【ep.14】 発火:前編 (作戦決行17日前 )
世界各地に星間散布体が降下し、主要都市は樹海と化している。
日本では首都東京が壊滅、大阪と名古屋も緑に呑まれ、主な行政機関は鎌倉に移った。
この土地が政治の中枢となるのは、約700年ぶりだ。
歴史に由来する象徴的な意味より、横須賀の米軍基地から近いことが一番の理由だった。
天於はアルテシマのカメラを通して周囲をゆっくりと見渡した。
とある古社の境内。
緑がすべての社殿を浸食し、さながら人が絶えて数百年が経過した廃墟の如き趣があるが、それらは不思議に溶け合って調和していた。むしろ境内に並ぶ輸送車両やマイクロバスの方が異物感を漂わせている。レールガンを手にした巨人、駆体は言わずもがなだ。
避難者たちが重い足取りでNEMOの輸送車を降り、マイクロバスに乗り換えていく。
天於はひとりひとりの顔をズームして確認した。
『探してる男の子、いそう?』
同じ警護の任務に当たっている萌が、モニター越しに天於に声をかけた。
「いや……たぶん、まだ都心部にいるんだろうな」
NEMOは政府と連携し、東京樹海に取り残された人々を救出して鎌倉に送り届けていた。
とはいえ、主な活動区域は樹海の外縁に広がる緩衝地帯だ。都心部と比べて樹林の密度が低く、草獣の数も少ない。輸送には30人を収容可能な車両が活躍し、駆体は護衛役で随行する。
天於がこの任務につくのは今日で二度目だ。幸い、一度も草獣に遭遇していない。
本音を言えば実戦を経験したかったが、恐怖がこびりついた避難者たちの顔を見ていると、そんなことは口に出せなかった。
萌が共有モニターにカレンダーを表示して、指で数える。
『テオテオがこっちにきて1か月か~。それくらいなら、その子、まだ生きてんじゃない?』
「だといいけどな……、樹海の1か月は長いよ」
日々、草獣に脅かされ、花粉で死ぬことに怯える。こうして駆体に乗っていると、生身であの地獄にいた皮膚感覚が薄らいでいくようで、そのことに罪悪感があった。
シオンは樹海に入るまで3か月は訓練が必要だと言っていたが、とても待てない。
いますぐ、単身でも樹海に乗り込みたいくらいだった。
「ン――」
ビリッと空気が震えた。
ローターブレードが空を裂く、ヘリコプターの独特な飛行音が聞こえてくる。
天於はアルテシマの手で庇を作って陽光を遮り、空を見上げた。
ヘリコプターの五機編隊だ。尾の部分に、日の丸がペイントされている。
『あれたぶん、偉い人が乗ってんなー。重武装タイプが護衛してるよ』
萌が言うのを聞いて、天於はふと素朴な疑問を抱いた。
「なあ――今更だけど、なんで誰も空から樹海に入らないんだ? ヘリで救助隊を送るとか、輸送機から駆体を落っことすとかさ?」
『テオテオさ~、シオンちゃんに怒られるぞ。駆体じゃない兵器は、花粉に操作系統をやられるんだよ。基本の基本デショ』
「じゃあ、駆体ヘリを作ればいいじゃねーか!」
『なんで逆ギレ……。実は、1回それっぽいのを作ったらしいよ。けど、別の問題があって。テオテオさ、ハイペリオンって知ってる?』
「いや、初耳」
萌がくわえていたチョコバーをパリッと割って、口の外に出ていた部分を顔の前に立てた。
その側面を上から下になぞる。
『現存する、世界で1番高い木の名前。115メートル以上あんだって』
「115メートル……?」
単純計算で、駆体の10倍以上の高さがあることになる。
『噂だけど、それくらい大きい草獣が樹海にいるらしーよ。これ、丸の内のあたり』
CQからアルテシマに画像のデータが届く。
やや角度をつけて、上空から都心部を捉えた静止画像だ。
林冠が不自然に盛り上がった一画があり、赤い線で囲まれている。
天於はその部分を拡大し、目を細めて眺めた。
「これ……草獣か?」
画像が荒いこともあるが、植物に覆われた超高層ビルにしか見えない。
屋上から、電波塔のようなものが数本立っている。
『ウン。で、そいつがブンブン腕を振り回して、低空で近づくと叩き落とされちゃうらしい』
天於の脳裏に、惑星受粉の当日にシオンと遭遇した巨大な影が浮かぶ。
まさかな――
115メートルはないにしても、10階建ての雑居ビルを遥かに超えるほど高かった。
『噂ね、噂! 話がどんどん大きくなってんのかもしんないけどさ~』
天於は遠ざかるヘリに視線を向けた。
「あの人たち、大丈夫か……?」
『方角が樹海と逆じゃん。奥多摩の研究所に向かってんじゃないかなー。たまーに、政府の人が来たりするから』
天於が、あっと声を上げた。
「これも噂だけど。政府が、本格的に根幹樹の伐採作戦を立てるらしいな……!」
『てことは! テオテオ、駆体で樹海デビュウのチャンス~?』
「この間、シオンにまだ実力が足りないって言われたんだよなー……」
天於は頭をブンブン強く振って、弱気を追い出した。
「今日のことを報告がてら、シオンに直訴する! おれも連れてけって!」
『最近、距離がちょーっと縮まった感じするよね~』
萌がカメラに悪戯っぽい笑顔を近づける。
「ん、誰と?」
あは、と萌が笑い声をこぼした。
『シオンちゃんに決まってんじゃん。つーか、好きだろっ!』
モニターの向こうから指を突きつけられ、天於はうなずいた。
「うん」
『即答かよ!』
「あいつは昔からおれのヒーローだからな」
『そっちじゃなくて! こっちの好きは、女の子としてどうかっつー話!』
「こっちの……? シオンは最初から女だろ」
『だからさ~! シオンちゃんとイチャイチャしたくなったりする?』
「ないない。シオンはおれにとって、姉貴みたいなやつで……」
『エ~、でもシオンちゃんは、テオテオを完全にオスとして見てると思うよ?』
「オス……?」
天於は腕を組んで黙り込んでしまった。
恋愛に関する脳の容量が、極端に少ない。
というより、領域が解放されていなかった。
そんな天於が、萌には面白くて仕方がないらしい。
『じゃあさ、じゃあさ! 目の前にシオンちゃんが裸でいたら、どーよ?』
「――」
天於の顔が、突然、ボッと赤くなった。
萌がつられて頬を紅潮させる。
『なっ……に、その初々しすぎるリアクション! こっちが照れるんですけど……! ちょっと待って、ホントにいままで少しも考えなかったの、そーいうこと?』
「い、今はそれどころじゃないだろ……」
「恋愛には、平時も有事も関係ないっしょ」
「お――おまえこそ、そういう人いないのか? 人気あるだろ?」
天於は若手の整備士に萌を紹介して欲しいと頼まれたことがあった。萌はいつも陽気で、誰に対しても愛想がいい。恋愛に疎い天於でも、クラスにいたらモテるだろうなと思う。
『まあね、交際のオファーは、ときどきいただくね~』
恥ずかしがることもなく堂々と認め、いっそ清々しかった。
『ま、でもあたしは、みんなの萌ちゃんだから!』
天於は萌の顔をまじまじと見つめた。
「……言われてみれば、アイドルっぽいかもな。ちょっとクセがあるけど……」
『どこがだよ! 王道ど真ん中だろっ!』
萌は言ってから少し真面目な顔になって、
『あたしはさ~、いろんな人に少しずつ好かれるのが気持ちいいんだよね。だから、誰かひとりっていうのは、いまはないナー。それにねー』
萌が目を伏せて、ふふっと思い出し笑いをした。
『とある死にたがりと約束したんだよ――あたしのこと、好きになっていいって。別に付き合うとかじゃなくてね? 好きな人がいるってだけで、生きる理由になるじゃん』
死にたがり……。
天於には、それが誰なのか言われなくても分かる。
「ずいぶん上から目線だな」
『そりゃーね、簡単に手に入るものじゃダメだよ。届かないからいいんだよ。だから、あたしはいつも
フワフワキラキラしてよっかな、って!』
口元に指を添えてポーズを決める萌は、本人の言うように輝いて見えた。
天於と萌が鎌倉から研究所に戻ってきたのは、昼過ぎだった。
地図で見ると距離を感じるが、盾に乗って移動すれば3時間もかからない。
すぐさま、格納庫で駆体の状態確認が行われた。この作業は整備士の仕事で、萌などはさっさと上がってしまったが、天於は勉強も兼ねて手伝っていた。
「よし……」
モニターに表示されている数値をひとつずつ指して、異常がないことを念入りに確認してからコクピットハッチを開ける。
外に出かけたところで、飛び込んできた人影が天於をシートに押し戻した。
「――?」
「ごめんなさい、入るわね」
白衣を着たシオンだった。
「え、え、おい――」
シオンが慣れた手つきで操作卓を勝手に操作して、ハッチを締めた。
コクピットは狭い。パイロットひとりでも、少し窮屈に感じるほどだ。
「シオン……?」
対面の姿勢で、しかも顔の位置が近い。
天於は、長時間の任務を終えた自分の体が汗臭いのではないかと急に心配になった。
「モニターをつけて」
「お、おう……」
天於は言われるまま、切ったばかりのモニターをつけた。
壁のある背中方向と足元以外の全方位が球形のスクリーンに映し出される。
格納庫に、十数人が連れ立ってやってきた。
自衛隊の制服に、ちらほらとスーツ姿が混じっている。見慣れない顔ばかりだ。
「あれって――」
「鎌倉からのお客様よ。あなたが報告してくれたんでしょう」
シオンはなぜか機嫌が悪そうだった。
所長の石蕗が自ら客人たちを案内している。
シオンはきゅっと背を丸めると、シート脇の狭いスペースに身を埋めた。
体を反転させて、天於と同じようにハッチの方に顔を向ける。
シオンの胸が天於の腕に当たり、薄手の服越しに柔らかい感触が伝わってきた。
天於は午前に萌に言われたことを思い出した。
――目の前に、シオンちゃんが裸でいたら、どーよ?
いつになく、シオンのことを異性として意識してしまう。
「…………」
萌が変なこと言うから――
天於は不自然に体を捻り、顔を背けてシオンを見ないようにした。
シオンはそんな天於の不審な態度にはまったく気づかず、所長の隣にいるスーツ姿の女性に険しい視線を注いでいる。
天於は、その顔に見覚えがあった。
「あ……! あれ、鈴峰総理じゃないか?」
鈴峰三角、本邦で初の女性総理大臣。
目鼻立ちのくっきりした美貌の持ち主だ。薄化粧のために50の年齢に相応の皺が露わになっているが、自信に満ちた表情とあいまって、飾らない美しさを感じさせる。着ているスミレ色のジャケットは優雅で気品に溢れ、他者を従わせる女王の風格が漂っていた。
「かっこいいなー……」
素直な感想が、天於の口を衝いて出た。
シオンが至近距離から天於をにらむ。
「どこが」
「まさにリーダーって感じがするよ。あだ名、なんだっけ――『鋼の女帝』?」
鈴峰は惑星受粉の際には外務大臣だったが、総理をはじめ政治家が次々に命を落とす中、生き残った閣僚とともに鎌倉で臨時政府を立ち上げて総理の座についた。主要都市が壊滅した今の日本がかろうじて国家としての体裁を保っているのは、ひとえに彼女の統率力の賜物だ。
若くして政治の世界に飛び込んで以来、数々の逆境に怯まず課題に取り組み、難解な政局を読み切ってキャリアアップを重ねていることから、『鋼の女帝』の異名で呼ばれている。
「鋼でできた人なんて、この世の中にいないわ」
ばっさりと切って捨てたシオンの目に、強い嫌悪感が映っている。
「シオン、もしかして、総理が嫌い――」
「ええ」
食い気味に言葉が打ち返されてきた。
「だから隠れているのか?」
「隠れる? 私が?」
シオンは語気を荒げたあと、小さく首を横に振って、
「私はただ、嫌いな人と顔を合わせたくないだけよ」
そこに、総理を案内中の石蕗から無線が入ってきた。
『柴沢くん、アルテシマの中にいますか?』
総理の前だからだろう、よそ行きの喋り方で、声音がいつもより少し高い。
「――はい、所長」
『総理が見学にいらっしゃっているから、出てきてご挨拶をしてください』
「え、ええと――ちょっといま、取り込んでいまして」
天於は返事を濁した。
シオンが天於の耳元に口を寄せ、(やめてやめてやめて)と早口でささやく。
天於は鼓膜をくすぐられているようでゾクゾクした。
「おれのような下っ端が出ては失礼では? パイロットの代表なら緋桐さんが――」
『彼は別件で外しています。とりあえず、君がご挨拶を』
遮る声に、微かな苛立ちがある。
いま格納庫にいるパイロットは、天於だけのようだ。
シオンが懇願する目になった。
天於は口をパクパク動かし、身振りを加えて、どうしようもないだろ? と弁明した。
『柴沢くん?』
石蕗から再三の催促。これ以上は引き延ばせない。
「……はい! いま出ます!」
天於はハッチを開け、ゆっくりとした動作で外に出た。
シオンが入れ替わりにシートに滑り込み、天於の背中を盾にして隠れる。
天於はハッチの上で背筋を伸ばし、頭を下げた。
「柴沢天於です! 入所して2週間の候補生です!」
鈴峰が笑顔でそれに応えた。
「鈴峰です。お若いのに、ご苦労様です」
声に張りがあり、感情がこもっている。
天於は鈴峰の隣にいる石蕗から強い視線を感じた。
降りてこい、と言いたげだ。一国の首相を見下ろすのが失礼だということは、天於にもよく分かる。分かるが、天於が外に出れば、シオンが丸見えになってしまうのだ。
こうなったら――天於は一計を案じた。
「高い所からすみません! 長時間の任務に対応できるよう排出した尿を循環する装置があるのですが、それが故障しまして! つまり……、今は体中、オシッコまみれであります!」
背後で、ビクッとシオンが身じろぎする気配がした。
石蕗が両手をわななかせ、口を大きく開けて声なき怒号を発する。
鈴峰は微笑をたたえたまま、手を軽く上げた。
「お仕事中にごめんなさい。どうぞ、そのままで。先ほど、入所して2週間とおっしゃっていましたね。そんな短期間でそのロボットを動かせるのですか?」
「まだまだ未熟ですが、とりあえず動かすことは……はい!」
鈴峰は感心した様子で深くうなずいた。
「心強いわ。私は日本国政府を代表し、こちらの研究所とさらに強い協力体制を築くために参りました。この未曾有の危機を、官民が手を携えて乗り切らなくてはなりません。とはいえ、あなたのような若い方を危険な目に遭わせないことが私の役割でもあります。くれぐれも、お体をお大事にしてくださいね」
しっかりと天於と目を合わせていった。
黒目勝ちな、人を引き込む大きな瞳――
天於はその目を知っている。
「……ありがとうございます」
天於が答えると、鈴峰は微笑を浮かべて軽く会釈をした。
それが、会話が終了した合図だった。
石蕗は天於を強くにらみつけると、一団に格納庫の奥へ移動するよう促した。
危なかった……!
天於は深く息を吐き出した。
「なんとか、やり切ったぞ……!」
疲れた笑みを浮かべて振り返ると、口をへの字にしたシオンが、アームレストに両手をついて、天於から遠ざかろうとシートに背中を押しつけていた。
「あ……、尿の話はあれだぞ? 外に出たらシオンが見えるから方便で……!」
「便……」
「なんでそこを拾うんだよ!」
「――とにかく、助かったわ……」
シオンが安堵の息をつく。
天於はその瞳を見て確信した。
「総理と親子なのか?」
シオンの顔が、硬く強張った。
「……何を根拠に? 誰かから聞いた? それとも資料を見たとか?」
シオンから矢継ぎ早に質問がとんでくる。ほとんど認めたようなものだ。
「目が似てるなって……」
以前に萌とシオンの親の話をした際、記憶を遡ってみたが、母親の顔が出てこなかった。
いつも、おっとりした雰囲気の父親がシオンを引き取りに来ていた。子ども心に察して理由を訊かなかったが、いま思えば、そもそも母親は一緒に住んでいなかったのではないか。
「――」
シオンは顔の前で掌を広げて天於の視線を遮った。
「…………血の繋がりは、あるといえば、ある」
不承不承認認める口ぶりは、ふてくされた子どものようだった。
「なんで総理の娘が駆体に乗っているんだよ……?」
そもそも、名字が違うのはなぜなのか。
シオンの声のトーンが、スッと低くなった。
「……あなたには、関係のないことでしょう」
「仲が悪いのか? 良い人そうだったけど……」
「だから。あなたには。関係のないことでしょ」
シオンは短く言葉を区切り、強い語気で言った。
乱暴に天於を押しのけて、コクピットを出ていこうとする。
「シオン」
天於はその背中に声をかけた。
「思ったことは、言えるときに言えよ。相手がいなくなったら何も言えないから――それって本当に、1番最低なことなんだぞ」
シオンは振り返り、「あなたに何が……」と言いかけたが、口をつぐんだ。
天於の母親が消息不明のままだということを思い出したらしい。
「お邪魔しました」
シオンは慇懃無礼につぶやくと、不機嫌な表情のままコクピットを出て行った。
つい、相手の嫌がる部分に踏み込んでしまった。
もっと別の言い方があったんじゃないのか……?
天於は後悔の念に襲われ、自分の頬をパチンと掌で叩いた。