【ep.16】 死線:前編 (作戦決行日 12時46分)
天於たちは休息と駆体の応急修理のため、安全地帯を探しつつ、北進していた。
各機が片膝をついた姿勢でサーフ・シールドに乗る中、四谷で盾を失った天於はシオンの後ろに乗せてもらい、1機だけ立って周囲の警戒に当たった。
花粉溜まりを抜けて草獣の数は減ったが、時折、群れからはぐれた個体が姿を見せる。
いまも、目視で狼に似た小柄な草獣を捉えた。
「2時の方向に小型の草獣を発見。駆除しますか?」
天於がレールガンを構えて緋桐の指示を仰ぐ。
しかし草獣たちは、攻撃してこないばかりか、天於たちに背を向けて逃げていった。
『障害にならなければ、戦う必要はない。弾を無駄にするな』
緋桐の回答に「了解!」と返したときだった。
――なんだ……?
天於の背筋をザラついた悪寒が走った。
去っていく草獣たちから、メッセージを感じたのだ。
一部の植物は、化学物質を発することで周囲の仲間に害虫の情報などを伝える。俗に言う、ウッド・ワイド・ウェブだ。駆体のOSユグドラシルは、それを言語に変換する機能を持つ。
そのとき天於が受け取った信号は、これ以上なくシンプルだった。
キケン――
「危険……?」
思わず口に出して復唱する。
萌の鋭い声が天於の鼓膜を打った。
『高度400キロ、熱圏に高エネルギー反応……! ウソ、予定時間にはまだ早いよ――』
雲の切れ間から一筋の線が降ってきて根幹樹を射した。
鮮やかな赤が、灰色の空を二分する。
「……! レーザーじゃないか、あれ?」
花粉霧の中にいる草獣の実相を把握するために駆体が放つレーザーとは違う。
この光線の目的は照準だ。
緋桐が険しい顔で東の空を見上げる。
『キュクロプスかっ!』
ギリシア神話において、主神ゼウスの雷を鍛えた単眼の巨人。
その名を冠した連動型の衛星砲が、いま東京上空にあるという。
『15分以内に放射されるよ、コレ……!』
軍事衛星でキュクロプスを監視している萌が、呻くように言った。
「何かの間違いだろ? だって計画では……!」
官邸と共有していた情報では、18時に実行予定だったはずだ。
『試射かな――キュクロプスは周回時間をある程度コントロールできる設計だけど、地球の自転まで考えると、次に東京上空に来るのは数時間後になるはず……』
萌が共有スクリーンに地球周回軌道を浮遊する巨大な人工物を映し出す。
五つの軍事衛星の結合体、衛星荷電粒子砲『キュクロプス』。
それぞれの衛星が背負う円環状の加速装置が重なり合って広がり、鉄の花のようだ。
「だから、いま1回撃っとくって……?」
『そりゃまあ……、一発本番は怖いデショ』
『このあたりも安全ではないな……! 取り急ぎ、周辺に避難できそうな場所はないか』
緋桐が空をにらみながら萌に問いかける。
『いまから行ける場所だと……、ここ、ここ、あとここ――』
萌が共有地図に次々と候補をプロットしていく。
天於はそのひとつに目を留めた。
「市ヶ谷の防衛省跡地! 2025年のミサイル危機のとき、地下に超巨大シェルターが作られたって聞いたぞ!」
『惑星受粉のときの前線基地だな。そこなら、弾薬も補充できるかもしれん』
駆体は、使用する爆弾やミサイルのサイズを米軍の規格に寄せている。自衛隊は米軍と弾薬の共通化を進めていたので、放棄されたものがあれば利用できるはずだ。
『では、決まりですね。5分ほどで到着します』
シオンが話をまとめたとき、萌が鋭い声を発した。
『待った! なんだこれ――旧皇居方面から接近する草獣を発見!』
『何百体いる? ザッとでいい』
四谷のような花粉溜まりを除けば、草獣の脅威はもともとの森林面積と比例する。屋外調査隊の観測では旧皇居周辺は草獣の巣窟となっており、今回の計画で地下鉄のトンネルを利用して御茶ノ水まで出るルートが採用されたのは、そのエリアを回避するためだった。
『1体――』
「え?」
『1体しかいないんだよっ! でもその1体が、100メートルを超えてる!』
天於は鎌倉で萌と交わした会話を思い出した。
「まさか、例の……ハイペリオン?」
世界で最も高い木の名前を冠した、超大型の草獣。
『それは噂でしょう……? 露草さん、映像を共有できますか?』
シオンはまだ疑わしそうだ。
『必要ないよ、シオンちゃん』
「え?」
『もう目視できるから……!』
巨大な壁が、東から樹林を割って近づいてくる。
体が霧を吸い込んでいるようにさえ感じられる、圧倒的な質量感。
全身が白い――
薬剤で脱色したような不自然な白さだ。
横に膨らんだ胴体はしっとりと湿気を帯び、うっすら光沢を放っている。
胴体部だけで90メートル近くあり、25階建てのビルが移動しているに等しい。そこから五つの首が伸び、筒状の花房を模した頭部が垂れている。すぼんだ花弁の中に大きな眼球があり、五つがひとつひとつ異なる動きをして、生理的な嫌悪感を抱かずにはいられなかった。
シオンがユグドラシルを介してこの異形の草獣を分析する。
『おそらく菌従属栄養植物、ギンリョウソウを苗床にしたハプスです……!』
『それって……、あたしとネギが一か月前に遭ったタヌキノショクダイと同種?』
萌の目に、はっきりと恐怖の色が浮かんでいる。
『ええ、おそらく。この個体は、通常のギンリョウソウのように菌を使って周囲から養分を吸い取るだけでなく、他の個体を捕食して、DNAを自分の体に取り入れているようですね』
それまでずっと沈黙していた浅葱が口を開いた。
『隊長、逃げるべきです』
浅葱が緋桐にここまで直截に進言するのは珍しい。
萌と浅葱は以前、同種の草獣と会戦し、浅葱の駆体が片腕を失う損害を受けた。
浅葱の実力を知った今振り返ると、天於にも、その草獣がどれだけ手強かったのか推測できる。さらに今回の相手は、それ以上の巨体を持っているのだ。
『時間ないよ! 早く逃げないと、キュクロプスが降ってくんだって……!』
萌が市ヶ谷の防衛省跡地に向かうルートを示した。
緋桐は素早く決断を下した。
『当該個体をハイペリオンG型と仮称する。全機回頭! 戦闘を避けて防衛省跡地に向かう!』
各機とも、乗っているサーフ・シールドを操って、行先を東から西へと変える。
ズ……!
地面が鈍い音を立てて揺れ、シールドが跳ねた。
『……! 皆さん、回避してください!』
シオンが警告を発した瞬間、
バシュウッ!
ハイペリオンの五つの眼球から、一斉に粒子線に似た波動が迸った。
弾丸のような塊ではなく、何かに当たるまで途切れずに直進し、廃ビルや樹林を貫通する。
「ウソだろ、草獣がビーム……?」
天於は自分の目を疑った。
草獣の生態にはまだ謎が多いが、生物であることは確かだ。それが、指向性エネルギー兵器に似た粒子線を放つ? いったい、どういう体の構造になっているのか。
シオンが上ずった声で分析を報告する。
『ビームではないわ! 体内の水分を圧縮し、眼球から発射している。運動エネルギーは推定で32メガジュール。これは自衛隊の現主力兵器である二六式戦車の主砲、四四口径120ミリ滑腔砲の約5倍に相当する数値よ。射程距離はおそらく2,000メートル前後!』
『逃げられんか……! 応戦するぞッ!』
先頭を走るザンティアムが東に回頭し、部下たちもそれに続く。
ハイペリオンと向き合った瞬間、天於の全身に鳥肌が立った。
「……ッ、こいつは……!」
天於だけでなく、全員が感じたはずだ。
ハイペリオンは天於たちを補足し、明確なメッセージを発していた。
キエロ――
あまりに強烈な殺意に、駆体の表面がビリビリと震えた。
バシュウッ!
体内の水分を圧縮して放つ攻撃は、鋭利な剣をでたらめに振り回すことに似ている。
見る間に周囲の建物や樹林が崩れ落ちていき、天於たちは盾にできそうな遮蔽物を失った。
『浅葱、柴沢、おれの両翼につけ! 鏑木と露草は後衛から援護だ!』
各機が緋桐の指示に従い、緋桐を先頭にした迎撃陣形を作った。
『出会い頭に最大火力をぶつける! 全砲連動!』
全機が右手を掲げ、ミサイルの発射準備に入る。
ハイペリオンが直線軌道に達した。
緋桐のコントロールで、各機の腕から短距離ミサイルが放たれる。
四谷では爆発の範囲を広げて炎の壁を作った緋桐だが、今回は1点に攻撃を集中させた。
最短距離を取って飛翔したミサイルが、ハイペリオンの腹部に吸い込まれ――
ド ゴウッ!
全弾命中。
腹の中央に大きな穴が開き、巨躯がよろめく。
そこから、溶けかかった小型の草獣がボロボロとこぼれ落ちた。
『うええ……バッチリ共食いしてんじゃーん……』
萌がグロテスクな光景から顔を背けた。
それだけではなかった。空いた穴から、大量の花粉が噴き出している。
『離れてください! 体内に高濃度の花粉が充満しているようです!』
シオンの警告通り、周囲の花粉濃度を表すインジケーターが真っ赤になっていた。
ハイペリオンの五つの頭が、それぞれ別の意思を持っているように暴れ出す。
攻撃が効いている――
そんな気配が漂ったとき、すべての頭がグルッと同期し、ザンティアムに狙いを定めた。
五つの眼球から、一斉に粒子線に似た波動が放たれる。
バシュウウウッ!
甲高い擦過音の連奏。
ザンティアムは飛びすさり、殺到する放射エネルギーから逃れた。
1本が右側頭部をかすめ、人でいえば耳の位置にある熱源センサーを粉々に破壊する。
「隊長ッ!」
『大丈夫だ! 各機、散開して回避行動を取れ!』
ハイペリオンが間断なく吐き出す水撃で、全員が回避に追われた。
『全機、ネッソス・グレネードを装填!』
緋桐は切り札の準備を命じた。
シオンが背負った薬剤とは別に、各自がネッソスが入った擲弾を持っている。
『隊長、この擲弾は気化式です。雨と一緒に広域へ散布するのを目的としていますから』
『つまり、あれか……? 本来の効果を発揮するためには――』
『接近して、体内に撃ち込む必要があります。かなりリスクが高いと言わざるを得ません』
シオンがランチャーにグレネードを装填しながら意見を述べた。
緋桐の回答はシンプルだった。
『とはいえ、おれたちが持つ他の兵装ではこいつを倒せないだろう。やるしかない!』
駆体は、10倍以上も大きい相手と戦うことを想定して設計されていない。
『――では、開発責任者の私がいきます! 重いから天於は降りて!』
シオンがリリィを最前列に進ませる。
「了解! 援護する!」
天於はリリィのサーフ・シールドから飛び降りた。
ザザザザッ!
アルテシマの腰を落とし、両足を踏ん張って減速する。
萌がCQの後背アンテナを展開、射出口を全開放してミサイルを放った。
『ほーら食いしん坊さん、ご馳走をあげるよっ!』
弾道を操り、上下左右さまざまな角度からハイペリオンを強襲する。
そのときだ。
ハイペリオンの足元から、無数の白い根が湧き上がった。
おびただしい触枝が空中で七支刀のように枝分かれし、繋がり、屋根を形作る。
CQのミサイルは白い網に絡み取られて爆散し、ひとつとして本体に届かなかった。
『うっそォ……』
萌が絶句する。
しかし、少なくとも一連の攻撃は、囮の役割を果たした。
触枝の防御網の下を、シオンのリリィが疾走していく。
天於はレールガンで刃を放ち、シオンの進行方向にある触枝を切り飛ばした。
『全機、鏑木の援護だ! ハイペリオンに飽和攻撃を仕掛ける!』
各機が次々にミサイルを撃ち込む。
ハイペリオンの迎撃が追いつかなくなり、巨体に爆光が連続して閃いた。
シオンはハイペリオンの目前まで迫ると、速度を緩めずにレールガンを構えた。
『ネッソス・グレネード、投薬します』
ボッ、と軽快な音とともに、単発式のグレネードランチャーからネッソス・グレネードが放たれ、先ほどミサイルの集中攻撃で空いた腹の穴に飛び込んだ。
ネッソス・グレネードは、実戦で使われるのはこれが初めてだった。
様々な事情が重なり、実地の時間が取れなかったのだ。
あの研究の成果が、いま――
見守る天於の手にも、力が入った。