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58話

 世那と利津は案内されるまま梅子の家に入った。東山崎は真祖の名家だ。と言うのに外装も内装も豪華なところはなく庶民的な一軒家。久木野邸と比べれば天と地ほどの差がある。

 二人は狭い廊下を抜け、リビングに通された。親戚の家に来たような懐かしい雰囲気で世那はほっと息を吐いたが、利津は物珍しそうにあたりを見渡している。


「ごめんなさいね、ごちゃごちゃしてて。歳を重ねるごとに片付けるのが億劫になっちゃって、いやねえ」


 梅子は笑いながらテーブルに置かれた書類などを抱えて片付け始めた。

 すると玄関のドアが開き、岩佐が駆けて部屋に入ってきた。先程の一件のせいで岩佐は汗だくになっていた。雪山で会った雰囲気はかけらもない。岩佐はポケットからハンカチを取り出して額を拭い頭を下げた。


「お、遅くなりました。はぁ、はぁ……お茶の用意を……」

「落ち着いてからゆっくりやってちょうだい」

「は、はい」


 呆れた様子の梅子に岩佐はぺこぺこと頭を下げてリビングから出ていった。その中で騒々しさを気にもとめず利津はソファに腰を下ろして膝の上に手を組んだ。


「世那。この方は戸籍上、俺の叔母だが母の母。つまり俺の祖母だ」

「え?」


 思いもよらない告白に世那は目をぱちくりさせた。その様子に梅子はくすぐったそうに笑い、テーブルを挟んで椅子に腰を下ろした。

 梅子は利津の父である清の姉である。だと言うのに、利津の祖母であると言う。つまり、梅子と東山崎の子どもがさっき外で会った希空であり、清と希空の子どもが利津と言うことになる。


「……複雑」

「ねえ」


 世那の呟きに梅子は他人事のように笑いながら相槌を打った。


「そういえば、あなた前会った時よりしっかりしてるわね」

「俺、ですか?」

「えぇ。なんて言ったらいいのかしら。凛々しくなった? 頼もしくなった?」


 座るタイミングを失った世那は立ち尽くしたまま、梅子の探るような視線に身じろぎ、利津に視線を向けた。利津は膝の上に置かれた指先をくるくると回し、笑っていた。


「なぁに?」


 梅子は機嫌を損ねたと言わんばかりに低い声を発し、利津をじろりと睨んだ。その視線すら愉快だと言わんばかりに利津は世那の手を引くと自分の方へ引き寄せた。


「うわっ」


 突然のことに世那はよろめいたが、ソファに倒れる寸前で踏みとどまった。が、利津はニヤリと笑みを浮かべて梅子を見つめていた。


「世那は吸血鬼の祖だ」

「……え?」

「何かの拍子で人間と変わらぬ存在になっていたが、今は全てを取り戻している」


 利津の声の調子が変わった。先までの不遜な態度は形を顰め、どこか格式ばった堅苦しい雰囲気になった。世那はそれに気づき利津を見やったが、梅子の声にならない悲鳴がその場の空気を切り裂いた。


「もしかしてっ……。あぁ! そう、そうなのね」


 梅子は老婆とは思えぬ俊敏さで椅子から立ち上がると皺だらけの瞼を押し上げ世那を見た。利津と同色の翡翠色の瞳が揺れる。世那の頭のてっぺんから足先まで舐め回すように見ると、梅子は得心がいったように息を吐き再び椅子に腰を落とした。


「希空がね、さっき突然家から飛び出したの。何事かって聞いたら『始祖様』って言ってて。そう、そうなのね。希空と利津には東の血が入っているもの。わかるのね、きっと」


 少しの静寂の後、ドアが開いた。落ち着きを取り戻した岩佐が軽く会釈をして中に入ってきた。湯気が立つ温かな緑茶を3人の前に並べ、再び頭を下げて出て行った。

 梅子は茶器を手に取り丁寧な所作で一口飲んで一息ついた。


「東山崎が、あぁ、私の亡き夫がね。東にしかわからないことがあるって昔、話してくれたの。内容は言えない、けれども希空には、その後の子孫にもきちんと伝わるものだって」


 利津はフンと鼻を鳴らし嘲笑した。


「忌々しい」

「利津にとってみれば嫌なものかもしれない。けれどもどう? 東の血を受け継ぐ希空とあなたにだけその絆はある」

「絆?」


 その言葉に利津の目が鋭くなった。翡翠色の瞳は光をなくし、じっと梅子を見下すような目で見据えると片手を上げて払うように手を振った。


「子を捨て、精神をやった女と俺に何の繋がりがある」


 地位や名誉をなくそうとも利津が元来持っている覇気は無くならない。人を威圧する言動と空気は変わらず、利津が発する空気に世那は何も言い返さず立ち尽くした。世那には無い血の絆を最も簡単に否定する利津の空しさがひどく切なかった。

 一方、梅子は茶器をテーブルに置いてほうっと溜息を漏らし深く椅子に座り直した。

 

「あなたの横に始祖様がいらっしゃるのは何故? あなたたちが現れる前に希空は気づいた。あなたの連れが始祖様だって他の人は知らないのに……」

「黙れ!」


 利津の拳がテーブルに落ちた。3つの茶器がぐらりと揺れ、世那の前に置かれたもののみが倒れテーブルを濡らした。

 利津はその拳を強く握り直すと立ち上がり、鬼の形相で梅子を見下ろした。対する梅子は微動だにせずじっと利津を見上げた。


「祖母として最初で最後の助言よ。……受け入れなさい。あなたの身体には久木野と東の血が流れている。清にそっくりな見た目、希空に似た不安定な精神。それは天変地異があっても覆らない」

「……何が言いたい」


 牙を剥き、歯を食いしばって、利津の拳は小刻みに震えていた。殴るためではない。どうしても認めたくない何かを、心の奥で探し続けているようだった。

 利津の横で世那はじっと二人の問答をみつめた。どちらが正しいか間違いか。実のところ世那にはどうでもよかった。ただ利津がこれ以上傷付かないでほしい。それだけを思った。


「始祖様ぁ! どこー?」


 家の中にいると言うのに澄んだ声が二人の会話を途切れさせた。あどけなさを残した声色が始祖を探している。梅子は頭を押さえ大袈裟に息を吐いた。


「止めてくるわ」

「俺が行きます」


 梅子が椅子の手すりに体重をかけたが、先に世那が立ち上がって制止した。すかさず利津の手が伸びてきて世那の腕を掴む。


「世那が行く必要はない」


 世那は強く握られた腕を諌めるように反対の手で握り返して首を横に振った。


「大丈夫。待ってろ」

 

 利津はバツが悪そうな表情で渋々手を離した。世那は梅子の前と言うことを気にせずに利津の頭を撫でて部屋から出ていった。


 世那は靴を履き、ドアを開けた。ふわりと潮の香りが流れ込み冷たい空気に身体が勝手に身震いする。空は変わらず雲ひとつない晴天だった。


「始祖様!」


 澄んだ声が世那を呼ぶ。この名前で呼べるものは利津ともう1人しかいない。世那は振り向きその者を出迎えた。

希空は愛しい人を見つけたときのように目を輝かせながら駆け寄ってきた。翡翠色の瞳は利津と同じく無垢そのものだ。白い肌は雪原のように透き通っているがとうに成人しているにもかかわらず、その顔に化粧気はない。そして、あるはずのものがなかった。吸血鬼特有の牙がもう見えない。

 希空は世那の前に立つと子どものように両手を広げそのまま強く抱きついた。


「やっと会えた。始祖様」


 希空が世那の肩に頭を押し付け、鼻先で深く息を吸った。肌に触れる気配と音が、利津が見せる執着を思い出させる。だというのに世那の視線は自然と遠くに向いていた。


「えへへっ、ごめんなさい。40にもなるおばさんが甘えちゃって。でも、でもね。ずっと会いたかったの。お父様から始祖様を守るのが私の役目だってずっと言われきたの。だって私は東の血を受け継ぐ唯一の存在だから」


 世那の咥内にじわっと苦みが走る。からりと渇いてしまった喉は無意識に怒りをのせて名を紡いだ。


「利津もいる」


 無邪気だった希空の表情が一瞬曇る。世那はそれを見逃さなかった。希空は何かを隠すようにすぐに幼い笑みを浮かべながら顔を上げた。その目には涙が溢れていた。


「あの子は、ほら。まだ幼いじゃない?」

「幼い?」

「えぇ。まだほんの3つか4つでしょう?」

「もう成人している」

「でも、でも、あの子は久木野だもの」

「お前も久木野の血を受け継いでいる」

「でも、でもでも……」


 希空はぎこちない笑顔のまま徐々に声が震えていく。抱き着いていたはずの腕はいつの間にか緩められわなわなと身体を震わせている。彷徨う視線はこの世を映そうとしない。世那は冷たい視線で希空を見下ろした。


「……」


 言いたいことは山ほどあった。久木野という隔絶した世界で利津は一人で生きてきたこと。あらゆる真祖や人間たちから畏怖の念を持たれながら見下されていたこと。

 だが、世那は口を噤んで押し黙った。


 久木野という場所はとてもじゃないが常人ではいられない。最も始祖に近いと崇められ、当人たちもそれを信じていた。ただ、真祖との違いはほとんどない。いくら人間の王が爵位や名誉を与えたところで久木野自身にも空虚があったに違いない。その苛立ちを希空もぶつけられたのだろう。狂っていく心をまっすぐにするためにどれだけ耐えたのだろう。

 同情はする。しかし、利津を否定する理由にはならない。


「お前には実母も、仕えてくれる人間もいる。利津にはもう何もない。アイツにはもう俺しか残っていない」

 

 世那の握りしめた拳に爪がめり込む。痛みすら怒りの熱にかき消されていた。それは希空への苛立ちだけではない。もっと根の深い怒りに、身体が反応しているのだ。

 幾度となく、選択の分岐点はあった。本人の記憶からは消えてしまっても、世那の中には確かに残っている。幼い利津とのひそやかな逢瀬。学生兵として出会ったときの衝撃。そして、世那が吸血鬼となり再会を果たした、あの一年前の春。

 どこか一つでも出会わなければ終わっていたかもしれない。いや、会っていただろう。そのタイミングが違えど、そのたびに利津はきっとこう言うに違いない。


「世那は俺のものだ」


 空想した利津が告げる言葉がなぜか現実にはっきりと聞こえ、世那ははっと顔を上げ振り向いた。利津は凛とした姿で家のドアの前に立って二人を見つめていた。


「貴女が言った始祖はここにいる。皆が嘘だといったものは確かに。……だが、くれてやるわけにはいかない。俺がこの手で初めて手に入れたのだ。……俺が見つけた」


 銀色の睫毛がはたはたと瞬く。その中に隠れる翡翠色の瞳は揺らぐことなく母をまっすぐ見据えている。

 希空は黙って利津の話を聞いていた。先まで溢れていた涙はもう止まっている。二人はしばらく見つめあっていたが利津は世那の肩を掴み引き寄せた。


「行くぞ」


 肩を掴む手は強く拒否する権限はないと言いたげに行く方角へ歩み始めた。世那は希空に振り向くことなく利津の案内のまま足を進めた。


 希空は何も言わず二人を見送りながら手で鼻と口を覆って目を閉じた。どこの屋根からか雪が舞い、希空を包むように降り注いだ。

 

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