【ep.11】 衝突:後編 (作戦決行22日前)
耐久訓練の三日後、天於は研究所の通路でシオンの姿を見つけた。
アタッシェケースを手から提げ、何事かブツブツつぶやきながら歩いている。
「シオン!」
声を掛けるが、考え事に集中しているのか、上の空で反応がない。
天於は小走りにシオンに追いつき、後ろから肩に手をかけた。
「シオン――」
「きゃっ……!」
シオンが飛び上がり、持っていたケースを落とす。
衝撃でケースの蓋が開き、中に納められていた試験官があたりに散らばった。
シオンが素早く床に膝をつき、慌ててそれを拾い集める。
「悪い!」
天於は詫びながら足元に転がった容器を拾った。
透明の試験官の中に、どろりとした紫色の液体が満たされている。
天於に渡されたシオンは、それをためつすがめつして、割れていないか確認した。
胸に手を置いて、小さく息をつく。
「もう――びっくりするでしょう……! 廊下は走らない!」
子どもを叱る口調で言いながら、試験官を一本一本そっとケースにしまう。
「悪い……。でも声は掛けたぞ、二回も」
天於からすれば、言い訳をしたくもなる。
「そう。ちょっと考え事をしていたから」
シオンが膝についた埃を払って立ち上がった。
「それで、何か用?」
「質問がある。『質問こそ、学びの入り口』なんだろ?」
天於は平静を装おうとしたが、目が強い怒気を発しているので、シオンも異変に気づいた。
「……どうかした?」
「おれはもう人間じゃないのか?」
「…………急に、何を」
言いよどんだシオンを見て、天於は自分の立てた仮説が正しいことを確信した。
「ライブラリで調べたんだ。プランティニアンは、人間じゃないんだろ?」
天於は図書室にある端末で、所内で書かれた論文をいくつか読んだ。専門性が高くて理解は困難だったが、PTが人間と乖離した存在であるらしいことは、ぼんやりと分かった。
シオンは、「いいえ」とはっきり否定した。
「それは学術的に正しくないわ。場所を変えて話しましょう」
「他の人に聞かれたらまずいことがあるのか? おれを騙していたとか」
天於は自分でも一線を越えていると思ったが、もう止められなかった。
通り過ぎる研究員が、剣呑な雰囲気を漂わせる二人に、好奇の眼差しを向けていく。
「……騙した、ですって」
感情の高ぶりが、シオンの声を震わせた。
怒鳴られる――
身がまえた天於は、思いがけないものを見た。
シオンの目に、じわりと涙が滲んでいる。
天於は内心うろたえたが、もう後には引けなかった。
「だ、だってそうだろ……? おまえは、おれを助けたんじゃなくて――」
「その続きは、おれが聞こう」
力強い声が、間に割って入った。
いつの間にか、天於の背後に緋桐が立っていた。
「ちょっと付き合ってくれるか、柴沢」
「隊長、このことは私が……!」
言いかけたシオンを、緋桐が視線で制する。
「命令だ」
威圧的ではなく、むしろ優しさの感じられる口調だった。
「…………はい。失礼します」
シオンは口を固く結ぶと、天於とは目を合わさずに立ち去った。
× × × ×
格納庫よりさらに下層、一般のエレベーターでは行くことのできない区画に工場がある。
「ここが育成場だ。この研究機関の心臓部だよ」
緋桐と天於は、強化ガラス越しにその工程を高所から見下ろしている。
草獣の細胞を培養し、成型して各種コーティングを行い、リンカーを付ける。
一連の作業は完全にオートメーション化されており、人の姿はない。
設備も製造物もすべてが大きく、じっと見ていると遠近感が狂ってしまいそうだった。
「リンカーと装甲、それにコクピット周りの電子機器類に比べると、生体機器はコストが安い。なぜだと思う? ヒント……おれたちの普段の仕事に関係がある」
それはもはや、質問の形を取った単なる説明だった。
「屋外調査で材料を調達しているんですね」
「その通りだ。捕獲した草獣の大半が、ここでリサイクルされる」
「人間ってすごいですね。すごいというか、怖いというか……」
「種や国家の存亡がかかった状況なら、多少の倫理的逸脱は許される。それが人間の歴史だ」
急に歴史という物差しを引き入れた緋桐に、天於は警戒を覚えた。
「延命のために人間を違う生物にするのも、仕方ないってことですか」
緋桐が苦笑いを浮かべて天於の肩を叩いた。
「そう焦るな。おまえに見せたいものがある」
緋桐はさらに工場の奥の区画へと足を進めた。
天於は、通路の照明がこれまでより暗くなったことに気づいた。
壁は愛想のない金属板で、天井にはケーブルやダクトが剥き出しになっている。
ここは多くの人の目に触れないことを前提にしている、いわば舞台裏らしい。
「なんです、ここ……?」
天於は気味が悪くなってきた。
工場の機械の作動音が徐々に遠くなる。
心なしか、気温も下がってきたような――
「すぐに分かる」
厚い扉の先には暗闇があった。
緋桐の操作で、四方からスポットライトに照らされたのは、
「駆体……!」
すり鉢状になったフロアの底で、一機の駆体が巨大な氷塊の中に擱座している。
楕円形の葉にいくつも鋭い切れ込みが入ったリーフ・プレートにまず目がいくが、体全体が異様だった。全体が植物に覆われ、生体機器が膨らんで、ところどころ装甲を内側から壊している。そもそも大きさが、通常の駆体より一回り大きい。機体中央に、巨大な爪に抉られたような大きな傷があった。ハッチが引き剝がされ、コクピットが半ば露出している。
ファインセラミックスの装甲をここまで破壊できるのは、草獣だけだろう。
「氷結封印を施しているが、この駆体――『モンステラ』は、まだ生きている」
聞き逃せない言葉があった。
「生きている……って言いました、いま?」
「ああ。これはPT、つまりプランティニアンがハプスとなったなれの果てだ」
「……!」
天於は絶句した。
全身が震えたのは、寒さのせいか、恐怖のせいか。
「出よう。ここは少し寒すぎる」
通路に出た緋桐の後を、天於が無言でついていく。
体にまだ冷気がまとわりついているように感じて、自分で腕を擦り合わせた。
訊きたい事柄がたくさんあるが、その回答を聞くことが恐ろしい。
それほど、変わり果てた駆体の光景は天於の心に強い衝撃を残していた。
緋桐は通路脇に設置されたドリンクサーバーの前で足を止めた。
紙コップにホットコーヒーを注ぎ、ひとつを天於に渡す。
「さて、どこから話そうかな」
天於に傍のベンチに座るように手振りで促し、自分も隣に腰を下ろした。
「――おまえのお袋さんが開発した抗体は、人類にとって希望そのものだ。それがなければ、そもそも、おれもおまえもいま生きてはいない。そこは疑わないだろう?」
「でも、欠陥品ですよ。怪物になる呪いがついているなんて……」
「いや、ある意味で完璧すぎたんだ。抗体を持つ人間は、花粉が大量に体内に入っても死なない。必然的に、ハプスの因子を大量に体内に抱え込むことになる」
「だから、本来は植物にしか作用しないはずの草獣化が起こるってことですか?」
「そうだ。おれたちPTは、体内に抱え込んだハプスの因子を利用して駆体の生体機器を動かすことが
できる。ここまではいいが、体内の花粉が閾値を超えるとハプス化が極まり、意識まで浸食される。これが、『発芽』と呼ばれる現象だ。どうなるのかは、さっき見たな」
「……! じゃあ、駆体はまるで――」
草獣の蛹じゃないですか。
天於は口に出しかけた結論を飲み込んだ。
「……やっぱり、人間をやめることを前提にした兵器なんて狂ってますよ!」
強い怒りに駆り立てられて、立ち上がる。
その感情の矛先が、抗体や駆体を作った母親に向いているのか、事実を伏せていたシオンに向いているのか、自分でも整理がつかない。
緋桐は首を横に振って、はっきりとそれを否定した。
「PTは人間だよ、柴沢。弱っちい、ひとりの人間だ。おれも、おまえもな」
緋桐の温かいまなざしが、天於の怒りを鈍らせた。
「…………」
無言でベンチに座り直し、間を持たせるために、コーヒーを一口すすった。
口の中一杯に苦みが広がる。
それを美味しいと感じたことが、天於を安心させた。
何の根拠もないが、自分はまだ人間だと思えた。
緋桐が苦々しく笑った。
「『発芽』を防ぐには、駆体に乗っているのが一番安全だ。皮肉なことにな」
駆体のコクピットは、花粉を流入させないために何重ものフィルターを備えている。
また、出撃の前に、目と鼻の穴、口の周りに透明のジェルを塗るのだが、これには花粉を引きつけて溶かす効果があり、樹海で屋外に出ても短時間であれば体内への侵入をほぼ完全に防ぐことができる。シオンが惑星受粉の日に天於に塗ったものがこれだ。
「なんでシオンは言ってくれなかったんでしょうね……」
緋桐の説明を聞いても、その点だけは納得ができなかった。
「浅葱の話は聞いたか?」
「PTのステージが高いということは……、萌からですが」
「浅葱は我々が助けたとき、花粉を大量に吸って重症だった。『発芽』を抑えて、いまは症状が落ち着いているが、乱暴な言い方をするなら、この研究所の中で誰よりもハプスに近い」
「……!」
天於の顔色が変わった。
「意識が戻ったあと、鏑木が状況を説明したが、ショックだったんだろう。五日間、一言も話さず、ほとんど何も食べなかった。餓死するんじゃないかと心配したよ」
天於には、浅葱の弱り切った姿が想像できなかった。
いつも、どこにいても状況に染まらず、周囲の人との間に線を引いて、自分の内面を出さずに生きている。そんな風に見える。
「立ち直ったきっかけが何だったのか、おれは知らない。ある日、急に飯を食い出したんだ。そして、駆体に乗ることを選んだ」
「……自棄になったんですかね」
緋桐は、「分からない」と正直に答えた。
「鏑木は浅葱へのアプローチを失敗したと言っていた。浅葱が駆体に乗ることを反対するべきだった、彼はいつも死にたがっているように見える、と」
「なのに駆体に乗れば強いなんて、矛盾してません……?」
「いや……、むしろ、ハプスになる恐怖と緊張感が、あいつを強くしているのかもしれない」
あえて、自分を死と隣り合わせに置くことで得られる強さ。
普段の飄々とした立ち振る舞いからは、まったく感じ取れなかった。
天於はうつむいて、自分の掌を見た。
「……おれも、そんな風に不安定でした?」
緋桐は少し考えてから、
「自分の命に関心が乏しい点では似ている。鏑木は、いつ惑星受粉が来てもおまえを助けられるように転校までしたんだ。それなのにおまえときたら、土壇場で初対面の少年を助けに行っちまうんだから。そもそもだ、あのときにおれが操縦するヘリに乗っていれば、抗体を打つ必要はなかった。だろ? これは他の誰でもない、おまえの選択の結果だ」
「……はい」
天於は自分の行動を後悔してはいない。
同じ場面に遭遇したら、きっとまたヘリに背を向けて走るだろう。
ただ、そのことでシオンの思いを踏みにじったと思うと、申し訳なさが募る。
「おまえは新宿で救われてから二週間も目を覚まさなかった。鏑木はひとりで看病していたんだぞ。おまえがハプス化したら、真っ先に標的になると分かっていても」
天於は頬を平手で打たれたように感じた。
病室の奇妙な設備を思い出す。
ひとつひとつのベッドを囲む壁――あれは、患者が『発芽』したときの対策だったわけだ。
研究所でしか抗体を打てないのは、外部では施術側の安全が確保できないからだろう。
天於は急に自分が恥ずかしくなり、両手で頭を抱えた。
「おれ、バカ野郎ですね。でも、シオンは、なんでそこまでしてくれるんだろう……?」
緋桐が力なく笑う。
「天然と口ベタでは、進むものも進まんな……」
「なんです?」
「いや、まあそれは本人に聞け。それよりおれが知りたいのは、おまえがこれからパイロットとしてどうするかだ。リスクを知って、それでも駆体に乗るか?」
天於は目をつぶった。
脳裏から、先ほど見た『モンステラ』の惨状を追い出す。
「――はい。やります。もっと訓練して、強くなりたいです!」
「射撃の訓練がひどかった話は、聞いたぞ」
駆体の操縦には、パイロット本人の運動神経や習得した技術が影響する。
そのため、射撃訓練は小型化したレールガンを生身の体で撃つことから始まるが、天於はこれがとにかく下手だった。
「何かコツがありますか?」
「近道はない。なんでも反復練習だ。たとえば、おれだって――」
緋桐はドリンクサーバーの傍らにあるゴミ箱を狙って、使用済みの紙コップをバスケットのシュートモーションで投げた。
紙コップがゴミ箱の縁に当たり、床に転がる。
緋桐は肩をすくめて立ち上がった。紙コップを拾って、ゆっくりとゴミ箱に捨てる。
「慣れていないことは、こんなもんだ。それに、おまえはいいものを持っていると思うよ」
「……! 足の速さですかね!」
天於が目を輝かせる。
「いや、駆体で全力疾走する場面はそんなにないからな……。ここだよ、ここ」
緋桐が拳でゆっくりと自分の胸を叩く。
「問題を解決しようとする前向きな姿勢。それに、落ち込んでも切り替えが早いところだ」
「……それ、どう役に立つんです?」
天於が顔中に疑問符を浮かべる。
「任務の現場では、トラブルが起きる。絶対に、だ。そんなとき、おまえみたいな人間が必要なんだよ。空気を変えて、チーム全体を前に進ませるやつが」
「――よく分からないけど、頑張ります!」
「それでいい」
緋桐が、これで話は終わったと言わんばかりに両手を叩いた。
「よし、食堂に飯を食いに行くか。鏑木も呼ぼう。それでスッキリさせる」
× × × ×
NEMOの食堂は設備が充実している。
ビュッフェ形式が基本だが、シェフが常駐しており、温かい料理を頼むこともできた。天於は豚肉のしょうが焼きを、緋桐はステーキを、シオンはベーコンの入ったサラダを注文した。
しかし、空気が硬く、会話がまったく弾まない。
出会い頭、天於は勢い込んでシオンに「ごめん!」と謝罪したが、「ええ」とだけシオンが応じて、それでその話は終わってしまった。
シオンがチラッと天於の皿を見て言った。
「……育成場に行ったそうね」
「うん、緋桐さんが案内してくれた」
「そのお肉……そこで加工されたものよ」
「……! じゃ、じゃあ草獣の……?」
天於があんぐりと口を開けたまま、箸から肉を落とす。
緋桐が肩を震わせて笑った。
「下手だなぁ。おまえが言うと本当に聞こえるんだよ、鏑木」
「え? あ――冗談か……?」
天於が顔を強張らせてシオンに訊く。
シオンは頬を真っ赤にして、ぷいと顔をそらした。
「おバカ。嘘に決まってるじゃない。なんで信じるのよ……」
ひとりでぶつぶつ文句を言っている。
どうやら、シオンなりに場を和ませようとして口にした冗談だったらしい。
天於は思わず噴き出した。
胸の中のわだかまりは、もうかなり小さくなっている。
ふと、浅葱がトレイを持ってやってくるのが見えた。
どちらかというと瘦せ型の体格なのに、料理を皿に山のように盛っている。
「浅葱! こっちで一緒に食おうぜ!」
天於は大きく手を振って呼びかけたが、浅葱はスッと目線を外すことでそれを拒否した。
緋桐たちに目礼して、無言で歩き去っていく。
「おいおい、おまえたち同い年だろう。もっと仲良くやれよ」
緋桐が教師の顔になって言う。
「違います隊長、おれは何も――あいつが一方的に感じ悪いんですよ! っかしいな、おれ、けっこう誰とでも仲良くできるタイプだと思ってたんだけどな……!」
とにかく、とシオンが仏頂面で言葉を引き取った。
「訓練で連携がとても悪いことは確かね。友人になれとは言わないけれど、二人とも少しずつ歩み寄って欲しいわ。樹海では、二人で組んで行動することもあり得るのだから。ただ、あなたはいまの実力では、樹海に行くメンバーには入らないと思うけれど」
「……! 見ててくれ、おれ、頑張るから!」
必死になって訴える天於に、シオンが冷ややかな視線を送った。
二人で組んで行動することになる――
シオンの予言めいた言葉が現実になるとは、そのときの天於は知る由もなかった。