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52話

 今年の正月は荒天の予報だったが、実際は雲が垂れ込め雪がちらつく程度だった。手袋がないと手が悴むほどの冷え込みではあるが作戦中止を決行するまでではない。

 時刻は21時過ぎ。人間たちは装甲車、護送車を2台連ねて細い山道を通りここまでやってきた。急な坂道もあるため重量のある戦車まで持ち込めなかったことは痛手ではあったが、久木野利津を一人捕縛するだけなのだから大した問題ではない。


 初老の軍曹は目深かく帽子を被り直し、拡声器を口元に当てた。


「両手を上げ、こちらに来い」


 ようやく玄関前に姿を現した利津は軍曹に言われる通りに両手を上げた。今から捕まるとは思えないその格好に軍曹も他の兵たちも息を呑むしかなかった。それもそのはず、利津の姿はどう見てもこれから捕まる男とは到底思えないものだったからだ。

 白の上質なロングコートに黒のズボン。軽装にも関わらず足元だけは重厚感のあるトレッキングシューズだった。しかし、誰もその違和感を問うものはいない。

 利津は一歩一歩丁寧に階段を降り、地に足がつくとまたゆっくりと軍曹たちの元へ近づく。あと数歩で触れられる、そこまできたところで軍曹が手をあげ制止を促した。利津は大人しく足を止め口角を上げた。


「誰かと思えば貴様か。罪状は何だ? ここまで騒々しくするだけの罪を持ってきたのだろうな」

「口を慎め。陛下に噛みつき眷属化させようとした

罪は重い。軍位、及び爵位は剥奪された。お前が私に口答えする権利はない」

「元からそのつもりだったのだろうな。あの宰相、中々悪知恵が働く。それで……ふふっ、貴様如きをここへ。随分とコケにされたものだな」


 飄々とした態度、そして自分の立場をわかっていないような皮肉。利津の言動が気に障り軍曹のこめかみに血管が怒張した。おもむろに手を振り上げ利津の頬に平手打ちした。


「っ……」


 パァンと弾けるような音が虚空に響く。利津は避けることなくまともに受けたのだ。咥内にじわっと血が滲む。

 その表情が痛快だと言わんばかりに軍曹は腹を突き出し笑った。


「はははっ! 化け物には体罰が一番効くようだな?」


 軍曹は足を振り上げ利津の顔に向かって蹴り落とした。利津はこれも避けず頬に直接受けて地面に伏した。起きあがろうと地面に手をついたが、軍曹はそれを許さず穢れを知らない銀色の髪を踏みつけ頭ごと押さえた。


「くくっ、人語が話せる化け物が。お前らは今日でおしまいだ。……それにしても、田南部の娘はよかったなぁ? 許可されていないところで眷属を増やし、加えてそいつらの世話をせず放って親なし吸血鬼を増やしていたのだからな」


 利津は何も答えない。


「残念ながら陛下はお前のような珍獣がお好みで我々は手出しできなかった。だがどうだ。田南部の裏切り、そして久木野、お前の罪はどんなものよりも重い。二度と吸血鬼どもが人間様と同じ、いや……地位や名誉なども全て与えられることはない。永遠に檻の中で暮らし、人間様たちの見せ物となるのだ。どうだ? 愉快だろう?」


 冬の張り詰めた空気を切り裂くように毒が吐かれる。周りの兵たちは軍曹の話をじっと聞き、踏みつけられたままの利津は抗うことなく黙っていた。

 勝った。そう思った軍曹は更に機嫌をよくして利津の頭から足を避けて腹部を蹴り後ずさった。


「……フフン。まぁ良い。気位が高く面倒だったが上司であったことに変わりはない。丁重に扱ってやるわ。……おい、そこの」


 軍曹は振り返りながら近くにいた兵を指さした。まだ年若く、軍服に一つの勲章もついていない男はぴんと背筋を伸ばして軍曹に近づいた。


「銀の手錠で後ろ手につなぎ車に乗せろ」


 部下に命じつつ軍曹は利津から目を離さず舌なめずりした。そして踵を返し利津から離れ邸宅へ向かっていった。

 若い兵は困ったように眉尻を下げた。


「あの……」

「……」


 利津は答えない。戸惑う若い兵とも視線を合わさず自ら手を後ろに回して待っている。若い兵は暗い表情を隠さず利津の後ろに回ると持っていた手錠で拘束した。


 その後、利津はこの年若い兵と二人で護送車に乗せられた。本来ならば噛みつき人間を眷属化する恐れがあるため真祖である利津には噛みつき防止の猿轡等の処置をすべきだが、そうされることはなかった。一般兵が眷属化されようがどうでもいいということだろう。

 バタン、と乱暴に後ろのドアが閉まる。向かい合わせに座らされた若い兵は指を組んで膝の上に置いた。傍にはアサルトライフルが置かれている。


「見張りは貴様一人か?」


 口火を切ったのは利津だった。声は至って穏やかでまるで雑談でもするかのようだ。韮山は訝しげに利津を見やると同じように落ち着いた声で答えた。


「軍曹も含め他の者たちは邸宅の中を見て回ると仰っていました」

「はっ、金目のものがないか物色するつもりか。薄汚い連中だ」


 車外を睨む目が細められ、利津の口元に冷ややかな笑みが浮かぶ。


「使用人たちはどうした」

「もう一台の護送車に乗って他の場所へ移送します。罪の無い者たちは解放されると」

「どこまで真実なのかわかったものではないな」

「久木野大尉」


 若い兵の声が先程とは打って変わって硬いものに変わる。ここは護送車内。罪人と見張り。立場を忘れてしまうような雑談に若い兵はとうとう痺れを切らしてしまった。

 一息つき、絡めた指先に力が入り利津を見る目が鋭くなる。


「これからどうするおつもりで」

「大方、どこかの留置場にでも連れて行かれるのだろう」


 さも当然のように告げ、どこか他人事のような口ぶりに韮山は声を荒げた。


「そうではありません。こんな簡単に捕まってどうするのかと……」

韮山にらやま


 名を呼ばれた瞬間、若い兵ーー韮山はぴんと背筋を伸ばした。

 そんな様子に利津はふっと息を吐いて首を傾げた。


「貴様はよくできる。このまま研鑽を積めばあの愚かな軍曹よりもっと先へ行ける」

「今話すことですか?」

「他にすることがないからな」


 フンと鼻を鳴らし利津は車体に身体を預けるように寄りかかった。後ろ手に手錠をかけられ罪人と言われる立場とは到底思えない。


 一瞬、護送車の小窓から光が差し込む。そして次の瞬間には猛烈な爆音が車内に響いた。


「っ!?」


 地面を割るような、それでいて何か大きな爆弾でも投下されたのかと思う壮絶な音に韮山は自然と頭を抱えて伏せた。その後伝わるビリビリとした空気の振動。車体は多少揺れたものの倒れることもなく無傷なようだ。ならばどこからその音がやってくるのか。考えるまでもない。韮山の顔は青ざめた。

 対して、向かいに座っている利津は低く喉を鳴らして笑っていた。


「一時間経つのはあっという間だな」

「え?」

「祖母が言い出した時は愚かだと思ったが。ふふっ、ここまで役に立つとはなかなかだ」


 韮山の背中に冷たい汗が伝う。何の話だ、何が起きた、何が……。

 問うよりも先に身体が動く。座席から立ち上がり鉄格子の張られた小窓から外を覗いた。


「っあぁ」


 漏れ出る嗚咽。韮山は目の前の光景に目を見開いた。

 辺り一面が真っ赤だった。重くのしかかる夜が地面から燃え上がる炎で染めあげられている。バチバチと火が爆ぜ、赤々と燃え上がる邸宅。韮山の喉に生唾が流れ込む。


「大人しく軍の命令通り俺を移送すればよかったものを。愚かな人間どもだ。……そうは思わないか?」

「なんだって?」


 外の光景とは真逆の冷たい声が車内に響く。利津は事もなげに軍曹たちのことを言い、くつくつと笑った。


「久木野をむざむざと他人に渡すわけにはいかない、などと言っていた。いつかは滅ぶことを理解していたのだろうな。まさか、邸中に爆弾を仕掛けるなんて誰が思う」

「ふざけるな!」


 指先に力が籠る。窓枠に爪を立て黙って聞いていた韮山はとうとう怒りの頂点を極め振り向きざまに怒鳴った。利津はぴくりとも身震いすることなく鬼の形相で見下ろす韮山を見上げた。


「あそこには軍曹たちが、仲間がいる。何故爆破すると言ってくれなかったんですか?」

「仲間? ふふっ、おかしなことを言う。俺を捕まえに来たのだろう? 敵ならば屠る。当然のことをしたまでだ」


 利津の言うことは正しい。敵相手に隙を見せれば己がやられる。そう教えたのも利津だ。しかし、と韮山は苦虫を噛み潰したような表情で俯いた。

 邸にいるのは利津の仲間でもあったはずで、何の躊躇もなく殺してしまったことを韮山は受け入れられないでいた。


「使用人たちを先に運んだことは感謝しよう。アイツらに何の感慨も沸かないが死なれても寝覚めが悪い」


 カチャッと音が鳴り、後ろ手に錠で繋がれていたはずの利津の手が前に回ってきた。ふるふると振り手首の感触を確かめると顔を真っ赤にしながら憤る韮山に微笑みかけた。


「貴様は優秀だ。ほんのわずかな時で鉄製の手錠にすり替えるとはな」

「……」


 戸惑う韮山を他所に利津はククッと喉を鳴らしてロングコートのボタンを外すとベルトを緩め背中に腕を回し何かを引き抜いた。利津の手にはつばのない脇差が握られていた。


「身体検査はすべきだな、韮山」

「……命令がなかったので」

「あの頭の弱い軍曹は邸宅の金品にしか興味がなかったのだろう。だが……貴様は気づいていただろう。俺が武器を隠し持っていることに」


 韮山はぐっと奥歯を噛み置いてあったアサルトライフルを握ると利津めがけて構えた。武器を持たれては対抗しなければならない。利津もこうなることは理解していた。韮山の鋭い眼光の中に確かな揺らぎがあることも。


「動くな!」


 同時に銃弾が一発、利津の足元を掠めた。利津は振り向くことなく飛び立った弾を見つめながら口角を上げた。

 

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