10-なぜ彼は胸を揉む必要があったのか
もみますか? もみませんか?
「ありがとうございます、異術師様! 今まで感じていた胸の詰まりが嘘みたいに無くなりました! それでは!」
少女はすっかり元気になり、深々とお辞儀をして部屋を出て行った。
そして急に静かになった室内に、しばしの沈黙が流れる。
……あの子、めちゃくちゃ着痩するタイプだったなあ。私より大きかったかもしれない……。
「……師匠、どうでしたか? 感想は?」
「元気になってよかったな」
「胸の話ですよ。揉みしだきすぎでしたよ。あの子、声を抑えるのに必死でしたよ」
羞恥、恥辱、意に反する快感……。
施術中の少女は耳まで真っ赤にし、目じりからは涙がこぼれていた。
しかし怪異の病気が治るとその嬉しさからか羞恥心などはすっかり消し飛び、元気になっていた。
「揉んでたんじゃねえ、薬を塗り込んでたんだ。ああいう治療法なんだから、仕方ないだろ。相手が男だったとしても、俺はああやってたぞ? 一応言っておくと、あの薬を塗ると胸部の皮下にしこりが現れて、そこに入念に薬を塗り込まなきゃならない。しこりを感触を頼りに見付けるため、手袋は使えない。あんたに治療のやり方を教えてもいいが、あの薬、胸部なら平気だが手に触れると肌荒れ起こすぞ?」
師匠の手を見てみると、甲が少しだけしもやけみたいになっていた。
「それじゃあ別にいいです。肌荒れは嫌です」
こんな陶器のようにスベスベな私の手が肌荒れになるなんて、たまったもんじゃない。
こんこん。
そんな話をしていると、ドアが叩かれた。
次の患者かと思って師匠を見たけど、師匠も心当たりがないといった顔をしている。
とりあえず師匠が声をかけ、外の人物に部屋に入る許可を出した。
「こんにちは! ここに異術師様が居ると聞いて来ました!」
入ってきたのはやたら元気そうな少年だった。
背は私より頭一つ小さいくらいで、姿勢が良く、活発そうな顔をしてる。
「あんたも、怪異がらみだと思われる奇妙な病気に罹ってるのか?」
「いいえ、俺は元気です!」
え、元気? じゃあここに何しに来たの?
「異術師様、俺を弟子にしてください!」
ああ、そういうことか。
どう反応するのかと思って師匠を横目で見ると、額を抑えて溜息をついていた。かなり辟易した様子だ。
「はあ……。こういう手合いか……。たまに居るんだよなあ……。異術師になって薬を作れるようになれば、大儲けできるとか考える奴。まあ、坊主までそうだとは言わないが……。坊主、すまないが帰ってくれ。俺は弟子は取らない主義なんだ」
弟子を取らない主義? でも私は……。
「え? 俺は金儲け目的で異術師になりたいなんて、全然考えてませんよ……。それに異術師様、弟子は取らない主義と言っていますが、そんな可愛いお弟子様を取ってるじゃないですか! 隣に立っている美人さんは弟子じゃないんですか!? それとも、顔採用なんですか!?」
「師匠、この子、見る目ありますよ」
「はあ……」
師匠は肩を落とし、一層大きな溜息をついた。
「……坊主、これは見えるか?」
師匠は薬箱から瓶を一つ取って蓋を開けた。
すると中から黒い煙が上がり、それが天井に達すると一瞬だけ緑青色になって消えた。今のも怪異由来の何かだろうか。
「いいえ、見えません! 何かしたんですか!?」
一般人には見えない、怪異由来の何かだったらしい。
「今、怪異由来の煙を発生させたんだが、あんたには見えなかったみたいだな。怪異が見えるから異術師を目指すと言うんならわかる。だが、あんたは怪異が見えないじゃないか。どうしてそんなに、異術師の弟子になりたいんだ?」
ちなみに私は、当面の生活を確保するために弟子になりました。そして今は、金儲け目的で異術師を目指しています。
動機は不純かもしれませんが、お金に対する気持ちは純粋です。
「村の皆から話を聞いたからです!」
「もっと詳しく」
「この村は五十年くらい前、体の右半分が西を目指して動き出すという原因不明の奇病に脅かされていました。右半身が勝手に動き出すので、左半身で抵抗するか体を縛っておかないといけなくって……。もちろん、そんな状態ではまともな生活なんてできませんし、右半身につられて外に出たら魔物に食われてしまいます。高い金を払って治癒魔法を納めた高名な僧侶様を招いて診てもらったこともあったんですが、まるで解決できず……。そうしたら、たまたま村を訪れた異術師様があっさりその難病を完治させたのです。しかも村一つ救ったというのに、その人は村に居る間の衣食住以上の報酬を求めませんでした。本当に優しくて、人徳のあるお方です。当時のことを知る村の老人たちは皆、彼のことを尊敬の念を込めて語るんですよ。俺はそんな話を聞いて育ってきました! だから異術師に憧れているんです! 慈悲の心を持って人々を救う、敬虔な異術師になりたいんです! 困っている人々を助けたいんです!」
「……帰れ。俺はこいつ以外の弟子は取らない」
師匠は少年の話を終始無言で聞いていたけど、考えは変わらなかった。
というか、私以外の弟子は取らないってどういうこと? 本当に顔採用?
「はい、帰ります! そして、明日また来ます!」
「もう来るな」
「また来ます!!」
少年は勢いよく一礼し、勢いよく部屋を出て行った。
騒がしい子だったなあ。
◆
夜、私は木箱のベッドごと障壁の立方体で囲み、眠りに就いた。
ちなみに師匠は夜しか出ない怪異を採取しに行くと言って、部屋を出て行った。朝まで戻らないらしい。
そして翌朝、木箱の上に座って足をプラプラさせていると師匠が大袋を抱えて部屋に帰ってきた。
「師匠、それは?」
「食糧だ。ドリアードは水と日の光があれば生きられるらしいが、少しは飯も食うんだろ? 干し肉をいくつか貰ってきた」
「そういえばここ数日は、水と日の光しか食べていませんでしたね」
ここ最近はドタバタしていて、食事のことを完全に忘れていた。
そろそろ、水と日光以外も食べないとなあ。
「あと、近くの山で取られた岩塩に石炭、草食動物の右前足の骨、肉食獣の右前足の骨、地層の境界部分が入った小石、石英なんかも貰ってきた」
「そんなゴミみたいな物を貰ってきて、どうするんですか?」
「薬の原料だよ。ここ数日で、かなり消費しちまったからな」
師匠の言葉に、僅かな怒気が含まれていた。
私のせいで薬を大量に消費したと言いたいようだ。いやあ、申し訳ない。
「それと、これもあんたに」
師匠は大袋の中から折り畳まれたなめし革を取り出し、私の横に置いた。
「これは?」
「あんたの服だよ。この村では狩った動物の革を服に仕立てて売ってるらしいんだ。一着貰ってきた。縫い師はタダでいいと言ってたが、なけなしの傷薬を押し付けてきた」
「それは何と言いますか……、ありがとうございます」
服を膝の上に置いて広げてみてみた。
黒革のレギンスと白い長袖のシャツ、革製の三分丈のジャケットかあ。丈夫そうな上に動きやすそうで、旅をするなら最適解だけどなあ。うーん……。
「何か不満そうだな。服選びは縫い師のセンスに任せたんだが」
「いえ、センスに不満はありませんが、いかんせん革というのがですねえ」
「革が何かいけないのか?」
「魔法を発動する時、動物由来の物を身に纏っていると魔力が拡散しちゃうんですよ。つまり、ロスです。まあ、金属ほどではないですが」
「そうだったのか。知らなかった」
「なので純粋な魔法使いは革や金属の鎧を着ないんです。ほら、私が今着ている服だって金属や革は使われてないでしょう?」
私は服を置いて立ち上がり、師匠の前で可愛くクルリと回って見せる。
「そうだな」
しかし師匠、私の最高に可愛い仕草を華麗にスルー。
「……って、そのブーツは革じゃないのか?」
「いえ、これは特殊な樹皮製です。確かに革みたいな質感ですね」
「……それで、どうする? 服を取り換えてきてもらってもいいが」
「いいえ、せっかくなんで貰っておきますよ。革で魔力が拡散したとしても、その上で私は強いですし」
「傲慢。……と言いたいところだが、実際あんた、強いしなあ。あと、これも渡しておく」
そう言って今度は布に包まれた何かを私に手渡してきた。中身は何だろう。
「これも縫い師からだ。その縫い師は女で、中身は見るなと言われていた。まあ、そういうことだ。想像はつくだろ?」
「はい?」
私は言意の味がわからなくて、とりあえず布を開いて中身を見てみた。
それは紐と黒革で作られた下着だった。
「わあ、これはありがたいです。ショーツの方はきつそうですね。ブラは少し大きいですが、詰め物をすればちょうど良さそうです」
「あんた、そういうのを躊躇なく開くなよ……」
見上げると師匠は目を逸らし、何故かばつが悪そうにしていた。
「どうしたんですか? 師匠」
「……そういうのを男の前で広げるなって言ってるんだよ。俺は性欲がほとんど無いから何とも思わないが……。ほら、お前だって嫌だろ?」
「はい?」
男? 性欲? 嫌? まさか……!
「人間族の男畜生って、未使用の下着を見ても興奮するってことですか!? きっもー!!」
私はとっさに下着を腕で抱いて隠し、声を荒げた。
大声を出し過ぎて集中線が発生した。
「いや、だから俺は興奮しないって! でも、これからあんたがそういうの履くんだとか思われるの、嫌だろ?」
「きもいきもい! 発想がきも過ぎですよ! 普通はそんなこと考えませんよ! 人間族は下着にまで性的興奮を覚えるとは聞いていましたが、まさか未使用の物にまで……。私は今後一生、人間族を軽蔑すると宣言します!」
「少し落ち着けって……」
「あれ? 少し待ってください……。この服と下着、割とサイズが合ってそうでした……。それは縫い師にサイズを伝えたから……。師匠はどうやって、私のサイズを……?」
私は我を失ってしまわないよう、努めて落ち着いて質問した。
想像したら、気が狂ってしまうかもしれなかったから……。
「そりゃあ、あんたを治療した時に見た大まかな目算で……」
「ギャオオオオン!」
ドドドドドド!
突然の轟音で我に返った。何この音? 敵襲!?
身構えるのも束の間、ドアが勢いよく開け放たれ、熊ほどもある大男が姿を見せた。
彼は汗だくで、肩で息をしている。さっきの轟音はあの男の走る足音だったのか。こんなおんぼろの城なんだから、もっと静かに急いでほしい……。というか、何をそんなに急いでいたんだろう。
「い、異術師様……! 貴方がここにいるって聞いて……。貴方が異術師ですね!? オイラ、オイラ……! と、とにかく大変なんです! すぐに来てくだせえ!」
「ああ、俺が異術師だ。とりあえず落ち着け。何があったんだ?」
「デッツが……。デッツが死にそうなんですよぉ!!」
誰?
性欲皆無なドリアードの、奇妙な貞操観念。
魔法使いが鎧を着ないことに理由を付けたかったのです。