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46話

ごめんなさい!次話、納得いかないです。

一週間お休みください。


次の更新は3月17日(月)7時になります。

 ガサゴソと何かが擦れる音が聞こえ、利津は重い瞼を上げた。始めこそ視界がぼやけたものの数回瞬きをすると焦点が合った。


 薄暗い室内、見慣れた天井、匂い、柔らかなシーツと布団の感触。ここは己が部屋か、と意識の中で確認し視線を音の鳴る方へ向けた。

 メイド服を着た見慣れない女がいる。メイドは先程まで利津が身につけていた軍服をハンガーにかけていた。リリィならばそれらを全部カゴに突っ込んで部屋から持ち出し、次に着る時には新品かと思うほど美しくしてくれる。

 対してここにいるメイドは軍服をハンガーにかけ乱暴に叩いて埃を落とすだけ。その後ハンガーラックに引っ掛けて仕事を終えている。利津はぼうっとした思考でリリィはよくできるのだな、と思った。

 無意識にほっと息を吐いた利津にメイドが気付き、ぐるりと身体を回して利津に向き直った。そこにいたのは40代、いや50代に差し掛かっているメイド長だった。


「利津様!あぁ……よかった。お加減はいかがですか?」


 メイド長は白髪混じりのおくれ毛を揺らしながら駆け寄ると利津の前に跪き手を組んだ。まるで神がそこにいるような行為に利津は眉間に皺を寄せると煩わしそうに上半身を起こした。ひらりと袖が揺れたことでいつもの白い着物を着ていることに気づき、じろりとメイド長を睨んだ。


「リリィは?」


 利津の問いにメイド長は一瞬だけ鋭い視線を向けたが、すぐに柔和な優しい笑みを浮かべて首を傾げた。


「あの子は人間ですもの。今近くにいたら利津様にいらない罪を着せてしまいます」

「……?何の話だ」

「覚えてらっしゃらない?」


 メイド長は困ったように笑う。その表情が小馬鹿にしたように映り、利津は表情を固くした。


「いえ、いえ、よろしいんですよ。そうですよね、お辛かったでしょう」


 まるで労わるような言葉だが、利津にとってみれば気持ちを逆撫でするような言動でしかなくふいっと視線を逸らした。その先にはぴったりカーテンが閉められた窓がある。何故だろう。利津は違和感を覚えた。


 無意識に利津の喉が上下する。喉の奥から舌先が妙に渇いている。


 夜になればカーテンが閉められるのは当然だが、利津は何故かどうしてもカーテンを開けなければならないと思った。


「窓を開けろ」

「寒いですよ」

「命令だ」


 ヘラヘラと笑っていたメイド長の表情が暗くなったが、主人から命令だと言われてしまえば言い返すことはできない。メイド長はしぶしぶ窓の方へ行き少しだけ窓を開けた。

 ひやっとした空気がカーテンを揺らし、利津の元にほんの少し風が舞い込む。渇いた喉が潤うことはないがもう大丈夫だ、と言われたような気がした。

 窓から離れメイド長が再び利津のもとに戻ってくる。その瞳に光はなくどこか陶酔的な目で利津を見つめ、笑っていた。


「私、ここに勤めてもう20年以上経つんです。利津様が幼い頃からずっとお側におりました。覚えてらっしゃらないでしょうけれど、幼子のあなたに血を与えることがよくあったんですよ」


 聞いてもいない話をしながらメイド長は一歩一歩と踏みしめるように進み、利津に近づく。利津は何を言わんとするか理解できず睨むだけで口を開かない。

 メイド長はその様子を緊張しているウブな子と捉え、クスッと笑ってベッドのシーツに触れた。


「色々ありました。執事だった男の子どもを身籠り、捨てられ、一人で育てています。幸いここのお給金は破格ですから、娘は全寮制の私立の中高一貫校に進むことができました。全ては久木野公爵様のおかげ。感謝してもしきれません」

「……何が言いたい」

「メイド長として早数年。私はもっともっと久木野様のお役に立ちたい。もし、……もし許されるならば最も始祖に近いと言われる久木野様のお子を授かりたいです」


 思いもよらぬ言葉に利津の思考が止まった。あまりにも突拍子のない事柄に息が詰まる。

 対してメイド長は年相応の優しい笑みを浮かべつつ、視線は獰猛な肉食獣のような鋭さで利津を見つめている。


「田南部様のことは残念でございました。ですが、久木野の世継ぎを絶やすわけには参りません。これから新しい真祖を探さなければなりませんが、田南部様の他に若い真祖の女性はもういらっしゃいません。ならば、誰が久木野の血を繋げるというのでしょう」


 こんなことを言い出す者に会ったのは初めてだった。何故、この女はそんなことを言うのか。利津は思案し、そしてある結論に辿り着いてしまった。


 今と昔。置かれている立場が全く違う。公爵という貴族の中では最大の地位を利津本人が得た。しかしどうだろう。利津の婚約者は捕まり、父と祖母はもうこの世にいない。5歳から婚約済みだった久木野の嫡男に言い寄る者は存在せず、贅を尽くしていた祖母と、傀儡とはいえ威厳があった父。利津が最も手放したかったものたちは利津という存在を守るための必要不可欠なものだったのだ。


――今更気づいてどうする。


 何も語らない利津にメイド長はにっこりと微笑み、不敬にもベッドに片膝を乗せ利津に迫る。


「利津様は多分お気づきではないんでしょうが……」


 そう言いながらメイド長は利津の頬に手を添え目の下をそっと撫でた。


「瞳が真っ赤でございます」


 メイド長は牙を見せつけるように口を開くと自ら自分の舌に噛みついた。痛みで表情が歪んだのも束の間、真っ赤な鮮血がメイド長の唇を濡らす。

 利津はハッと息を飲んだ。喉の渇きが一層強くなる。


 甘い誘惑、血の香り、吸い付きたい、噛みつきたい。


「っは、ぁ……」

うそぶくのはもうやめにしましょう。未熟なご当主さま。私が直々に可愛がって差し上げます」


 王城で飲まされた促進剤も相まって利津の理性はあっという間に瓦解した。利津は自ら手を差し伸べ、メイド長の両頬を掴んだ。メイド長はにんまり微笑み、血濡れた舌先をこれ見よがしに見せつける。利津はだらしなく口を開き、差し出されたメイド長の舌先に吸い付こうと顔を近づけた。

 唇が触れようとしたその時、カタッと窓が揺れた。


「離れろ」


 この場にはいないはずの男の声が二人の動きを止めた。いや、止められてしまった。利津の瞳に光が戻り、メイド長から手を離し窓に視線を向ける。

 そこに立っていたのは真っ黒なズボンとパーカーを着て、フードを真深く被った男だった。月明かりを背負っているため顔を確認することはできない。だが何故か、利津の心がほわっと温かくなった。


「出て行け」


 男の凛とした声にさっきまで主導権を握っていたはずのメイド長はまるで人形のようにスッと立ち上がった。そして命ぜられるまま部屋を出ていった。

 ドアが閉まると男は利津が座るベッドに近づき手を伸ばした。利津の顎に指先を触れさせ、そっと上を向かせると利津の瞳に目を見張った。

 

「なんでこんなに飢えているんだ」


 闇を吸い込んだような真っ黒な瞳が利津の宝石のような翡翠色の瞳を捉える。利津はこの男を知らない。そのはずなのに、何故かその手を振り払うことも言い返すこともできずにいた。緩いパーカーを着ていてもわかる勇ましい姿、優しく温かな声、利津はあっという間に男に囚われてしまった。


「まぁいいか。……おいで」


 男は利津の顎から手を離し、腕を掴んで自分の方へ引き寄せた。同時に男のフードは脱げ真っ黒な髪が利津の視界端に映り、ふわっと嗅ぎ慣れた香りが鼻腔をくすぐる。懐かしい、なのに知らない。矛盾した感覚にも関わらず利津の口からは熱い吐息が漏れた。


「噛んで」


 低い声が少し掠れて囁きかけられ利津の咥内がじわっと濡れる。五感のうち残りの視覚を瞼を閉じることで感覚を全て男に差し出す。利津は考えることをやめて直接的な誘惑に身を任せた。誘われるまま大きく口を開くと男の首筋に思い切り牙を突き立てた。


「ンッ……、っ」


 ぶわっと咥内に押し寄せる甘い液体。利津は溢れ出す血液に夢中になった。生きた血液、飢えに耐えた後の流し込まれる血、血、血、血。

 何でこんなにも満たされるものを利津は忘れていられたのだろうか。


 自分は血を欲しない?……そんなことあるはずがないのに。


 利津が吸血している間、男はただ抱きしめていてくれた。銀色の癖っ毛に指を入れ、かき抱くように強く。それでいて利津が噛み直そうと顔を動かした時には手を緩めて更なる吸血へ誘う。

 ようやく満足し傷口に舌を這わせ始めた頃。浮上する意識にようやく自分が何をしていたのか理解し、利津は男の肩を掴んで引き剥がした。

 

「貴様は……っ」


 男と視線が交わった時、利津の身体に電撃が走った。そして胸がぶわっと熱くなる。何故忘れていた。何故この男を嫌いだと思っていた。何もかも利津の中に合点がいくものはない。ただわかることは、利津にとって一等大切な男が目の前にいるということだ。


「世那……」

 

 利津が手を伸ばす。世那の両頬を包むように指を当て、触れるか触れないかの位置で滑らせ手のひらで頬を押さえた。窓から入ってきたせいか男、世那の頬は根から冷たい。利津は温めるように頬に添えた手に力をこめた。


「……世那、……せな」


 好き、愛している。ずっと側にいて。


 世那の頬を包み込みながら利津はそっと顔を近づけた。だが、互いの唇が触れ合ることはなかった。

 突如窓から風が吹き込む。世那の髪は一気に銀色へ、一度瞬きすると黒い瞳は金色へと変わっていった。

 利津は陽の光に似たその瞳に吸い込まれ抗う隙もなく囚われた。見てはいけない、目を逸らさなければ、という感情さえ溶けていく。今思った感情も全て空っぽにされていく。

 ぽかんとした利津の表情を見て世那は僅か口角を上げて笑った。


「『久木野利津は影島世那が大嫌いだ』」


 いつだったか聞かされたその言葉が利津の思考を占めた時には朝になっていた。


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