【ep.18】 死線:後編 (作戦決行日 13時17分)
天於たちは防衛省の跡地に到着した。
2020年代、世界各国で長距離ミサイルの技術開発と配備が進み、日本国政府は有事に備えて地下に都民を収容するための巨大シェルターを作り上げた。しかしそれは、当初の意図とはまったく違う使われ方をすることになった。2035年、惑星受粉で都内全域が戦場と化す中、自衛隊と在日米軍の司令部兼前線基地となったのである。
10日間に渡る激しい戦いの末に、日米軍はこの基地を放棄して三浦半島へと撤退した。
地上の建物はもれなく半壊しているが、それが先ほどのキュクロプスの試射によってのものなのか、惑星受粉当時のものなのか、判別がつかない。
『全機、リーフ・プレートを展開。薄曇りだが、少しでも燃料を補給する。パイロットは軽食を取れ。鏑木はユニットカバーの修理を優先だ』
緋桐がてきぱきと指示を飛ばし、率先してリーフ・プレートを開く。
研究所を出てから四時間近くが経過している。
樹海に入ってからは気が抜けない局面の連続だったため、各パイロットの疲労も限界に近い。
しかし天於は、休憩など要らないと思った。
この敷地のどこかに、助けを求める人がいる。少しでも、その力になりたい。
根幹樹と星間散布体の破壊はあくまで手段で、最終目標は取り残された人々を救うことだ。
駆体に乗っていると、それを見失いそうになる。
天於は逸る心を押さえながら、ゼリー状の軽食を喉の奥に流し込んだ。
天於たちの姿を視認したのか、再び通信が入った。
『あなたたち、人間……ですよね? 助けに来てくれたんですよね……?』
若い女性の声だった。
緋桐が隊を代表して応答する。
『日本国政府と連携して救助を行っている者です。作戦行動中ですので、できることは限られますが、何かあれば仰ってください。いまは、どちらに?』
『全員、庁舎A棟にいます! ふたり、ケガ人がいて――いま外に運びますね!』
通信が切れたあと、我慢できずに天於が言った。
「隊長……!」
『休憩中は駆体から出ることを許可する』
「ありがとうございます!」
『テオテオおめでとー、待ちに待った英雄プレイじゃん~!』
からかい混じりに言う萌だが、顔色が白く、体調が悪そうだ。
「ありがとな。萌はしっかり休んでてくれ」
『どうせ行くのなら、しっかりNEMOの活動を宣伝するように』
シオンはこういうときにも抜かりがない。
天於は緊急用のメディカルキットを引っ張り出し、ハッチを開いて外に出た。
ハッチの上に立って、被災者たちが出てくるのを待つ。
近くにあるビルの入り口に人の気配を感じたとき――
ド ボウッ!
背後で耳をつんざく爆音が轟き、天於は風圧に突き飛ばされてハッチの上に倒れた。
何が起こったのか、すぐに理解ができない。
伏せた体勢のまま肩越しに振り返った天於は、のけぞるザンティアムを見た。
脳内に溢れるノルアドレナリンが、すべての光景をゆっくりと天於の網膜に映し出す。
片腕のCQが、レールガンを背後からザンティアムに撃ち込んでいた。
銃声が、遅れて聞こえる――
ドッ ル ルッ ル ルッ
弾道は胴体に集中している。
刃が貫通し、コクピット付近から勢いよく水が飛び散る。
背中の水素燃料が次々に爆発を起こし、ザンティアムが膝から崩れ落ちた。
確認するまでもない。
パイロットは――
隊長の緋桐は――
時間が加速する。
天於はハッチの上で身を起こし、コクピットに飛び込んだ。
ザンティアムのビジュアルステータスが真っ赤になっている。
死んだ。
緋桐が。
隊長が。
死んだ。
こんなに唐突に。
非戦闘区域で。
何の指示も残さずに。
『隊長!』
『萌!』
シオンと浅葱がそれぞれに叫ぶ。
天於の全身を怖気が走った。
CQの姿が、わずかな間に一変していた。
装甲を突き破った枝や草花が体全体を覆い、一回り大きく膨らんでいる。
天於は、研究所の地下区画で氷漬けになった駆体『モンステラ』を思い出した。
萌が『発芽』――
そんなはずはないと心の中で叫ぶ。
『あ……あああッ! あたし――あたし……!』
萌の悲しみに満ちた声が音声回線に響き渡る。
「あのときか……!」
天於が忌々しそうに吐き捨てた。
ハイペリオンに捕まったとき、その触枝から、体内に充満する高濃度の花粉がCQの機体に流れ込んだのだろう。
萌が激しく首を横に振る。
目の色の緑が濃い。ほとんど発光しているようにさえ見える。
そこから、青い涙が流れていく。
コクピットの中で草花が増殖し、解けた萌の髪に絡みついた。
『何これ――心が喰われる……! 怖い……怖いよう、いや、いやああああああああ!』
誰よりも早く、シオンが動いた。
リリィがCQの手を押さえ、レールガンを地面に落とす。
CQのミサイル射出口がすべて開いた。
『シオンちゃんダメだよ、ダメなんだ、そんなんじゃ! ……男子たち!』
天於はビクッと体を震わせた。
『テオテオ、コクピットを撃って……早くッ!』
両目に涙を溜めた萌の顔がモニターいっぱいに広がる。
天於はそこから目を背けたい衝動に耐えた。
ムリだ――そんなこと、できるわけがない。
天於は自分を奮い立たせた。
「その頼みだけは聞かない! 何か方法があるはずだ。いま、そこから出してやる!」
アルテシマがCQのコクピットハッチを両手でつかみ、こじ開けようとする。
しかし、増殖した草花が胴体周りにガッチリ絡みついて、外からではどうにもできなかった。
萌が左右の手に握るスティック状のデバイスを、ガチャガチャ激しく動かしながら叫ぶ。
『ムリ、もう何も操作できないんだよっ! ネギ! あんたなら一瞬でしょ! お願い、早く終わらせて! あたしにこれ以上、みんなを傷つけさせないで……!』
萌の悲痛な懇願を、浅葱は激しく頭を横に振って拒絶した。
『嫌だ……おれにはできない!』
『――バカァッ!』
萌の泣き声と呼応するように、CQから大量のミサイルが発射される。
『――散開して回避!』
シオンが怒鳴る。
CQから大量に放たれたミサイルは、ひとたび空に向かったかと思うと、くるりと反転して地上にいる天於たちに降ってきた。
『天於! ザンティアムの盾で、ネッソス・ユニットを守って!』
シオンが背負っていたボックスは、応急修理を終えて地面に置かれていた。
いまは、シオンより天於が乗るアルテシマの方が近い。
「クソッ――!」
天於はCQから離れ、地面に転がっているザンティアムの盾を手に取ると、それを掲げてユニットの上に覆いかぶさった。
ミサイルがあたり一面に降り注ぐ。
ドン ドウッ ドッ!
激しい爆音が世界を満たした。
敷地内の建物が倒壊し、地面にも大きなひびが広がっていく。
盾を傘にして爆圧に耐えながら、天於は被災者たちがいたビルを見た。
リリィが建物の前で盾を掲げ、ビルを守っている。
その代償は大きかった。爆発が盾を飲み込み、リリィの腕が肘の下から吹き飛ぶ。
「シオン!」
それだけではなかった。
地面に走っていたひび割れが繋がって、巨大な穴が開いた。
地上にあるものが、闇の中へと滑り落ちていく。
『あ――』
その崩落に、ウォーター・リリィが巻き込まれた。
「シオン!」
『……、……私は……よ!』
シオンの言葉を遮って、土砂の落ちる轟音が響く。
ようやくミサイルの爆撃が止んだ。
アイスがCQを組み伏せている。
ギッ……ギッギッ……!
力が拮抗し、互いの装甲と生体機器が擦れ合い、骨が軋むような耳障りな音がした。
『萌、そこから出てこい! いまならまだ助かる……!』
浅葱の声は悲壮感に満ちていた。
『お前は……お前だけは死んじゃダメだ! 死なせるもんかよ!』
爆発的に膨れ上がり、CQの機体を覆う緑が、アイスにも絡みついていく。
伸びる枝葉の先が、小刻みに震えながら跳ね回り、ひどく不気味だった。
「CQから離れろ、浅葱ッ!」
このままじゃ全滅する――
天於は右腕をCQに向けた。
短距離ミサイルが、あと一発だけ残っている。
「浅葱! そこをどけ!」
『嫌だッ! 萌はまだ生きているんだぞ! 頼む……頼むよ、柴沢!』
あの浅葱が、こんなにみっともなく懇願するとは――
「――くそッ!」
天於はCQからミサイルのロックを外した。
もとより、萌を撃てるわけがない。
何か救う方法はないのか、必死に考えを巡らせる。
『て……! 露草さ――すけて……』
シオンの声が途切れ途切れに届く。
『ほんと……バカなんだから、みんな……!』
萌の青い涙が弾けて、スクリーンに散った。
そのとき、天於の頭に閃きが走った。
あの授業――戦い方の基本、光弾の使い方。
「……これでどうだっ!」
ありったけの光弾を、アイスとCQの頭上に飛ばす。
激しい光があたりを押し潰した。
光屈性――草獣は光に反応する。
さらに強い光を浴びると、草獣の神経を麻痺させられる。
一時的であれ、草獣化を止められるのではないか。
光の中で萌の声がした。
『――テオテオ、ありがと。……これで、あと少しだけ人間でいられる……!』
CQがアイスを跳ねのけ、地面に落ちたレールガンに手を伸ばした。
銃底を体に押しつけながら、片手でランチャーの薬室を開けてグレネードを取り出す。
ハイペリオンとの戦闘中、緋桐の指示で各自がそこに込めたものは――
天於はそれに気づいた。
「ネッソス・グレネード……? 萌、おまえ!」
『見てて、みんな。これが、あたしの生き方だっ!』
CQは、ネッソス・グレネードを握ったまま、それを自分の腹に叩きこんだ。
『―――ううううう、ア、アアァアアッ!』
萌の口から、苦痛の絶叫が迸る。
CQの機体が激しく痙攣し、体を覆う木々や花が急速にこぼれていく。
ネッソスは、駆体の生体機器にもダメージを与える。
それを浴びることを想定して、出撃前に駆体の全身にコーティングを施していたが、萌は直接機体の中でそれを爆発させたのだった。
CQの各パラメーターが急速に悪化、四肢が断裂していく。
「萌……! やめろーッ!」
萌が激しい苦痛に顔を歪ませながら、声を張った。
『シオンちゃん、シオンちゃん、聞こえてる? あのデカブツ相手じゃ効果が不明だったけど、いまハッキリ分かった! 成功だよ――あたしたちの研究は、大成功だよっ!』
『――』
シオンの声は聞こえない。
通信がまだ不安定なのだろう。
天於はせめて、萌の声がシオンに届いていることを祈った。
CQのコクピットが内側に凹み、自壊していく。
「うああああぁぁあ!」
浅葱が声にならない悲鳴を上げる。
天於は萌に吠えた。
「ダメだ萌、いくな! チョコ食べただろ。朝からいっぱい食ってただろうが! 神様は欲深い者を生き残らせるんじゃねーのかよ! なあ!」
『そろそろ行くね。隊長に土下座して謝んないと』
どうして、こんな時まで。
『テオテオ、シオンちゃんを頼むよ』
明るい声で話せるのか。
『いっつも、肝心なとこが抜けてるコだから』
元気づけるようなことを言えるのか。
『あとネギ……!』
ネッソスの毒で、苦しいはずだろ……?
『ストーカーはナシね?』
一体、どこまで、おまえは……!
『あんまり早くこっちに来たら追い返すから、よろしく』
一拍を置いて、涙混じりの元気な声で言い放った。
『みんな、大好きだぜっ!』
メキッと音がして、モニターが完全に消えた。
「ああああああああああああああああああああ!」
浅葱の絶叫が響く。
「萌……」
天於の口からその名がこぼれ、儚く消えていく。
信じられない。
信じたくない。
萌のいないチームは考えられない。
萌こそ、人と人を繋ぐつなぎ手だった。
一流の研究者でもあり、ネッソスの完成に重要な役割を果たした。
でも、死んだ。死んでしまった。
隊長も、萌も。
永遠に、失ってしまった。
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