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49話

 年が明けた。

 久木野邸では年始行事としてほぼ全ての真祖を集め、賑やかに宴会を行なっていた。しかし、今年は行われなかった。

 当主であった清と先代当主清子が亡くなったことで年明けを祝うことはできないと言うのがもっともな理由だが、現当主である利津が来年以降もしないと明言した。

 そもそも宴会を開こうと決めたのは清と清子だった。人間の王が住まう城では年始行事として多くの貴族や軍人が参加して盛大に年明けを祝っているが、吸血鬼は参加することは出来ない。久木野が公爵の地位を有していようが、その制約は変わらなかった。そのため清は勿論清子もそのことに怒り、人間どもがやるならば我らもやるぞと対抗し、出来た宴会だった。


「無駄だろう」


 客間として使っている大広間の椅子に腰掛けながら利津は食器を運ぶ使用人に話しかけた。


「え?」

「年始早々宴会を開く理由がない」

「わ、私からはなんとも……」


 食後のコーヒーの準備をしながら使用人の男はしどろもどろと答えた。

 ふんわりと香り立つ豆の匂いに利津はふーっと溜息を吐いて頬杖をした。一人で食事をするには不必要な大広間。利津は不必要だと言ったが、せめて少しは正月らしくしたいと古株の眷属たちが食事や飾りつけをしてしまった。ニコニコと嬉しそうなその者たちの表情を無碍には出来ず、利津は仕方なく昨年と同様の身なりに着替えここに座った。それでもやはり楽しいわけでもなく、更に普段のものより堅苦しい白の着物が居心地が悪く自然と姿勢が崩れる。

 最低限に減らしたとはいえ贅沢なことに変わりはなく、それを享受し楽しむ相手もいない中で利津はむすっとした表情で使用人を見やった。


「……なんでしょう?」

「見ているだけだ」

「はぁ……」

「……」


 強い圧に使用人は手元が狂いそうになりながらなんとかコーヒーを煎れ終えると一つ礼をしてそそくさとその場を去っていった。

 壁際に立つ護衛たちは一点を見つめ何かあれば対応できるように身構えている。利津は緊張し切ったその空間を気にすることなくコーヒーに口付けた。


「あけましておめでとう!」


 静かな空間を裂くように紺色の着物を身に纏った西和田隆が使用人たちを無視して自らドアを勢いよく開けた。利津とは違うまっすぐな銀髪は前髪だけ綺麗にオールバックに固められ、後ろの髪はふわっと揺れていた。

  利津はごくっと喉を鳴らしカップをソーサーに置きやってきた人物を見やった。


「昨年、父と祖母が亡くなっている。形式的には祝いの言葉は控えるべきだと思うが」

「あーね、そうね。失礼しました」


 隆はぺこっと頭を下げてはいるものの全く悪びれた様子はなく、利津はふっと鼻で笑って椅子から立ち上がった。


「部屋に行くぞ」

「はいよ」


 ついて来ようとする使用人を視線だけで止め、利津は隆を連れ立って大広間から廊下へ出た。隆は自分の共に下で待つよう告げると利津の隣に並び、両手を組み後頭に当てながら広く長い廊下を歩きつつ窓の外に視線を向けた。


「昼間だっていうのに外めちゃめちゃ寒かったぜ」

「夜に雪が降るらしい」

「まじか。積もんのかな」

「さぁな」


 利津は部屋に着くとドアを開け、先に入るよう促すと隆は何の疑いもなく部屋に足を踏み入れた。続いて利津も中に入ると静かにカギを閉めた。


「久しぶりだな、利津の部屋。アンタが大学の時以来か」


 隆は懐かしむように部屋を見渡し、断りもなくソファに腰を下ろした。

 利津の部屋は昔と変わらず必要最低限のものしかない簡素なもので壁際に置かれた机の上には紙一枚も置かれておらず、ソファの前にあるテーブルにも何ものっていない。利津は何の迷いもなく隆の隣に腰を下ろすと手のひらを差し出した。


「持ってきたのだろうな」

「あぁ、ちゃんと」


 まっすぐ見つめる翡翠色に隆は眉尻を下げ困ったように笑いながら胸元から封筒を一通取り出し利津に渡した。利津はそれを受け取ると丁寧に封を剥がして中の書類に目を通し始めた。やることがなくなった隆はソファの背もたれに深く身体を預けながら利津の横顔を眺めた。


「アンタが言った通りだった。影島世那は存在しない。通院歴調べろっつったけどそれどころか、16年より前に影島が何か行政手続した痕跡もなかった。出生すらしていないなんてあると思うか?」

「……」

「今の王族が治めるようになってから帝国が情報を全て管理している。スラムに行こうが子ども一人生まれれば必ず登録されるし、仮に出生時に登録されなくとも見つかり次第戸籍を作られ帝国の管理下に置かれる。……今までの影島の言動からするに、それなりの教育は受けてきている。そんな奴が16年前にぽっと現れて普通に軍に所属していられるなんておかしい。そうだろ?」


 一人話し続ける隆の言葉を聞き流しながら利津は渡された資料を見てふっと溜息を漏らした。書類を丁寧にたたみなおし封筒に入れると目の前の机に置き、隆に向き直った。


「よくやった」

「あ?……あぁ、そりゃあね」


 まるで上官が部下に声をかけるような威圧的な利津の言葉に隆は片眉を上げて首を傾げた。普段から不遜な態度が多い利津だが、少し違和感がある。殺気とも違う、なんと形容していいかわからない雰囲気に隆はソファから上半身を上げて利津から少し距離をとった。


「隆、始祖の話を知っているか?」

「しそ……てあの始祖様?」

「あぁ」

「知ってるも何も俺たちのご先祖様だ。それがなんだよ」


 隆の問いに利津は押し黙った。自分から尋ねておきながら先を言わない利津に隆は首を傾げた。


「始祖は生きていると思うか」


 微動だにせず利津はぽつりと呟いた。


「生きてるわけねえだろ」

「絵本の中で始祖の最期は木になった、ある書物では光になったなどと適当なことが書かれている」

「そりゃあ、千年以上前の昔話なんだからおひれはひれつくんじゃね」

「始祖は永遠の命があるのではなかったか」


 何故こんな話を始めたのか、更に不気味さが増したように感じた隆は話を逸らそうとポンと手を叩いた。


「んなことどうでもいいからよ、ほら……」


 次の言葉を発そうと隆が口を開いた瞬間、利津がギロリと睨んだ。


「どうでもいい?」

「え、あ……」


 背筋がヒヤッとした。真祖の頂点に立つ久木野に睨まれて平気な者はいない。利津自身、純血の久木野ではないにしても脈々と続く久木野の血を受け継いでいることは事実で、西和田の血のみを継承する隆が利津に逆らえることはない。

 翡翠色の瞳がぎらりと光り隆を見つめる。その視線に隆は喉が引き攣って動けなくなってしまった。


「褒美をくれてやろう」

「は?」


 突拍子もない利津の言葉に隆から変な声が漏れた。


「何言ってんだ」

「隆」


 名を呼ばれ、時が止まる。

 口をあんぐりと開けたままの隆に利津は妖艶な笑みを浮かべ、自分の着物の襟に指を入れて大きく開いた。日焼けを知らない真っ白な首筋が隆の目に飛び込んでくる。次に利津が何を言うか、すぐに想像できて隆は立ち上がった。


「ふざけ……」

「以前飲んだ時は嬉々としていたではないか」


 あれはいつだったか。隆は思い出そうと思考を巡らす。

 そうだ、たしか初夏のある日。利津が親なし吸血鬼を手なづけるためにはどうしたらいいかと尋ね、褒美と称して血を差し出してきた。あの時隆は自分の身体に異変が起こることを楽しんでいた。

 だが、あれから隆は満たされなくなってしまった。誰にいうでもなく、一人渇く身体を満たせぬままここまで過ごしてきていた。

 この渇きを治す方法を隆は知っている。けれどもそれは叶わぬ方法で絶対にあってはならないこと。知っている、わかっている、頭でははっきりと。

 

 この渇きを治す唯一の方法は、利津の血だ。


 隆の歯がカタカタと音を鳴らしている。利津は吸血鬼特有の牙を覗かせにやりと笑った。


「眷属の血よりも、いや……貴様ら西和田の血すらも超える久木野の味を忘れたわけではあるまい」

「っ……」

「酔えばいい。何も考えず、な」


 そう言うと利津は立ち上がった隆の手を掴み自分の上に跨るように引き寄せた。理性と本能が行き来する隆はあっという間に利津の思惑通りソファに膝をのせる形になった。望んでか望まざるか隆の目の前には真っ白な首筋が曝け出されている。


「はっ……ぁ、……」


 隆の目がターコイズブルーから真紅へと変わる。欲に濡れる瞳に利津は口角を上げ、反対の手で隆の頭を掴み自分の首へ近づけさせた。隆の耳に鼻先を当て、まるで甘えるようにこすり付けながら囁く。


「噛め」


 甘く囁くような声で命令され誰が刃向かえるだろうか。隆は大きく口を開き唾液で濡れた牙を容赦なく利津の首に突き立てた。



ーーーー


 

 夜。利津は堅苦しい着物を乱れさせたまま自室の窓辺に立っていた。先程噛み付かれた首筋に指を這わせる。噛み付かれた感覚と乾いた血は残っているものの傷口は治癒してしまって触ってもわからない。

 あの後、隆は逃げるように出て行った。利津の顔を見ることなくしてしまった行為と誘惑に負けた自分を悔やんでいたに違いない。


「……褒美にしては過ぎたものだったか」


 独りごちて利津は笑い、手を伸ばし窓の鍵を開けるとそっと押し開けた。ビューッと冷たい冬の風が容赦なく部屋へ入り込む。利津は両手を広げ窓の向こう側にある群青色の空を見上げた。


「さぁ、来い。俺は約束を違えた。貴様以外の者に血を与えたぞ」


 煌めく星々を翡翠色に映し、利津は口角を上げて笑った。姿は見えずともきっと聞いているだろう男に向かって精一杯強がって見せた。

 次の瞬間、より一層強い風が部屋を貫ぬくように吹き込んだ。奴が来る、そう思って利津は目を閉じた。首筋にヒヤッと冷たい何かが当たる。強い力で押され、気づけば利津は床に押し倒されていた。

 真っ黒な服に身を包んだ男が利津の首を掴み、腹に跨り見下ろしている。フードの中の表情は窺えないが、その者の正体をわかっている利津はニヤリと笑った。


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