第八話 本性
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深佳が家の前にこなかったのは少々意外だったが、今の俺には一刻の猶予もない。学校に向けてまっすぐ歩き始めた。
途中、白いローブに身を包んだ古鳥が声をかけてきた。
「おっす、影森。なんかいつも以上に暗いけど大丈夫?」
「いつも”以上”? 普段どんなふうに見られてるんだ、俺」
それには答えず、古鳥はニヤッと笑って言った。
「あ、あれか。乙黒にフラれたとか?」
少し深刻そうな表情を浮かべながら、しばらく黙ってみた。すると、次第にその顔に浮かんでいる笑みが面白いほど引き攣っていく。
「あれっ? ……え、もしかしてマジだった?」
「……なんてな」
「おいこらあああ! びっくりするじゃない!」
バシッと背中を叩かれた。多分、紅葉ができていることだろう。
「悪い悪い。ありがと」
おかげで、重かった気分が少し晴れた。
「なんのお礼よ! 今日のお祈りは無しにしとくから!」
「そりゃ残念。じゃ、また学校でな」
俺が立ち去ろうとしたタイミングで通知が来たらしい携帯を取り出した古鳥は、眉根を寄せて不愉快そうな顔になっていた。
正直気になるところではあるが、優先事項はそっちではない。
「……あ、そうだ。今日は裏門から入った方がいいわよ」
「なんで?」
「連中がまた騒ぎを起こしてるから。今頃異審が鎮圧しにかかってるから、目撃しちゃうとめっちゃ時間取られる」
なるほど。階段の上に停まっているゴテゴテのデコトラを見てなんとなく察した。
「なるほどな。サンクス」
学校に着いた俺は古鳥からのアドバイス通り、裏門から学校に入って職員室へ向かう。そして、その扉を開けた。
「1年A組の影森です。谷口先生はいらっしゃいますか?」
「なんだ、お前が用事だなんて珍しいな」
「礼央のことで」
この六文字で全てを察したらしい。谷口はため息まじりに頷いた。
「……なるほどな。わかった。放課後、また来い」
職員室の中に戻っていく姿勢の悪い背中を見送ってから後ろを振り向くと、大量の書類を抱きかかえたまま目をぱちくりさせている深佳と目が合った。
「えっ、深佳? なんでここに?」
「それはこっちのセリフだよ。今日、君は休みだって聞いてたからストレートに登校してきたのに」
「そりゃ悪いことをしたな。安心してくれ。見ての通り、俺は大丈夫だから」
◆◇◆◇◆◇◆
それから時間が経つこと実に8時間。俺は都市部のはずれにある谷口の家の居間に座っていた。昨日の作戦のことなどを具体的に話し、いよいよ本題に入ったところだ。
「……なるほどな。状況はわかった。んで、笠田から具体的には何を聞いた?」
「この島が危ない、詳しいことは谷口先生に聞けって」
――あと、お前がこの島を変えるんだ、とも。
心の中で付け加える。
「そうか。まあ聞く話によると時間はそんなになかったらしいし、しょうがねえな」
後頭部をボリボリ掻きながら谷口は誰にともなく言い、姿勢の悪いあぐらで俺の目を睨み上げるように見てきた。いや、目つきが悪いから睨まれているように感じるだけなのか。
「オペラント条件付けって聞いたことあるか?」
「唐突になんの話ですか?」
俺の疑問などどうでもよかったらしい。谷口は勝手に喋り始めた。
「詳細は割愛するが、簡単に言えば報酬や罰を与えることによって、対象の特定の行動の増減を期待することができるってやつだ。有名なのはスキナー箱の実験だな」
そう言って谷口は、レバーを引くことによって餌が出てくる箱にネズミを入れた場合、ネズミがレバーを引く回数が増えること、逆にレバーを引くと電気ショックが流れる箱にネズミを入れた場合、ネズミがレバーを引く回数が減ることを説明した。
「まあ実際は、もうちょっと複雑な条件でも実験されているが、大筋はこんな感じだ」
「は、はあ……」
困惑する俺を置いてけぼりにして、谷口はさっさと別の話題に移る。
「次に、お前は、思い出せない記憶はどこにいくと思う?」
拍子抜けだ。どんな衝撃的な現実を突きつけられるのかと身構えていたら、本題とは全く関係のなさそうな知識を次から次へと放り投げられている。はてさて、気合い入れていた踏ん張っていた足腰の努力は報われるのだろうか。
「さっきからの質問にどんな意味が?」
「答えてもらおうか。話が進まねえ」
相変わらず何を考えているかよくわからない、無気力そうな顔だ。だが、その錆声から明確に感じ取れるのは、俺に答えさせんとする意志であった。
「まあ……どっかに消えるんじゃないっすかね」
「実のところ、記憶ってのはあらゆる情報と結び付けられ、脳に集積するようになってる。言うなれば、圧縮して容量を小さくし、頭のどこかしらに放り込んでる感じだな」
「つまり、消えてるわけじゃなくて頭のどっかには残ってると?」
「そうだ、普段は邪魔だから基本的に勝手に思考の中にまろび出てこないようにロックがかかってる」
言われてみれば納得感がある。
「で、結局その記憶の仕組みと軌貴島が危険って話がどうつながってくるんですか?」
谷口の表情から色が抜け落ちた気がした。次に低音で紡がれた言葉に凄みのようなものがパチパチとちらついていたせいかもしれない。
「このロックを自由にすれば人を簡単に操作できるんじゃないか。それが軌貴島当局が密かに提唱し、完成された記憶凍結理論だ」
すぐには、谷口が言っていることが理解できなかった。
だんだんその意味が飲み込めてくると、氷柱で背中をぶっ刺されたような寒気を感じた。
「人を操作? 記憶凍結? ちょっと待て、一体何のーーー」
俺の疑問など意にも介さず、谷口は普段の無気力さなど嘘のように、饒舌に喋り続ける。
「言葉を選ばずに言えば、この島がやっていることは洗脳ってやつだ」
洗脳。聞いたことがない響きに首を傾げる。
「なんですか、それ」
「やっぱり都合の悪い言葉は全部忘れちまってるみたいだな。それならそれでいい。影森、さっきのオペラント条件付けの話は覚えてるか?」
「ネズミのあれですか?」
谷口は頷いて続ける。
「この島の仕組みを思い出してみろ。出動前には特定の言葉を必ず唱え、島の信条に従う者には褒章を、逆らう者には重い罰を与える。各々の役割に準じれば準じるほど立場は良くなり、肯定されていく。逆も然りだ」
疑問を呈しようとした俺の脳内に、島での日常がフラッシュバックしてくる。
しつこいまでに行われる巻物の授業、朝の祈祷師の挨拶、出動前の儀式、島の意向に逆らった桂井への赤松の制裁、異端審問委員会による処罰の傍観義務……
ーーーなんてこった。
そう思わずにはいられない。
話が見えてくると同時に、心臓にドライアイスをぶち込まれたような感じがした。全身の血が冷たくなっている気がする。なんとか口を動かす。
「ちょっと待ってください。じゃあ、俺たちが島にとって都合のいいことをしたらこっちにもいいことが起きるように最初から調整されてて、その行動が増えるように俺たちが操作されてるって言いたいんですか?」
俺の発言が的を射たのか、谷口は満足そうに口角を吊り上げる。
「ま、突き詰めてみりゃそういうことだ」
「馬鹿げてる。なんのためにそんな……」
突拍子もない話に、俺はただ首を左右に振ることしかできなかった。
谷口は目線と親指で格子のはまった窓を指し、授業でよく見せる皮肉めいた笑いを浮かべる。
「実際過激思想を育て上げるには理想的な環境だと思わねえか? この島は。外からの情報は入らないし、常に霧の壁で外界からは隔離されてる。ワールドワイドウェブへのアクセスも封印してる上にテレビもプロパガンダまみれだから、情報統制も完璧だ」
「じゃあ、恋愛の義務は? 島民が異性とくっついてることで、当局に一体どんな得が……」
「優秀な遺伝子を残すことだ。この軌貴島は、もっとデカい島国の領土の一部らしい。んで、その本島クライアントから依頼を受ける暗殺者や外部勢力に対する攻撃力を育てる目的で開発された。——愛の戦士隊は、本島の連中が邪魔だと思った何者かを消すために出動する殺し屋集団ってトコだ——故に、島民の6割は優秀な遺伝子を持つと判断された外界の人間だ。するってえと、長期にわたって”邪魔者”を消し去るためには、そのDNAを後世に残す必要があるわけだ」
「遺伝子ってまさか……」
吐き気がした。質問しながら、なんとなく当局の意図に気づき始めていたからだ。
「何気にお前も気づいてるだろ。当局は声を大にして言っちゃいねえが、18歳以上は基本的にセックス推奨だ。巻物にも、それを仄めかす描写や記述は数多く存在する。だから性教育は抜かりなく行われてるし、性病の検査も行き届いてる。生活を瓦解させないように、秘密で子供を産み落とすための胸糞悪い施設さえ存在する。優秀な子供を産ませることそのものが目的で恋愛を強制してんだから、同性愛も禁止されるってわけだ」
視線の注ぐ先を俺の瞳孔に戻した谷口は、気だるげに口を開く。
「どうだい、ここまで話が見えたんならもう、俺の二つ目の質問の意図もわかったんじゃねえか? なぜ、外からやってきた人間がそれまで普通に生活していた島民たちに一切の違和感なく溶け込めていると思う」
「俺は何か忘れさせられてるっていうんですか?」
俺の日常の中に、嘘が紛れてたってことか? 生まれてから今まで矛盾なくつながって見える一連の人生に、都合のいいように改ざんされた記憶が混ざってるってことか?
「ま、ここまで知っちまったならもう見たほうがはええよ。こっち来な」
谷口は徐に部屋の襖を開け、その中から白い封筒を取り出した。
「なんです? それ」
もう何が出てきても驚くまい。
谷口は割れ物を扱うような手つきで封筒を開け、中からA4サイズのコピー用紙を取り出した。
「こいつは軌貴島のネットワークに投下された爆弾だ。投稿から数十秒後に気づいた当局が急いでもみ消したようだが、生憎魚拓は俺の優秀な仲間がとってたもんでな」
「仲間? 先生たちは組織だって動いてるってことですか?」
「数こそ少ないがな。結成されてから今日まで、あいつらに対して反撃の機会を窺っている」
前言撤回。俺は今日驚かされてばかりだ。
「で、こいつが何かって話だったな。いわばトップシークレット。島の連中が洗脳のためにロックした記憶を強制的に展開するマスターキーだ。お前には本来の記憶を取り戻した上で、俺たちと共に島をひっくり返す手伝いをするかどうか、決めてもらう」
「えっ?」
谷口は自らが放った衝撃的な一言を咀嚼する暇も与えない。「お前と俺は実行担当。すでに情報操作担当や斥候担当は雇ってある」と、無気力なオッサンは勝手に話を進める。
その無謀すぎる作戦が失敗した先にあるのは谷口含む俺たちの死であり、当然憤りを感じずにはいられなかった。
「なんで俺がそんな危ない橋を渡らなきゃいけない?」
「お前は現状、話が通じる唯一の戦闘員と言って差し支えない。そして何より、笠田が推薦した男だ」
礼央の名前が出た瞬間、俺は押し黙るしかなくなった。
「まあ、決めるのは記憶が戻ってからでいい。……結構ショッキングなことになるだろうから、覚悟しとけ」
そして間髪入れずに、A4を俺の鼻先で広げてきた。
複数の図形を組み合わせた幾何学模様が目に飛び込んできて、数秒後、俺の頭の中に年単位の映像が、掃除していないプールの藻のように続々と浮かび始めた。
忖度なきお言葉、お待ちしております!