【ep.15】 発火:後編 (作戦決行17日前)
会議室に重い緊張感が漂っている。
石蕗はNEMO日本支部の屋外調査隊に所属する全研究員を、ミーティングに出席させた。呼びかけた当人は、鈴峰と一緒に部屋の隅に座っている。まるで裁判の傍聴人のようだ。自衛隊員が壁際にズラリと立ち並び、物々しい雰囲気を高めていた。
「すげ~な、総理がいるよ。コレ、御前会議じゃん」
そう言う萌は机に頬杖をつき、もぐもぐとチョコを頬張って、緊張を微塵も感じさせない。
「身が引き締まるな」
浅葱は大きく口を開けて欠伸をした。こちらも、完全に意識が弛緩している。
「おい二人とも、シャンとしようぜ! 連帯責任になるだろ……!」
石蕗から怒りに満ちた視線を感じるのは、天於の気のせいではなかった。
石蕗は昼からずっとピリピリしている。総理の存在が、それだけプレッシャーなのだろう。
天於は離れた場所に座るシオンの顔を盗み見た。
あれだけ鈴峰を避けていたのに、たった数時間で対面の機会が訪れてしまった。
感情が表に出ることを理性で抑えているようだが、母親と似た大きな瞳に敵意が漲り、小刻みに机を叩く指には、内心の鬱屈した想いが表れている。
初老の男が壇上に進み出て、研究員たちと向き合った。
「えー、防衛大臣の南天です。お集まりいただき、ありがとうございます」
自衛隊の厚い制服の上から分かるほど、腹が膨れて垂れている。眉が薄く、鷲鼻の持ち主で、目つきが威圧的だった。総じて、あまり友好的な態度とはいえない。
しかし、そのことが気にならないくらいに天於は興奮していた。
総理が臨席する会議で、防衛大臣が説明する。
この仰々しさ、やはり根幹樹の伐採作戦が実行されるのではないか。
根幹樹に咲いた星間散布体を破壊すれば、春人や他の被災者を救うことができる――
天於の胸は期待に高鳴った。
「NEMO日本支部の皆様におかれましては、日頃被災者の救助や移送にご尽力いただき、誠にありがとうございます。これまでに、延べ6,304人を救出していただきました。その貢献度は、えー、計り知れません。日本国政府を代表して、えー、感謝を申し上げます」
手元の端末で原稿を読みながら話しているせいか、まったく言葉に心がこもっていない。
思い出したように、浅く頭を下げた。
研究員たちも、おのおの着座したまま大臣に向かってお辞儀を返す。
「本日を持ちまして、えー、その活動を終了していただきます。今後は私ども防衛省の監督下で待機、駆体と呼称される有人兵器を屋外で用いる際には、防衛出動に準ずる法手続きをとっていただきます」
ざわめきが、小波となってあたりを走った。
「――ふざけるなッ!」
天於は机を叩いて立ち上がった。
「まだ樹海に取り残された人がたくさんいるでしょう! あなたたちが何もできなかったからNEMOが活動していたんだ! それを、急に何もするな? どういうことです!」
事実、天於を樹海から救い出したのは、政府機関ではなく民間組織であるNEMOだった。
「なんだ、君は……!」
南天大臣が全身から怒気を発し、だみ声を天於にぶつける。
緋桐が挙手をして大臣に問いかけた。
「屋外調査隊第2班の責任者の緋桐です。部下の非礼をお詫びします。しかし私も同様の疑問を抱きました。樹海では、まだ数万人の被災者が助けを待っているはずです。政府として、今後どのようにご対応するつもりなのか、お聞かせいただけませんか」
力強く堂々とした声が、会議室に響き渡った。
天於はその頼もしさに胸が熱くなった。
大臣が激しく手を払い、唾を散らしながら吐き捨てる。
「非常事態だということが分からんか! 民間人は我々の言うことを黙ってきいておればいいのだ! これから説明をするが、諸君らがそれに異議を唱える権利はない!」
「――」
室内に敵意が広がり、いまにもはちきれそうに膨らんでいる。
鈴峰が颯爽と立ち上がった。
「南天大臣。ここから先は、私がお話します」
「総理、しかし――」
鈴峰は首を横に振り、自分が座っていた椅子を示した。
「……承知、しました」
大臣がうなだれ、汗を流しながら檀上から降りる。
「柴沢くん! もう言いたいことは言っただろう――座りなさい!」
石蕗の叱責に、天於は屈しなかった。
「連帯責任だろ? 喜んで罰を受けるぞ、仲間だからな」
浅葱がボソッとつぶやく。暗に、巻き込むなと言っているのだ。
萌はころころと転がるような笑い声を立てた。
「かっけーじゃん、テオテオ。もっとやっちゃえ」
鈴峰が大臣と入れ替わって檀上に上がり、研究員たちと向き合う。
歓迎する雰囲気は皆無で、非友好的な視線が集中するが、鈴峰は平然とそれを受け止めた。
相手を威嚇するでもない。阿るでもない。
リラックスした佇まいに、数々の修羅場で鍛え上げた精神の強靭さが感じられる。
鈴峰は胸に手を当て、静かに話を切り出した。
「まず、改めて皆様に感謝を申し上げます。先ほどそちらの若い研究員の方がおっしゃった通り、惑星受粉以来、我々は国民の皆様の命を守る体制を整えることができておりませんでした。危険を顧みずに樹海に入り、被災者を救ったのはあなた方です。重ねて、感謝いたします」
深々と、頭を下げる。
先ほどの防衛大臣の話と違い、心に訴えてくるものがあった。
天於は気勢を削がれ、椅子に腰を下ろした。
「どうか、今回の措置で自由を奪われたとは思わないでください。これは、あなた方の安全を守るためにどうしても必要なことなのです。それを今からご説明しましょう」
鈴峰が部屋の隅に控えている秘書に目配せすると、天井の照明が消され、鈴峰が背にした大きなスクリーンに映像が映し出された。
地球を見下ろす周回軌道を飛ぶ衛星――
筒状の基部の周囲に、巨大な円環が浮かんでいる。
放射線状に突起物が伸び、まるで後光を背負っているようだ。
鈴峰が優雅な仕草で手を上げてそれを示す。
「我が国が所有する、二九式荷電粒子砲搭載衛星です。加速させた中性粒子を高エネルギーに変換し、衛星軌道から地表へと放出する能力を持ちます。これを用いて、一気呵成に東京樹海を焼き払う。これこそが、我々の構想した『キュクロプス計画』です。作戦の名は、ギリシア神話において、主神ゼウスの雷を鍛えた単眼の巨人に由来しております」
会議室を満たすざわめきは、先ほどとはまるで質が違っていた。
東京樹海を焼き払う?
そんなことが可能なのか?
上空から、圧倒的な力で草獣を駆逐する――
もし本当にそれができるのなら、世界を救うことは決して夢物語ではない。
しかし――
なんだか、胸がモヤモヤする。
天於は顔を曇らせ、腕を組んだ。
高揚感は一瞬で消え失せて、冷ややかな疑念が胸を占めている。
樹海を焼き払うってことは、つまり……?
シオンが大きな物音を立てて立ち上がった。
「上席研究員の鏑木シオンと申します。総理、意見を申し上げてもよろしいでしょうか」
娘の強襲に、鈴峰はわずかに目を細めたが、動揺までは見せなかった。
「――どうぞ、鏑木さん」
シオンに手を向けて発言を促す。
シオンはまったく物怖じせずに言い放った。
「今し方いただいたご説明に疑問があります。中性粒子は大気圏内では拡散し、威力が大きく減退するはずです。東京樹海を焼き払うだけの威力があるとは、到底、思えません」
鈴峰は口元に余裕の笑みを閃かせた。
「中世粒子の性質については、ご指摘の通りです。しかし、ご心配には及びません」
画面にいくつか、二九式と同じように筒状の基部を持つ衛星が映し出される。
「アメリカが保有する『エターナル・ホーク』、インドの『シヴァ』、中国の『雷剑』、イギリスの『コールブランド』……これは各国政府との共同作戦なのです。五つの衛星を直結させることで、出力の大幅な増強が可能です」
間髪入れず、シオンが追及する。
「しかしその場合、別の問題が生じます。そのような高エネルギーをぶつければ、東京の地下に避難している被災者を巻き添えにする可能性が高くなります。政府は、国民の命を損なうと分かっていて計画を実施するのですか。それらすべてを焼き尽くすと?」
天於は大きくうなずいた。
そうだ、その通りだ――
東京を焼き払うほどの力を使えば、草獣を一掃したとしても、人が犠牲になる。
「それに植物たち……。今、東京に存在する植物の大半は、いわばハプスに体を乗っ取られているだけです。巻き添えにするべきではありません」
天於は温かい気持ちが胸に満ちるのを感じた。
弱者に優しいシオンの本質は、昔とまったく変わっていない。
植物すら守ろうとしている。
「やっぱり、おまえは……」
おれのヒーローだ、と天於は口の中でつぶやいた。
駆体で東京から草獣を駆逐し、春人や他の被災者を救う。それが天於の掲げた目標だ。
だが、天から降る神の炎で、他の命を巻き込んでまでそれを達成することは違う。
絶対に。
鈴峰はシオンの指摘に、ゆっくりとうなずいた。
「ええ。残念ながら、この計画では、人的・環境両面の被害をゼロにすることはできません」
はっきりとそれを認めた。
シオンが勢いづき、さらに攻め立てる。
「多数のために、少数を犠牲にすると。いえ、民主国家で指導者が権力を行使するに当たっては、それが公平で正しいとは思います。しかし総理、首相としてそれを明言してよろしいのですか。失敗したときには、ご自身が全責任をお取りになるわけですね?」
政治家の多くは、自己の責任について言質を取られることを嫌う。
鈴峰は違った。
「もちろん、106代内閣総理大臣、鈴峰三角――私がすべての責任を負います」
何の迷いもなく、言い切った。
シオンにとって、その回答は意外だったようだ。平静を装っているが、顔が強張っている。
母と娘はしばらく無言で睨みあった。
次に言葉を発したのは、母親の方だった。
「もしくは、あなた方に何か妙案があるというのであれば、教えていただきたいですね」
「それは……」
シオンが口ごもり、目を伏せる。
「行け、シオンちゃん」
天於の隣で、萌がつぶやいた。
いつになく真剣な顔で、拳を強く握りしめている。
シオンが顔を上げ、鈴峰をまっすぐに見据えた。
「――あります。研究途上ですが」
初めて、鈴峰の表情に変化が現れた。
「と、いうと――」
「スクリーンをお借りします」
シオンが手元の端末から、鈴峰が背にしているスクリーンに資料を飛ばす。
細長い試験官の中に紫色の液体が入っている画像が映し出される。
天於は、いつだったか、シオンがそれをケースに入れて運んでいたことを思い出した。
「菌従属栄養植物を苗床にしたハプスからヒントを得ました。菌従属栄養植物は、文字通り、菌類と協力することで周囲の植物から養分を吸収しています。人工的に菌を模したケースを生成し、そこに成長を著しく促進させる成分を注入しました。これをハプスに使うと――」
動画に切り替わる。
下からライトで照らされた水槽の中で草獣が暴れている。
大きさはせいぜい1メートル、猫に似た外観が一見かわいらしい。体毛は植物の葉で、胴体から対生していくつにも枝分かれしたカギ爪状の手を持っている。
小柄ではあるが、生身の人が遭遇したらまず無事では済まないだろう。
水槽の中が紫色に濁りだした。
草獣が苦しみ、大量の気泡を吐く。
すると――奇妙な現象が起こった。
葉の体毛や枝のカギ爪、つまり植物の性質を持つ部位がぬるりとちぎれて、浮いていく。
その一方、ナメクジに似た、緑色の皮膚を持つ塊が底に沈んでいった。
参加者たちからどよめきが上がり、会議室が騒然となった。
「すごい……! すごいって、コレは!」
天於が興奮してドンドンと拳で机を叩く。
「これがあれば、東京を燃やす必要ないんじゃないのォ~?」
萌が掌をメガホンのように丸めて口に添え、芝居がかった大声を上げる。
シオンは、ざわめきが静まったのを見計らって説明を続けた。
「ハプスは植物のDNAを取り込み、爆発的にその細胞を増殖させることで急成長します。この薬は、化学化合物によってこの増殖をさらに促進させてコピーの限界を招き、結果的にハプス本体だけを死滅させることが可能です。私はこれを、ギリシア神話に登場する毒から、『ネッソス』と名付けました」
ネッソスとは、ギリシア神話に登場するケンタウロスの名だ。その血は大蛇ヒュドラの毒を含んでおり、間接的に半神半人の英雄ヘラクレスを死に至らしめる。
天於は口元をほころばせた。
計画に神話から大仰な名前を借りるあたり、この親子には似通ったセンスが感じられる。
ふと、天於はシオンの手が震えていることに気づいた。
この人数、この雰囲気の中での主張。
一見、平然としているが、シオンも緊張やプレッシャーと戦っているのだろう。
拍手の音が響いた。
手を叩いているのは――
鈴峰だ。
「素晴らしい、実に素晴らしいです、鏑木さん。あなたのような若者がいれば、日本の未来は明るいですね。それで、この薬が安定した効果を持つと実証されるには、どれくらい時間が必要でしょうか? 生産のコストは? 実証方法は? 投薬の方法は?」
シオンが回答するまでに、少し間があった。
「…………実用化には、まだこれから様々な点で精査が必要です」
わずかに声がトーンダウンしている。
「なるほど、実に興味深いお話でした。今日、惑星受粉からすでに121日を数え、樹海の中でハプスは増殖を繰り返している。これは時間との戦いです。一刻の猶予もありません。あなたの研究も、間に合うのならば、計画に組み込みたいものです」
「それでしたら――」
シオンが言いかけたとき、それまでやりとりを黙って見守っていた石蕗が立ち上がった。
「総理、丁寧なご説明を賜り、ありがとうございました。当研究機関は法令を遵守し、国土回復のためにささやかながらお手伝いをさせていただきます」
石蕗が鮮やかに話をまとめ、鈴峰に礼をする。
これほど露骨に会話に割って入ったこと自体が、シオンに対する明確なメッセージだ。
これ以上、余計なことを言うな――
シオンは口をつぐみ、鈴峰に一礼して着席した。
照明が戻り、御前会議の終わりを告げる。
「では皆様、引き続き宜しくお願いいたします」
作り物めいた笑顔を残して、鈴峰が会議室を出て行く。
その背中を、シオンが何か言いたげに視線で追う。
天於は立ち上がり、シオンに駆け寄った。
「シオン! あの人に、まだ言いたいことがあるんだろ?」
「――でも」
天於はためらうシオンの手首をつかんだ。
シオンは抵抗するが、その力は弱々しい。
「行くぞ!」
天於はシオンの手を引いて、鈴峰の後を追った。
NEMO日本支部は関連施設のほとんどが奥多摩湖の地下にあるが、一部は地上に頭を出している。ダム湖を見渡すことのできる高い塔はそのひとつで、屋上はヘリポートになっていた。いまはそこに、ひしめき合うように自衛隊の武装ヘリが並んでいる。
天於とシオンは、ヘリに向かおうとする鈴峰の一行に追いついた。
「良かった、間に合った……!」
天於は安堵したが、シオンが足を止めてしまった。
「私――やっぱり……」
天於たちに、鈴峰を護衛している若い自衛官が気づいた。
その場で止まるように手で合図をして歩み寄ってくる。
「何か御用ですか?」
「ちょっと総理にお話がありまして! 通してください、お願いします!」
天於が勢いよく頭を下げる。
自衛官は困惑した様子で、チラッと鈴峰たちに視線を遣った。
「それはできません。総理は、次の用事のために急ぎ鎌倉に戻られるところです」
「――ですって。今日は諦めましょう」
シオンは、すっかり腰が引けている。
天於は自衛官を無視して、大声で鈴峰に呼びかけた。
「総理! 鈴峰総理!」
上半身がヘリのキャビンに入る寸前、鈴峰が天於たちに気づいた。
天於が頭の上で大きく両手を振ってアピールする。
鈴峰は部下たちに何事か伝えて、ひとりでこちらに歩み寄ってきた。
自衛官が姿勢を正し、鈴峰に敬礼する。
「少し、外してもらえるかしら」
「はッ!」
自衛官は一歩後ずさり、小走りで去った。
「なかなかいい発表だったわよ、シオン。ネッソスだっけ? 語感も気に入ったわ」
鈴峰がシオンに語りかける顔と口調に、先ほどまでとは違う親の表情がある。
シオンは褒められてほんの一瞬笑みを覗かせたが、すぐにそれを引っ込めた。
「……あれはまだ、研究中だから」
天於には、ここまで謙虚に振る舞うシオンの姿が意外だった。
抜群の知性を誇る才女も、親と1対1で接すると子どもに戻るようだ。
「研究データを渡しなさい。世界中の研究者に公開して、実用化の目途をつけてあげる」
鈴峰に言われて、シオンの顔にみるみる失望が広がった。
「……だから。まだ研究中で、外に出せる状態ではないと言ったでしょう。そんなことより、衛星から砲撃って本気なの? 何人も国民が死ぬのよ。植物も建物も消えてなくなる。歴史に悪名が残るのに、どうして平然としていられるわけ? 非常時なら何をしてもいいの?」
会議では言わなかった本音を、いまぶつけているらしい。
鈴峰は瞬時に政治家の仮面を被った。
「シオン、政治は常に人を殺すわ。平時であっても、社会問題、経済問題、外交問題によって、国民は死ぬ。政治家の能力の欠如が、迷いが、不作為が、国民を殺すのよ。私はその覚悟の上に、この選択が我が国と国民にとって最善であると確信しています。それだけよ」
「そんな理屈……! 要するに国民を見捨てるんでしょう? 私と父さんにしたみたいに!」
シオンの訴えは、鈴峰の鉄面皮に跳ね返された。
「私は、あなたたちを愛さなかったことを後悔していないわ。これまでも、これからも」
「…………!」
シオンの瞳が潤む。
天於は大声で叫んだ。
「おれは愛してますよ!」
鈴峰とシオンがあっけにとられている。
ここに萌がいたら叱られそうな気がする。
それでも――と天於は思う。
いまこの瞬間、このことを誰かが言わなくてはならなかった。
それも、大声で。
「萌も、隊長も、浅葱も、みんなシオンのことを愛していますよ。愛ってよく分かんないですけど、それでもたぶん、いや絶対そうですね!」
少しでも数が多い方がいいと思い、周囲の人も巻き込んでつけ加える。
萌がこの場にいたら、むしろこの付け足しの方に、「要んないよ」と呆れただろう。
「……ふふ」
鈴峰の口から、笑い声がこぼれた。
それが次第に大きくなり、涙まで流して笑い声を弾けさせた。
そうやって笑っていると、彼女は娘によく似ていた。
「柴沢天於くん――だったっけ? あなた、最高ね……!」
「――」
シオンが顔を真っ赤にして、横目で天於をにらむ。
やってしまった――
天於はダラダラと汗をかいていた。
しかし、謝るのも何かおかしいし、出した言葉はもう引っ込められない。
鈴峰はひとしきり笑うと、チラッと自分を持つ部下たちに目を遣った。
「ああ、笑わせてもらった。シオン、結婚するならこういう――やめた、また怒られそうだから。私の役に立つ決心がついたら、連絡しなさい」
去っていく母親に、娘が言葉を投げつけて追いすがる。
「根幹樹は私が消滅させる! あなたじゃなくて私が!」
振り返った鈴峰は、娘の宣戦布告に笑顔で応じた。
先ほどとは、まったく違う。
その笑みは冷ややかな刃に似ていた。
「やれるものなら、やってごらんなさい。この研究所は優秀な研究員が多いようだし、皆さんの力を借りればできるかもしれないわね。もし成功したら――本当の拍手をあげるわ」
蠱惑的な声。
性別も年齢も関係なく、魂に届く声だ。
この人に認められたいと思わせる力がある。
5機のヘリが一糸乱れぬ動きで編隊を組み、南の空に飛び去るのを、シオンは唇を噛んで見送った。かなり気を張っていたのだろう。屋上に天於と二人だけになってから、静かに大きな息を吐き出した。
「シオン――」
心配になって天於が声をかけると、
「言ってやった!」
シオンは子どものような顔で笑った。
興奮のせいか、顔全体がうっすらと上気して赤い。
いままでに見たどの表情よりも、生き生きとしてきれいだった。
「総理にケンカを売っちゃった。後でまた所長に怒られるわね」
小さく舌を出すシオンに見惚れながら、天於がうなずく。
「おれは、あの人のことが嫌いじゃない。覚悟とか、あの人なりの正義を感じたよ。でもシオンは、面倒でも違う方法を選びたいんだろ。それがおまえの考える正義なんだろ」
「――そうよ」
「おれは、おまえのやり方で東京を救いたい。やろう」
その日最後の陽が、ゆっくりと山の端に沈み込んでいく。
急にあたりが暗くなった。
「……うん」
シオンの声は小さく、いまにも消えてしまいそうだった。
「少し、ここでゆっくりしていけよ。おれ、先に戻ってるから」
天於なりに、シオンに気を使ったつもりだった。
天於が建物に向けて歩き出したとき、後ろからシオンが追いついて抱きしめた。
「――?」
「振り返らないで」
シオンの声に、涙の気配がある。
「――」
天於はどうしていいか分からず、暗くなった空に目を向けた。
「天於、ありがとう。今日だけじゃなくて、今までずっと……」
「……おれ、何かしたっけ?」
「何通も、手紙とメールをくれたわ。アメリカに行った頃、しばらく父と仲が悪くて、学校にも馴染めなくて……どこにも行き場がなくて辛かった」
「……! おれに言ってくれれば良かったのに」
「あなたにとって、強くて、頼りになる女の子でいたかった、から……」
「――だから、返事をしなかったのか」
尊敬する気持ちがシオンには重荷になっていたと知って、天於は胸が痛くなった。
「でもね……全部、とってある」
ぐしゃっとシオンの声が潰れた。
「もらった手紙、メールも……何度も読み直して、辛いときに力をもらっていたの……」
天於はシオンから返事が来なくても、手紙とメールをマメに送っていた。
ほとんどは、他愛のない近況報告だった気がする。
「その――困らせちゃったか? おれ、おまえを尊敬していたからさ」
文面からも、それが滲んでいたに違いない。
天於は背中に重みを感じた。
シオンが額を天於の背につけたのだった。
違う、と首を横に振っているのが、見えなくても感触で伝わってくる。
「世界のどこかに、自分のことを凄いと思って、応援してくれている人がいる。それだけで、すごく……すごくすごく嬉しかったんだよ」
天於は振り返ってシオンを抱きしめたい衝動に駆られた。
そうか、これが萌の言ってた、『こっちの好き』か……。
天於は急に自分が恥ずかしくなってた。
頬が火照って赤くなる。
先ほどの「愛してる」がどれだけ薄っぺらく空虚に響いたのか、今更ながら実感したのだ。
自分の中に芽生えたシオンへの想いを感じつつ、天於は急に何も話せなくなって、ただ暗くなった空を見上げていた。