9-少女は選ぶ。貞操か命か
師匠をピンチに追いやったのはルヒナだった。
それはそれとして、ルヒナも怪異が見れることが発覚。
そして彼女は師匠から、怪異が見れるようになる要因を聞くのであった。
それとは別に、山羊頭の魔人はルヒナに殺意を抱くのであった。
私と師匠は荒れ地を歩き、ウサギが逆立ちしたような形の岩山の麓にある村に辿り着いた。
「この村に来るのは二回目だな」
「これは……。村と言いますか、城と言いますか……」
その村は破棄された巨大な城を利用して築かれていた。
城壁の半分は崩れ落ちていて、中庭には城の廃材を利用して作られた家が何軒か建っていた。そして崩れた壁から覗く城の内部にも、ボロボロの小屋が散見する。
「お? お? もしかして貴方、異術師様では?」
崩れかけの正門前に立っていたら、通りかかった村人が足を止め、師匠に話しかけてきた。中肉中背の中年の男だ。
「その真っ白な髪、もしかして異術師様ではないですか? 背中には奇妙な形の薬箱も背負ってますし。いやあ、こんにちは」
村人は自然な動きで握手を求めてきたけど、師匠はこれをスルー。
「俺は確かに異術師ですが、別に異術師が全員、こんな髪色な訳じゃないですよ?」
「ああ、はい。それはわかっています。ですがこの村は以前、白髪の異術師様に救われたことがあったんですよ。それで貴方を見た時、もしやと思いまして」
「もしもも何も、こんな呪われたように真っ白な髪の人、そうそういませんよ。昔この村を救った異術師というのは、この人なんじゃないですか?」
私は後ろで手を組んで上体を傾け、いかにも可愛いらしい仕草で横から二人の会話に割って入った。
「おっふ……。この可愛い娘さんは……」
ふっ、チョロい。
やっぱり人から可愛いと思われるのは気分がいい。
「って、いえいえ。オホン……。その人ではないですよ。だって例の異術師様がこの村に来たのは、五十年くらい前なんですから。別人ですよ、別人」
それじゃあ違うか。師匠は白髪だけど、五十歳以上ということはないだろう。
師匠は「この村に来るのは二回目だな」とか言ってたから、もしやと思ったんだけどなあ。
「それ以来、この村に異術師様が訪れたら歓迎することになっているんですよ。この荒れ地を超えて来てお疲れでしょう? 宿屋代わりに改装した城の客間がありますので、どうぞそこでお休みください。村長にはわたしから言っておきますので」
にこやかな村人の顔が、どうも胡散臭い。
私は師匠の袖を引っ張って顔を寄せ、そっと耳打ちをする。
「師匠、流石にこの村人、親切すぎじゃないですか? 前の村みたいに、何か騙し討ちでもしようとしてるんじゃ……」
「まあ、あんなことがあった後じゃ警戒する気持ちもわかるが、この村に限っては大丈夫だろう。異術師に恩を感じているというのは本当だろうし」
そうして師匠は村人に招かれるまま、城内に入っていった。大丈夫かなあ……。
◆
城内はやはりボロボロで、壁や天井は穴だらけ。崩れかけた床はあり合わせの木材で補強されていた。
そして比較的崩落の少ない部屋は、村人たちの住居として改装されていた。
「もう百年以上昔ですかねえ。この城はエルフの襲撃を受け、落とされたらしんですよ。当時は立派な城だったらしいんですがねえ」
前を歩く村人がそんな世間話をする。
「こんな国の内部まで、エルフは侵攻してきたんですか?」
と、私は質問した。
「ええ、そうなんですよ。国境を接するエルフの国とは、ずっと小競り合いが続いてましてねえ……。奴らは数こそ少ないですが、兵士一人一人が人間族の隊に匹敵する強さを持っています。エルフの魔法はおっかないですよ」
ドリアードからしたらエルフなんてクソザコだけど、人間族からしたら相当な驚異なんだ。
「そして今ここに住んでいるのは、そんなエルフに故郷を焼かれ、落ちのびた者たちです」
「この城が落ちたのが百年以上前、そして以前に白髪の異術師が村に来たのが五十年くらい前。それじゃあこの村の人たちがこの城に住むようになったのは、六十年前か七十年前ってことですか?」
「ええ、それくらいでしょうね。わたしの祖父の代で、ここに住み始めたそうですから」
「故郷には戻らないんですか? こんな荒れ地での暮らしは大変でしょう?」
かつては最前線だったこの地も、今やドレミナント王国の内側だ。
人間族は善戦して、エルフを押し返したみたいだ。
「故郷は未だ、エルフの領土です」
◆
通されたのは荒れ果てた城内でも、比較的ましな部屋だった。
壁も天井も床もあるし、並べた木箱に厚い布を強いただけのベッドもある。そして壁際には瓦礫となる一歩手前のような、ボロボロの調度品──意匠の施されたタンスとか、真っ赤な布地のソファとか──が並べられていた。
「ルヒナ、そろそろ体の包帯を取ってもいいんじゃないか?」
「そうですね。それじゃあ師匠は部屋の外に行ってください。あと、清潔なタオルとか持ってますか?」
師匠を廊下へ追い払い、服を脱いで体に巻かれた包帯を取り去る。私は一糸まとわぬ姿になった。
傷跡が残っていたらどうしようかと思っていたけど、私の国宝級の肌はつるつるスベスベで、傷跡どころかシミ一つ無かった。むしろ前より肌がみずみずしくなったようにも見える。
思い当たるフシがあるとすれば、先日師匠から貰った薬のおかげかな。
「簡易魔法、水球」
私はさっき師匠から貰ったタオルに水をしみ込ませ、体を丁寧に拭いた。
拭いていて思った、改めて見ると、私、めっちゃいい体だな。
体中どこを取っても黄金比が当てはまりそうな曲線美、健康的でスレンダーなスタイル、手の内にちょうど収まる張りのある胸。師匠の言葉を借りれば、「この世ならざるような」美しさだ。
流石、ドリアードという種族は女神が自身に似せて創ったとされているだけはある。いや、むしろ私は女神の生き写しなんじゃ。
「おーい、もういいかー?」
ドアの外で師匠の声がした。
私はいそいそとブラを着けてショーツを履き、服を着直した。この服も洗濯したいなあ……。
「もういいですよー」
着替えを終え、師匠を部屋に入れた。
「あれ? その子は?」
師匠の後ろには、見た目の年齢が私より少し幼いくらいの少女が隠れていた。
病弱そうで気が弱そうで、不安そうな顔で私を見ている。
「廊下に立ってたら、村長がこの子を連れてきたんだ。何でも、怪異に罹っているかもってことでな」
「それで師匠に診てほしいってことですか」
「これからこの子を診るから、あんたも見ておけ。見て、学べ。弟子なんだから」
師匠は手際よく診察の準備を始めた。桶を用意し、薬箱から各種薬品や器具を出した。
そして椅子代わりにして並べた木箱に、師匠と少女は対面して座った。
「ルヒナ、この桶に水を入れてくれ」
「簡易魔法、水球」
桶の中に水の塊がトプンと落ちる。魔力で生成した、清潔な水だ。
ことん。
水の入った桶を師匠のそばに置き、邪魔にならないように部屋の隅に退避する。
さて、弟子らしく見て学ぶとしますか。それにしても気の長い話だ。見て学べだなんて、悠長なことを。これじゃあ私が一人前の異術師になってお金を稼ぐ前に、師匠が死んでしまうかもしれない。人間族の寿命は短い。
「さっき村長と話した時に大まかな症状は聞いたが、お嬢ちゃんの口からも症状を説明してほしい」
「……綿が、出るんです」
綿?
「げほげほ、げほ……!」
急に少女が咳き込みだした。軽い風邪で出るようなものじゃない、重めの咳だ。
身をかがめて口に手を当て、苦しそうにしている。
「けほ……。その、これ……」
そうして少女が口に当てていた手を開いて見せた。
手の中には唾液と若干の血で濡れた綿があった。事前に仕込んでいた物とは思えない。今、咳と共に出てきたとしか……。
「なるほど、こういう症状か……」
師匠はその綿をピンセットで摘み取り、ためすがめつする。
そしてそれを小皿に置き、少女に向き直った。
「今も胸の苦しさを感じているか?」
「はい……。寝ていても起きていても、胸の詰まりを感じていて苦しいです……」
「綿の大きさからして、そうだな……。症状が出始めたのは七か月くらい前か?」
「あ、はい。そうです」
「最初は糸くずくらいだったのがどんどん多くなって、今では綿が出るように?」
「はい」
「普通の水は平気でも、雨水に濡れるのはとても嫌?」
「はい。たまにしか雨は降りませんが、その時は何故かすごく怖くって、外に出れなかったんです」
「茶色い食べ物が好きか?」
「好きな食べ物ですか? どうしてそんなことを……?」
「意味が分からない質問だが、怪異を特定するのに必要な質問なんだ。答えてくれ」
「干し肉は好きです……。と言いますか、この辺では植物が育たなくって、荒野を渡る動物をよく狩ってるんです。だからお肉をよく食べます」
「ひとりっ子か?」
「はい」
「両親は揃って、転落死した?」
「……っ。はい。お城の補強作業の最中に、尖塔の上から……」
「わかった。やはり原因は怪異のようだな。あんたは『二十日糸』という怪異に侵されている」
ハツカイト……。また変な名前の怪異だ。
「これは条件によって発現するタイプの怪異だ」
「条件……」
「血を分け与えた者──つまり両親が高所からの転落によって同時に死に、幼い子供が一人いた場合、二十日糸は稀にその子に発現する。特にこんな乾燥した地域でよく起こる傾向がある。そして二十日糸は肺に巣くい、咳と共に綿を吐き出させるんだ」
え、何その物凄く限定的な条件……。
本当、怪異って意味不明な存在だ。
「お嬢ちゃんは本当に運が良かったよ。二十日糸は放っておくと命に関わる怪異だ。このまま治療しなかったら吐き出される綿がどんどん大きくなり、最後は気管を詰まらせて死んでしまうんだ」
「え……」
ただでさえ病弱で色白だった少女の顔がさらに青ざめた。目を見開き、恐怖で瞳孔が震えている。
確かに、綿が気管に詰まって窒息死は想像しただけでも怖い……。
「な、治るんですよね? 異術師様……」
「これは難しい怪異じゃない。今この場で治せるぞ」
「よかった……」
「それじゃあ上の服を脱いで、そこに横になってくれ」
「え……」
「二十日糸は肺に巣くう怪異だから、胸部に薬を塗り込む必要があるんだ」
胸を撫で下ろしたのも束の間、少女は再び絶望的な宣告をされた。
ルヒナが現代社会に居たら、絶対に自撮りとかしてた。
顔出し配信もしていた。