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9話

おやすみありがとうございました!

毎日更新再開します。

 少し前まで涼しく晴れやかな空が多かったが利津が来なくなってから晴れの日はなかった。ポタポタと窓に雫が当たり、どんよりした雲が空を覆っている。

 昼過ぎだというのにカーテンが開け放たれた窓も世那にとってさほど辛いものではなかった。


 利津が出かけて3日目。話していた通りならば今日帰ってくる。

 世那はいつもと変わらない日々を送った。日差しがないことで動きやすい体をいつも以上に鍛え汗をかき、シャワーで綺麗に洗い流し着慣れた紺色の浴衣に袖を通した。ズボンとは違い足元がスカスカするがもう慣れてしまった。


「ではお食事片付けますね」

「あぁ」

「おやすみなさい」

「おやすみ」


 うっすら明るかった窓の外ももうすっかり暗くなった頃。

 食べ終えた夕飯の食器を持ちリリィは頭を下げ部屋から出て行った。少女特有の愛らしい笑みに釣られ世那も優しく挨拶をし返すと電気を消し、ベッドに寝転がった。


 日の光が少なかったせいか、与えられた誰かの血液だけで世那は狂うことはなかった。今も目の前に血液を出されれば反応するだろうが、なければないで飢えて狂うほどではない。

 ベッドに横たわりながら足を組み、頭と枕の間に手を組みながらぼうっと天井を眺めた。

 明日からまた利津がやってきて意地悪をするのだろうか。そう思うだけで世那は気が重い。何もせずのうのうと生かされ数ヶ月が経っていた。


 永遠にこの時が続くのかと思っていたその時、勢いよくドアが開いた。世那は何事かと体を起こしたが入って来た者を見る前に目を覆われてベッドに倒された。


「っ!?」


 一瞬何が起こったかわからず世那は息を止めた。

 目に当てられたものが手のひらであることに気づくと世那は目を覆う手を掴み引き剥がさせようと力を入れた。


「見るな」


 聞き慣れた声が鼓膜を揺する。嫌味なことしか言わない声を聞き間違えるはずはない。世那は掴んでいた力を抜き、大人しく手を離した。


「……なんですか」


 普段の余裕たっぷりの態度とはどこか違う利津に世那は大人しくされるがまま答えを待つことにした。

 数秒もしないうちに利津は目から手を離し、代わりに世那の首に腕を回して勢いよく自分の方へ引き寄せた。世那の脚を布団と自分とで挟むように跨り、利津は世那を抱き寄せたのだ。


「っ、おい」


 世那は顔を覗き込もうとしたが近すぎるため表情を読み取ることはできない。

 ただひとつわかったことはいつもの軍服ではなく白の浴衣を着ているということ。ゆったりとした襟元から白い肌が僅かな光を受け取り青白く光る。


「血が欲しいか?」


 その言葉に世那は無意識にぴくりと震えた。体が勝手に悦び、世那の理性を無視して利津の血を欲している。

 世那の微動に利津は気を良くし、低く喉を鳴らして笑うと浴衣の襟元を掴んで世那に見せつけるように首筋を露わにした。


「っ……なんのつもりだ」

「3日留守番できた褒美をやる」

「なに?」

「噛みつかせてやると言っている」


 与えられた権利に世那は生唾を飲み込んだ。甘い誘惑に体はすっかり絆され、髪は白く瞳は紅く染まっていった。

 日焼けを知らない目の前の首筋に自然と目がいってしまい、世那は唇を噛み締めて視線を逸らした。


――そもそも利津は誰かに噛み付かれたことはあるのだろうか。


 治癒力が高く傷など残らない体であることはわかっている。

 利津に直接傷を残せ、噛みつくことを許された者がいたとは考えられない。本当にないのならば世那が初めてと言うことになる。

 それはつまり、……考えたくもない愉悦が思考を鈍らせ身体は興奮し、世那の咥内にじわっと唾液が溢れる。


 だが世那の残った人間の理性が拒み、利津の肩を掴み引き剥がそうと力を込めた。


「馬鹿言うな。放せ」

「誰かわからぬ血は不味かっただろう。俺の味を覚えてよく正気を保てたな、褒めてやる」

「うるせえ……」

「さぁ、噛みつけ」


 世那の髪の中に手を入れ、頬を擦り寄せるように利津は優しく抱き、低く囁く声で世那の耳元で命じた。


――絶対言い成りになってたまるか。


 世那はそう思っていた。

 けれど気づいた時には世那の牙が利津の首筋に食い込み血を啜っていた。ぶつっと肉が裂け、甘い血液がたっぷり溢れ出す。そうなってしまえば残っていた人間の理性は儚く消え、世那はただただしゃぶりついた。

 久しぶりの利津の血液は濃く温かい。今まで身体中を巡っていたものが世那の中に入り込む。


「っ、……」

「……世那」


 耳元で囁かれる名がとても特別に響く。

 いつもの意地の悪い声色とは違う、名を呼ぶ利津の声は今にも泣き出しそうだった。普段の高慢な冷たいものとは逆さまの、甘えるような声に世那の抱きしめる力が自然と強まる。


 傷口がふさがり始めた頃。

 利津の抱きしめる力が弱まると世那も呼応して力を弱めた。世那の耳に利津はそっと顔を近づけると優しく呟いた。


「名を呼ぶことを許す」

「……は?」

「俺が親になる」


 親とは即ち吸血鬼化させた者のことを言う。どんなに鎖で繋がれようと、どんなに血を与えられようとこの場に本当の親が現れれば問答無用で利津に害を及ぼすことだって厭わない。それは世那の意思とは無関係に起こってしまう。

 世那は勿論、真祖の利津が知らないはずはない。なのに利津は会った日から確証もなくずっと繰り返し言い続けている。


「誰も意見などできやしない。俺は始祖であり、吸血鬼の中で逆らえるものはいないのだからな」

「だから、そういう社会性が通るなら俺はこんな……」


 意図がわからず世那は利津の肩を掴んで体を離した。

 雨の降る空は月を隠しているのに銀色の髪は少ない光を集めキラキラと輝き、翡翠色の瞳は世那の黒い瞳をじっと見つめている。


「……眷属にするってことか?」

「そう思いたいのならばそう思えばいい」

「そんなの無理だろ。だって俺を吸血鬼にしたのはお前じゃ……」


 言い終わる前に利津は世那の軍人らしく無骨な指先を愛しげに見つめ、指を絡めると引き寄せ薬指に口付けをした。


「なっ、……」


 御伽話でよくある王子様からのキスを彷彿とさせる利津の行為に世那は息を飲んだ。

 触れた唇は離れることなく利津は瞼を下ろした。幻想的な光景に世那は目を離せず、高鳴る鼓動に顔が熱くなるのを感じた。


 一瞬だったか、本当に長い時をそうしていたのか。世那は我に帰ると手を振り解こうと力を込めた。

 すると利津は見上げるように世那を見るとニヤリと黒い笑みを浮かべた。いつもならば嫌悪しか抱かないその表情すら妖艶で、世那は再び動けなくなった。


「どうした?」

「……っ、顔面凶器」

「は?」


 突然出された形容に利津は目を丸くした。さっきまでの艶やかさは遠のき、代わりにどこか幼さが戻った利津の表情に世那はやっと手を振り解いた。


「あー、もう。いい、わかった」


 やっと絞り出した言葉は何に対してなのか、世那は降参だと言わんばかりに声を上げると額を抑えて首を横に振った。

 世那の言動を訝しげに見ながら利津は眉間に皺を寄せじっと睨んだ。


「名を呼べ」

「あ?」

「それとも俺の名を知らないのか」


 まるで子どもがいじけた時のように利津はぷくっと頬を僅か膨らませた。

 さっきまでの妖艶な男はどこに行ったんだと思うほど表情をコロコロと変える利津に世那はつい吹き出してしまった。


「ハハハッ」

「何がおかしい」

「いや、悪い。知ってるよ。利津だろ」

「……呼び捨てか」

「あ、あぁ……そうか」


 流れのまま敬称を付け忘れ名を紡いだことに世那は言い直そうとした。

 だが、尋ね返した当の本人は愉悦にも似たうっとりした表情で小さく頷いた。


「もう一度」

「え?」


 子どもっぽさは雲隠れし、再び色っぽい声で先を望む。

 顔面だけではない。声、仕草、全てが凶器と言っていいほど美しい雰囲気を醸し出す利津に世那は視線を彷徨わせ、頭をかくと意を決して呼んだ。

 

「……利津」


 頬を染め、口を尖らせて紡がれた名前に利津は熱い溜め息を漏らして世那に微笑みかけた。利津から初めて向けられた柔らかい表情に世那の頭はチクリと痛んだ。


――なんだ、何か。


 利津と対峙したのはこの部屋で会ったのが初めてなはず。でも前にもあった気がする、と世那は思った。

 確かに久木野邸を襲う2日の記憶はない。けれど、もし他の何かを忘れているとしたら。

 思い出そうとした瞬間、世那の頭の奥が更に痛み出した。


 忘れろ、忘れろ。


 誰かの声が世那の頭の中に響く。何か大切な、絶対忘れてはいけないことがごっそりと抜け落ちているのではないか。

 その声を無視して記憶を探ろうとした瞬間、強い頭痛と眩暈で世那は意識を失った。

お読みいただきありがとうございます。

よろしければブックマーク、評価、感想などよろしくお願いいたします。作者のテンションが爆上がりします。

誤字・脱字などのご指摘もお待ちしております。

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