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木機怪械  作者: 大石優進 / 夜澄大曜
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【ep.4】 境界:前編 (作戦決行38日前)

 病室で目を覚ましたとき、天於の頭に最初に浮かんだのは、春人のことだった。


 ――春人はどこだ……?


 天於はあたりを見回した。

 広々とした空間に、3つのベッドが等間隔で並んでいる。

 その一つ一つが半透明の壁で仕切られ、個別のドアがあった。

 他に患者の姿は見当たらず、天於が寝るベッドの脇に、白衣を着た少女がひとり。

 大きなつり目が印象的だ。

 ショートボブがよく似合っており、短い後ろ髪が外に跳ねている。

 鏑木シオン。幼なじみの少女だ。

 樹海では緑色だった目が、いまは黒に戻っている。

 手にしたタブレット型端末で、誰かと通話をしているようだ。


『シオンちゃんシオンちゃん、聞こえてる? すっごいヤバいの見つけたぞー!』


 タブレットから、ハイトーンの甘い声が聞こえる。


「はいはい。あなたは、またそうやって話を盛って……」


 シオンの声は、通話相手と対照的に落ち着いている。


『腐生植物を苗床にしたハプス! 珍しくない? 学術名は、タヌキノショクダイだよ!』 


「正しく、『()()()()()()()』と言ってください。何かの見間違えでは? タヌキノショクダイは絶滅危惧種ですよ? 私も肉眼で見たのは一度だけです」


『戦闘動画は、もう世界樹(ユグドラシル)にあげてるよーん。見れる?』


「………これは……ええ、確かにタヌキノショクダイですね」


『おデブでしょ? 他のハプスから養分を吸い取ってるっぽい。キモいしアホみたいに強いし、泣いたって。これさ~、シオンちゃんが言ってた例の研究に使えないかな』


 シオンが息を呑む気配がした。


「……サンプルを持って帰れます? できる限り損傷のない状態でお願いします」


『シオンちゃん、そう言うと思ったんだよな。よっこら……、うぇー、湿り気がすごいぞ』


「くれぐれも気をつけて帰ってきてください、寄り道はダメですよ」


『あたしは小学生かっ! りょうかーい。1時間ちょいで戻れると思う!』


 通信を終えたシオンが、部屋の中を高速で行ったり来たり歩きながら早口でつぶやく。


「なんであのレア植物が箱根に? 待ってシオン、よく考えて、菌従属栄養植物のハプス……菌の働きを利用した毒性化合物を作れるんじゃない? そうだよ……!」


 独り言に合わせて、手が何度も激しく上下した。興奮で頬が赤らみ、口角が上がっている。

 天於には、シオンが妄執に取り憑かれたマッドサイエンティストに見えた。

 壁のパネルが光り、電子音が鳴った。

 シオンが、パタッと足を止める。


「――ど、どうぞ」


 声に、まだ少し興奮の余韻が残っている。

 シオンはそれに気づいたのか、喉に手を置いて、「ン、ン」と空咳をした。

 白衣を着た中年の男が入ってきた。広い額に前髪が暖簾(のれん)のように垂れている。顔つきや歩き方に疲労が染みついており、つぶらな目をまぶしそうにパチパチと瞬かせた。


「所長、お疲れ様です」


 頭を下げるシオンに、所長と呼ばれた男が軽く手を上げて応える。


「彼の容体はどうかな」


「『発芽』は完全に抑え込みました。意識が戻るには、もう数日かかる見込みです」


 シオンが手にしていたタブレット型端末を所長に渡す。

 口調も表情もすっかり落ち着きを取り戻し、先ほどの取り乱した姿が嘘のようだ。

 所長は目を細めてタブレット端末を操作し、満足そうにうなずいた。


「抗体を投与して12日目か。いいね。これなら、もう心配ないだろう」


「PTレベルは3です。深刻ではないけれど要注意……といったところでしょうね」


 天於は混濁した意識と戦いながら唇を噛んだ。

 自分のことを話しているらしいが、まったく理解できない。

 所長が忌々しいものをみる目つきで天於を見る。


「君がそこまで献身的に治療する価値が彼にあるのか疑問だが……、まあ、人たらしの才能は母親譲りといったところかな」


 シオンが何かを言い返しかけたとき、電子音が鳴り響いて、所長が白衣のポケットから携帯端末を取り出した。


「秘書からだ。ちょっといいかい」


 シオンに形だけの断りを入れ、呼び出しに応答する。


「私だ。……そのことは官房参与に伝えたよ。ミサイルを撃ち込んでも、樹海では金属交じりの花粉のせいで精密誘導が効かない――そもそも地下に避難している被災者が犠牲になってしまう。航空機もダメだ。操作系統をやられて墜落する。……鈴峰総理が私と? それは避けたいな、君が適当に――なんだって? ……それならば話は別だ、3分後に私が直接話す」


 通話を終えた所長の顔に、喜びと嫌悪が入り混じっている。

 シオンが怪訝な表情で訊いた。


「官邸から、被災者の避難協力とは別に何か要請があったのですか?」


「ああ、どうも何か大きな軍事計画が動いているようだな。なんと、鈴峰首相が直接、私の意見を聞きたいとさ! 私は『鋼の女帝』のお眼鏡にかなうかな?」


「――彼女にはご注意ください。利用できるものは、なんでも利用する人です。この研究所を利用するだけ利用して、使い捨てにすることだってありえます」


 感情を抑制した声の中に、わずかな毒が潜んでいる。


「ずいぶん手厳しいね」


 所長は含みのある言い方をした。


「…………、お時間は宜しいのですか、所長」


「ああ――そろそろ行かないと。総理と話す前に、実際に樹海に行っている君の意見を聞かせて欲しいんだが、現状、どれくらいの被災者が樹海に残っていると思う?」


 所長がタブレット型端末をシオンに返しつつ、深刻な口調で尋ねる。


「先日、旧都心部を偵察して被災者の情報を集めました。わずかですが通信ができたグループもあります。総合的に考えて、5万人前後かと思われます。いまは十代が中心でしょうね」


「抗体を打たずに、どれくらいもつ?」


「花粉濃度の薄い場所にいれば、半年間は大丈夫でしょう。『花粉溜まり』次第ですが」


 その回答が予想通りだったのか、所長は無言で二度うなずいた。

 天於は目を見開いた。

 意識が一気に覚醒し、記憶が洪水のように溢れて脳内を駆け巡る。

 春人はまだ新宿にいる――常に死と隣り合わせの地獄に!

 居ても立ってもいられず起き上がろうとしたが、体がまるで言うことをきかない。


「首相からの相談内容は、後で君たちにも伝える」


 所長はシオンにそう言い残し、部屋を出て行った。


 ガタッ!


 物音を聞いてシオンが振り返ると、天於がどうにか上体を起こしたところだった。


「――起きられるの」


 信じられないという顔で、タブレット型端末に表示されている数値を確認する。

 言葉を発しようとした天於の後頭部に、糸を引くような痛みが走った。


「……っ!」


「じっとしていなさい。あと数日は体を動かすことができないはずよ」


 天於はシオンの警告を無視して、ベッドから降りた。

 足を床に下ろして歩こうとするが、膝が体重を支え切れず、よろめいてしまう。

 シオンが両手を素早く伸ばして天於を抱き留めた。


「やはり、ほぼ私の予測通りね。体はまだ回復していない」


 それでも天於は体を動かそうともがき、喉の奥から言葉を絞り出した。


「あいつを助けに行かないと……!」


 シオンは天於の肩を押してベッドの縁に座らせた。


「お水を飲んで、少し落ち着きなさい」


 テーブルに置かれたボトルを手に取り、紙コップに水を注ぐ。

 天於は再び立ち上がった。

 ふらついてバランスを崩し、宙をかいた指が、シオンの白衣の襟に着地する。

 意図せず、つかみかかるような体勢になってしまった。


「ここから出してくれ――()()()()!」


 天於はかすれた声で叫んだ。

 シオンは表情を変えず、すばやく体を引いて天於の手を振りほどいた。

 支えを失った天於が膝から崩れ落ち、無様に床に転がる。

 シオンは紙コップを手に取ると、中身を天於の顔にバシャッと浴びせた。


「何するん……ゴボッ!」


 水が気管に入り、激しく咳き込んでのたうちまわる。

 シオンは屈んで天於に顔を近づけた。


「頭が冷えた……?」


 鼻が触れ合うほど近くにシオンの顔がある。

 黒目が強い、大きな瞳。はっきりとした二重で睫毛がとても長かった。

 天於は大きく息を吐き、シオンに向かって無言でうなずいた。

 シオンが天於に肩を貸してベッドに座らせる。


「あの男の子なら、無事よ。短時間だったけれど、地下鉄の駅にいる被災者のグループと通信が繋がって、無事に保護したと聞いたわ」


「……! そうか……」


 天於はそれを聞いて胸を撫で下ろした。

 まだ樹海の中ではあるが、屋外を転々と歩き回るよりは、遥かに安全だろう。


「いまの状況を、順を追って説明するわね」


「シオン、その前に……」


 天於が居住まいを正した。

 警戒した目つきになったシオンに向かって、深々と頭を下げる。


「助けてくれて、ありがとう。シオンの顔を見たとき、すごく嬉しかった……!」


「――そ、そう……」


 シオンが赤面し、ふにゃっと表情が崩れる。

 が、天於が顔を上げたときには、元の無愛想な顔に戻っていた。

 天於の鼻先に指を突きつけて、


「本当にそう思っているのなら、いまは体力の回復に専念しなさい。生き急がれたら、私がかけた手間と時間が無駄になるでしょう?」


 事務的な口調の中に、天於の体を気遣う温かさと、突き放す冷たさが同居している。


「分かったよ。……ここ、シオンが言ってた例の研究所か?」


 天於がゆっくりと周囲を見渡す。いまのところ、無機質で清潔な病室という印象しかない。


「ええ。あなたのお母さん、柴沢鳴子氏が奥多摩に設立したバイオテクノロジーの研究所。本部はアメリカで、ここは支部よ。私は上席研究員として配属されているの」


「母さんは、この10年間、何をしてたんだ? ただの植物学者だろ……?」


「施設を案内しながら説明するわ。待ってね、車椅子を用意するから」


 部屋の隅に、車椅子が置かれている。

 天於は、目覚めたときに感じていた全身の倦怠感がだいぶ薄れていることに気づいた。ベッドに手をついてゆっくりと立ち上がるが、先ほどのようにふらつくこともない。


「シオン、いけそうだ!」


 振り返ったシオンは、立っている天於を見て目を丸くさせた。


「何をしているの……強い頭痛があるでしょう?」


「いや、大丈夫」


「全身がだるいとか――」


「強いていえば、腹が減ってるな。ものすごく」


「それは、空腹ではなく倦怠感の現れ。私の推測の範囲内ね、ギリギリ。本来ならあと数日は寝ているのが望ましいのだけれど、リハビリを兼ねて、特別に歩くことを許可します」


「ギリ……」


 天於は噴き出しかけて、口を押さえた。

 冷静かと思えば、感情的。高い知性を感じさせる一方で、自説の破綻を認めない強引で頑なな面もある。研究者のシオンの中に、幼い日の少女の顔が見え隠れしていた。

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