36話
久木野の当主と元当主が亡くなった時を同じくして真祖の一つ東山崎が完全に帝国から離れたと言う知らせが入った。
普通ならば国が独立するときは内戦が起きたりするものだが、帝国は東山崎に軍を送ることはなかった。ただ交易も何もかも遮断するということで成立し、東に向かう線路はその日のうちに断ち切られ、国境には軍の見張りが配置された。
東にはたくさんの資源はある。だが帝国なくして他国との貿易は成り立たず、技術も人も何も手に入らない。帝国はというと東に頼らずとも南や西から多くの資源を確保できるようになっているため痛手はない。帝国がわざわざ力を行使することなく東は勝手に消えてしまうだろうと皆が思った。
戸惑う民衆達を他所に、利津は変わらず淡々と仕事をこなした。父と祖母の葬式もつつがなく終え、自分の結婚のための日取りや準備も。加えて城での仕事も滞ることなくテキパキとこなすため、周りの者は利津に対して尊敬と畏怖の念を更に強くした。
「ひでえ顔」
そんな中ただ一人、利津を案じる男がいた。西和田隆は利津が資料室で必要な書類を探しているところに居合わせると利津の顔を覗き込んで笑い利津の肩を軽く叩いた。
利津は隆をぎろりと睨み、隆の手を払った。
「触るな」
「へーい」
変わらない冷たさに隆は笑いながら手を離し、本棚に向かって自分の探している書類を指で追った。
隆は一つ一つ薄い本を何冊も重ねて片手で持ちながら本当は利津の様子を見に来たためちらりと利津を窺った。
利津は元々白い肌をしている。そのため目の下のクマは一層黒く、頬の色も紅が一切さしていない顔面蒼白。美しさよりも儚さが勝り、普段の利津は見る影もなかった。
「忙し過ぎんのも良くないぞ?」
少し揶揄い気味に隆は声をかけたが、利津はちらりとも隆に視線を向けることなく書類を見つめている。
「いや、わかるよ。父親と祖母をいっぺんに亡くしたんだ。誰だって弱る」
ぺらぺら話す隆を他所に利津は欲しい資料を見つけると隆から離れてデスクに座り明かりをつけた。隆の話を聞くつもりはないとだんまりを決め込む利津に隆は大袈裟に溜め息を吐いた。
隆の溜息に利津は顔を上げて隆を見ると再び資料に視線を落としながらぽつりと呟いた。
「そんなことで弱るはずがないだろう」
「あ?」
「父上とお婆様が亡くなって悲しいなどと微塵も思っていない」
「おいおいそりゃ……薄情すぎんだろ」
隆は信じられないと言いたげな声を漏らした。あるべき感情が欠落している利津には隆の言葉の真意は理解できないのだろうか。
それでも隆の言いたい理屈はわかっているため利津はメモ用のペンを持ちこめかみに当て、笑った。
「貴様の家のように家族皆仲良しが当たり前だと思うな」
「そりゃ、うちは仲良しですケド、それにしたってなんかあんだろ……」
「会話にならない荷物を抱えているよりよっぽどいい。仕事も捗るし、父の機嫌や祖母の意見を聞く必要がなくなった」
機械的な言動に隆はふとある人物を思い出して声高に尋ねた。
「影島は?」
突如現れた世那の名に利津の顔から笑顔がなくなった。冷たい空気が二人の間を通っていく。
世那の名前を出すのはてきめんだったようで隆は利津が怒るかもしれないと思ったが更に続けた。
「清様と清子様が亡くなってからめっきり訓練所に来なくなっちまって、俺の眷属達が寂しがってるぞ。まぁ、家のゴタゴタで忙しいからだってわかってっけど。影島は悲しんでるんじゃないか?アイツの両親はもういない。アンタが言うようにたとえお荷物だったとしても血の繋がった家族が亡くなることを喜ぶような奴じゃない。むしろ傷ついているんじゃないのか」
隆の人間らしい感情の吐露に利津はふと小さく笑うとメモ用の紙に再びペンを走らせながら口を開いた。
「そうだろうな。両親も世那を愛し、世那も両親を愛していた。欠かさず命日に墓参りに行くような男だ。……くだらないな」
何があっても世那を否定しなかった利津から聞き捨てならない言葉が発せられ、隆は拳をギュッと握った。そして利津の前にある机に拳を強く叩きつけ隆は利津を睨んだ。
「どうしちまったんだ?利津!」
利津は驚くこともなく睨む隆と視線を交えた。
「どうもしない。久木野として当たり前のことをしているだけだ」
そうすると隆の怒りはとうとう収まらなくなっていき、奥歯を強く噛み締めて牙を向いた。
「そういえば、美玖嬢がずっとお前の家にいるらしいな。帰さないのか?」
「何故」
「お前自分で言ってただろ。美玖嬢が西和田とやり始めてからの血液パウチはなんか変だって」
「質の問題だそうだ」
「……はぁ?」
「新鮮な血を使っているからだと美玖が言っていた」
さも他人事のように紡ぐ利津に隆はやりきれない怒りを押し込め、溜息混じりに言った。
「そんなこと信じてんのか」
「少なくとも目の前にいる訳のわからん幼馴染よりこれから妻となる女の言葉の方がいい」
利津は元々ハキハキした男ではない。だがこんなにも無気力で人任せな言葉ばかり吐く男だっただろうか。
隆は苛立ちをむき出しに額と額がぶつかるほどの距離まで近づくと利津の胸倉を掴んだ。
利津はじとっと隆を見るだけで抗うこともない。
「お前、本当にどうしちまったんだよ!?まさか、美玖嬢に何かされたのか?」
その言葉に利津はふと口元を緩め、どこか艶っぽい笑みを浮かべて隆を見上げた。
「何かって?」
不気味すぎる利津の微笑みに隆は息を飲んだ。指先の力が弱まると利津は隆の手を払いのけた。
「美玖が全てやってくれる。俺は久木野としてただ全うするだけだ」
そういうと利津は資料を抱き上げ定位置に戻すとメモを片手に資料室を後にした。
隆は引き止める気にもなれなかった。苦虫を噛み潰したような表情で立ち去る利津を見つめ、どこに向けていいかわからない怒りに拳を強く握るしかなかった。
「利津、アンタまでおかしくなっちまったら俺はどうすればいいんだよ……」
ーーーー
日が傾き、遠くの空は紺色に染まりつつある。夕方になろうとじっとり暑く涼しさのない風がサラサラと木々を揺らす。少しだが葉が落ちていく様は夏の終わりをひっそりと告げているようにも感じられる。
利津は佐藤の車に揺られながら腕を組み目を閉じていた。
佐藤は慣れた道を丁寧に運転し、ラウンドアバウトをくるりと回って邸宅の入り口前に止めた。
「利津様、着きましたよ」
佐藤の声に利津は目を覚まさない。普段ならば声をかける前に勝手に出ていこうとするが今日に限ってしっかり眠っているようでぴくりとも動かない。
佐藤は苦笑し、レバーをパーキングに動かし車から降りると利津のドアを開け顔を覗き込んだ。
「りつさ……っ!?」
佐藤が近づいた瞬間、利津は目を開けると手を伸ばし佐藤の腕を掴み車内へ引き入れた。咄嗟のことに佐藤はバランスを崩し、かろうじて背もたれに手をついて利津の上に全体重を乗せることはなかったが、利津の息が聞こえるほど近くに抱き寄せられてしまった。
「ちょ、……え?なんすか」
「覚えているか」
車のドアは開け放たれている。にも関わらずぴたっと流れる空気が止まった。
佐藤は息をのんだ。いつか交わした契りの話かと理解するといつものふざけた調子はなくなり佐藤は小さく頷いた。
「……はい」
佐藤の真剣な表情に利津は笑みを浮かべると佐藤を強く抱き寄せ首筋に顔を埋めた。ひくりと佐藤が肩を揺らしたが利津はお構いなしに襟元から見える肌に鼻先を当てた。
「っ、……」
佐藤が小さく震える。利津は宥めるように佐藤の頭をひと撫でするともう片方の手で自分のズボンのポケットを探った。
「怖いか?」
「そりゃ、ねえ」
「きちんと仕事ができた暁には褒美をやる」
「まじっすか。じゃあ新しいゲーム機欲しいな」
「ふふっ、そんなものでいいのか?」
「利津様にはわからないでしょうね。グラフィックもスペックも、何もかもがダンチなんすから」
軽口を叩いてはいるが佐藤の声は僅か震えていた。これから起こることを思えば恐怖しかないだろうと利津もわかっている。利津は佐藤の頭を強く掴んで固定し、ポケットを探っていた手を佐藤の肩に添えた。
「すまない」
「謝らないでくださいよ、らしくない」
「……やるぞ」
「どうぞ」
佐藤の合図が聞こえると同時にぷつりと皮膚を割く音が小さく車内に響いた。
刺すような痛みに佐藤は息を詰まらせ、すぐに溜息混じりに呟いた。
「いってぇな……」
「そうだろうな」
「わかっててやってんすよね、やだなぁ」
悪態つく佐藤を無視して利津は体を離すと自分の指に牙を当て嚙みついた。じわっと血が溢れ指先に向かって血が流れていく。
ふわふわの銀色の髪が揺れ、翡翠色の瞳がほんのり夕焼け色を吸い込んで佐藤に視線を向ける。その様子に佐藤はごくりと喉を鳴らした。
「……えっろ」
「何だ?」
佐藤の言葉に利津はきょとんとした目を向けて首を傾げた。
「マジ自覚無しっすか。もー、やだやだ。俺のご主人サマ」
わかっていない、と言われたように感じて利津は眉間に皺を寄せ佐藤を睨んだ。その視線に佐藤は大げさに溜息を吐いて両手を上げた。
「はいはい、もういいです。スミマセン」
「飲め」
十分に血が溢れた指先を利津はそっと佐藤に差し出した。所作ひとつひとつが優雅で何とも言い難い雰囲気に佐藤は苦笑するしかない。
――無自覚こえぇ。
なんて思っても佐藤はこれ以上何かを言えば怒りを買ってしまうだろうと口を閉ざした。佐藤は差し出された利津の手を掴むとゆっくりと指先を咥内へ招き入れた。
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