという風に笑った。
「おバカ。あなたの一晩は、30秒なの?」
シオンは決して無表情というわけではないが、他者と話すときに意識的に感情の露出を抑えている印象がある。急に現れた天気雨のような笑顔に、天於は強く引き込まれた。