第十三話 土の味(下)
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問題はこの30分後である。課業前に窓際に陣取っていた深佳と話していると、校門裏にある暗い場所へ、小太りの男が古鳥を連れていくのが見えたのだ。
そこはデッドスペースのような扱いになっていて、普段から人が来ないし外からも見えない。
猛烈に嫌な胸騒ぎを覚え、俺はすぐさま現場に急行した。何もないのであればそれでいい。だが、もしものことがある。
渡り廊下を抜ける。校舎を飛び出す。そして一直線に走る。
俺がそこで目にしたのは、凄惨極まりない現場であった。古鳥の細い滑らかな首を、丸太のような両腕から生えたどでかい手がぎりぎりと締め付けている。口の端から涎を垂らす古鳥は、飛びそうになる意識を必死で現実世界に止めようと弱々しくももがいている。
すでに俺が衝撃を受け、男に敵意を向けるには十分なシチュエーションであった。そこに持ってきて、じっとりと笑顔を浮かべる男の目に浮かぶ無垢なまでの欲望の色である。完全に頭にきた。
よって、古鳥の首を絞めていた男の顎を思い切り膝でカチ上げることにした。おそらくこいつの視界には、星が散った事だろう。舌も噛んだかもしれない。古鳥が力なく地面に横たわるのと、俺が次の行動に移るのはほぼ同時だった。
――なんでだ? 未成年に手出しすることは、巻物でも厳格に禁止されている。にも関わらず、なぜこいつはそれを破って……。
俺の思考にそんな疑問が入り込む余地を得たのは、その男の関節を腕挫十字固で極めてからだった。
「な、なんだお前! 誰を絞めてるのか、わかってるのか?」
足の下で男が喚き散らすが、俺は男の視界に古鳥を入れないように体の角度を調整してから、もう一度その双眸を鋭く睨み下ろした。
いろいろわからないまま攻撃を開始しちまったが、どうも俺の判断は間違っていなかったらしい。こいつを古鳥の近くに置いとくのはまずそうだ。
「知らんね。ことによっちゃあ、あんたを当局に突き出さなきゃならねえかもな」
適当に脅してみたが、却って男は逆上してしまった。
「影森、その人……」
古鳥が普段とは打って変わって、掠れた声で何かを言う。
「なんだ、なんか知ってるのか?」
聞き返しながらも、敵に対する集中絶やさぬように意識しながら、男の虚な瞳孔に目線を注ぎ続ける。俺が白い手袋に包まれた手で横っ面をぶん殴られたのはその時だった。
「貴様、市川殿に何をしている!」
鋭い声がする。顔面を殴られて技が緩む。そして脇腹を蹴り飛ばされた。地面を転がり、胸を地面にしたたかぶつけ、閉じるのが間に合わなかった口に土が侵入した。草の匂いが混じった湿り気のある物体が舌を叩いてむせたが、必死に声を張り上げる。
「待て、説明させてくれ! そこの太ったおっさんが古鳥を……!」
言っている間にも4本の腕が俺を拘束するために伸びてくる。
「ふむ……? はてさて、なんのことですかな」
顎髭を撫でながら、現場に飛び込んできた異端審問委員に助け起こされた市川は俺を余裕の笑みと共に見下ろした。
「貴様、市川殿に対し何たる無礼を!」
俺の顔にもう1発、鋭いパンチが入る。この瞬間、口の中で血と土のフレーバーが混ざった味が逆巻き、まあ愉快なことになった。
市川は俺を殴った委員の生徒に何事か耳打ちする。委員は数秒の沈黙ののち、頷いた。
「承知しました。ではそのように」
慣れた動作で乱暴に俺を引っ立て、手枷を嵌め、そしてどこかに引っ張っていく。チラリと隣を見ると、古鳥も同じように拘束されていた。ただ、彼女は祈祷師であることもあってか多少丁寧に手枷を嵌められていたように見える。
俺はもちろんのこと、おそらく古鳥も抵抗しようかとも考えただろう。しかし、二人して引っ立てられている間にフリーの異端審問委員が物々しい刀に手をかけていたので大人しくしていることにした。仕事で修羅場に慣れているとはいえ、目の前であの金色の柄をみていると流石に肝が冷える。
「おい、朝っぱらから穏やかじゃねえな。一体何事だ?」
たばこ焼けした、ザラザラした声が異端審問委員たちを引き止める。顔を横にやると、ポケットに手を突っ込んだ姿勢の悪いオッサンがそこに立っていた。
「谷口先生、これは我々異端審問委員会の管轄です。あるいは、我々の仕事のプロセスを簡単にご説明いたしましょうか?」
「おっと、それには及ばねえよ。不正は暴力と恐怖で解決、それがお前らのやり方だろ?」
俺はこんな状況ながら苦笑する。彼の口では、唾液の代わりに火種が分泌されているらしい。
「……ええ、否定はしません」
「それ自体が悪とは言えねえ。実際、それであんたたちが強制力を握って島の治安を維持してるのも事実だからな。とはいえ、こいつらは俺が授業を担当している生徒だ。そしてもうすぐ1時間目が始まっちまう。それじゃ引き止める理由として不十分かね?」
「はい。彼らは罪を犯しましたので」
「へえ。じゃあ俺としては、可愛い生徒の首を絞めて興奮してた社不のジジイも連行してほしいところなんだがな」
見てたなら止めろよ。俺が恨みがましく睨みあげると、谷口は肩をすくめた。
「そう睨むな。俺が割って入る前にお前が勝手に飛び出しちまったんだよ」
言い訳くさく谷口は言ったが、その声から嘘を言っている感じは一切しなかった。
「いやはや、なんのことだか……。ところであなた、自分の立場をわかっていますか?」
だが、市川は少し勘違いをしている。谷口はその程度の脅しで止まる男ではない。
「教師だ」
「分かりますか? 教師は学校の外に出たらあなたは偉くないんですよ」
「偉けりゃ人の首を絞めてもいいのか?」
市川はため息をついてから、無造作に異端審問委員に声をかけた。
「この失礼な男を処罰してくれ」
「不可能です。彼は巻物に対して、いかなる違反していません」
「はあ、融通を効かせてくれてもいいじゃないか」
どうやら、異端審問委員はどちらかに肩入れする気はないようだ。この状況で妙な話だが、こいつらが公正に物事を見てくれる機関であることがわかってホッとする。
異端審問委員は谷口の方に向き直り、言葉を続けた。
「ともかく、あなたがこれ以上食い下がられるようであれば、私たちとしても公務執行妨害で鎮圧行動に移らせていただきます。いかがなさいますか?」
「はあ、そいつは嬉しくねえ響きだな。わかった。ここは引き退らせてもらおう」
谷口はそう言ったが、その皺が現れつつある目尻に浮かぶひねくれた表情は消えていない。……こいつ、まだ何かする気か?
「乗れ」
俺が尻を蹴っ飛ばして突っ込まれたのは、異端審問委員会が所有する真っ白な護送車だった。もっとも、この町にある白い車と言ったら全て異端審問委員会の傘下にある組織のものに他ならないのだが。
街をたまに走っているからわかるが、側面には刀に竜胆の花を組み合わせた異端審問委員会のマークが金と青の線で描かれている。まあ、内側に蹴り込まれた俺がそんなものを間近で確認できなかったことは言うまでもない。
蹴られた尻と金属製の床にぶつけた膝の痛みに顔を顰めながら、俺はゆっくり周囲を見回す。時計が壊れちゃいないか確認したかったところだが、あいにく後ろ手に拘束されているために敵わない話であった。
さて、肝心の周囲はというと、鉄格子をはめられた明かりとりの窓が一つある以外は何もないと言って差し支えのない、ずいぶん殺風景な車内であった。多分、俺が突っ込まれた車の後部の扉と向かう形になっているスライド式のドアの向こうには運転席があるのだろう。
この空間にいるのは、俺と古鳥、見張りとしてつけられた1人の委員だけだ。奴の腰に吊られている刀がいいようもない圧迫感をこちらに与えてくる。
そういえば、異端審問委員たちは、俺たちが使うような光の剣があるにも関わらず実体のある刃を拘って使っている。はっきり言って、真剣は持ち歩くだけで相当邪魔だ。こいつらが暴徒鎮圧の際にあてにしている機動力にだって支障が出ることだろう。何かこれに固執する事情でもあるのだろうか。
俺がどうでもいいようなことを考えていると車がガタンと揺れて動き出し、横倒しになっている体にも振動が伝わってきた。
以上が、俺がこのクソ寝心地の悪い鉄製の床で同級生と寝そべることを強いられ、行き先も知らされず車に揺られる羽目になった事情というやつである。
どこの誰の役に立つかもわからん情報だが、異端審問委員たちに連行される際にはクッションの持参を強くお勧めしておくとしよう。
忖度なきお言葉、お待ちしております!