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50.5話

(side:世那)


 記憶が戻ったあの日、俺は影島世那ではなくなった。

 利津に噛みつかれ眷属化され、促されるまま利津の血を貪った。田南部美玖に眷属化された時とは違う、利津の本当の眷属になれたためか咥内に流れ込む血は甘かった。

 利津は初めこそ拒んだ。本当の眷属になってしまえばただ命令を実行するだけのつまらない存在になるからだ。俺だってわかっていた。けれど、それでも利津の本当の眷属になりたかった。

 何故か? 利津が俺なしで生きられないようにするためだ。


 俺が久木野の邸宅に侵入したその時から既に利津は俺に執着していた。鎖で繋ぎ、監禁し、定期的に血を与えるくせに決して俺から血を取ろうとせず。なのに自分の血を俺に与え続けた。俺が飢えて狂うと全身で悦び、端正な顔立ちは歪みに歪み、美しい翡翠色の瞳は少しだけ潤んで何かを欲していた。

 始祖ではなくなっていた俺は鈍感ではあったが薄々感じていた。気づかないわけがない。

 吸血のその先、もっともっと本能的で獣のような欲。


 思い出すだけで背筋がゾワゾワする。

 あのまま利津の眷属になって向けてくる欲に応えてやれればよかったのに。それなのに、俺は利津の眷属になるどころか自分が何者であったかすっかり思い出してしまった。

 吸血鬼の祖である俺に命の終わりはない。あるのかもしれないけど、何百年とだらだら生きてきて死ぬそぶりはひとつもなかった。何より老いる事がないから死が身近にないんだと思う。

 生物の理から反した俺が、歳を重ねいつか死んでしまう利津の側には居られない。だってそうだろ。無理なんだ。


「利津様には世那さんしかいませんよ」


 俺が始祖に戻って久木野邸を出ようとした時、佐藤が門の前で言った。

 違う。利津に俺は相応しくないし、もう一緒にいることはできない。わかっている。わかっているのに、俺の気持ちは反して喜んだ。

 当然だ。だって利津はずっと俺のことばかり考えているし、俺だって利津のこと……。

 そこまで考えて我に帰る。佐藤に何も言わず背を向けたまま俺は久木野邸を後にした。


 

 それから三日後。俺はこっそり久木野邸の屋根に飛び乗って利津の部屋を覗き込んだ。佐藤が言った通り、敷地内には幾重にも防犯装置が整っていたが屋根の上は一つもなかった。普通の人間ならば門を超え、壁をよじ登らなければならずその間にセンサーに引っかかるという寸法だろうが、俺には全く役に立たない。聳え立つ外門から屋根まで簡単に飛び移れるからだ。


 夜だと言うのに利津の部屋はまっくらだった。眠るには早すぎる上に窓は少し開けられカタカタと揺れている。侵入を一度は許したことを忘れたのだろうかと思うほど不用心だ。


「うぅっ……あぁ」


 呻く声が微かに聞こえた。利津の声。俺はその場に伏せて少しでも声を拾おうと耳をそばだてた。何かが絨毯を擦り、衣服が擦れ、荒い呼吸が苦しそうに息を繋ぐ。そしてガシャンと何かが倒れる音がした。


「利津」


 考える間もなく俺の身体は動いていた。屋根の端につかまり、身体をくるりと回転させ利津の部屋の窓を蹴り開けた。不幸中の幸いか元々開いていたため窓ガラスが割れることはなかった。

 俺は部屋に入るなり身体を丸めて一回転し飛び込んだ。苦しそうな声を探そうと顔を上げるとそのものはすぐ目の前にいた。白い軍服を着た男は情けなくも絨毯に這いつくばって倒れていた。

 俺に気づいた利津は額を絨毯にこすり付けゆっくりと顔を上げ、真っ赤な瞳を大きく見開いた。


「何故……っ」


 枯渇した喉が搾り出すように問うてきた。

 誰もが憧れ恐れる久木野大尉が地面に伏せ強がっている。本人も見られたくはなかったのだろう。俺を睨む視線はまるで仇敵を見るような殺意を含んでおり、加えて憎悪が溢れていた。


 利津は大きく息を吸うと絨毯に爪を立て無理矢理上半身を上げて膝をついた。転がっている間に外れてしまったのかガシャンと音を立てて子爵の勲章が絨毯に落ちる。利津は歯を食いしばりふらふらの足で踏ん張ると片方の足裏を地につけ立ち上がった。ゆらりと身体を揺らして何歩か進む。

 すると近くに転がっていた細剣を拾った。そこから速かった。意志のある鋭い眼光が俺を射抜いたかと思えば細剣の切先を俺の喉元を狙うように向けてきたのだ。


「死にたくなければ動くな」


 利津の殺気は本物だ。言った通り俺が少しでも動けば殺す気なのだろう。なのに俺は利津の立ち回りに感心してしまった。利津が何か武器を構える姿を初めて見たからだ。

 吸血鬼は銃火器を持つことは禁止されている。そのため剣技や武術を磨くと聞いたことがあるが、元が人間より優れた身体能力を有するため真面目に鍛錬する者は少ない。と言うのに真祖である利津に隙は無い。真に実力を有しているということがはっきりとわかる。

 まぁ、利津らしいといえばらしい。誰よりも強く賢くあろうとどれだけの努力をしてきたのだろう。

 女の子のように愛らしかった少年が、はっきりとした憎悪に蝕まれながら俺を殺そうとしている。


 俺は言われるまま両手を上げ、利津を見上げた。剣先はブレることなくまっすぐ俺の喉元を狙っているのに利津の真っ赤な瞳は揺らいでいる。どこも怪我はしていないが俺の、始祖の血の匂いに当てられているのかもしれない。吸血鬼の嗅覚は人間とは比べ物にならないほど鋭い。始祖の香りに当てられている利津は自覚こそしていないが本能のせいで思考が揺らぎ始めているのだろう。なんて愛らしい。


「血が欲しいのか?」

「なに?」


 利津の片方の目がぴくっと釣り上がる。


「血液パウチはどうした」

「貴様に言われる所以はない」

「確かにな。でも……っ」


 反論しようと口を開いた時、喉元に当てられた剣先が僅か皮膚に食い込んだ。その箇所がじわっと熱を帯びる。刺さったのだ。


「無駄口を叩くならば今ここで息の根を……」


 氷のような冷たい目で俺を見下ろしていたのも束の間、利津の手から細剣が滑るように地に落ちた。カランカランと音を立ててバウンドし血に濡れた剣が動かなくなった。刺せば血は出るのに浅はかな行動だ、と心の中で嘲笑していた俺はいつの間にか絨毯の上に押し倒され天井を見上げていた。

 避けることもできた。だが俺はそうせず、利津がしたいようにさせた。利津は俺の腹部に跨り、俺の両肩を爪が食い込むほどの強い力で抑え込んでいる。さっきまでの鋭さはどこかへいき、涙ぐんだ赤い瞳は俺の首を捉えている。そう、欲のままに。


「っは、ぁ、……貴様、何をした」

「お前だろ、刺したのは」

「ん……っ、貴様から、なぜ、人間の匂いがしない……ッ」

「そりゃそうだろ。吸血鬼は人間の匂いを感じてるんじゃねえ。同族の匂いを拒絶するんだ」

「なん、だと……では、貴様は……」

「影島世那、いや俺は吸血鬼の祖。お前らの言う始祖だ」


 まるで雷に打たれたように利津の身体が硬直した。荒い息も詰まったように止まり、音を立てて利津の理性が崩れていく。

 まだ問いたいことはたくさんあっただろうに、利津の目は情欲に濡れ細められる。身体を屈め俺の首に顔を近づけ溜息を漏らすと間を置かず鋭い牙を突き刺した。


「ッ……」

「は、ん……ふ」


 噛み付きによる痛みは一瞬で消え、ぐいぐいと入り込む牙は喉仏を喰らわんばかりに強く刺さる。人間ならば即死、吸血鬼でも回復を待たずに命を落とすかもしれない。だが、死が訪れない俺には関係のないこと。それよりも嬉しさがこみあげてくる。


 利津は始祖の血にあてられているだけだ。わかっていても俺という存在が欲しいと言われているようで目眩のような幸福感が脳を揺らす。

 気づけば俺は何度も牙を食い込ませながらしゃぶりつく利津の頭をかき抱いていた。膝を立て利津の体を間に押さえ込みながら強く強く抱きしめた。


「ぷはっ……」


 ようやく満足できたのか利津は顔を上げた。口の周りは血に濡れたままで拭くこともなく、陶酔的な表情を浮かべている。瞳は赤色とは違う妖しくも澄んだ翡翠色がキラキラと輝いている。美しい、そう思って見つめているとその視線が俺の瞳を捉えた。


「……」


 利津が、俺が、何を求めているか互いにわかった。どちらともなく顔を近づけ、鼻先が触れ合う。あとは目を閉じ、重ねるだけ。俺は利津の両頬を掴んで固定した。


「忘れよう」


 当然の流れを切るように告げた俺の言葉に酔った瞳は鋭さを取り戻し俺を睨んだ。何を、と問う前に俺は始祖の形へと変貌し、利津はあっという間に金色の瞳に囚われた。


「久木野利津は影島世那が大嫌いだ」

「今夜、部屋には誰もきていない」


 決まった呪詛と利津が目を覚ましても戸惑わないように布石を打つ。

 これでいい。利津は真祖として生きるべきだ。公爵として大尉として、いずれやってくる女と子を……。




ーーーー




 それからひと月と少しが経った今日。俺は利津に跨り首を絞めていた。


 見知らぬ女と子を? 冗談じゃない。コイツは俺のものだ。俺のもの。俺のもの。


 思考がじゅわっと溶けるような感覚に目の前がぐらりと揺れる。許せなかった。俺以外に血を与え、おまけにそれを喜んで俺に伝えてくるなんて。


「あぁ、本当に、貴様のこと……嫌いなのだな」


 気道が締まり苦しそうにしながら利津はにやりと口の端を上げて笑った。狂気を滲ませた翡翠色が歪む。


 あぁ、このままコイツを攫ってしまえたらいいのに。誰もいない森の奥の奥。人が絶対近づかない場所で永遠とわに愛し合えたらどれだけ幸せだろう。桜の花を愛でながら、蝉の鳴く空を見上げ、どこまでも続く紅葉の絨毯の上を歩き、眩しいくらい光り輝く雪の結晶を握り冷たさに笑いあう。誰もいない二人だけの世界で生きて、生きて、最期を一人で看取る。


 俺は利津がグダグダと話す言葉を適当に返した。どうだっていいんだ、そんなことは。ただお前から向けられる憎悪と好意とがごちゃ混ぜになったその視線が心地良くて酔っちまう。今少しの間だけでも俺を見ている、それだけで幸せだ。


 そんな風に現実から目を背けていたら不意に利津の甘い血の香りが流れてきた。視線を下げれば真っ白な着物に真っ赤な華が咲いていた。


「さあ、とれるものならばとってみろ。俺の記憶を、思いも、何もかも」


 悲鳴にも似た声が叫ぶ。相当痛いだろうに、苦しいだろうに、利津は俺から視線を逸らさずフーフーと息を吐きながら先を促す。


「どうする」


 タガが外れた。俺は利津の前に跪き、裂けた皮膚に舌を這わせた。


 甘い、甘い、満たされる。そういえばいつから飲んでいなかったっけ。利津の血は甘く澄んだ匂いがする。何も知らない純朴な男の香りが愛しい。




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