【ep.17】 死線:中編 (作戦決行日 12時54分)
ハイペリオンの触枝全体がビリッと波打ち、先端が力を失って萎れていく。
ギイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイッ!
次の瞬間、空気を震わせて、耳をつんざくような悲鳴が響き渡った。
「効いた……!」
しかし、それは一瞬だった。
再び触枝がグンと頭を持ち上げたかと思うと、一斉にリリィ目掛けて上空から殺到する。
『まだこんなに動けるなんて……! 体が大きい分、毒の回りが遅いということ……?』
シオンはハイペリオンと正対したまま後ろ向きに走り、触枝の雨から逃れようとした。
背後の地面が静かに割れて触枝が突き出し、死角からリリィに近づく。
『――シオンちゃん!』
盾に乗ったCQが触枝の波を潜り抜けて突っ込み、リリィに体当たりをした。
ビリヤードの球のように弾き合い、リリィが脅威から遠ざかる。
『助かりました、露草さん……!』
『早く離れようぜっ! ただでさえ、このあたりは花粉がヤバいよ!』
後退する2機を、地面を抉りながら水撃が追う。
ハイペリオンは邪魔をしたCQに狙いを切り替えたようだ。
左右から、挟み込む形で水撃が接近する。
『……!』
萌は駆体の重心を後ろに傾け、盾のテールを強く踏み込んだ。
ガッガガガガッ!
盾の頭を跳ね上げ、代わりにテールの底を地面に当てて、摩擦で急減速をかける。
CQの眼前で、バチッと轟音を立てて水撃が交錯した。
『まだ上から来るぞッ!』
浅葱の警告に、萌がハッとして頭上を見る。
空を割って、新たな水撃が降ってきた。
CQは、挟撃を避けることと引き換えにスピードを殺してしまっている。
萌は盾から飛び降りると、それを持ち上げて頭上に掲げた。しかし――
ズ ダンッ!
盾を持った腕ごと、肩口から斬り落とされてしまう。
『あッ……』
萌が左腕を押さえた。
幻痛で、CQの動きが完全に止まる。
触枝がCQの胴体に巻きつき、10メートルの体を軽々と持ち上げた。
激しく振り回し、地面に勢いよく叩きつける。
『……ァッ』
萌の細い悲鳴が聞こえた。
CQの装甲が吹き飛び、周囲に循環水が飛び散る。
『露草さん!』
『おまえは後退しろ、鏑木! その箱を失ったら計画は終わりだ!』
リリィが背負う箱の中にあるネッソス・ユニットは、計画の要だった。
『――ッ、了解です!』
無念さを滲ませつつ、シオンが後退する。
『ごめんなさい、露草さん……!』
『いいから……! みんな逃げて! キュクロプスが降ってくる! もうあと312秒――』
萌の声が悲鳴に変わった。
ハイペリオンが再びCQを地面に叩きつけたのだ。
もう一度――もう一度。
そのたびに、グシャリという生々しい音が回線を通して聞こえた。
CQの背中のアンテナがひしゃげて折れ曲がる。
頭部は半ば砕け、いまにも首から千切れそうだ。
共有モニターに映るCQのコクピットは、かろうじて形を保っているが、萌は意識を失っているらしく、シートにベルトで個体された上半身が衝撃に合わせて力なく前後に揺れた。
『……!』
浅葱のアイスが刀をかざしてハイペリオンに突進した。
『待て浅葱! ヤツの間合いに飛び込むな! 露草はもう――』
緋桐が制止するが、浅葱は止まらない。
『死ぬわけない! あいつが、おれより先に死ぬわけがないんだッ!』
天於は、浅葱がそこまで感情を露わにするのを始めて見た。
何としてでも力になりたいという思いが湧いてくる。
「隊長! おれが浅葱をサポートします!」
『……分かった、行けっ!』
『天於!』
シオンがサーフ・シールドから飛び降り、天於に向けて盾を蹴った。
「借りるぞ!」
天於は盾に飛び乗ると、アイスの後を追った。
アイスが水撃をかわしながら二刀を振るい、押し寄せる触枝を次々に斬り落として進む。
人間の、兵器の動きを超えていた。
浅葱の目の緑色が濃くなっているのは気のせいか?
――この研究所の中で誰よりもハプスに近い。
緋桐の言葉が天於の脳裏をかすめた。
「浅葱! ひとりで突っ込むな!」
天於は自身も囮になると割り切って、盾の速度を上げた。
アイスの斬撃が、CQを捕まえていた触枝を断ち切る。
隻腕になったCQが解き放たれ、ボトリと地面に落下した。
『――柴沢!』
浅葱は名を呼んだだけだが、天於には意図が伝わった。
ギャッギャッギャギュ!
激しく横滑りしながら突っ込み、シールドから腕を伸ばして、横たわるCQの体をさらう。
「萌! 萌! 無事か!」
『…………うっさいなぁ、テオテオ。無事なわけねーじゃん、もー……』
萌の顔が、モニターに映った。
ツインテールがズタズタにほどけ、額からは血が垂れている。
しかし、致命傷を負っているわけではなさそうだ。
シオンが小さく安堵の息をついた。
『そんなに喋る元気があるなら、大丈夫ですね……!』
『それより、キュクロプスまであと31秒だよ……! もう、隠れるのは間に合わない。みんな、せめて盾を構えて……!』
『大丈夫です! 全機、私の周りに集まってください!』
徒歩になっているリリィが、完全に足を止めた。
「シオン、早く誰かのシールドに乗れ! ハイペリオンが来るぞッ!」
嬲られる萌を見た後では、シオンの行動が自殺行為にしか思えなかった。
『なるほど、分かったぞ! 全機、鏑木の周囲に集まれ!』
緋桐はシオンの狙いを察したらしい。
ハイペリオンが巨体を揺るがせて、ゆっくりと追ってくる。
萌が東の空を共有スクリーンに映し出した。
『アメリカ、中国、インド、イギリス、日本の軍事衛星がリンク。直列式衛星荷電粒子砲、発射まで3秒……』
それは太陽よりも明るかった。
東の空には雲が垂れ込めている。
その雲が膨張し、まぶしく光を孕んだかと思うと――
赤いレーザーをたどって、雫が落ちるように、音もなく一条の光線が地上に向けて迸った。
カッ――
モニターが白一色に塗りつぶされる。
ほんの一拍をおいて、
ドッ……!
激しい熱と衝撃波が駆け抜けていった。
「……ううっ……!」
上下左右から襲う強い振動に、コクピットが激しく揺さぶられる。
天於たちは熱線の直撃から守られた。
シオンが機転を利かせて、ハイペリオンの巨体そのものを盾にしたのだ。
長い絶叫が、大気を揺るがせる。そして――
115メートルを超す巨躯が爆散した。
なまじ体が大きいだけに、キュクロプスの放射エネルギーをまともに受け止めたのだった。
「やった……!」
天於は自分の拳を掌に打ちつけた。
あたりに、ハイペリオンの散り散りになった体が舞っている。
『露草、状況を!』
『高エネルギー体が根幹樹に命中。対象は、表面積の約43パーセントが消失……!』
『地上の影響は!』
『旧押上駅から半径2キロの樹林消滅――』
萌が高高度の偵察衛星から捉えた映像を映し出す。
誰も言葉を発することができなかった。
根幹樹は炎に巻かれて黒く炭化し、あちこちでスカイツリーの藍白の肌が顔を覗かせている。
地上は地獄だった。
背の高い樹木や建物はほぼ消失、クレーター状に抉れた地表ではわずかに残った草木が燃え盛り、火の海になっている。
『なお出力は推定40パーセント。やっぱりこれ、試射だよ……!』
『何かの間違いでは? 試射でここまで……?』
シオンの声には怒りと恐怖が混じりあっている。
『データは、官邸から提供されたやつだから間違いないよ。地表から熱が地下に浸透、地下50メートルまで到達。もし、地下に人がいたら……』
萌が言葉を濁す。
天於は操縦卓を叩いた。
「こんなもん、もう1回撃たせてたまるか!」
『……いまは、礼を言うべきだな』
浅葱がつぶやいた。
ハイペリオンは跡形もなく吹き飛んだ。
あのまま戦っていれば、間違いなく全滅の憂き目にあっただろう。
『――予定通り、防衛省の跡地で休息と簡易的な修理を行う』
緋桐の声にも、疲労が感じられる。
全機が盾に乗って走り出したところで、OSが一斉に警告音を鳴らした。
「今度はなんだよ――」
天於がチーム全員の心情を代弁する。
萌が驚きの声を上げた。
『……救難信号を確認。いまので、一時的に樹海の花粉がまとめて吹き飛んだっぽい』
『対応している時間は1秒もありません! 早く根幹樹に向かわなくては』
シオンに強い口調で言われた萌が首をすくめて、
『あたしはどっちでも! ただ、この通信、向かってる防衛省跡地からだよ』
『――再生しろ、露草』
『了解――』
萌が全機の回線に音声データを流す。
ところどころ、雑音が混じっている。
『……跡地の地下にいます。人数は17人です。どうか、この声が聞こえたら助けてください。繰り返します――』
それを聞いて、天於の胸中に強い衝動が湧き起こった。
「隊長……!」
短い呼びかけの中に、思いが全部入っている。
緋桐ではなくシオンがそれに応えた。
『私たちには時間がない! キュクロプスが撃たれたらどうなるか、見たでしょう?』
天於は顔を歪めて苦しそうにうなずいた。
「分かってる! すべての被災者を救おうなんて言うつもりはない。でも、通りかかった人も助けられないんじゃ、政府のやってることと変わらないだろ!」
『あなたの悪い癖ね。お手軽な正義にこだわって、計画を台無しにするつもり?』
「おれは機械じゃない! これくらいのエラーは飲み込む計画にしてくれよ!」
『――そこまでだ、二人とも』
見かねて、緋桐が仲裁に入った。
『柴沢、市ヶ谷の防衛省跡地に行くのは、あくまで休息、駆体の応急修理、弾薬補給のためだ。最大で30分。その時間内ならば、お前の好きにしていい』
諦観の滲む声音と苦笑ぎみの表情に、天於の熱意に根負けした様子が窺える。
「……はい! ありがとうございます!」
『副隊長も、それでいいか?』
緋桐に問われたシオンは、仏頂面でしばし沈黙した後、大きな溜息をついた。
『――了解しました』