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44話

 ちらりちらりと雪が地面に落ちる。緑色の芝生もどことなく黄みがかってきていよいよ寒波がやってくると告げているようだ。


 利津は長く広い廊下をせっかちな速度で歩いていた。真っ赤なカーペットを踏みしめながら、端に立つ兵たちの冷たい視線を受け流す。

 玉座の間に着くと兵が二人がかりで思い鉄の扉を開けた。ゴォオオオと鉄と石が擦れる音が響く中、利津はしゃんと背筋を伸ばして先を見据えた。廊下のものとは比べ物にならない上質な赤色の絨毯が更に奥へ誘うように敷かれ、終着点には階段があり金であしらった玉座がどっしりと置かれている。


 利津は気押されることなくゆったりとした歩調で前へ進んだ。ところどころに兵たちが立っており、槍や刀は勿論、吸血鬼には許可されていない銃を握っている者までいる。廊下にいた兵よりも一層冷ややかな視線に利津はちらりと目を向けるだけで歩き、目の前に玉座が現れるとその場に片膝をつき胸に手を当て俯いた。

 ガシャンと兵たちが歩く音の後に重たい布を引きずる音が鳴る。スリスリと重い布が石畳を滑り、その者は玉座に着くとどしりと座った。


「面をあげよ」


 成人男性にしては幾分高い声が愉快げに笑い命ずる。利津はゆったりとした動きで顔を上げた。


 帝国が築かれてから5代目となる壮年の王が頬杖をしながら玉座に腰かけ笑っていた。大きなマントに体を埋めながら王は気だるげに身体を預け、それでいて利津を楽しげに見下ろしている。利津は感情をのせない目でじっと王を見つめた。


「相も変わらず美しい男よ」

「……」

「ふふっ、余が人間の王であるならば、お主は吸血鬼の王たる男。だというのに、王が王に服従のポーズをとる。いや……とらせていると言った方が正しいのか」


 王はふわりと欠伸を漏らしながら言葉を紡ぐ。そんな姿を見ても、嫌味を言われても利津は表情一つ変えず黙っている。

 すると、一段下で立っていた王と同じくらい壮年の男が利津を睨み見下し声を張り上げた。


「人語が話せぬのか、公爵殿」

「よいよい。宰相。利津は昔から寡黙な男だ」


 ゆったりとした王の言動に宰相はギッと歯を食いしばり視線を逸らした。勲章がたくさんぶら下がった貴族衣装に身を包み、かっちり固められた髪がより一層宰相の見目を硬く近寄りがたいものにしている。というのに利津はちらりとも宰相を見ず、突如口元を緩めた。挑発的なその笑みに宰相は苛立ち、反して王は腹を抱えて笑った。


「ははははっ!よいなぁ、利津。よしよし、では今宵余の相手をせよ」


 王はゆるやかな動きで利津を指さし命じた。利津はもう一度礼をして立ち上がり、くるりと振り返って玉座の間を出て行った。その間も王は楽しそうに笑い、ひじ掛けに頬杖をしながら去っていく利津の後姿を眺めた。


「宰相、あまり利津を邪険に扱うな。我が子と変わらぬような小僧に腹を立てるなどおぬしらしくないわ」


 宰相は王の言葉に僅か眉を動かした。


「我が子……?」

「30も離れていればそれくらいであろう?」


 人間ではない、獣と変わらないものを人間と同じだと言う王の意見に賛同できず、宰相は返事をする代わりに頭を下げた。暗愚な君主め、と内心で王を軽蔑した。




ーーー




「よく来たな。座れ」


 日が傾き始めた頃、利津は身だしなみを整え王の部屋へ来ていた。その部屋は1人のものとしては広すぎるもので、10人掛けのテーブルがひとつあり、端にはくつろぐ用のソファが一台置いてある。本来ならば利津はテーブルの前の椅子に腰かけ、テーブルを挟んで端と端に座るべきだろう。だが王が指した場所は奥にある3人がけのソファだった。

 利津は「失礼致します」とだけ告げてソファの前に立った。王は後ろをついてきて先に腰を下ろすと隣を叩き利津に座るよう促した。近すぎる距離だが利津は大人しく隣に腰を下ろした。

 王は隣に座った見目麗しい吸血鬼にほうっと溜息を漏らした。


「酒は何が好みだ?」

「陛下にお任せいたします」

「ククッ、陛下とはつれぬ。余の名は知らなかったか?」


 そう言いながら手を伸ばし利津のくるりとした銀色の髪に触れた。なまめかしく動く指先が気持ち悪い。しかし利津は払うことはせず一つ息を吐いて平常心を保って名を紡いだ。


「……嗣成つぐなり様」

「はぁ……よい、……よいな」


 王、嗣成は利津が吐息交じりに名を呼んだことが嬉しく喉を鳴らした。同時に熱いため息が漏れ、利津の肩に腕を回し抱き寄せた。利津がびくっと小さく震える。その様子がどこまでもウブで嗣成は利津の銀髪の中に鼻を埋めて甘えた。


 ほどなくしてドアが開き使いの者が一礼して入ってきた。その手には2つの酒瓶が握られていて、嗣成は視線を利津に向け選ぶように促した。利津はその意図をくみ取り、指先で1つを指差した。


「ふむ、おぬしは此方がよいか」

「其方でも……」

「いや、よい。これを2つ持ってまいれ」

「かしこまりました」


 小さく頭を下げ使いの者は後ろに下がり、用意されているグラスを綺麗に拭きあげ丁寧に注ぐ。コポポポと小気味いい音を鳴らしながら空気を含んでいくワインを利津は黙って眺めた。使いの者は2人の前に小さな机を用意してそこにワインの注がれたグラスを並べた。

 こつんと利津の肩にガサガサとした毛が当たる。嗣成が甘えるように肩に頭を預け、この世に二人しかいないと言いたげな雰囲気をつくる。利津は無感情に口を開いた。


「本日はどういったご用件で」

「……ククッ、愛らしい愛らしい。父のきよしと違って堂々としておるが、心中は雛のように震えておるのだろうなぁ」


 利津を肩口から見上げ、愉快そうに嗣成は笑い、使いの者が置いたワイングラスをひとつ手に取った。グラスの中で一度ワインを転がしゆっくりとした所作で口に含む。こくりと喉を鳴らして飲むとそのグラスを利津の前に差し出した。


「おぬしは他人の飲んだものしか飲まぬようになってしもうたからな、可哀想に」

「……」

「あれはいつだったか。……あぁ、そうそう。おぬしが大学に入った頃か。母の愛が孫に向かうことを恐れた清がおぬしに毒を盛って。……まこと愚かな男よ」


 ただの世間話のつもりだろうが利津にとってみれば嫌な思い出だ。

 嗣成の言う通りで、知勇共に逞しく育っていく我が子に嫉妬した清がある日、利津の飲み物に毒を盛ったことがあった。幸い、致命傷にはならなかったものの三日三晩、熱、嘔吐、めまいの症状で利津は起き上がることもままならくなった。当然、清の母である清子はそれを聞いて大層怒り、清は久木野の全権を清子に戻すことになった。始めこそ清子が一人で公爵家としての仕事をこなしていたが老齢の清子も段々と身体の自由が利かなくなり、利津が飛び級をして大学を卒業して間もなく清子は利津に公爵家の仕事を任せた。清は飾りの公爵として、清子が実権を握り、そして利津は無位で働かされた。


 利津は渡されたグラスに鼻先を近づけるが、どうしても口をつける気にはなれない。何故だろう。飲んではいけない気がした。

 見かねた嗣成は柔和な笑みを浮かべてグラスを持つ利津の手に自分の手を重ねた。


「恐れるな。余が直々に毒味してやったのだぞ」

「……」


 生温かく少し湿った嗣成の指が利津の指を撫でる。更に利津の耳に顔を近づけ囁くような声で話され、利津は眉間に皺を寄せた。気色が悪い。飲まなければ次に何をする気か、想像するだけで利津の胃がむかっとした。


「いただきます」


 嗣成の手から逃れるようにグラスを持ち上げ、利津は中のワインを仰いだ。


「利津は聡いからよくわかっておる。この酒は遥か遠く西洋からの……」


 王がそう紡いでいる最中、突然利津がグラスを落とした。ガシャンと音を立ててワインごと四散する。嗣成は目をぱちぱちと瞬かせ、利津の顔を覗き込んだ。


「っ!?」

「いかがした?」


 利津は目だけを動かし嗣成を見下ろした。カタカタと身体は震え、熱っぽい吐息が溢れる。咥内に含んだ瞬間、ワインと思えない熱さと甘さを感じたのだ。すぐに吐き出せば良かったものの反射で飲み込んでしまった。喉から食道、胃にかけて流れ込み、体内が焼き切れるように熱を持ち始めた。

 その様子に嗣成は何か合点がいき、ニヤリと笑って舌なめずりをした。


「あぁ、宰相が何かしたのか?……ふふっ、なんと鬼畜な」


 そう言うと嗣成は利津の両肩を掴みソファに縫い付けるように押さえた。片膝をソファに乗せ、体重をかける。重いマントがその時だけふわりと翻った。

 押し倒される形になった利津は目を見開き、嗣成を見上げた。王は情欲に濡れた瞳で利津を見つめている。


「あぁ、なんと愛らしい。人間にはない美しさ、儚さ。気高き吸血鬼の血がそうさせるのか?」


 嗣成の問いに利津は答えられなかった。

 渇く、渇く、満たされたい。身に覚えのない衝動が利津の脳を、身体を支配する。いや、忘れていただけで利津は知っていた。これは、この欲は血を欲する吸血鬼の本能だ。


「そうだ。呼び出した理由を教えてやらねばな」


 嗣成はうっとりした目で利津を見つめながら重いマントを床に落とし、きっちりしめられた服のボタンを外して首元を緩めた。ぼんやり見つめる利津の視線に笑みを浮かべ、襟の中に指を入れて見せつけるように首筋を晒した。


「余を眷属とすることを許そう」


 思いもよらない言動に利津は息をのんだ。獲物が自ら身体を差し出している。利津の喉が低く唸り、吸血鬼である証の牙が唇の間から覗いた。


「ふふっ、まるで獣よ」


 壮年の艶っぽさを含ませながら嗣成は小首を傾げて笑う。


「興味があるのだ。なんでも吸血鬼になれば人の何倍もの力を持てると聞いたぞ。その代わり日の光が苦手になると聞くが、まぁ些末な問題よ」


 どくっ、どくっと鳴っている。利津の鼓動か、それとも曝け出された嗣成の頸動脈が脈を打つ音か。

 性的な興奮にも似た思考が利津の咥内を濡らす。噛みつけ、血を啜れ。利津であり利津ではない何かが指示する。


「おぬしは人間の王を眷属とできる。ずっと欲していた権力が手に入る。悪い話ではなかろう」


 権力。その言葉で利津の理性が僅か浮上する。

 あの日、実父に毒を飲まされてから、いや、もっともっと前。利津は権力を手に入れようとした。父を、祖母を、久木野を、始祖を超える力を……。


『利津が約束するなら俺もそうする』


 そう言ったのは誰だっただろう。

 利津が血を欲していい相手は一人しかいない。消えている記憶の向こう側にいる男は利津に向いている。顔ははっきりとわからないというのに、その男は微笑み名を呼んだ。


『利津』


「っ……!」


 利津は本能に抗うように歯を食いしばった。嗣成の肩を掴み、膝上に跨る王を退けるようにあるだけの力を込めて振り払ったのだ。


「ぬわっ……」


 情けない声が漏れ、嗣成は受け身をとらず床に落とされた。ゴツンと鈍い音が鳴り、背中の痛みに悶絶する。

 その様子を尻目に利津は転げるように立ち上がり、ドアへ向かって駆けだした。


「待て、待てっ」


 嗣成の制止の声を振り切り、利津はドアに体当たりするようにぶつかって部屋から飛び出した。


「……っと」


 ドアを開けた先には宰相が立っていた。血相を変えた利津を見て驚いたものの、すぐに目を細めてにやりと笑った。


「どうされましたかな?公爵殿」


 新たな獲物が現れ、利津はひくっと喉を鳴らした。武装一つせず、身構えることもない細い肢体。肩を掴み壁に押し付ければあっという間に吸血が出来てしまう。煩わしい渇きと理性が交錯し、利津は拳を握って睨みつけた。


「どうでした?ワインのお味は」

「っ、貴様が……」

「そのように怒ると本当に獣だな。いいか?陛下は人間であらせられる。血を欲する促進剤が入っていようと何も変わらぬのだ。……おわかりか?」


 冷淡な笑みと余裕な態度に利津は牙をむき歯を食いしばった。嗣成の命令か、宰相の判断か。今はどちらでもいい。ただ、この欲は時間が経つにつれ膨れ上がっていく。早くこの場を離れなければ本当に取り返しのつかないことをしてしまいそうだ。


「さぁ、陛下がお待ちだ。部屋に戻れ」

「こんな俺を、王の元へ戻そうとする真意はなんだ」

「さあな?説明しても獣にはわかるまい」


 さも自分は関係ないと言いたげに両手を上げる宰相に利津はふっと口角を上げ強がった。


「貴様にも理解できまい」

「……ほう?」

「眷属にされる側が主人を選ぶことはできない」

「王は力不足だと」

「どうとってもらっても構わん」


 ふらつく足元を見せぬように一歩ずつ丁寧に利津は歩き宰相の横を通り過ぎた。

 胸をかきむしるような欲に耐えながら、遠く向こう側にいる誰かに縋る。あの男に会うことさえできればいい。会いたい、会いたい。


「せな……」


 利津は無意識に憎いはずの男の名を呼んでいた。



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