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49.5話

(side:利津)


 影島世那を人間に戻さなければならない。


 そう確信したのは世那が俺の父と祖母を殺したと罪を着せられた時だった。

 世那は美しい。凛としていて、誰にでも変わらずまっすぐで優しく、強くて逞しい。そんな男を非人間に、血を貪る吸血鬼に堕としたままではいけない。


 世那を牢に入れて一番にしたことは北佐倉友之へ連絡をとることだった。正統な医学を生業とする西和田では知りえないことも方法も奴ならば何か知っているだろうし、どうにかできる。そう思った。

 最後に会ったのは俺がまだ学生だった頃のこと。それ以来顔も合わせなければ手紙ひとつ書いた事もなかった。だというのに友之は昔と変わらず乱暴な口調で了承した。

 連絡をした翌日。まだ日も昇らない時刻に友之はやってきた。黒の革ジャンにビンテージ物のジーパン、脱いだグローブを片手に持ち、肩からは大きなカバンをぶら下げ気怠げな様子で姿を現した。友之は俺を見るなり細い目をパチパチと瞬かせ、ふっと鼻で笑った。


「久しぶりだな」

「あぁ」

「見た目は大人になったが、まだまだガキくせえなぁ」

「どうとでも言え」

「くくっ、いいぜ。お前のそういうとこ。嫌いじゃねえ」


 俺がどんな態度を取ろうと友之は気にするそぶりなくクツクツ笑う。俺よりもずっと年上だということもあるが元来の性格も起因しているのだろう。蔑みの言葉も何もかもさらりと受け流す。俺には到底真似できないし、真似したいとも思わない。

 俺の姿を一通り見終えた友之は肩をすくませ首を傾げた。


「さて、電話で言ってた奴はどこにいるんだ?」

「地下牢だ」

「ん、案内しろ」


 友之は俺が望んだ通りのことを全てやった。一日一度血液パウチが出来上がるよう世那の血が抜けるよう施し、更にそこから採取した血液で世那のことを調べると言い少量の血液を持って帰った。結果が出たらまたくると言い残して何事もなかったように帰っていった。

 眷属が毎日持ってくる世那の血液は俺の身体だけではなく心までも潤した。1日でも早く世那を牢から出せるようにしよう、そう決心して毎日を過ごしていた。


 そもそも俺が今の地位に上り詰めた理由は世那を手に入れるためだった。父や祖母の嫌がらせも、好きでもない婚約者への対応も大した問題ではない。そうして誰にも邪魔されないほどの地位や名誉を手に入れた暁には世那を迎えに行く。それだけが俺の目標であり生きがいだった。

 世那のことを考えれば考えるほど胸が熱くなる。触れたい、嗅ぎたい、牙を立てたい、血を啜りたい。 好きだ、好きだ、愛している。何度も何度も愛を紡いだとて満たされない。


 それだけ愛していたというのに世那が人間に戻ったあの日から俺は世那のことが大嫌いになっていた。大嫌い、なんて幼稚な表現だ。そんな言葉でしか表せないほど根のない嫌悪と憎悪でムカムカしてきて、世那のことを考えられなくなっていた。何故嫌いなのか、何故、何故と自問自答してもますます嫌いになるだけでなんの解決にもならず、俺は聞いてみることにした。


 初冬。


「憎い?利津様が、世那さんを?」

「それはないでしょう」


 佐藤とリリィは笑ってそう言った。

 俺はふと思い立って二人を連れてファストフード店に来た。邸宅の中で俺が二人を呼びつけ話していれば他の使用人たちが聞き耳を立て、話どころではなくなる。それに鬱屈した久木野の中ではなく、少しの時だけでも吸血鬼のいない空間に行きたかった。


「嘘ということはありませんか」


 ぶれない声でリリィは言った。


 あぁ、そうだ。偽りは俺の方ではないか。だってこんなにも世那のことばかり考えている。嫌いなわけがない。


「影島の墓に行きましょう」


 佐藤の言葉が俺の道を拓いた。

 俺は二人を連れ立って影島の墓のある霊園に行った。以前世那を連れてきた時は葉桜になりかけていた頃だったか。随分遠い気がする。


 車を止め、墓前に向かう。リリィと佐藤は少し離れたところでじっと待っている。礼をし、手を合わせ挨拶を済ませると墓標に目をやった。以前は世那ばかり見ていてそこを見ようとすら思わなかったが、そこに刻まれた文字に俺は息を飲んだ。


 影島武 享年76歳

 影島美津子 享年75歳


 世那が10歳の頃に両親は亡くなった。ならば二人の年齢はあまりに年を取りすぎているではないか。

 そして二人より前に書かれている者がもう一人。その者は二人が亡くなる30年以上も前の日付でこの世に生まれ出ることなく亡くなっていると記載されている。

 現実的ではない親子関係に視界がぐらりと揺れる。非人間である吸血鬼ですら生殖できる期間は決まっている。というのにただの人間である影島夫妻が60を超えてから子をもうけることは不可能に近い。更に30年以上前に亡くなった子を思えば、二人は果たして30年経ってから子を欲しがるだろうか。


 世那は俺をだましていたのだろうか。親が影島夫妻だと嘘を付くことに何のメリットがある。わからない。

 もし、……もしも世那自身もわかっていなかったとしたらなんて酷い現実だ。


 まだ調べなければならないことが山ほどある。俺はリリィと佐藤の元に戻って車に乗り込んだ。

 その後、リリィが買い物をしたいと言うので数件の店を回った。リリィが我が儘を言うのは珍しいため俺も佐藤も言われるまま付き添った。買い物を待つ間、ふと佐藤が俺に声をかけてきた。


「世那さんの話、してもいいっすか」


 俺の機嫌を窺っているのだろう。佐藤にしては珍しい問いに俺は目線を向けることなく耳を傾けた。


「なんだ」

「多分なんすけど、定期的に屋敷に来てますよね、あの人」

「根拠は」

「一回だけ見ちゃったんすよ。屋根の上に人影。俺、世那さんが出ていく日に教えたんです。屋根は大丈夫だって」


 事もなげにさらりと告げるにはあまりに重大な事柄に俺はつい佐藤に視線を向けた。無意識だったが睨んでしまったらしくこちらを見ていた佐藤は怯んで苦笑した。


「怒んないでくださいよ」

「何故それを早く言わなかった」

「言ったってキレるでしょ。イヤっすよ。怒られたくない」

「結果は変わらぬだろう。何かあればすぐに報告しろ」


 悪びれる様子もなく佐藤は「へーい」と気の抜けた返事をしておもむろにポケットから折り畳まれた紙を出してきた。


「これは」

「怒られついでに。これ、叙勲式の日に北佐倉様が持ってきた奴っす。預かってたんで」


 渡された紙を開いてみると確かにあの日友之が持ってきていたものだった。俺は佐藤から受け取り羅列する数字と記号を読み解いた。中身を確認する気になれず放置していたが、なるほど。これは友之に見解を聞いたほうがよさそうだ。


 その日の夜。俺は自分の部屋から友之に電話をした。数コールで繋がり、事の顛末を説明した。


「やっと聞く気になったか」


 電話越しに友之はほっとした声で呟き、伝えたかったことを淡々と言った。

 影島世那は存在しない血の型を持っている。おそらく頭蓋骨や体の作りが現代人とは違うのではないかと。


「久木野」


 一呼吸置いてどこか真剣に俺の名を呼んだ。


「始祖、てのは信じてるか?」


 吸血鬼の祖というのは確かに存在する。俺や他の真相、友之のような吸血鬼と人間の合いの子であるダンピール。俺たちの血は始祖から脈々と受け継がれている。

 冷たい何かが俺の背中をつっと撫でた。


「まさか……」

「影島は始祖じゃねえか」


 普段から落ち着いた話し方をするが友之はより一層ゆっくりと噛み締めるように呟いた。


「確証はねえ。ただ、吸血鬼って奴全てに人間の血が入っているのに影島には人間の血がそもそも入っていなかったんだ」

「人間の血……?」

「真祖もだぞ。知らなかったか?」


 知るわけがない。真祖は始祖の直系で、特に久木野は始祖に最も近い存在。……いや。そもそも久木野が何故最も尊いとされるのだろう。他の真祖も直系だとするならばそこに優劣などないはずだ。

 俺の思考が乱れるのをよそに知之は小さく笑って続けた。


「さすがにお前でも知らねえか。まぁいい。でな、その吸血鬼殺しの薬って奴がまた厄介で、吸血鬼の血がエラーを起こしちまうんだ。わかるか?その薬は吸血鬼を殺すんじゃねえ。人間の血が吸血鬼の血を殺すんだ」


 知之は冗談を言う男ではない。だがあまりに突拍子もない事柄に俺は鼻で笑った。


「ふっ、貴様の言うことがすべて正しいと仮定しよう。だが世那は人間だった。それに人間に戻ることが出来た。何故だ」

「わかんねえ」

「なに?」

「悪ぃが今言えるのはここまでだ。もう少し調べてやることも出来るが……」


 コツコツと電話の向こうから音が鳴る。知之ははっと息を吸い、普段の調子を取り戻してカラリと話した。


「何かわかればまた教えてやる。じゃあな」


 ぷつっと通話は切れた。その後、俺は何もせず呆然と立ち尽くしていた。どれくらいの時をそうしていただろうか。


「くくっ……ははは」


 喉奥から込み上げてくる笑い声は妙にへしゃげていた。俺は口元を空いた手で覆い、湧き上がってくる笑いをこらえるように俯いた。

 知之が言っていたことはこの際どうでもいい。分かったことは世那は人間ではなく俺と同じ吸血鬼だったということ。世那が人間ならば人間の世界に戻してやるのが筋で世那の幸せはそこにあると思っていた。だが、奴が吸血鬼の祖ならば何を迷うことがある。

 

 欲しい、欲しい、あの男が、世那が欲しい。愚直で不器用で、優しくて美しいあの男を手に入れたい。そのためには何が必要か、変に冴えた頭から妙案が浮かぶ。

 そもそも何故俺は血を必要としなくなったのだろう。答えは簡単だ。世那が許していないのだ。俺が他の血を飲むことを。


 互いの血だけを求め合おう。


 もしこの約束が有効ならば世那は俺に血を与えている。今も尚、世那の血が俺の身体を巡っているということか。


「っは……」


 じわっと身体が熱くなる。もし、知之の言う通り世那が吸血鬼の祖だとするならば奴はたかが真祖の俺に執着していることになる。

 嬉しい、嬉しい。その事実は俺の気持ちを高揚させた。

 憎い。嫌い。根拠のない俺の感情は関係ない。心の奥底で燃える世那への執着は本物だ。そして俺が世那に執着するように世那もまた俺に執着しているのは明白だ。

 世那と相対するにはどうすべきか。俺は握っていたスマートフォンに目を向けた。

 

「隆か……」


 そうだ、隆は俺のためとなれば動くに違いない。ある初夏の日に禁忌だと承知の上で血を与えた。血に溺れた吸血鬼は御し易い。

 そう思いついた時には隆に電話をかけていた。適当な理由をつけてこの邸宅へ呼びつけよう。周りの連中がいない二人きりの時間を作る口実がツラツラと並ぶ。隆は二つ返事で簡単に了承した。調べるまで少し時間はかかると言っていたが大したものではないだろう。


 隆との通話が切れると内側から笑いが込み上げてきた。沸々と湧き起こる悦びに指先が震える。握っていたスマートフォンがゴトンと音を立てて床に落ち、呼応して足に力が入らなくなってしゃがみ、ついには膝をついてその場に座り込んだ。細胞一つ一つが歓喜しているような、何とも言えない悦に俺は顔を覆った。


 噛みたい、噛まれたい。世那、世那。


「……会いたい」


 俺の本心が声となって溶けていった。

 

ごめんなさい!来週はお休みをいただきます。

次回更新は4月21日(月)を予定しております。

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