37話
「西和田様!あの、お会いになるアポは取られていますか?」
執事やメイドが悲鳴のような声をあげて久木野の邸宅を駆け回っていた。
時刻は深夜2時。人を尋ねるには非常識すぎる時間に隆は血相を変えて入ってきた。
抱きつくくらいの勢いでやってくる久木野の眷属達に隆は睨みを利かせ立ち止まった。
「美玖嬢の部屋はどこだ?」
「いくら西和田様でも突然来られてお答えするわけには……」
「答えろ!」
真祖の出す強い覇気に眷属達は息を詰まらせた。今にも噛みつきそうなほど鋭い牙を覗かせ歯を食いしばる隆の前にひらひらとスカートを揺らし女が1人やってきた。
「これは、伯爵様。こんな夜中にどうなさったの?」
「……田南部美玖」
親の仇のように睨みつける隆に美玖はふわりと艶のある笑みを浮かべた。就寝用のネグリジェからは豊満な胸が溢れ、白く細い脚が太ももから惜しげもなく露わになっている。
そんな美玖の姿に目もくれず隆は勢いよく近づき、美玖の肩を乱暴につかんだ。
「俺の兄さんや姉さんでは飽き足らず久木野にまで手を出しやがって」
「っ、いけませんわ。こんな乱暴」
「乱暴?……はっ、よく言う。兄さんや姉さんに始祖の血を飲ませ、アンタの言いなりにできるように仕向けたんだろ?血液パウチだってそうだ。少しずつ始祖の血を混ぜて吸血鬼達の自我を奪い何をするつもりだ?あぁ?」
肩に爪が食い込むほど強く握られ美玖は痛みに顔を歪めた。だが、決して隆の言葉には靡かない。腕を振り無理矢理隆を引き剥がすと妖艶な笑みを浮かべながら美玖は小首を傾げた。
「何のお話かよくわかりませんが、屋敷への侵入、私への乱暴。あなた、もう二度と普通には暮らせなくってよ」
「とぼけんじゃねえ!」
「そこまで言うんでしたら証拠をお持ちなんですか?」
「あ?」
「証拠。私が真祖のご法度を犯したという事実が本当ならば私こそ裁かれるべきですわ。人間と吸血鬼の関係を揺るがす大事件ですもの。それに……始祖?何故その血を飲んで私の言いなりになるのかしら?」
緩やかな所作で美玖は腕を組み、自分の唇をなぞるように指を這わせた。
「それは……」
隆は確信していた。けれども美玖の言う証拠は持っていない。拳を握り隆は黙り込むしかなく、怒りのままやって来てしまったことを後悔した。
「何の騒ぎだ」
美玖の背後から見慣れた男が片手に書類を持ち白のワイシャツと黒のスラックス姿で現れた。
「利津」
渦中の男、利津が憤怒する隆に視線を向け、そして美玖の横に立った。さも美玖の味方で隆をは敵対する、そういう位置に立つ利津に隆は息を詰まらせた。負けを認めたような隆の表情に美玖はにんまりと笑い、甘えるように利津の腰に腕を回して体を寄せると利津を見上げた。
「酷いのよ。勝手に入ってきたかと思えば私の部屋の前で怒鳴り散らして、それに私の肩に傷を」
「アポイントメントなしで屋敷に来るのはいただけないな」
「ねえ」
利津は隆を見ながらそっと美玖の頭に手を添え見せつけるように引き寄せた。すっかり丸め込まれてしまった利津に隆は奥歯を噛みしめる。
「それに、それにね。私が悪いことをしたって言うの」
「ほう?」
「私が西和田様を篭絡させたとかなんとか。それに血液パウチだって。証拠もないのにひどいとは思わない?」
利津の脚に自分の脚を絡ませ、甘え誘うようなしぐさをしながら美玖はちらりと隆を見て微笑んだ。利津自身が堕とされた今、もう何をしようと隆に勝ち目はない。
終わりだ。そう隆が絶望しかけたその時、利津が口元を歪ませた。
「証拠?……これのことか」
「え?」
美玖は微笑んだまま利津を見上げた。利津は美玖の頭をしっかり押さえたまま片手に持っていた書類を天井に向かって放り投げた。利津は不気味なほど黒い不敵な笑みを浮かべながら舞う紙を眺めている。
一瞬世界が白に染まり、紙はひらひらと床にちらばっていった。その中の一枚は隆の前にひらりと舞い降りてきて隆はそれを手に取った。
「これって……」
「え?なに?何を撒いたの?」
拾いたくても利津が頭を押さえているため美玖は何もできない。隆は撒かれた紙から利津へ視線を向け信じられない光景に全身が固まった。
生気がなかったはずの利津は、翡翠色の瞳をギラギラと輝かせ口角を歪に上げ、どこか愉悦に似た表情を浮かべていた。
ーーーー
日の光が一切入らない牢の中で世那は震えていた。寒いからでも怖いからでもない。ずっと血液を与えられていないための枯渇衝動によるものだった。
腕につながるチューブからは常に血がパウチへ送られている。無理矢理にでも引き抜くことはできるが世那はそうはしなかった。定期的にパウチは回収されていく。それはきっと利津の元へもっていかれているに違いないと世那は思った。その事実だけが世那を支え、生きる理由になっていた。
それでも血を抜かれるだけで与えられることはないため世那は気が狂いそうだった。
誰も訪れなかった地下牢にこつん、こつんと聞きなれない足音が廊下から響く。世那は真っ白な髪を揺らし、血濡れた瞳でそちらに視線を向けた。
運転手の格好で帽子をしっかり被った佐藤が世那の牢の前で止まるとにっこり笑った。
「世那さん、お久しぶりでーす」
佐藤は変わらない人懐っこさを向けてきた。しかし世那はいつもと同じ返事はできなかった。
「な……で……」
掠れた声で世那は問う。
「あぁ、やっぱわかります?すげえなぁ、吸血鬼って」
目の前にいる佐藤から妙な気配がする。ここにあるはずのない利津の血の香り。その発生源がまぎれもなく佐藤から香って来ていることに世那は引っ付いた喉から自然と疑問が零れた。
「なんで、利津の……」
佐藤は牢の柵を掴むと世那が見えるように顔を近づけた。懐かしい匂いと共に佐藤の口端に利津の血が見えると世那は底知れぬ怒りに低くうなった。
「お前っ……」
獣のような呻き声を上げながら牙を見せる世那に佐藤はからかうように笑った。
「世那さんが悪いんすよ。ちゃんと利津様の言うこと聞かないから」
佐藤はポケットからスマートフォンを取り出し、慣れた手つきでライトをつけると自分の首筋に光を当てた。ポツポツと牙が刺さったであろう血濡れた傷口が生々しく光っている。
「っ……ぅぁ」
世那の肺に冷たい空気が入り込んだ。決して眷属を作らなかったはずの利津が何故今になって佐藤を眷属化したのか。
疑問は浮かべど今の世那にとってそんなことどうでもよかった。利津が自分ではなく他を選んだことが何よりも気に食わない。
「うらやましいでしょう?」
お気楽な声で佐藤は問いながらスマートフォンの電気を落としてポケットしまった。
「……あ?」
「まあ、こんな話したくてきたんじゃないんすよ」
世那の怒りを浴びても佐藤は変わらず楽しそうに鼻歌を歌いながら牢の鍵穴に鍵を差し込んだ。
「何してる」
「え?そこは普通ありがとうとかでしょうよ」
「誰の許可を得て外しているんだと聞いている」
「利津様」
嫌味たらしく紡がれる名に世那はとうとう怒りが頂点に達してしまった。ドアが開いた瞬間、なけなしの力で立ち上がりチューブが繋がる針を無理矢理引き抜くと自由になった拳に力を込め佐藤に向かってその拳を振り下ろそうとした。
「っ、あっぶないなぁ」
すんでのところで佐藤は世那の振りかぶった手を掴んでニヤリと笑みを浮かべた。
「軍人さんが一般人に殴り掛かっちゃダメでしょうよ」
「黙れ」
「悔しい?」
世那の拳を握り、こちらに向かう力を押さえているせいで佐藤の手は震えている。それでも佐藤は余裕の笑みを絶やさず黙り込む世那に口角を上げて笑った。
「いいねえ。世那さん、俺アンタのこと大好きだよ。その執着っぷりといい、無自覚で馬鹿なところが」
飲まず食わずで何とか繋いでいた命。一般人で運転手の佐藤にすら世那は力で勝てなくなっていた。
それでも勝機はあると世那は奥歯を噛み締め、ふと拳の力を抜いた。すると行き場所なくした佐藤の力が世那の方に向かい、佐藤の体が世那の方は倒れそうになった。そこで世那は手を回し佐藤を抱きしめる形で固定した。
「馬鹿はお前だ」
「はははっ、自覚ありま……っ!」
世那は低く呟くと佐藤のネクタイを緩めボタンが飛ぶのを厭わず佐藤の胸元を一気に広げ、露わになった肩口に遠慮なく噛み付いた。利津が噛み付いたであろう箇所を強く、噛みちぎるのかと思うほど深く。
利津が今どう言う状況でどの様な感情であるか世那は知らない。いや、知る必要もない。ただ利津が世那ではなく他人を選んだ。そのことに世那は血が沸騰するほどの怒りを覚えてしまった。
「ッ……」
咥内にぶわっと押し寄せる血液は甘ったるい利津の血とは違う苦いものだった。それでも血液に変わりないため世那は味わわないよう一気に飲んだ。
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