表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

49/71

番外編 隆と利津

(side:隆)


 久木野利津と言う男に会ったのは俺が7歳の頃だった。


 場所は久木野主催のパーティ。久木野の嫡男と田南部の長女、2人の婚約が取り決められるためのものだった。俺は兄さんと姉さん、父と母に連れられて参加した。人生初のパーティだったから緊張がすごかったのを覚えている。

 そんな緊張状態の俺を色んな真祖達が愛でてくれた。「かわいい」だの「天使のよう」だの。自分で言うのもなんだが、その頃の俺は本当に可愛かった。猫っ毛だけれどスッと降りた銀色の髪はサラサラだし、くりっとした目の中には宝石のようなターコイズブルーの瞳がキラキラしているし。それらのパーツは子どもの艶やかな白い肌にぴったりでまるで西洋人形のような美しさを持っていた。兄さんも姉さんもベタ惚れで「可愛い、可愛い」と猫かわいがりするから俺はこの世で一番可愛いと疑いもしなかった。


「……ん?」


 それまでざわざわしていた会場が一変し、皆が一斉に入り口にくぎ付けになって礼をとり始めた。俺が小さく声を漏らすと姉が屈んで耳打ちした。


「久木野様がいらっしゃるの。隆も真祖の一員としてしっかり礼を」


 小さいながらも久木野が俺たちとは別格だというのはよくわかっていたため、姉に言われるまま他の真祖と同じように礼をとった。


 初めにやってきたのは現当主の清様。格式高い貴族の衣装に身を包み、堂々と人混みの中を歩いて来られた。俺の前を通り過ぎただけだと言うのに清様の見た目も存在感も神がかっていて俺の背筋は自然とぴんと張る。

 清様の後ろに続いたのは杖を突いた年配の女性。おそらくあの方が清様の母君、清子様だ。清子様は清様よりも派手な出で立ちだった。たくさんの勲章は勿論、指一本一本には大きな大きな宝石があしらわれた指輪がいくつも嵌められていてけばけばしい。清様の後ろを歩いておられるが実権を握るのは清子様なのだろうと子どもながらにわかってしまって気分が悪かった。


 そして、清子様の横を小さな子どもがついてきていた。はじめは清子様の陰になって見えなかったが俺たちの横を過ぎる瞬間、ちらと見えた姿に俺の心臓が高鳴った。

 白いスーツに赤いネクタイを締めた男子がしゃんと背筋を伸ばして歩いている。ドレスじゃなかったから男だと分かった。女だと言われても不思議じゃないくらいその男子、利津は美しかった。

 俺と同じ銀色の髪なのに癖があってふわふわしていて綿あめみたいな頭だし、瞳もまた俺と同系色なのに全ての光を吸い込んでいるような煌めき。その目を覆うように長い睫毛がパタパタと瞬く。そして薄く小さな唇は赤く色づいていた。


 利津が女だったら俺はもう恋に落ちていた、きっと。

 


――――


 ほとんどの真祖は自分の地域に根付いて暮らす。西和田も例外なく西地区を任されていて、兄さんや姉さんは西にある名家の子供が通う学校に行っていた。俺もそうなるのかな、と子どもながらに思っていたが小学校2年生の秋。突然小学校を退学させられた。

 理由はとっても簡単だった。


「いいか、隆。お前は久木野家の嫡男、利津様のご学友として中央で立派に暮らすのだぞ」


 父さんと母さんに言われ、駄々をこねる隙も無く俺は「はい」とだけ答えて自分の部屋でこっそり泣いた。両親兄姉と離れて暮らすことが嫌だったし、あの久木野となればもっと嫌だったからだ。


 引っ越しは一週間も経たずに終わってしまった。あっという間すぎて何も感じない。見知らぬ土地で母さんの眷属数人と小さなマンション暮らし。小さいと言っても俺の部屋もあるし、眷属……使用人達の部屋もしっかり一室ずつあるような家だったから贅沢な方だ。

 衣食住は勿論、毎日使用人達が代わる代わる俺に血を与えた。乳歯も抜け、大人の牙が生えてきていたけれど眷属を持つにはまだまだ早いため親の眷属の世話になる。見慣れた眷属達だから安心と言えば安心だが、親に甘えたい年頃だったし自分で言うのもなんだがずっと甘やかされて育ってきたのに一人にされて心の行き場がなくなっていた。


「隆様。明日から久木野邸へ毎日通うことになります」


 使用人の一人が俺に説明する。


「え?学校へ行くんじゃないの?」

「いいえ。地方の真祖とは訳が違います。久木野様のたった一人のご子息を有象無象の中に入れるわけには参りません。専門の家庭教師がついておられます。そこで隆様も共に勉学に励んでください」


 ご学友が欲しいと言っておきながら学校に行っていないなんて、俺は何をしに来たんだかわからなくなった。



 翌日。日が昇り始める前に起こされ眠いのに久木野邸に行くのだからと堅苦しいスーツを着せられて車に乗せられた。毎日これかと思うと本当に嫌だ。


 車に乗ったがさほど距離はなかった。マンションから出て山を登ってすぐ。大きな鉄格子がゴーっと音を鳴らして開き、何の意味があるのかわからないラウンドアバウトをくるりと回って停車した。


「隆様、着きましたよ」


 後部座席のドアが開き、俺は自分でシートベルトを外して車から降りた。そこには映画でしか見たことのないような大きな城が空を突き刺すようにデンと偉そうにそびえたっていた。素敵だ、羨ましい。普通ならそう感じるのかもしれないが俺は嫌な気持ちになって下を向いた。綺麗に一つ一つ嵌め込まれた石畳も何だか嫌味ったらしく見える。

 パーティの時、清子様がゴテゴテつけていたアクセサリーを思い出して胸焼けがした。


 ギィっと錆びた金属音が響き、久木野の執事とメイド男女2人が出てきてにこやかな表情で俺を見てぺこっと頭を下げた。


「ようこそいらっしゃいました。お疲れでしょう?少しですがお茶のご用意があります。どうぞお入りください」


 物腰柔らかそうな若い男が媚びるような態度で俺に話しかける。

 俺だって一貴族の息子だから使用人が笑顔を向けてくることには慣れている。けれど何だがここは、冷たい感じがした。


 案内されるまま俺は久木野邸に足を踏み入れた。大人でも大きいと思われるドアをくぐると真正面に大きな階段が鎮座していた。柔らかな赤い絨毯がそちらへ向かうように敷かれ、まるで玉座のようでいちいち勘に障る出立ちに溜息が漏れた。

 二階にある客間までもこれまた豪華だし、なんだったら客間が一番豪勢なのではないだろうか。窓ガラスも平らではなく、少しぐにゃっとしてる。あれは昔ながらの製法で一枚一枚作られてるやつだ。視線を天井に向けると大人2人分でも足りないくらいの高さにギラギラしたシャンデリアがビカビカ光っている。なんだかわからない模様の絨毯と、鬱陶しいほど重たそうな木のテーブル。食器棚には見せつけるように高価そうな食器がびっしり並べられていた。


 来たくなかったな。なんて心の中でぼやきながら出されたクッキーと紅茶をいただきながら俺のご学友になる男を待った。



 出されたクッキーを食べ終えた頃、ガチャっとドアノブが動き先程の執事が入ってきた。変わらず気色悪い張り付けた笑みを浮かべている。


「お待たせいたしました。……利津様」


 執事はドアを背にしながら俺に声をかけ、横にいる男……利津に声をかける。俺は紅茶のカップをソーサーに置いて椅子から降りた。一応向こうは公爵の息子。俺は伯爵の息子で地位は俺の方が低い。社交界で何度も見た礼の姿勢をとった。


「……」 

 

 利津は俺の挨拶に見向きもせずフイッと部屋から出て行ってしまった。


「あ、利津様!」


 執事は利津が出て行ってしまったことに鉄仮面が崩れアワアワしながら出ていった。


「隆様!」


 使用人が小声で俺を叱る。


「早く追いかけて、ほら!」


 追いかけてどうすんだよ、と尋ねようと口を開いたときには使用人に背中を押されて廊下に出されていた。それでも俺は文句の一つでも言ってやろうかと振り向いた。でもあんまりにも悲痛な顔をしているため何も言えなくなった。俺は仕方なく追いかけることにした。


「利津様!利津様、お待ちください」


 さっきの執事の声が廊下に響く。執事はへなへなした小走りでトントンと先を歩く利津について行っている。大人のくせに子どもの足にも追いつけないなんて情けない。俺は駆け足で執事を追い越して利津の前に立った。

 利津は俺が前に立ちはだかると足を止めた。


「ひえっ、り、り、隆様!?」


 へなへな執事が悲鳴に似た声を上げた。何だよ、と執事に視線を向けたとき、俺は事の重大さに気づいた。

 考えればわかったのに俺は何て間抜けなのだろう。大人が子どもに追いつけないわけがないのに……。

 この執事は主人より前に出まいと声だけで静止しようとしていたのだ。

 だとすると俺は何てことしてしまったのだろう。西和田の家が潰されたら……。想像するだけで背筋がゾワゾワする。


「あ、……えっと」


 俺の足が震えている。気を抜けば倒れてしまいそうで、何とか声を出すがその先が思いつかない。


 どうしよう、どうしよう。


 その間も利津は黙っていた。自分よりも大きな俺をじっと見据え、品定めするように頭のてっぺんから足先まで舐めるように見つめている。

 

「おまえ……」


 利津の唇が僅か動き俺を指す。あぁ、終わりだと思い俺は強く目を閉じて拳を握った。鈴がカランカランと鳴っているような透き通った声が更に紡ぐ。


「まいにち来るのか?」


 予想外の言葉に俺の手から力が抜ける。ぎゅっと瞑った目を開け、おずおずと利津を見た。


「え?あ、あぁ……そうだって」

「そうか」


 利津はフンと鼻を鳴らしながら頷いた。


「……」

「……」


 それ以上利津は何も言わず動かずじっと俺を見つめている。

 

 え、なに?何したらいいんだ。


「今日はもうおわりか?」

「あ、え……」


 話したかと思えばまた質問。

 ドギマギする俺の代わりに執事が答えた。


「本日は挨拶だけと伺っております」

「……」


 執事が答えているのに利津は執事を見ずに俺を見ている。

 怒っているのか何なのか、今ひとつわからない。


「こっち」


 そう言うと利津は俺の横を通り先にいってしまった。俺が利津の背を見つめていると執事は元の調子を取り戻して鉄仮面で俺に微笑んだ。


「よろしければ少々お時間をいただいても?」

「ん?……うん」

「ありがとうございます」


 「どうぞこちらへ」と執事は柔和な動きで利津が行った方向を手のひらで指す。いつの間にか来ていた西和田の使用人はほっとした表情で俺を見て頷いていた。

 嬉しそうな大人二人の期待に押されて俺は利津が行った方向に歩いた。


 どこへ行ったのだろうかと廊下を歩きながらキョロキョロしているとある部屋のドアが開いていた。多分こっちか、と俺は恐る恐るドアの中を覗いてみる。


 そこはさっきの客間とは違う質素な部屋だった。真っ白な壁紙は部屋を一層眩しくさせ、絨毯ではなく白っぽい床板が隙間なくはめ込まれている。外の石畳と同じような作りだが嫌味な感じが全くしない。窓だって汎用性のある真っ平らなガラス。薄緑色のカーテンが白い部屋と妙にマッチしていて清々しさを演出している。


「りゅう」


 鈴の音が俺を呼ぶ。子ども用に仕立てられたテーブルの前にある二脚の椅子のうち、その一脚に利津が座っていた。子ども用といえどまだ大きいのか利津の足はぷらぷら揺れている。

 たくさんの貴族たちに会ってきたけれど年の近い貴族と二人になるのは初めてだ。しかも自分より身分の高い、年下の子ども。


「すわらないのか?」

「え、あ……」


 俺の口からまた変な声が漏れる。人見知りするタイプではないが掴みどころのない相手にどうしたらいいかわからない。促されるまま俺はもう一つの椅子に近づき腰を下ろした。


「……」

「……」


 何も話すことがない俺と何も話してこない利津。この時間は何なんだと聞ければいいが何かの拍子で利津の機嫌が損なわれるのも面倒だ。

 テーブルの上にお茶の一つでもあればいいのに何ものっていないし、利津の足はぷらぷら揺れていかにも暇そう。なんだか段々息がしづらくなってとうとう俺は声をかけた。


「利津さま」


 声をかけられ利津の肩がぴくっと動く。翡翠色の瞳が俺を捉え歪んだ。


「サマはいらない」

「え?」

「おまえは9才。おれは7才。利津でいい」


 ものの言い方が7才じゃないだろ、なんて軽口を叩けぬまま俺は推し黙った。公爵の息子を呼び捨てなんて、そんなことしたら間違いなく父さんや母さんに怒られる。

 

「りゅう」

「は……ッ」


 俺からまた変な息が漏れた。


「おれはりゅうとよぶ。おまえは利津とよぶ。いいだろう?」


 利津のぷらぷらしていた足がぴたっと止まる。


「おばあさまにたのんだら、りゅうが来た」


 今まで子どもらしい表情一つ見せなかった利津が僅か口元を緩めた。


「なにがしたい?そと行く?」


 人が変わったように利津は突然話し始め、テーブルに手をつき俺の顔を覗き込む。俺は頭の中がこんがらかってしどろもどろしてしまった。


「え?え?」

「そと、つまらないか。……あ、しょこ行こう」

「しょこ?」

「本がたくさんある。あそこならたのしい」


 楽しい。その言葉を紡いだ利津は本当に嬉しそうだった。



―――



 あれから月日は流れ、俺は中学生になった。小学生の年齢のうちは毎日利津の家に行って家庭教師から勉強を教わった。

 でも中学からは何の方針転換か俺は名家が行く私立の中学校に進まされた。利津はまだその頃小学5年生の年齢だから、アイツは変わらず家庭教師から学んでいる。

 そうなってくれば必然、俺と利津が一緒に過ごす時間も少なくなっていた。


「お邪魔します」


 下校時、俺は毎日久木野邸に寄る。部活も特にしていないので放課後は暇だ。一応玄関のベルを鳴らすけれど執事やメイドが出てくる前に勝手に中に入る。

 慌てて駆け寄ってきた執事は「おかえりなさいませ」と笑顔で声をかけてくるので俺も「ただいま」と返事をする。次から次へと執事やメイドがやってきては挨拶をするので俺も適当に返す。

 目指すは利津の部屋。子どもの時と違って利津の部屋は3階になっていた。理由は利津の父である清様が2階を使いたいからだという。


 長い階段を駆け上り、利津の部屋に着くと俺はノックもせずドアを開けた。


「ただいま、利津」


 子どもの頃と変わらず質素な部屋。利津はソファに足を投げ出して座り本を読んでいた。11歳になった利津はその年としては少し大きい。見目の美しさは変わらないがもう女にはどうやっても見えないくらい逞しく育っていた。

 利津は俺が部屋に入る前から来ることがわかっていたらしく、あからさまに機嫌を損ねた表情で俺を強く睨んだ。


「ここは貴様の家ではない」


 綺麗な鈴音のような声も少し枯れてきていて威厳が増し、綺麗すぎる顔が更に怖い。久木野の眷属たちはそのひと睨みに震え上がる。まぁ、俺には関係ない。

 俺はニッと歯を見せて笑い、ドアを閉めてソファに近づき利津の足元に腰を下ろした。


「……近い」

「今更だろ。何読んでんだ?」

「隆には関係ない」

「関係ないな」

「……。毎日来る必要はないだろう」


 確かに毎日来る必要はない。けれど小学生の時代を毎日ここで過ごしたから自然と足が向く。それに、中央は西と違ってギスギスしてて何か嫌だ。友達もいるにはいるが、本当に心を許せる奴はいない。

 帰ろうとしない俺に利津は大きく溜息を吐くと本を閉じて床に足をついて座り直した。


「土産は?」

「俺学校行ってるだけだぜ?」

「何もないなら帰れ」

「ハハハッ、ほんとアンタはなぁ」


 そう言っても土産があるから困ったもんだ。俺はカバンのチャックを開けて手探りでブツを探し、利津に差し出した。


「なんだこれは」

「土産」

「……何だと聞いている」

「ほんとは帰りに寄り道しちゃいけねえんだけど。なあ、見たことないだろ。コレ」


 俺が差し出したのはコンビニで普通に買える駄菓子。ぺったんこな袋の中にラムネが一つ入っているだけのなんて事ないもの。

 利津は俺の手のひらをじっと見つめ、ラムネを指先でつまむと角度を変えて見つめている。


「食べる?」

「食べられるのか?」

「食べられなかったら言わねえの。ほら、貸してみ」


 俺は利津の手からラムネを受け取り、キツめの袋を爪で破って中身を出してやった。少し大きめのタブレット状になったそれを利津の手のひらに返す。手に乗ったそれを利津は穴が開くんじゃないかと言う眼力でじっと睨み、僅か不安げに眉尻を下げて俺を見た。

 

「薬か?」

「お菓子だよ」

「……」

「いらない?」

「いる」


 利津は俺とラムネを交互に見て恐る恐るラムネを口の中に入れた。無音の室内に利津の咥内に入ったラムネがしゅわっと音を立てる。


「んんんっ!?」


 利津は目を見開き口を押さえた。


「はははっ」


 そう、これは普通のラムネじゃない。唾液によって反応して口の中があわあわになる悪戯菓子だ。コーラ味。俺の選択はいつもいいと思う。

 吐き出せばいいものの利津は口を押さえたまま少しずつ飲み込んでいる。律儀な奴。


「っはぁ、何なんだこれはッ」


 やっと食べ終えた利津が開口一番に文句を言って俺を睨んだ。


「面白いだろ?」

「……ふざけるな」

「ふざけてんだよ」

「っ〜……」


 利津は眉間に皺を寄せフイっと視線を逸らすと頭をガシガシかいて俯いてしまった。思った以上にダメージがあったらしく、僅かに震えている。


 一つ一つ、くだらないことも利津とやってみたい。ここにいると何もかも清子様の手の内だし、へんてこりんな菓子に出会うこともない。それって物凄くつまらない。

 利津は始祖で久木野の嫡男だけど俺らと同じ普通の真祖だ。生まれが中央なだけで友達1人作ることもふざけることもままならないなんておかしい。



ーーーー



 更に季節は巡り、俺は大学生。利津は高校3年生になっていた。利津も俺と同じように中学から私立の中高と進み、それなりに順風満帆にやっているようだ。友達らしい名前を一つも聞いたことがないが、まあ、大きな事件もなく過ごせているのだからいいのだろう。


 そもそも人間の中に真祖が混じることはやはり難しい。学校内で吸血が御法度なのは勿論だが、人間と1人きりになることも禁止されていた。それは男女問わず生徒教師問わず。

 何かあってからでは遅い。真祖が何かの拍子で人間を眷属化しようとしても人間がもう1人いれば誰かに伝えることができる、と言うことらしい。

 そんなこんなで特定の友達を作るのは確かに難しいのだが、利津はそれ以上に人と関わることを拒絶している。


 だから不思議だった。面倒くさいはずの兵役を楽しかったという利津の心情が。


 それは利津が人間に扮して学生兵として3ヶ月過ごし戻ってきてすぐの頃。俺は御多分に洩れず大学が終わると久木野邸に向かった。

 時刻は夕方18時を回っていた。夏が終わり、涼しい風が頬を撫でる。柔らかな銀色の髪が後ろへと流され、駆け足で来たせいで汗ばんだ頭皮が気持ちいい。

 久しぶりに利津に会えることを心なしか楽しみにしていた俺は自然と口元が緩まりながら久木野邸の玄関をくぐった。

 慌てふためく久木野の執事やメイドを無視してまっすぐ利津の部屋へ向かう。3階までの階段も今はどうってことない。段差を2つくらい飛ばしながら身軽に駆け上がって利津の部屋の前についた。

 ドアをノックしようと手を上げたところで勝手に開いた。


「……なんだ、隆か」


 利津は俺を見るなりぼつりと呟いた。俺を見るとおよそ機嫌が悪そうにする利津が今日はなんだか機嫌がいい。どこかへ行こうとしていた利津はドアから手を離して部屋の中に戻っていく。俺はドアに手をかけて許可なく部屋に入った。

 何年経とうと、部屋の中は変わらない。テーブル、二脚の椅子、ベッド、ソファ、薄い緑色のカーテン。本棚にはびっしり本が入っていて、利津の性格が如実に出ているこの空間はゴテゴテした久木野邸の中では異質だ。


「何をしに来たんだ」


 部屋の主人、利津はフンと鼻を鳴らしてソファに腰掛けた。俺は椅子を引いてそこに座った。


「ん?兵役お疲れ様って言いに来た」

「……先輩風を吹かしに来たのか?」

「まぁねえ」

「ならば残念だったな。俺は何一つ疲れていない」

「へえ」

「学校に通うよりずっと有意義だった」


 利津の口からその言葉が聞けるとは思わなかったからびっくりした。軍なんて学校よりも窮屈なはずだし、しかも身分を隠さなければならない真祖おれ達からすればただただ嫌な時間が過ぎるのを待つだけで何も得ることなどない。なのに有意義だったと言う。

 俺は気になって前のめりになって聞いた。


「そりゃ是非聞きたいね。何がどうよかったんだ?」


 俺の問いに利津は口元に手を当て「ふふっ」と笑った。仕草が妙に艶っぽい。まさかと思いつつ利津に限ってそれはないだろうと確信しながら問うた。


「まさか思い人でもいたってか?」


 その言葉を聞くと利津はビクッと肩を震わせ目を見開いた。


「え?」

「あ?」


 予想もしなかった反応に俺まで変な声を漏らす。すると利津の顔はみるみる赤くなっていき、舌打ちをしてそっぽ向いた。

 たしか軍の中にも女はいる。いるけれど、誰かに恋焦がれた様子を一度も見せたことのない利津がそんなになるほどの女がいたのだろうか。


「……」


 変な沈黙に息が苦しくなる。

 先に我慢ができなくなったのは利津の方だった。ソファから立ち上がると早足で廊下につながるドアを開けて俺を睨んだ。


「用がないなら帰れ」


 低い声で凄んでるけれど、顔は真っ赤のままだ。初恋を知った小学生でも今日日こんな顔しないと思う。

 利津はあまりにも純朴で、見てるこっちが心配になる。


「あー……ね、うん。帰る」


 そう言うしかないだろ。こんな小っ恥ずかしい幼馴染とこれ以上空間を共にしたくない。俺まで恥ずかしくなってしまう。

 俺は椅子から立ち上がると利津が押さえるドアに向かった。利津は変わらず俺を強く睨みながら茹蛸みたいになっている。


 誰だよ、利津をこんなに出来る奴って。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ