表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
木機怪械  作者: 大石優進 / 夜澄大曜
3/25

【ep.3】 受粉:後編 (作戦決行138日前)

 新宿駅が近づくにつれて、道の勾配が急になる。

 シオンを自転車の後ろに乗せてペダルを漕ぐうちに、天於は汗まみれになっていた。


 シュウッ――


 甲高い擦過音が聞こえた。

 進行方向に見えていた高層ビルの壁面が吹き飛び、破片が道路に降り注ぐ。

 隕石群が、破壊の先触れとして到達したのだ。

 地上は大混乱に陥った。


 五月雨(さみだれ)で落下する隕石の爆圧に、歩行者がなぎ倒される。

 アスファルトに大きな穴が空き、車があちこちで玉突き事故を起こしている。

 交錯する悲鳴。

 クラクションの合唱。

 人が車道に駆け込み、車は歩道に乗り上げる。


「なんなんだよ、これはッ!」


 天於は自転車を全力で漕ぎながら怒鳴った。

 シオンが空をにらみながら言う。


「これは『惑星受粉』の前触れに過ぎない。地獄はこれからよ」


「惑星受粉だって……?」


 初耳の言葉だが、恐ろしい出来事が進行中であることは、天於も肌で感じている。


「2時間前、アレと同じものがアメリカ各地に落ちて、主要都市は壊滅したわ。鳴子先生は、それに巻き込まれて消息不明になったそうよ」


 天於はそれを聞いて、後頭部を殴られたような衝撃を受けた。


「何だよ、それ……。大体! なんで、シオンがそんなこと知ってんだよ!」


「鳴子先生が設立した研究所に所属しているから」


「――」 


 天於は絶句した。

 カッと頭の中が熱くなる。


「『植物で世界を救う』なんてバカみたいなこと言っていなくなって、10年間、放置されて。おれにとっちゃ、母さんはとっくに消息不明みたいなもんだったよ。なのに……本当に、いなくなった? なんだよ、それ……ふざけんなよ!」


 やりきれない思いを、空に向けて大声で吐き出した。

 母親は、一緒にアメリカに行くと号泣する天於に、「体が丈夫になったらね」と約束した。

 都内に呼吸器系の治療で有名な病院があり、離れられなかったのだ。

 父親は病死していたため、天於は親戚に預けられた。生活に何も不自由はなかったが、取り残されたことは、少年の心に埋めがたい穴を空けた。


 早く大人になりたい。もっと丈夫になりたい。

 そしたら、母さんと一緒に世界を救うんだ……。


 幼い頃、天於は何度も自分にそう言い聞かせた。成長するにつれ、狂気じみた話だと思うようになったが、その妄執は天於の人格形成に大きな影響を与えていた。


「鳴子先生は、本気で世界を救おうとしていたわ」


 母を擁護するシオンの態度が、天於を余計に苛立たせた。


「でも……結局、救えなかったってことだろ!」


 天於は空虚な瞳で、大量の花粉が舞う都心の光景を見つめた。


「誰も……この世界も」


「違うわ。これから始まるのよ」


 天於は困惑して眉をしかめた。


「母さんはもういないんだろ……?」


 シオンが背後から手を伸ばし、天於の耳元にブレスレットを当てる。

 そこから、女性の声が流れ出た。


『――諸君、抵抗せよ』


 母だ。記憶の中にある母の声と同じだ。

 言っていることは勇ましいが、余計な力は入っておらず、穏やかな印象すらある。

 シオンがブレスレットを付けた手を下げた。


「鳴子先生の最後の通信記録よ」


「抵抗って、何に……?」


「すぐに分か――」


 シオンが言いかけたとき、天於たちの行く先に車が飛び出してきた。


「……ッ!」


 天於がブレーキを引き、さらに地面に足を付いて、摩擦で自転車を急停止する。

 前輪の鼻先をかすめた車は、横滑りしたまま商業施設のショウウィンドウに突っ込んだ。

 運転席のドアが開き、よろよろとスーツ姿の中年男が転がり出る。


「……大丈夫ですか!」


 天於が声をかけた。

 何か様子がおかしい。

 中年男は車道に両膝をつき、呆然と天を仰いだ。

 両目から滂沱(ぼうだ)と涙を流している。

 普通の涙ではない。

 色が青かった。


「シオン、救急車……!」


「残念だけど……、手遅れよ」

 

 男の体から音がする――

 体中の骨が軋んでいるような奇妙な音が。

 男の眼球を突き破って枝が飛び出した。

 続いて口からも、手の指からも――

 その男だけではなかった。周囲で生身の人間が次々に倒れ、その体を苗床なえどこにして、植物が 爆発的な成長を遂げていく。


「なん……だ、これ――」


「花粉が大量に体内に入ったの。残念だけど、いまは誰も助けられない……!」


 シオンが押し殺した声で言った。


「行きましょう。ずっと屋外にいたら、私たちも助からないわ」


「――くそっ……!」


 天於が再び自転車を漕ぎだす。

 細かな花粉が霧となって周囲を覆い、視界がとても悪くなってきた。

 巨大な影が、ビルの谷間にゆらりと浮かび上がる。

 車が立て続けに衝突し、ブレーキランプが連鎖して点っていく。

 重い破裂音が響き、列の前の方で爆炎が吹き上がった。


「止まらないで! そのまま走り抜けて!」


 シオンが叫ぶ。

 立ち上る黒煙の中、何かが跳ね上がった。それは巨大な木の枝に似ていた。


 何か、いる……!


 次の瞬間、天於は自分の目を疑った。

 車が何台も宙を舞っている!

 まるで癇癪を起こした子どもがミニカーを放り投げたようにくるくると回転し――


「う……ああああ!」


 周囲に車が落下する中を、天於は自転車で駆け抜けた。

 爆風に煽られてバランスを崩しかけながらも力強くペダルを漕ぎ、車道を塞いでいる巨大な壁の下を潜り抜ける。


「――見えた! あれ!」


 シオンが荷台から身を乗り出して、濃霧の中を降下してくるヘリコプターらしき影を指した。

 車通りが絶えて、交差点にぽっかりとスペースができている。

 ヘリはそこに強引に着陸しようとしているようだ。

 シオンがヘリに手を振り、赤いブレスレットに怒鳴った。


緋桐(ひぎり)さん! すぐに着きます!」


『――近くにデカい個体がいる。花粉濃度も限界に近い。1分以内に出るぞ!』


 太い男の声が返ってきた。

 ヘリが激しく左右に揺れながら、高度を下げてくる。

 パッパッと霧の中で白光が閃き、短い風切り音が頭上を走ったかと思うと、背後で立て続けに爆音がした。

 ヘリが、先ほどの巨大な何かを攻撃したらしい。


「間に合った……!」


 シオンが自転車の荷台から飛び降りる。

 天於は交差点の脇で自転車を乗り捨て、手をついてその場に座り込んだ。


「ハァッ……ハァッ……!」


 胸が苦しい。

 悲鳴を上げているのが心臓なのか肺なのか、もう分からなかった。

 ヘリコプターが、花粉の霧を散らしながら交差点の真ん中に着地する。

 武器をあちこちに取り付けてずんぐりと膨らんだ、軍用の攻撃ヘリだ。

メインローターが完全に止まる前にシオンが近づき、ヘリの横腹にある扉をスライドさせて中に乗り込む。


「早く、こっち!」


 天於に向かって手を伸ばしたが、天於は動こうとしない。


「このヘリでどこに行くんだ?」


「奥多摩にある研究所よ。そこまで行けば安全だから――」


「学校のみんなは? この街に置いていくのか?」


「指示通りに地下にいれば、すぐに死ぬことはないはずよ」


 シオンが苛立ちを露わに、差し伸べた手を振り、『早く』と急かす。


「シオン、おれは……」


 霧の向こうで大きな影が動いた。


 ズン――


 微震とともに霧がどろりと背後に向かって流れ、大きな影が揺らめいた。

 霧のカーテンに、物音の主の巨大な輪郭が映り込む。

 なんという大きさだろう。

 10階建ての雑居ビルより高い。

 それが、動いている。

 小さな悲鳴が聞こえた。

 小学生くらいの歳の少年が、車道の脇に倒れている。

 爆発の衝撃で倒れた電柱に体を挟まれたらしい。


「誰か……! 助けて!」


「――」


 天於は逡巡し、振り返った。

 シオンと目が合う。

 シオンは、ハッと何かに気づいた顔をした。


「……()()!」


「シオン、ごめんな!」


 天於はヘリに背を向けて走った。


「天於!」


 シオンがヘリから身を乗り出し、遠ざかる天於に手を伸ばす。

 天於は振り返って、言い放った。


「おれはここに残る。行ってくれ!」


「――ばかァッ!」

 

シオンが絶叫した。


「鏑木、もう限界だ、行くぞ!」


 ヘリのパイロットが怒鳴り、メインローターが再び回転を始めた。

 ヘリがふらつきながら急上昇していく。

 そこからこぼれるように、赤いブレスレットが落ちてきた。


「――!」


 天於はそれをキャッチした。

 シオンが身に着けていたものだ。

 巨大な怪物の影が、ヘリを追ってゆっくりと遠ざかる。

 天於は少年に駆け寄った。


「大丈夫か!」


 幸い、電柱と地面にはわずかな隙間がある。

 引きずり出せそうだ。

 栗色のくせ毛の少年は、涙に潤んだ目で天於を見た。


「……誰?」


「おれは、柴沢天於」


 天於は笑顔で答えたが、少年の顔には不安が残っている。


「誰……?」


 と同じ質問を繰り返す。


「そこの高校の……えーと、いまは正義の味方みたいなもんだ。おまえの名前は?」


椎名春人(しいなはると)……」


 名乗った少年の頬に、涙がこぼれる。


「家に帰りたい……! 父さん、母さん……!」


 天於は少年に手を差し出した。


「春人、泣くな。おれが絶対に会わせてやる!」


 少年は涙でぐしゃぐしゃになった顔で、天於の手を握った。

 どろりとした花粉の霧が流れてきて、ゆっくりと二人の姿を飲み込んでいった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ