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57話

 眩しい日差しが、板壁の隙間から差し込んでいる。世那は目をこすりながら、ゆっくりと視界を広げた。

 あのあと二人は、バックパックに入っていた簡易食を分け合い、火を絶やさぬよう気を配りながら眠りについた。だが、いつしか火の番を忘れ二人ともぐっすりと寝入ってしまっていた。囲炉裏の火は、かろうじて燻っているものの、もはや部屋を暖めるほどの力はない。

 それでも幸いなことに、身体が冷え切っている様子はなかった。囲炉裏の残り火が、うまく温もりを保ってくれていたのだろう。

 世那は、自分の肩に頭を預けて眠る利津の顔をそっと覗き込んだ。利津は規則正しい寝息を立てながら、静かに眠っている。世那は小さく安堵の息をついた。

 利津は、世那が持ち寄った布を目一杯羽織り、その上から被せた藁もずり落ちることなく、しっかりと利津の体を温めていた。


「利津、朝だ」

「……ん」


 利津は世那の声がけに小さく頷き、ずるずると滑り世那の膝に横たわった。起きる気がないのか、元々朝は弱いのか。

 そういえば、と世那は思う。利津と朝を迎えたのは初めてだ。幼い頃ホテルに泊まった時は目が覚める前に記憶を操作し、もう一度寝かしつけて部屋を後にした。利津が学生兵だった時分は訓練場で会うのみであったし、世那が監禁されていた時は共に寝ることはなかった。


「……」


 世那の気持ちをしらず利津はまるで猫のように世那の膝に額を擦り付ける。世那は甘える利津の額をコツンと叩いてやった。


「起きろ、朝だ。吹雪も止んじまってる」


 気持ちよく寝ていたところへ突然痛みを感じて利津は額を押さえながら目を覚ました。何度か瞬きをしていつもの睨みつけるような表情で世那を見上げている。世那は利津の頭に手を添え引き剥がすように起こしてやった。


「とっとと出るぞ」


 利津はしぶしぶ上半身を起こし、かけられていた藁を部屋の隅に投げ捨てた。

 世那はバックパックのものを確認して背負い、肩からアサルトライフルの紐をかけすぐにでも出られるように立ち上がった。


「……?」


 外に気配を感じ、世那は動きを止めた。利津も何かを感じ取ったようでじっと息を殺す。相手は一人、軍人とは思えない隙だらけの足音。どちらかの足が悪いのか歩くリズムが不規則だ。

 世那はドアを睨み、物音ひとつ立てずアサルトライフルを構え対応できるようトリガーに指をかけた。

 形ばかりのドアノブが緩く回る。錆び付いた丁番が悲鳴を上げ、ドアが開かれた。

 小屋の中に一気に冷たい雪と風が吹き込み視界が遮られる。それでも世那は目を細めアサルトライフルを構えたまま声を上げた。


「手を上げろ。さもなくば撃つぞ」


 利津をわずかに背後へかばいながら、世那は入ってきた人間を鋭く睨んだ。

 世那には見覚えのない壮年の男だった。ダウンジャケットを身にまとい、髪は雪原を思わせる白と、かつての黒が入り混じる硬質な色合い。鋭さを湛えながらも、老いに和らいだ目元が、世那ではなく利津のほうを見つめている。まるで久しぶりに主に再会した忠臣のようだ。

 利津はハッと息を飲み、そしてそっと世那の手を取って、握っていたライフルの銃口を下に向けさせた。


「待て」


 世那は利津に大人しく従い銃口を下げた。だが、トリガーから指が離さず闖入者をじっと睨んだ。壮年の男はふっと柔らかい笑みを浮かべてハットをとり胸元に当てると頭を下げた。


「覚えていてくださり光栄でございます。吸血鬼の王」

「俺の現状を知らぬとは言わぬだろうな、岩佐」

「存じ上げているからこそ申しております」


 岩佐と呼ばれた壮年の男は雪を払って片膝をつき服従の姿勢をとった。利津は鼻を鳴らして笑い、世那は訝し気に岩佐を見やった。岩佐はようやく世那を見ると「ほう」っと溜息交じりに声を漏らした。


「貴方が……」

「なんだ」

「いえ……。なるほど。利津様をここまで連れて来てくださったこと感謝いたします」

「アンタに感謝されるようなことはしていない」

「ここはもう東の地。そのように殺気立たずとも我が主人の元までご案内いたします」


 そう言うと岩佐は軽く頭を下げて立ち上がると外へ出た。世那と利津は無言で見つめ合い、小さく頷いた。何かあればやるぞ、という世那の意図をくみ取り利津も肯定した形となる。


 小屋の外は昨夜の吹雪が嘘のように雲一つない青空だった。冬特有のツンとした空気が身体を更に緊張させる。世那はライフルを片手に握ったまま利津の少し後ろを歩いた。

 利津は岩佐の隣に並んだ。岩佐は足を引きずりながら柔らかな雪原の地を歩いている。岩佐は利津の視線が足に向かっていることに気がついて優しく微笑んだ。


「あぁ、これは年ですよ。元々左足はうまく稼働していませんでしたから。……梅子様の言う通り吸血鬼に堕ちていれば少しは変わったでしょうか」

「少なくとも日の元で歩くことは叶わなかっただろうな」


 冷たく突き放すようなもの言いに岩佐は小さく笑って話を閉じた。


「ここまではどのようにいらしたんですか?」

「世那がバイクを……」


 そこまで言って利津は世那に振り返った。気絶する前、自慢げに見せていたそのものは何処へ行ったのかと。世那は肩をすくめて笑った。


「寒さでバッテリーがやられたから捨てた」


 世那は端的に答えるのみでそれ以上答えるつもりがないのか、視線を逸らした。


 数十分ほど小高い山道を歩いていると、やがて斜面がゆるやかに下り始め、三人は自然と足を止めた。

 彼らの立つ場所は丘の頂上。眼下には盆地が広がり、そこにはぽつんと小さな集落が見える。その更に向こうには穏やかな海が広がっていた。


「利津様がこちらにいらっしゃるのは、初めてですね」

「父……いや、祖母が許すはずなかろう。それでなくとも、母は……」


 潮風が強く吹き抜け、利津の雪のような癖毛がふわりと舞った。

 利津は何も言わず、どこか自嘲めいた微笑を浮かべると、静かに雪を踏みしめながら斜面を下っていく。その背中を、世那はしばらく見つめてから黙って後を追った。岩佐もまた、足元に気を配りながらも、どこか慣れた様子で丘を下っていった。


 三人が集落の近くまでたどり着いたのは、日が高く登り切った頃だった。寒さは幾分和らぎ日の光が昨夜降り注いだ雪をほのかに溶かし、地をキラキラと輝かせている。

 そのとき、集落の方から何かが駆け寄ってきた。真冬の寒さも気に留めぬように癖の強い銀色の髪を風に揺らしながら、女がこちらに向かって走ってくる。


希空のあさま?」


 女の姿を目にした瞬間、岩佐は驚きのあまり口を開けたまま動きを止めた。一方、利津の視線は微動だにせず、その女を凝視していた。

 世那はすんと鼻を動かした。遠くでもわかるその匂いに目を見開いた。利津だけが発する甘い香りを女が放っている。希空は三人を見つけると足を止めた。


「っあ……」


 希空は息を詰まらせながら声を発しその場に座り込んだ。希空の翡翠色の瞳は揺らぎ、利津を見つめている。

 

きよし……さん? あぁ! あ゛ぁあ!!」


 女は利津の父の名を紡いだ瞬間、腹の奥から溢れるような呻き声を上げ地に伏した。頭を抱え、まるで化け物でも見たかのように身を震わせながら、悲鳴を上げ続ける。

 岩佐は片足をかばいながら素早く駆け寄り、膝をついて希空の背をさすった。


「希空さん、希空さん。違います。この方は……」

「いやっ。いやぁあ!」


 世那は希空の姿に驚きつつも、利津に目をやった。

 おぞましいほどの雄叫びの中、当の本人である利津は希空に冷ややかな眼差しを向けていた。その表情は驚くほど静かだと言うのに、握られた手には力が入り人差し指の爪が親指の腹に突き刺さり白い肌を赤く染めていた。


「この先か?」


 落ち着いた利津の声に岩佐は必死の形相で顔を上げ頷いた。


「えぇ、この道をまっすぐ行った……」

「ごめんなさいっ。ごめんなさい。どうか、どうか許してぇ」


 二人の会話を阻むように希空が叫ぶ。利津は視線を岩佐の言う方角に向けるとスタスタとそちらへ歩き始めた。世那は躊躇なく利津を追いかけた。

 希空の叫びが遠くなり、やがて声が聞こえなくなると利津が足を止め、小さく笑った。


「哀れな女だ」


 その声はひどく掠れていた。


「見たか? あれは俺の母だ。3歳の頃に会ったのが最後だったが。……ふっ、息子を夫と見間違うとは」


 確かに利津は父である清によく似ている。清の母でさえ晩年は利津を清だと思っていた。

 利津が何でもないことのように語るその横で、世那は黙って立ち止まり、利津の手を掴んだ。そのまま、ゆっくりと利津の手を持ち上げさせる。

 不意を突かれた利津は力を抜き、なすがままに自分の手を目の前に差し出す形となった。指先には、真新しい鮮血がにじんでいた。赤く染まったその手を、世那はじっと見つめていた。


「傷付けるな」


 まるで親が子を叱るような低く鋭い怒声。その言葉に利津は皮肉げに笑った。


「血が欲しいのか?」

「誤魔化すんじゃねえ。お前はいつもそうだ。辛い時ほど笑って、何でもない風を装って」


 利津はぎりっと歯を食いしばり、世那の手を乱暴に振り払った。


「貴様には言われたくない。貴様こそ、何もかも背負おうとする愚か者ではないか」

「なに?」

「影島夫妻が亡くなったのは貴様のせいではない。親なし吸血鬼になったことも、久木野邸を襲ったことも、父と祖母が亡くなったことも全て偶然でしかない。独善的な思い込みで懺悔するな」

「い、今はそんなこと関係ねえだろ!」


 全て図星を突かれ、世那の目の前がチカチカと滲んだ。怒り、違う。焦りだ。もし利津の言うことを肯定してしまえば今まで思って来た枷は何の意味も持たなくなってしまう。それはつまり、世那に罪はないと言うことになる。

 利津は動揺した世那に気付いたのだろう。一歩世那に近づくと利津は窺うように世那の顔を見つめた。


「ならば試してみろ」

「何を……」


 利津の翡翠色の瞳に僅か情欲が滲む。子は決して持ち合わせない艶めいた大人の視線を向けながら利津は血濡れた指先を世那の前に差し出した。まるで契りのようなその動作に世那は息を飲んだ。絆されるわけにはいかないと身構える。

 すると、古びた木製のドアがきしみながら開いた。


「あら? 珍しいお客様だこと」


 利津は振り向くなり声をかけた老年の女を見て睨みつけた。女はそんな視線をものともせず世那を見て優しく微笑む。あの日、利津の婚約披露宴で見せた姿と変わらない堂々たる様で女・利津の叔母である梅子はドアを背中で押さえて手を室内へ向けた。


「お久しぶりね、利津の眷属さん」


 言わずとも示された誘いに二人は大人しく従った。

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