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45話

 日はとっぷり沈み、空が藍色に染まる頃は王城の中と言えど廊下は寒い。白い息が出るほどではないがコート一枚羽織りたいくらいだというのに佐藤は運転手の制服だけを身に纏い、王城入口の前の壁に寄りかかりながらスマートフォンを横にしてゲームに勤しんでいた。


「おい」


 手に槍を持った見張の兵が佐藤に話しかける。佐藤はちらりと兵を見てスマートフォンに視線を戻した。


「なんすか」

「主人を待っているのだろう」

「はぁ、そっすね」


 厳格な兵の言動に反して佐藤は気の抜けた声を上げる。兵は苛立ちを眉間に表し、更にどすの利いた声で尋ねた。


「ならばその態度はなんだ」

「あ?……あぁ、別にいいじゃないっすか。いないんだから」

「いる、いないの問題ではない。心構えだ。ここは王の住まう城だぞ」

「はぁ、ちょっと黙ってもらっていいっすか?今いいとこだから」

「なに?」

「っぁあ!もうっ」


 前触れもなく叫び声を上げた佐藤に兵は大袈裟なほどビクッと震えて立ち尽くした。およそ運転手が出すとは思えない気迫に圧倒されてしまい、兵は表情を引き締めた。


「な、なんだ?」

「いや……あぁ、まじ。ユナユナとれそうだったのに。一回ミスっちまった。つかここ寒いし、指動かねえんだよ。あーあー……」


 佐藤はガシガシと自分の頭をかきながら苛立ち、もういいやと画面を閉じて兵に向き直った。


「で?なんすか」

「あ、いや……」

「俺のご主人様は久木野利津。アンタのご主人様は?」

「眷属としてか?それとも国に仕える身としてか?」

「はぁあ……」


 しどろもどろ返答する兵に佐藤は更に苛立ち盛大に溜息を吐いた。本来ならば不遜な態度を取る佐藤はすぐに処罰される対象だろう。だが、腐っても公爵のおかかえ運転手。兵は話しかけたことを後悔した。


 佐藤は呆れ、兵は困惑していると突如二階から大きな音が鳴った。バタバタと駆け、他の何かが追いかける、そんな音だ。

 兵は槍を構え、他の兵たちも各々の武器を構えた。佐藤だけはじっと階段を見上げている。

 天に向かうように玄関から二階へ続く階段の上。現れたのは利津だった。普段は冷淡で感情を乗せない表情だが、今は見る影もない。歯を食いしばり、眉間に皺を寄せ、瞳は真っ赤に燃やしている。


「久木野公爵殿下?」


 佐藤の横にいた兵が槍を構えたまま訝しげに利津を見上げた。その声に利津は反応すると強い眼光で兵を見下ろした。


「っ……あ」


 たとえ吸血鬼化させた本当の親ではなくとも、兵は元人間の吸血鬼。意に反して真祖の鋭い眼光に兵の体は硬直してしまった。後から追いかけてきたであろう兵たちも利津から発せられる気迫に息を飲む。

 この場でただ一人の人間である佐藤は利津の睨みに臆することなく兵の前に立ち両手を広げた。


「利津様ぁ」


 状況にそぐわない間の抜けた声が広間に響く。佐藤はヘラヘラ笑いながら利津に向かって両手を振っている。

 利津は名を呼ばれると佐藤を目視し、ニヤリと口角を上げた。兵たちはその表情に武者震いをした。利津が浮かべたその笑みにもう理性は残っておらず、まるで親なし吸血鬼が血を求めるときと同様、本能に支配された獣のようだったからだ。


 利津が佐藤の元に来るまで時間はかからなかった。佐藤を見つけた瞬間にはもう階段を駆け下り、兵たちを見ることなく一直線に走っていた。利津は佐藤の前に着くなり両肩を掴んで壁に押し付けた。


「いっ……」


 鈍い音が鳴り、佐藤はあっという間に壁に押さえつけられた。反動で頭を打ったが気にせず利津を見つめながら困った笑みを浮かべている。

 利津はと言うと、やっと手に入れられた獲物に口を大きく開け牙を見せつけた。片方の手を肩から離し、佐藤のネクタイを乱暴に引き抜くとワイシャツの襟に指を引っ掛け一気にボタンを弾かせた。

 今にも噛みつこうとする利津だったが、それが叶うことはなかった。


「ぅッ……」

「そうそう、俺のとこ来て正解ですよ。俺の穢れた血も、煙草も、全部利津様のためにあるんですから」


 佐藤の首筋に牙が当たる寸前で利津は小さく呻き、顔を離した。利津を呼んだ時、既に佐藤の手には対吸血鬼用の煙草が握られ、火が付けられていた。利津が肩を掴むコンマ数秒、佐藤はその煙草を咥えていた。


「偉いですねえ。ここまでよく正気で戻ってこれましたね」


 利津に火が当たらぬよう気をつけながら佐藤は優しく利津を抱き留め、次の瞬間には腹部に肘鉄を食らわせていた。


「うぐっ……」


 低く呻き利津は佐藤の肩に頭を預けて意識を手放した。重たくなる利津の身体を佐藤は腰に力を込めてひょいっと抱き上げた。

 主人に対する行為とはおよそ思えない佐藤の行動に兵は目を丸くした。眷属では決して出来ない所業。人間である佐藤には吸血鬼特有の本能はない。従うのも従わされるのも己が気持ち一つで決まる。

 ぽかんとする兵の視線に気づくと佐藤は煙草を咥えたままニヤリと笑った。


「そいじゃ、おつかれさまでーす」


 何もなかったかのように立ち去る佐藤に声をかけた兵も他の兵たちもただ見送るしかなかった。



 重い玄関のドアを開け、吹き込む冷たい風に佐藤は身震いした。自分よりもずっと筋肉質な男は予想以上に重くのしかかってくる。

 次に目を覚ました時には正気だろうか、それとも手当たり次第血を貪りたがるだろうか。

 そんな不安を覚えつつ佐藤は咥えた煙草を深く吸ってゆっくり紫煙を吐きながら駐車してある自分の車の方へ歩いた。石畳は余計足に力が入り歩きにくい。持ち上げたものの利津の足は地面に接していて佐藤が一歩一歩進むたびにズリ、ズリと靴の先を引きずった。靴が傷ついたと後で文句言われるだろうか。


「めんどくせえなぁ……」


 車の前に着くとドアに触れ鍵を開ける。利津を背負いなおして後部座席のドアを開けるとそのまま雪崩れ込むように座らせた。やっと重荷が降りたことで咥えていた煙草を携帯灰皿にもみ消してポケットにしまうともう一度後部座席に乗り込み利津をシートベルトで固定した。そして車のサイドポケットから吸血鬼が苦手とする銀で出来た腕輪を出して利津の左腕にはめた。まさか自分のご主人様につけることになるとはな、と佐藤は心中で笑ってしまった。運転中に目を覚まし、最悪の事態になったとしても吸血鬼の力を封じることで少しは隙が生まれるだろうと思っての行動だ。

 利津の手足が出ていないか確認してドアを閉めると運転席に乗り込み、佐藤は大きな溜息を吐いた。


「さて、帰るかぁ」


 ルームミラーで背後を確認し、運転手用の帽子をかぶると煙草を取り出して咥えた。火をつけ深く肺に流し込んでゆっくりと吐いた。普段ならば窓を開けるが、血に飢えた利津が嫌がるようにわざと車内を煙で充満させる。気絶していてもやはり嫌なのか僅か身じろいだ利津に佐藤はふっと鼻で笑った。



ーーーー


 幸いなことに久木野の邸宅に着くまで利津が目を覚ますことはなかった。佐藤は邸宅の前に車を停めるとドヤドヤ出てくる眷属たちに利津を運ぶように促した。人間に指図されるのは癪だがやっと新しい主人の役に立てると意気揚々と運ぶ眷属たちに佐藤は笑って見送った。

 その後、佐藤は車に乗り直し、車庫に向かおうかとレバーをドライブに入れたところで見慣れたメイド服の小さな女が入り口の前に現れた。ちらりと存在を確認し、レバーをパーキングに入れ直して助手席の窓を開けて覗き込んだ。


「どした?」


 佐藤の問いに答えることなくリリィは勝手に助手席に乗り込んできてシートベルトをした。


「何で乗るんだよ。車庫行くだけ……」

「出して」


 ツンと言い張るリリィに佐藤は「ははっ」と笑い、再びレバーを動かしてゆっくり車を走らせた。

 ラウンドアバウトを半周回り、邸宅の向こう側にある来客用駐車スペースを超え、大きく聳え立つ車庫のシャッターが開くと佐藤は慣れた手つきで車を止めた。燃料代が勿体無いとエンジンを切り、シートベルトを外して運転席に深く身体を預けながら隣に座るリリィに視線を向ける。


「で?どした?」

「眷属たちに言われたの。人間のお嬢さんは引っ込んでろって」

「……あぁ」

「佐藤がそう頼んだって」


 確かに預けた時に言ったな、と佐藤は頬をかきながら頷いた。するとリリィはシートベルトを外すと同時に佐藤に詰め寄るように身体を傾けた。


「何があったの?」


 澱みなくまっすぐ見つめるリリィの視線から逃れるように佐藤は首を傾げてそっぽ向いた。


「誰かになんかされたんだろうな」

「え?」

「アホな吸血鬼サマたちには言うなよ?復讐だなんだってすぐ騒ぐんだから」


 佐藤は肩をすくめて笑って見せたが表情は暗い。リリィも察して、佐藤から視線を逸らして車庫の中にある他の車をぼうっと見ながら問う。


「証拠は?」

「ねえけど確証はある。あの様子から見るに……吸血促進剤を飲まされたんだと思う」

「っ……」


 それがどのようなことになるか、この国のものは子どもでも知っている。それに真祖である利津がそれを飲み、誤って人間を眷属化すればどうなるか。しかも人間の住まう王城でことが起きればタダでは済まない。

 リリィは息を飲み、じっと話の続きを待った。


「別にやべえ薬じゃねえよ。吸血鬼は基本無敵だけど、疲れた時とか、なんだっけ……あぁ、ジヨーキョーソー?みたいな感じ?そんなんで飲むからさ。普通に売ってる」

「でも、ご主人様は今吸血は必要ないって」

 

 佐藤はフッと息を吐き、リリィに向き直り真剣な眼差しで見つめた。


「本当に?」


 時折真面目になる同僚にリリィは慣れず、ちらりと佐藤を視界の端に入れ顔ごと目を背けた。


「血液パウチはある。ご主人様が欲すればいつでも渡せる。……けれど、その話をするだけですごい剣幕で怒鳴るから最近は出していないわ」

「怒りっぽいよなぁ、世那さんがいなくなってから特に」


 久しぶりに聞く名。リリィはきゅっと拳を握った。

 始めこそ、主人である利津に命ぜられたから世話をしていた。けれどもここ最近は、世那と話すことは楽しくなっていた。

 今日の訓練はこうだったとか、リリィが持ってきた本はこんなところが面白かったとか。時々小さな喧嘩もしたが、それすら兄と妹のような関係でリリィにとっては楽しかった。


 それなのに、リリィに挨拶することなく世那は忽然と姿を消したのだ。


「まぁ、吸血鬼のことは吸血鬼に解決してもらおうぜ」

「……えぇ」

「俺たちは人間でいなきゃなんねえ。利津様はそれを望んでいるからな」


 そう言った佐藤はどこか誇らしげに微笑んでいた。



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