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48話

 佐藤は目の前の光景が未だに信じられないでいた。


 聞き慣れた音が店内に響く。客が出入りするたび、そして商品が出来上がった合図である音楽が陽気に鳴る。

 平日のため人は少ないがそれでも昼食を買い求める客でレジは混雑している。まだ幼稚園に上がっていない子どもは飾られているおもちゃを齧り付くように見つめ、作業着姿の男たちはガサツな笑い声をあげ、奥さまたちは和気あいあいと話しながら時折高い声で笑う。ここには楽しさがいっぱいだ。

 と言ってもその賑わいは佐藤の位置からはだいぶ遠い。奥まった席だということと、仕切りがしっかりしているため少し体を傾けなければ向こう側を見ることは難しい。敢えてそこを選んだが、やはり向かいにいる男はあまりに不釣り合いだ、と佐藤は思った。


「これはなに?」


 佐藤の気持ちも知らず隣に座る女、リリィが嬉々とした表情で佐藤を見つめる。いつもは無表情な彼女が今日は年相応の愛らしい笑いを浮かべている。カジュアルなブラウンのワンピース、ほんのり高く結ったツインテール。2人きりならばデートのようなものになっただろうが、佐藤はリリィに対して恋心はない。けれども、普段と違う可愛い女の子が喜べば連れてきてよかったなとは思う。


「あー、シェイクって言ってアイスが溶けた飲み物」

「なんで溶けてるの?」

「カチカチだったらストローで飲めないだろ」

「へぇ……」


 幼い頃から慰み者にされ監禁されていたらしいリリィにとっては何の変哲もないファストフード店は物珍しいのだろう。不思議そうにシェイクのカップを見つめおずおずと口付け「おいしい」という顔は本当に可愛い。佐藤の口角も自然と上がる。


「佐藤」


 低い声が名を呼び、佐藤は一気に現実に引き戻され顔を正面に向けた。佐藤の主人である久木野利津は自分の前にあるハンバーガーやコーヒーを睨んだまま動いていない。

 そう、この場にそぐわない人物とは利津のことだ。


 それは今朝突然決まった。



ーーーー



 今日は利津の城勤めのない日、所謂休日で佐藤は久しぶりにゆっくりできると夜な夜なゲームに勤しんでいた。休みといっても主人である利津の身の回りのことはしなければならないが、城への送り迎えからすれば些細なことだ。

 反対に同僚でメイドのリリィは利津の休日は忙しなく働く。仕事で城に行っている時も部屋の掃除や片付け、洗濯、朝食夕食の手配などあるが、利津が一日中邸宅にいるとなると更に仕事が増える。久木野としての勤めがあるときは秘書のように予定を遂行し、昼食間食の準備、利津が欲した資料を見つけてくるなど。およそメイドの仕事とは思えない量をリリィは難なくこなしてしまう。

 ならば佐藤が少し手伝えばいいだろうが佐藤もリリィもお互いの仕事に干渉することはない。それで釣り合いが取れているためお互いに文句ひとつないのだ。


 だから、佐藤は油断していた。明日は城に行かなくていいのだから実質休みと変わらないと。


 事があったのはまだ暗い早朝のことだった。

 リリィはいつも通り目を覚まし、身だしなみを整え、メイド服に着替え終わっていた。佐藤はと言うとコントローラーを床に落としたままソファで仰向けのまま眠っていた。そんな佐藤をリリィは冷たい目で流し見て廊下につながるドアを開けようと手を伸ばした。

 だが、リリィが触れるよりも前にドアが勝手に開いた。


「あっ……」


 突然現れた来訪者に小さくではあったが悲鳴に似た声をリリィはあげてしまい、すぐに手を揃えて頭を下げた。来訪者である利津は白ワイシャツに黒スパッツといったシンプルな服装でリリィを見下ろしていた。


「おはようございます」

「あぁ」

「朝食、すぐお待ち致します」

「……」

「ご主人様?」


 利津は返事をしただけでそれ以上動こうとしない。リリィは利津の視線の先が気になり振り向いた。ソファでだらしなく眠る同僚の姿が目に入る。リリィはハッと息を飲んで佐藤に駆け寄った。


「ちょっと……」

「んぁ?……おいふざけんな。俺寝たの3時だって……」

「ご主人様が」

「は?」


 その名を聞くとぼやけていたはずの思考が一気に覚醒し、佐藤は飛び起きた。だが、態勢が悪くソファから転げ落ちた。


「ってぇ……、あ」


 逆さまになった視界で利津を捉えた。無感情にじっと見つめる利津は昨日とは打って変わって肌艶が良さそうに見える。


「出かけるぞ」


 普段と変わらない淡々とした命令をすると利津はドアを開けたまま廊下の方へ消えた。リリィは即座に姿勢を正して仰々しく頭を下げている。佐藤は天地がひっくり返ったままその光景を眺めていた。

 

「あーあー。寝てねえのにぃ」


 佐藤から漏れるぼやきをリリィは無視し、クローゼットに向かうと外に着て歩けるものを物色し始めた。佐藤は額を押さえたまましぶしぶ起き上がった。

 すると立ち去ったはずの利津が戻ってきて二人の部屋に顔を覗かせた。


「うわっ」


 いなくなったと思っていた主人に佐藤はまるで化け物が出たような声を上げて飛び上がる。その様子を眉間に皺を寄せながら利津は佐藤を睨み、リリィに視線を向けた。


「二人とも私服でいい。運転は俺がする」

「ええっ、マジっすか」


 思いもよらない言葉に佐藤は更に素っ頓狂な声をあげる。


「今から30分で支度しろ。玄関前に車を止めておく。何か用事があるならばついでに済ましてやる。考えておけ」


 きょとんとする二人に利津はどこか誇らしげに微笑むと今度こそその場から立ち去っていった。



 30分後。利津が私用で乗るSUVにリリィと佐藤は有無言わせず乗せられるがままにハンバーガーが有名なファスト店に連れてこられた。佐藤は何が起きているかわからず怪訝な顔をしていたが、リリィは意外とすんなり受け入れ、初めての店に嬉々と商品を選んでいた。


「利津様は何にします?」


 リリィが一通り好きなものをセルフオーダー端末で選び終える頃、腕を組んだまま立っている利津に佐藤はおずおずと尋ねた。真祖の証である銀髪と翡翠色の瞳を目立たなくするためかニット帽型のキャスケットを深くかぶっている。似合わねえな、と内心佐藤は毒づきつつ利津の表情を窺う。利津はぴくっと片眉を上げ、佐藤をちらりと見るとふいっと視線を逸らした。いやアンタが連れてきたんだろ、と言いたい気持ちをぐっとこらえ、佐藤はタッチパネルを操作して指さした。


「コーヒー頼みますね」

「それも」

「え?」


 ゆったりと上げられた手が指すものに佐藤は変な声を漏らしてしまった。利津が指したものはハンバーガーだった。ハンバーガー屋なのだから当然なのだが、利津がそれを食べる姿が全く想像できず佐藤は目をぱちくりさせた。そもそも屋敷で出る食べ物すら毒を気にするというのにこんな場所 ―佐藤にとっては落ち着く場所― で利津は食事をとれるのだろうか。

 何と尋ねればいいかわからず固まっている佐藤をよそに横に立っていたリリィが勝手にタッチパネルを操作して買ってしまった。


「あ! 」

「佐藤は?」

「あぁ……えあ、どうすっかな。えっと……」


 見上げるリリィの視線と見下ろす利津の視線に佐藤はしどろもどろになりながら適当なセットを頼んだ。支払い画面になると誰に教えられるわけでもなく利津はカードを出して払い終え、出てきたレシートを手に取り大きく書かれた数字を睨んだ。


「あ、あとは俺が案内しますよ。ごちそうさまです」


 一応の礼を言って佐藤はレシートと同じ数字が書かれた札を手に取り店内奥へ進んだ。


 そして冒頭に戻る。



――――



「佐藤」


 名を呼ばれ、佐藤は顔を上げた。買ったものに口を付けようとしない利津に佐藤は思い出したように利津のトレイに手を伸ばした。


「毒味ですよね」

「違う」


 否定の言葉に佐藤は動きを止めた。じっと見つめる翡翠色の瞳が右に左にと動いている。何か言いたいがどうしていいかわからないのだと気付き、佐藤はふふっと笑った。


「よかった。ハンバーガー食いたいだけじゃないってことっすね」

「……」

「利津様が気になること、尋ねたいこと、邸宅じゃ聞けないこと何でもいいですよ」


 どこか子ども扱いをするような言動に利津は眉間に皺を寄せた。佐藤は利津よりも年下だというのに時々大人びた面を見せることがある。今のようなときは特に、利津の素直ではない性格が邪魔して話が進まないときは佐藤が気を利かせる。

 利津は組んだ腕に少し力を込めて低く唸ると鋭い目で佐藤を射抜いた。


「俺はおかしいか」


 あまりにも抽象的な質問。他のものならば言い淀んだだろう。しかし佐藤は目を丸くしてすぐに細めるとコクっと頷いた。


「はい」

「……」

「まぁ、元からズレてますけど」


 怒るでもなく、機嫌を損ねるわけでもない利津に佐藤はどんどん調子づいていった。


「今は……あれっすね。駄々を捏ねる子ども、そう。子どもっすね。可愛いかと言われれば可愛い感じじゃなくて、……あー、言っていいのかな」

「今更渋るな」


 感情の乗らない声で利津は先を望む。佐藤は髪をガシガシとかきむしり、顎に手を添え「うーん」と唸った。すると今まで黙っていたリリィがシェイクを飲み終えたタイミングで口を開いた。


「世那さんが足りていないんですよ」

「そうそう、世那さんが……」


 軽いノリで佐藤は返事をした。だが次の瞬間には後悔した。どんな失礼な態度をとっても怒らなかった利津の表情が鬼の形相と化している。口は真一文字に結ばれ、親仇の名を聞いたのかと思うほど憎悪を含んだ目で佐藤を睨んでいた。


「あー……」


 佐藤の気の抜けた声で利津はハッと我に返り眉間に手を添えてうつむいた。


「違う」


 ぼそりと呟いた利津の言葉には謝罪が滲む。


「何故俺は影島世那を憎いと思っている」


 騒がしい店内では聞き逃してしまいそうな声量で利津は呟いたが、佐藤もリリィもしっかりと聞こえていた。思いもよらない相談ごとに二人はつい噴き出した。


「憎い?利津様が、世那さんを?」

「それはないでしょう」

「何?」


 利津は僅か希望が乗った声を上げた。嫌いである理由がない、憎いわけがない。肯定されたことがよほど嬉しかったのか利津は緩んでしまった顔を隠すように口元に手を添えた。その姿はあまりにも初心だ。リリィも佐藤も笑いが止まらない。


「……何がおかしい」

「いえ。そうっすね、じゃあ世那さんの生い立ちでも追ってみませんか」

「そんなことは全て知っている。軍、国、全ての書類は全てファイリングしてある」

「うはぁ、きめえっすね」


 佐藤はヒラヒラと手を振って何かを払うようなそぶりをした。案の定、利津はムッとした表情をしたがやっと笑い終えたリリィが一つ息を吐いて落ち着いた声で言った。


「その書類が嘘と言うことはありませんか」

「嘘?」

「えぇ。世那さんが人間に戻られてから明らかにご主人様の様子がおかしい。それは事実です。もし、ご主人様が本当に世那さんが憎くて嫌いならばどうしてファイリングするまで情報を集めたのでしょうか」


 的を射た問いに利津はハッと息を飲んだ。世紀の大発見とでも言いたげな利津の表情に佐藤は頬杖を突きながらニヤリと笑った。


「影島の墓に行きましょう」


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