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35.5話

(side:世那)


 あの日、利津の父さんが死んだ日。俺は久木野の眷属に連れて行かれるままここに来た。

 日の光が一切入らないように積み上げられたごつごつとした岩肌に囲まれた地下牢。じめっとしていて空気が重くてカビ臭い。簡易的なベッドと便所、手洗い場があるだけの部屋。

 本当に犯罪者になったのだなと改めて自覚させられる。


「そこに座れ」


 男が命ずるまま俺は岩肌が剥き出しの地面に座った。後ろ手に手錠をされたままだから居心地悪いが男はそれを外す素振りもなく牢の鍵を閉めて出ていった。

 これからどうなるのか。先のことを考えても仕方がないし、休む気にもなれない。目の前で利津の父さんが死んだ。止められなかった。自分の無能さに吐き気がする。


 何故俺はあそこにいたのか。……理由は簡単だ。本当の親であった田南部美玖が俺に命令したのだろう。眷属化した元人間の吸血鬼は主人の命令は絶対になる。不必要な自我は捨てられ、主人の駒として使われる。

 あの日ここに侵入したのも田南部美玖の命令だったに違いない。そうでなければ知りもしない邸宅に侵入できるわけもないし、何の意味もない。


 俺は横にあったベッドに頭だけを預けて一点を見つめながら止まらない思考の波に飲まれていった。



ーーーー



 あれは俺がまだ人間で二等兵だった頃。上官に呼ばれてある部屋に通された。また何かやらかしただのと言われ濡れ衣を着せられた後に折檻か、と思いながらドアを開けると1人の女が座っていた。田南部美玖。彼女に会ったのはこれが初めてだった。


「もっと評価されたいと思わない?」


 彼女はふっくらした自分の唇を指でなぞりながら妖艶に笑っていた。


 そりゃそうだろ。だって俺はもう26歳で。学もない金もない親もいない。そんな俺が唯一働ける場所だったのが軍だった。けれどもいくら武功を立てても何の意味もなさない。その虚無感にどれだけ苦しめられたことか。

 

「はい」


 俺の答えは決まっていて考える隙もなく返事をした。俺が許諾すると同時に田南部美玖は歪んだ笑みを浮かべ近づくなり俺の首筋に噛み付いた。

 こんな大事なことをいとも簡単に忘れてしまっていた。


 何故。わからない。



ーーーー


 カチャカチャと金属同士が擦り合う音が聞こえて俺は重たい瞼を開けた。いつのまにか夢の中にいた俺は現実は引き戻され、ぼやける視界を直そうと何度か瞬きをしているとちょうど牢の鍵が開いた。

 鉄格子状のドアを開け入ってきたのは見覚えのない大男だった。俺も俺を連れてきた男もすんなり入れたドアを男は少し屈んで入り、大きな鞄をどすっと地面に下ろして俺の前にしゃがんだ。


 なんだろう。目の前にいる男に何か違和感を感じた。


 固そうな黒髪はざんばらに切り揃えられていて、ダボっとした黒のズボンに白のTシャツ。細い眉と鷹のような鋭い黒目で俺をじっと見つめている。年も俺とさほど変わらないように見えるが、今まで会った人達の中に似た雰囲気のものはいない。俺もそれなりに鍛えているがそれ以上に筋骨隆々なその男は数秒俺を見て片手に持っていた鍵の束から一つ鍵を取り俺の背後に回った。


「……」


 かちゃっと小気味いい音が鳴り手錠が外され俺の手は解放された。牢の鍵も空いている。振り向きざまに男を殴って出て行くこともできたが俺はしなかった。

 案の定、手錠を外しても身動き一つ取らない俺に疑問を持ったのか男は訝しげに俺の顔を覗いた。


「逃げねえのか?」


 体格に見合った低く重い声が地下牢の岩肌に反響してびりびりと響く。

 問われたからには俺も答えなければならない。思っていた以上に喉が突っ張っていて俺は少し咳払いした。


「逃げねえよ」

「なんで」

「逃げて欲しいのか?」

「欲しい?……まあ、逃げたところですぐ捕まるだろうからテメェの判断は正しい」


 掴みどころのない返答に俺は話す気にならなくなって口を閉ざした。大体コイツは誰で何をしにきたんだ?

 男は黙り込んだ俺をまたじっと見ては持ってきた鞄の前に座った。ぎぃっと太いチャックが開く音が響き、中から病院でよく見る採血セットが出てきた。


「何をする気だ」


 男の見た目から想像もつかなかったものが出てきて俺は尋ねたが、男は俺の顔を見ると答えず視線を落として淡々と採血の準備を始めた。


「おい」


 怒気を含んだ俺の声に男はやっと手を止め、切れ長な一重の目で俺を捉えると注射針を見せつけるように揺らして口角を上げた。


「怖えのか?」


 見た目に反して子供っぽい揶揄い方をする男に俺はむっと眉間に皺を寄せて睨んだ。


「そりゃ、何されっかわかんねえのに針ちらつかせてきたら怖いだろ」

「へへっ、違えねえ」


 そう言うと男は鞄から消毒液を取り出ししっかり自分の手に塗り込むと清潔そうなゴム手袋を嵌めた。手袋するならいらなくないか、という疑問は置いておく。

 男は俺の前に手を差し出した。


「腕」

「は?」

「聞き手は右か?だったら左腕を出せ」

「待て待て。え?いろんな説明が全部すっとんでんだよ。そもそもお前は誰で何しに来たんだ?」

「……」


 男は俺の言動の意味がわからないと言いたげに眉間に皺を寄せた。

 あぁ、なんだ。この相手の言葉を理解しないでズケズケ話す感じ、なんか似てんな。


「……サクラ」

「?」

「名前。佐藤の佐に倉庫の倉で佐倉。久木野に頼まれてテメェの血を抜きにきた。つっても今日しかいねえからあとは他の奴に管理してもらえ。俺は血が抜けるようにして行くだけだ」

 

 男、佐倉は必要なことだけ簡潔に言うと手を差し出せと手招きした。

 利津を久木野と呼ぶ人に会うのは久しぶりかもしれない。軍にいる頃は皆が久木野大尉と呼んでいたし俺もそう呼んでいた。

 ここに来てから初めて聞く呼び名に一瞬戸惑ったが俺は左腕を大人しく差し出した。もし本当にこの男が利津の使いならば利津がしたいように俺はされるべきだと思ったからだ。

 俺が従順に手を差し出すと佐倉はきょとんとし、ぷっと吹き出した。

 

「信用しすぎだろ」

「出せっつったのお前だろ」

「毒入れられるかもしんねえし、久木野の使いじゃねえかもしんねえ。もう少し警戒しろ」


 佐倉のいうことはわかる。全くもってその通りだ。だが今の俺に拒否する権利などないだろうに、馬鹿げた質問だと俺は嘲笑した。


「まあ、痛くされたくなかったら大人しくするのが定石だな」


 俺が返答する前に佐倉は勝手に納得すると俺の左腕を掴み、ゴム手袋のまま俺の前腕屈側を指先でなぞり、もう当たりをつけたのかアルコールのついたガーゼで消毒した。普通ならば素手で触って血管を探すものだろうと思いじっと見つめていれば、俺の疑問に気づいたのか佐倉はニヤリと笑みを浮かべた。


「見りゃ大体わかんだよ」

「んなわけねえだろ」

「テメェだって吸血鬼だろ?どこに太い血管があるか匂いと視覚で見つけられる」


 さっきから感じていた違和感がはっきりした。


「吸血鬼なのか?」


 そう尋ねると男は針を出しぶすっと俺の静脈に刺して答えた。


「そうじゃなかったらここにはいねえだろ」


 ちくりと一瞬痛かったが目当ての血管にすぐに刺さり今まで受けた採血よりも痛みが少なく俺は佐倉を見た。チューブの中を血が伝っていき、一本だけ検査用の血液をとると空の血液パウチにチューブからつながる針を差し込んだ。ゆっくりと俺の血が流れていく。佐倉は針を刺した俺の腕を押さえながらテープや何かの器具でしっかり固定していった。


 やっぱり何か違和感があって俺はついに言ってしまった。


「なんか変だ」

「あ?上手く刺さってんだろ」

「そこじゃなくて」

「……なんだよ」

「真祖でも元人間の吸血鬼でもない」


 佐倉はぴたりと動きを止めた。そして細い目を丸くしてすぐに細めて俺を睨んだ。


「何だって?」

「え?」

「今なんつった」

「真祖でも元人間でもないって」


 俺は感じたまま言っただけだ。なのに佐倉はまるで化け物を見るような目で俺を見ると視線を血液の入っていくパウチにやった。ゆっくり流れ込んでいくそれを見つめ、眉間に皺を寄せ黙り込んでいたが何か悩んでいたことが解決したのか再び俺と視線を交えた。


「久木野がテメェを大切にする理由はなんだ」

「大切……。利津が、俺を?」

「今もわざわざ俺に頼んで血を抜かせている。いつもなら西和田に頼むんだろうが、今になって媚びてきやがって。今までのアイツからは想像できない。……久木野にそこまでさせる何かがテメェにはあるんだろ」


 佐倉がどんな人物で利津が普段は頼まないことを今しているのだとしたら、俺こそ訳がわからない。考えられることとしては国から出されている血液パウチを飲みたくなくて、俺を血液バンクにしたいというだけのはずだ。


 でも違うとしたら、何のためだ。


「本当なら針を刺しっぱなしにするのは良くねえ。けど、抜くんじゃねえぞ」


 上の空の俺に佐倉は何か言って俺の顔を覗き込んだ。


「なあ」


 俺が考えあぐねていると佐倉は器具を鞄にしまいながら声をかけてきた。少し強い語調だったため、俺は答えの出ない考えをやめて佐倉に向き直った。

 俺が聞く姿勢になると佐倉は話し始めた。


「久木野のことどう思う」

「どうって」

「俺はアイツが嫌いだ。傲慢で他人を見下し、自分さえ良ければいいと考えている。身勝手な野郎だ。……でも」


 そう言って佐倉は地面に視線を向けたまま僅かだが表情が和らいでこう呟いた。


「テメェの話をする時だけは共感できた」


 それだけを言い残して佐倉は鞄を持って出て行ってしまった。しっかり牢の鍵を閉め、その場に俺の血を流し込む血液パウチを置いて。


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