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第十話 レーゾンデートル

拙作を読んでくださる方々、フィードバックまでしてくださる心優しき皆様、いつもありがとうございますm(_ _)m

 あまりの衝撃に言葉も出なかった。


 記憶の一部が改ざんされてたなんて生っちょろいもんじゃない。先ほどの奔流をそのまま信じるならば、俺が影森流としてこの島で生まれ育ち、愛の戦士として戦い続けてきた日々そのものだった。


 俺は別の場所で両親に生まれ、愛されて育って、友達もいて、夢もあって、その一歩を踏み出していた。


 なのに、自分の本当の名前はおろか、住んでいた場所も、どうやってここにきたのかさえも思い出せない。ただ、日常の断片があっただけだ。


 手の震えが止まらない。力を入れても、まるでそれを拒否するかのように震え続けていた。


「俺は人を……」


 言葉が続かなかった。自分がしでかしてしまったことの重大さを、記憶と共に蘇った道徳が声高に捲し立てたからだ。呼吸は浅く、断続的になっていく。浄化した時の手応えが何度も再生され、胃の中のものが迫り上がってきた。


 記憶を取り戻し、谷口の話を聞いた以上はもう察しがついていた。悪魔など、いないのだ。何の疑いも持たず、言われるがままに殺戮した自分に戦慄し、嫌悪感が倍増した。


「おい、吐くのはいいが自棄はダメだぜ。何のためにここまでリスキーな話をお前にしたと思ってやがる」


 もはや答える気力すらない。俺はただ、力の入らない目線で谷口を見据えることぐらいしかできなかった。


「正しい決断をさせるためだ。現状、お前が自分のためにできることなんてのはそれぐらいだ」


「お前ってのは誰だ。存在自体が嘘の人殺しか? それとも島の外から来た何者かか?」


 自分は自分でないという残酷すぎる現実を叩きつけられながら、では自分は何者なのか、その答えは見せてもらえない。搾りかすみたいな声が声帯から漏れ出た。


「こんなの生殺しじゃないですか」


「悪いな。生憎、固有名詞とか場所の詳細とか、決定的な情報まで解凍できるほど高度な図形じゃねえんだ。にしたって、こんなもんが流出したら大問題だ。当局が焦るのもわかるだろ?」


 俺がおそらく人生史上最大の虚無感と絶望感にさらされているというのに、谷口はあくまで当局の矛盾を暴くことにしか関心がないようであった。俺の目から光が消えていることを察したらしく、この姿勢の悪いおっさんは罰が悪そうに後頭部をかいた。


「だから言ったろ、結構ショッキングなことになるだろうから覚悟しとけって」


「自分が何者かを問わねばならなくなるような重大な情報とは誰も思わないでしょうよ」


 俺の視線を3秒たっぷり受け止めた後、谷口は両手をひらひら嫌そうに振った。


「わーったわーった、なにが起こるか詳しく話さずお前の記憶を展開したことは謝る。俺だってお前がどんな人生を歩んできたかまでは未知数だったのに悪かったよ。でも、さっきも言った通り、お前には正しい決断をしてほしかったんだ」


「正しいって何ですか?」


 心はひどく狼狽しながらも、どこか冷めた気持ちで現状を見ている自分もいて、多分何を言われても今の自分には響かないだろうな、と確信していた。


 谷口は窓の外に目をやり、少し考えるようなそぶりを見せてから、また俺を視界に戻した。


「人によるだろうが、自分で決断して後悔しないことだと俺は考えている。ヘッドハンティングしている立場で言うのもアレだが、別に俺はどうでもいいのさ。お前が誰かのために仕事を続けようが、ひん曲がった聖職者気取りを叩き潰すためにこっちに入ってこようが、もっと他の選択肢を模索しようがな。ただ、決めるのに必要な情報が不足してちゃ困るだろうから提供したに過ぎん」


「そうですか」


 気のない返事をすることしかできない。今の俺には、哲学的な問題について言葉を弄している余裕などないのだ。


 俺の心理的な負担は谷口も織り込み済みだったらしく、多少声色を和らげてから話し始めた。


「とはいえ、今ここで決めろってのも酷だわな。3日間やる。それまでに決めろ。もっと待ってやりたいのは山々だが、生憎当局が俺たちの動向に勘づき始めているようでな。それぐらいが限度だ」


「3日でそんな重大な決断させますか」


「してもらう。もしも俺たちについてくる気があるなら、3日後の15時きっかりに俺の家のインターホンを押せ」


 谷口は有無を言わせぬ口調で言い切った。


「俺が当局にチクるとか考えないんですか?」


「よかろう、お前が自分で考えて選んだなら、それも一つの正しさだ。俺たちは全面的な戦争を展開するまでだ」


 目の前にあぐらをかく壮年の男が口からこぼしたのは、とても穏やかな声であった。


「……ああ、そうそう。笠田は、お前のこと心底気に入ってたぜ」


 喉元まで登ってきたのは言葉ではなく、冷たくも熱くもあるような、よくわからない何かだった。


◆◇◆◇◆◇◆


 谷口家の玄関を出た頃には、すっかり空は夕焼けに染まっていた。数羽のカラスが頭上を通過していき、その影が車道を滑って消えていく。


 ただそれをぼんやり眺めながら、俺は言いようもない不安や苛立ちで頭を抱えた。当たり前だと思ってた軌貴島は隠し事だらけで、愛の戦士たちの出動はどこの誰か知らない奴の利益のための人殺しに過ぎず、おまけに俺は島民ですらなく、記憶を封じられただけの部外者だった。次は、人生を左右するような問題を3日で決めろときたもんだ。馬鹿な話もいい加減にしてくれ。


 3日後どころか、1分いや1秒先のことだってもう考えたくはなかったが、それでも腹は減るし体を守ってくれる家は必要だ。


「……」


 ひとまず家に帰ろうか。思えば、軌貴島における俺の両親も、俺という子供がいると記憶操作をされていたということになる。俺たち三人は、どこまでも歪な家族だったらしい。


 果たして俺は、影森夫妻の顔を見たときに平然としていられるだろうか。


 考えを巡らせるうちに、俺は家の前にたどり着いていた。所詮妄想に過ぎないのだろうが、家の周りにある塀が、俺を拒んでいる気がする。


 でも、入らなきゃ仕方ない。この家を俺の方から拒否すれば、きっと今より面倒なことになる。


 俺は鍵を差し込み、無理くり扉を開いた。フワッと、味噌と野菜の匂いが漂ってくる。昨日までは当たり前に寝起きしていた家が、まるで異次元のようだ。断片的に解放された記憶の中にある本来の俺の居場所と、この島での生活がもたらした記憶が矛盾を感じさせているのだろう。


 玄関まで出てきてくれたのは、昨日まで俺の母だった人だ。


「あら、おかえり。いつもより遅くなるならそう連絡してくれればよかったのに」


 優しげに微笑んでくれるし、何でも受け止めてくれる母親だ。だが、他人なのだ。俺は家族ではない。そう思った瞬間、俺は言いようもない寒気を感じた。


「ご、ごめん、ちょっと色々あったんだ」


 声が僅かに震えてしまった。


「ご飯はもう食べてきたの?」


「いや」


 短く答えた俺の顔を、彼女は覗き込んだ。


「顔色悪いわよ? 調子あまり良くないの?」


「ぜ、全然! 元気元気!」


 力瘤を作っておどけてみせると、ふうん、と言いながらも彼女は家の中に体を方向転換した。


「何にしても、元気ならいいわ。おかえり」


 その日の夕食は、あまりに居心地が悪過ぎた。父から今日の学校のことを聞かれても、ショッキングな情報群にそんなものもみ消されてしまっている。嘘だらけの日常を夫婦に伝えることになった。相槌を打ちながら笑顔で聞いてくれる二人は優しくて、だからこそ余計に怖くなった。これは二人の本当の感情なのか? これが誰かに設計された愛や幸せだと考えると、途方もない恐怖に駆られるのであった。


 夕食を食べ終わってからベッドに潜り込み、俺は大きくため息をついた。あまり考えたくはないが、そろそろ自分の今後について真剣に向き合わなければならないことはわかっていた。


 そもそも、仮に谷口に協力して当局に対する反撃が成功し、なおかつその後の全てのことがうまく運んだとしよう。多分、記憶凍結理論とやらの全貌も明らかになるだろうし、俺は完全に記憶が取り戻せると考えられる。本当の名前どころか、かつての住所まで正確に思い出せるかもしれない。だが、既に俺は島に来る前の少年Aではなく、人殺しの影森流なのだ。全てを片して戻ってきた俺を、本当の家族は受け入れてくれるだろうか。


 拒絶されるかもしれない。主観よりずっと時間が経っていたなら、化け物扱いされるかもしれない。いずれにせよ、完全に居場所を失うだろう。それは……すごく嫌だ。


 なら、真実の断片を知りながらも、大人しく島に従うか。それはもっと嫌だった。狂気じみた慣習にどっぷり浸かり、何かよくわからないもののために命を張って、よくわからないまま仲間を失い、また誰とも知れない奴のために誰かを殺さねばならないのだ。


 大事なことをそれと知りながら何も手を打たないのは、この上ない怠慢だろう。一方で、手を打って何になるのだという意見も頭の中にあった。


 こんな強大な陰謀、谷口含む同志が寄り集まったところで到底どうこうなるものではないのではないだろうか。


「どうすりゃいいんだよ……」


 いずれにせよ、なんとなくわかることは一つだけある。俺は今、自分を定義しようとしているのだ。疑いを知らなかった以前の俺は消えた。過去の俺がどんな奴だったかも不透明だ。なればこそ、今の俺が何者かは、この選択によって決定されるのだ。

忖度なきお言葉、お待ちしております!

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